第8話 初陣は泥臭くも華々しく


 その集団が近づいてきたのは、シオンたちが練習を始めて三十分くらい経った頃だった。


 自身も霊子庭園に入って実践形式で練習をしていたシオンは、巨大な天井と人影を見上げる。

 実技A科の生徒が四人。

 襟のラインからするに、同じ一年生のようだ。

 彼らは無遠慮に近づいてくると、外で見ていたレオたちと、何やら口論を始めた。


 何やら不穏な空気を感じたシオンは、霊子庭園の外に出て実体になる。


「どうしたんだ?」


 感情的になっているレオに抑えるよう促しながら、シオンは四人の前に出る。

 そこに、ノキアがそっと耳打ちをする。


「彼ら、技術科の君たちがトレーニングルームを使っているのが気に食わないらしい」


 その一言で事情を察する。

 つまり、実技A科の生徒に因縁をつけられているのだ。

 とはいえ、こちら側に後ろ暗い点はない。あくまで冷静に、シオンは四人に向き直る。


「悪いけれど、もう少し待ってくれ。使用時間はちゃんと守るから」

「はっ。Dクラス風情が、何言ってんだよ」


 あくまで高圧的に、四人のうちの一人が前に出て言う。


「お前らみたいな能なしがいくら鍛えても変わらねぇだろ。一時間も時間取りやがって。後が支えてんだから、さっさと終わらせろよ」

「正式に許可を取って使ってる。そちらに文句を言われる筋合いはない」


 冷静に返すシオンに対し、相手は相変わらず高圧的に返してくる。


「こっちは大有りだ。お前らのせいで練習時間が短くて困ってんだよ。お前らと違って、こっちはインハイの予選に出るんだから」

「なら、事前に予約をしておくべきだろう。今の時期は予選前で、どの実技室も混んでいるのは自明だ。それに、僕達もウィザードリィ・ゲームに向けての調整だから、条件は同じだ。そのことで非難される覚えはない」

「はぁ? お前らが?」


 実技科の生徒たちはそう驚いた後、小馬鹿にしたようにケラケラと笑い出した。


「おいおい。技術科なんかが予選に出るって? 何の冗談だよそれ」

「笑えない冗談だな! お前ら、自分の成績わかって言ってるのか?」

「運良くファントムと契約出来たからって、自分の実力が上がるわけでもないのにな」


 口々に、好き勝手なことを四人はまくし立てる。

 それに対して怒りを覚えないわけではなかったが、大事にしたくないためシオンは黙ってそれを聞いていた。


 頭の中では、いかに穏便に済ませようかを考え始める。

 しかし、背後の友人は我慢できなかったようだ。


「……お前ら、少し黙れ」

「あ?」


 低く、威圧するような声が響く。

 まずい、と思ったが、その時には、レオがシオンの前に出ていた。

 先ほどまでの感情的な様子とは違い、今の彼はどこか落ち着いていた。理性で感情を抑えながら、それでも全身から怒りを立ち上らせているといった感じだ。


 意外な様子に虚を突かれ、シオンは止めるタイミングを見失ってしまった。

 レオは、声を荒げるのを必死で抑えながら、淡々と言う。


「俺は確かに実力がないから技術科だ。だが、こいつは違う。だから馬鹿にするな。訂正しろ」

「は! 訂正しろだってよ。Dクラスのくせに、何言ってんだ」

「技術科を馬鹿にすることしか出来ないのか、Aクラスってのは? 随分と安いプライドなんだな。何かを侮辱しないと自分を誇れないだなんて」

「なんだと?」

「訂正しろ」


 ずい、と。

 一歩踏み込みながら、畳み掛ける。


「少なくともシオンとミラちゃんは本気だ。冗談なんかじゃない。本気で取り組んでいる。その本気を馬鹿にするな。茶化すな。侮辱するな。そんな資格は、誰にもない。だから、訂正しろ」


 再度繰り返す。


「不適切な侮辱を、訂正、しろ」


 普段お調子者として知られている葉隠レオは、今、真剣に怒りをぶつけていた。

 それは――かつて、一つのことに没頭し、そしてそれに裏切られたことがあるからこその怒り。懸命に物事に邁進している者を、認めているがゆえの怒りだった。


 気圧されたのか、四人は思わずといった様子で一歩後ずさりしていた。

 しかし、彼らとしてもプライドが邪魔するのか、そのまま引き下がれそうにはなかった。

 プレッシャーを感じたことに苛立った様子で、一人が威嚇するように言う。


「本気だぁ?」


 前に出たのは、中肉中背の少年だった。彼は怒りに目を燃やしながら言う。


「技術科の本気がどの程度のもんだよ。そんなに言うんなら、見せてみろよ」


 くい、と。彼はシオンの方を見て言う。


「勝負しろよ。競技は、『マギクスアーツ』のバディ戦。それでお前らが勝ったら、土下座でもなんでもしてやるよ」


 彼の言葉とともに、すぐそばで着流しの浪人風の男が実体化する。

 おそらくファントムだろう。やる気のなさそうな流し目を向けているが、真剣のような鋭さを全身から放っている。


「待て、なんでそうな――」


 それに対して、レオがなおも何か言い連ねようとしたが、シオンが静止をかける。


「ごめん、レオ。もういい」


 シオンはミラに一瞬だけ目配せして、そして相手となるバディに向き直った。


「いいよ。丁度模擬戦もしたかった。やろう」


 そうして、シオンとミラの二人にとって、初試合が決まった。



 ※  ※



「わりぃ。こんなことになってしまって」


 模擬戦の準備をする間、レオはずっと申し訳無さそうに頭を下げていた。


「謝らないでくれ。どのみち、あいつらは引かなかっただろうから」


 それと、と。

 シオンは目線を逸らしながら、小さな声で言う。


「怒ってくれて嬉しかった」


 聞こえるか聞こえないか、ぎりぎりの声。それが聞こえたのか、レオは目を伏せながら「別に、大したことじゃない」とぼやいた。



 シオンは手持ちのデバイスを確認する。

 ロッド型の魔法デバイス。

 魔法使いの杖を簡略化したもので、警棒くらいの長さである。そこに、スロットが複数あり、『要素マテリアル』と『変換コンバート』を組み込むことができる。そうして魔法式のデータを組み込むことで、簡易的に魔法を扱える代物だ。


 霊子庭園内において、デバイスは精巧にモデリングされたものが霊子として再現される。なので、市販のもの以外は、自身でモデリングをしていなければ、庭園内には持ち込めない。


 事前に用意していた魔法式を幾つか組み入れながら、ミラの様子を確認する。


「ミラ。調子はどうだ?」

「バッチリ! 頑張るよぉ!」


 グッと親指を立ててくる様子は、今はどこか頼りになった。模擬戦ということもあるが、初陣の緊張があまりないのは助かる。

 シオンにとっては、実戦は四年前の事故以来なので、不安は多い。


 だが、この一週間、今の自分にできることをずっと考えてきた。

 一流の魔法士としての大成はまず望めないが、それでも魔法の使い手としてできることはまだ残されている。

 準備をしながら、対戦相手のデータを見る。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 魔法士・天城聖夜あまぎせいや

 魔力性質:固形

 魔力総量B 魔力出力C 魔力制御B 魔力耐性D 精神強度C 身体能力B 魔力感応B


 ファントム・榊原さかきばらカブト

 原始『■■■■』

 因子『刀剣』『切断』『鋼鉄』『試斬』

 因子四つ。ミドルランク

 霊具『■■■』

 ステータス

 筋力値B 耐久値B 敏捷性C 精神力C 魔法力E 顕在性B 神秘性D



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「さすがに、実技A科だ。魔法士側のステータスはかなり高い……。そして、ファントムの方は……名前が榊原……カブト。因子は刀に関するもの。見た目からして浪人風」


 事前データから相手の情報を探っていく。

 ファントムの原始が予測できれば、それだけで対策はかなり立てられる。そもそも、因子の時点で直接攻撃タイプであるのは確実だ。

 シオンは対戦相手……セイヤに向けて、準備が終わったことを伝える。


「いつでもいい。はじめよう」

「ああ、こっちもいいぜ」


 相手にもシオンたちのデータは伝わっている。

 と言っても、ミラの場合は探りようのないステータスなので、さほど痛くない。シオンに至っては論外だろう。低い能力値が伝わった分、こちらを甘く見てくれれば御の字だ。


 霊子庭園を展開し、それぞれ四人が中に入る。


 霊子体は、本体と寸分たがわない性能となる。違いがあるとすると、霊子庭園内で負った傷については、その殆どが実体にフィードバックされない。痛覚ダメージによる擬似的な負傷が実体に現れることもあるが、多くの場合は無傷で帰れる。


 フィールドは、広々とした闘技場を用意した。場合によっては障害物だらけの屋内戦や、樹海、海上といったステージをプログラムできるが、今回はそこまで凝ったステージは必要ない。


 おそらく、長期決戦にはなるまい。


 天城セイヤと、そのファントムであるカブトが前に立つ。

 着物を着流した男は、腰にさしてある刀に手をかけながら、ぼやくように言った。


「面倒だなぁ。こんなところで手の内を見せるのは、あまり良くないと思うんだがなぁ」

「黙れカブト。いいから俺のいうことを聞け」

「はいはい。わかってますよ、ご主人さん」


 いかにもやる気がありません、といった風体のカブトだったが、しかしその物腰には隙が全く見当たらない。

 たとえ今、不意打ちを仕掛けたとしても、彼ならばたやすく対応するだろう。

 そういった自然体の凄みが彼にはあった。

 刀の持ち方、刀の種類、それらをシオンは観察する。ファントムの容姿はあまり重要ではない。問題は、彼の所有する物品と、そのしぐさである。


 観察をし終えて、そして――シオンは、目を閉じて、小さくミラに言った。


「ミラ。予定通りだ」

「わかったよ」


 短く、二人は頷き合う。

 そして――タイマーで仕掛けてあったベルが鳴り響く。



 ゲームスタート! 



 試合開始となった途端、相手が動く。


「まあ、なんだ」


 ゆらりと、姿勢を変えるような自然さで、カブトが体を揺らす。


「斬り捨て御免、とでも言っておこうか」


 次の瞬間。

 着物を揺らしながら、カブトはミラの目の前に出現した。


 刀はすでに鞘から抜かれている。閃光のような煌きとともに、白刃が音速を越えた速度で、鏡の神霊を頭から両断せんと振り下ろされる。

 瞬きも出来ぬほどの間。

 刀剣の神霊は、必殺の一撃をもって開幕とし、刹那の間において幕を下ろそうとした。


「うん」


 その回避不可能な、神速の一撃を前に。


「シオンの――言うとおりだったよ!!」


 七塚ミラは、満面の笑みをたたえて、七つの鏡を自身の周りに展開した。


 少女を囲った鏡は、まっすぐに世界を映す。

 映り込む世界。

 七重に重ねあうように映り込む事象。

 それを織り合わせるようにして、ミラは鏡で自身を囲う。


 そして――現実は鏡影によって欺かれる。


 ミラを叩き切るはずだった刀身は、まるで屈折したかのように曲がりくねり、ミラの身体にわずかとも触れることがなかった。


「む?」


 確かに斬った。

 刃を放った瞬間こそ、カブトはそう確信したのだが、現実には空振った刀身を構え直しただけだった。

 刀身が曲がった用に見えたのだが、実際にはそんなことはない。


 空振りの手応えに、かすかにリズムを狂わされる。


 不可思議な現象を考察する時間はない。

 失敗したのであれば、息つくまもなく二撃目を繰り出す必要がある。


 続けて振り上げた刃は、シオンに向けたものだった。元々が、ファントムを斬った後に魔法士を切るという、連続した動作である。

 ファントムを斬り損ねたものの、防御に時間を取られた今ならば、隙があるという考えだろう。



 ――甘い。



 そう、シオンは心の中でつぶやいた。

 不意打ちに対する防御ならともかく――元から予測していたのならば、次の動作も容易い。


「は、ぁああああ!」

「させ、ないよ!!」


 頭上に振り上げ、そして振り下ろそうと迫る刃。

 そしてそれを、真横からたたき払う白刃の姿があった。


「な、に?」


 今度こそ、カブトの表情は驚愕に染まった。

 剣戟の音とともに、風圧が周囲を圧倒する。


 彼の振り上げる刀を防いだのは、同じようにミラだった。


「あ、あははっ!」


 歓喜に打ち震えるように、ミラは笑みを浮かべて刀を振るう。

 刀の使い方など知らないのだろう。

 彼女はただがむしゃらに、鉄の棒を叩きつけるようにして、その刀を振るってきた。


 あまりに無造作なその動きに、慌ててカブトは防御姿勢を取る。

 重厚な剣戟が鳴り響き、二つの鋼鉄が弾かれあった。

 二撃を防がれて、一呼吸。


「か、カブト!?」


 ようやく事態を把握したのだろう。

 セイヤが慌てたように、自身の手に持っているデバイスへと魔力を通し始める。

 全くもって遅いが、しかし気持ちはわかる。

 一撃ごとに風圧が撒き散らされ、その余波で吹き飛びそうになる。ファントム同士のぶつかり合いは、それだけで圧倒されるだけの迫力があった。


 カブトとミラは、刀剣を重ねあう。


 素人同然としか見えないミラの動きだったが、その剣閃は不思議とカブトの刀を的確に弾いていた。

 刀を構えなおそうとするカブトに対して、ミラは喰らいつくように刀を振るっていく。連続で不意を打たれたため、カブトは自然と防戦に回らざるを得なくなっていた。

 圧倒的な筋力値の差は、ミラの絶え間ない猛襲のおかげで、戦況を均衡させている。


 剣戟が鳴り響き、轟音がいななきをあげる。

 ファントム同士の桁違いな膂力によるぶつかり合いは、衝撃となって周囲に風圧をまき散らす。


「喰らえ! 『セット』『アイスウィンド』」


 そこに、セイヤの援護魔法が発射される。

 小鳥をかたどった氷の礫。それらは正確に、ミラとシオンだけを貫くために襲いかかる。


 それを、シオンは冷静に見つめていた。


「――『インクルード』『クラック』」


 デバイスに魔力を通しながら、シオンは起動の呪文を唱える。

 相変わらず、体内の魔力の巡りは悪い。

 満足に制御出来ない魔力は、目的を果たすための手順をうまく踏めない。複数の処理を混線させてしまい、魔法式はやがてエラーを起こすだろう。


 それこそが今の彼の当たり前であり――そして、彼の狙いである。



 



 キラキラと煌く氷の結晶。

 まるで暴走を起こしたかのように、無惨に砕け散った氷の小鳥たちを、セイヤが驚きでマヌケな面で見る。


 術式崩し。


 相手の術式にジャミングをかけ、強制的に魔力を流してクラックする失敗魔法である。


 自身が起こした結果を見ながら、シオンはすぐさま次の術式の準備を始める。


「『二番起動』『接続』。『ファースト』を『フォース』へ」


 ロッドを振るう。

 魔法が起動するまでにかかる時間は最短でも二十秒ほど。

 今の身体では、通常の魔法を組み立てるだけでも丁寧な手順が必要だ。その間、集中は片時も途切れさせられない。


 自身の魔力の制御にしっかりと気を割きつつ、戦況も見逃しはしない。

 ミラの猛攻も、そろそろ限界だ。一時的にコピーした刀剣と剣技も、やはり本物の前ではすぐにぼろが出る。もってあと十数秒といったところだろう。


 セイヤはと言うと、シオンのやったことの種を理解したのだろう。

 所詮は、魔法式の組み方の甘さを突くような初歩的な技術である。

 今度はクラッキングされないよう、何重にもプロテクトをかけた強固な魔法を組んでいく。


 故に――時間がかかる。



 シオンが魔法を起動し始めて、十五秒目。

 ミラの振るう刀が、大きく空振りをした。


「な、に?」


 予想外の空振りに、カブトが怪訝な顔をする。ぶつかり合うはずだったカブトの刀は、勢い余ってミラの身体へと振りぬかれる。


 一閃。

 ミラの身体を、白刃の刃が深々と斬り裂く。


「あはっ」


 瞬間、ミラは笑い声をあげる。

 七枚の鏡に衝撃が走る。その衝撃は、埋め込まれた宝石にヒビを入れた。


 パッシブスキル――鏡に写った私は貴方いたいのいたいのとんでいけ

 自身のダメージを七割分の一にし、さらに、三割を相手に返すというスキル。


 仮に――もしも、カブトの刃が万全の状態で振るわれたのであれば、ミラの持つパッシブの容量を超え、ミラ本体を傷つけられただろう。


 しかし、ミラのがむしゃらな攻撃をさばくことで精一杯だったカブトにとって、その一撃は万全とは程遠い、手なりの一撃だった。


 故に――七割の衝撃は鏡にいなされ、残る三割のダメージがカブトを襲う。

 彼の胸元は裂け、わずかに血しぶきが飛んだ。


「ぐ、ぅう」


 目を剥いて、のけぞる自身の身体を見下ろすカブト。

 そして――二十秒。


「ミラ、チェンジ!」


 その一言と共に、ミラは右に身体をずらした。

 同時に、シオンはカブトの前へと一歩踏み込む。


 誰もが予想しなかった。

 魔法士が単体でファントムに向かうなどという愚行を、誰も想像にすら上げなかった。



 だからこそ、その隙は決定的なものとなる。

 シオンの手に握られているロッドが鈍く光る。



 ――同時に、セイヤが組み立てていた魔法がちょうど完成する。

 氷の礫が、無数に雨のように降り注ぐ。



「させない!」


 それを、カブトの前から退いたミラが、鏡を展開して食い止める。


 七枚の鏡が、キラキラと周囲を多い、氷の礫を囲う。

 七重に重なりあう合わせ鏡は、無数の氷を閉じ込める。



 これで――シオンとカブトの一騎打ちだ。



 ミラから返された三割のダメージを負ったカブトは、のけぞった状態から刀を振る。


「舐めるなよ――少年!」


 神霊である以上、彼の性能は人間より遥かに上である。

 例えどんなに不安定な姿勢であろうと、彼の持つ因子は『刀剣』。刀の扱いにおいて、そうそう自分の右を譲るつもりはない。

 たかが人間如きに、一矢報いられる訳にはいかない。



 

 ――必ずや、この身を惨殺せんと、最適の行動を起こすはずだと、シオンは考える。



 刹那の間。

 一呼吸の間に行われた攻防。



 刀剣の神霊は、おのが原始を最大限に発揮するため、頭を叩き割ろうと刀を振り下ろし――

 ――凋落した魔法士は、ただその刀にロッドがぶつかるように、頭上を防御した。



 鋼鉄と機器がぶつかり合い、火花が散る。

 そしてその瞬間、カブトは自身の敗北を察した。


「あぁ。ご主人よ」


 愛刀は無惨に刃毀れし、カブトは自身の内側を深く傷つけられたことを察した。


「すまぬが、こやつの方が何枚も上手だったようだぞ」


 ニヤリと笑いながら、彼は前に向かって倒れ、膝をつく。

 彼の身体には、大きな傷はない。

 しかし、彼の内側は今、グチャグチャに引っ掻き回されていた。

 彼を構成する因子が傷を負い、活動に制限をかけられる。


 名をつけるなら、因子崩し。


 魔法の術式崩しの応用にして、対ファントム戦における最大の切り札。

 膝をつくカブトを見ながら、シオンは口腔内にたまった血反吐を吐く。


「が、は」


 吐出された血は、キラキラと霊子の塵となって散っていく。

 ファントムの一撃をもろに受けたシオンは、半身を血みどろにしながら、折れたロッドを杖のようにして立っていた。


 仮にもファントムの攻撃である。受けきれるとは思っていなかったものの、防御の上から思い切り斬り落とされた。もしここが霊子庭園でなければ、即死級の大怪我である。


 ――しかし、それでも今彼は、意識を保っている。

 故に、まだ負けてはいない。


 この勝負は、霊子体を保てなくなった方の負けなのだ。

 たとえどんなに大きな怪我を負おうと、例え半死半生の目に合おうと、最後まで霊子体を維持できれば勝ちになる。


 シオンは見る。

 フリーになったミラが、鏡でとらえた氷の礫を開放していた。


 それらは全て天城セイヤの方へと向かう。

 幾百の礫は、生半な防御では防ぎきれないだろう。

 必死で防御をしているが、自身の作った魔法の力によって、彼は全身を串刺しにされ、霊子体を崩壊させた。


 あっけなく、しかし確かな勝利。

 ボロボロの霊子体を保ったままのシオンは、思わずグッと、小さくガッツポーズをしていた。



 ※  ※



「勝った……」


 呆然と、ミラがつぶやく。

 しかし、やがて実感が湧いてきたのか、彼女は飛び上がらんばかりに喜び始める。


「勝ったよ! 勝ったんだよシオン! すごい、本当に勝ったんだよ!!」


 霊子庭園を解除し、生身に戻った瞬間、ミラが喜びを全身で表現しながら抱きついてきた。


「ほんとシオンの言う通りだったよ! やっぱりシオンはすごいよ!」

「分かった、分かったから落ち着け。疲れてるんだから」


 霊子体で負った傷はかなり深く、疲労感としてフィードバックされていた。

 傷は引き継がないとはいえ、全く何の影響もないとは言えない。特に大怪我を負っていただけに、今でも肩口を斬られた感触を思い出してしまう。


 しかし、勝者を放っておく観客などいない。

 レオたちもまた、興奮したように口々に賛辞を浴びせてくる。


「おいシオン、今の試合なんだよ! ってか何しやがったんだよ一体!」

「術式崩しまでは見えたんだけど、ファントムを下した技がわからない。オリジナルかい?」

「ファントムに勝っちゃった……すごいよ久能くん!」

「あー、いや。ファントムは倒したわけじゃないから。活動に制限を負わせただけだ」


 あまりにも褒め称えられて、気恥ずかしくなってきたシオンは、淡々と説明する。


「魔法式の崩壊の仕組みは知ってるよな? 複数の魔法が同時に展開されて混線したり、正常な処理ができなくなってエラーになると、魔法は不完全な形で発動するって。さっきファントムにやったのは、その応用。活動するために必要な因子に、ジャミングをかけたんだ」


 因子崩し。


 むろん、簡単な技ではない。

 活動因子を誤作動させるための的確な挿入と、直接影響をあたえるために、相手の因子を露出させる必要がある。


「今回の場合は、明らかにあいつの刀が、『刀剣』の因子に直結していた。それと、ことさら上段からの打ち落としにこだわっている様子から、その斬り方にも意味があると思った」


 上段からの打ち落とし。

 それは、おそらく彼の原始が関係するのだろう。


 彼の持つ因子の四つ目『試斬』とは、刀の強度を試す行為のことを指す。

 ただ、純粋に強度を試すというよりは、客に向けてのパフォーマンスの意味合いが強い。その際に、最も難易度の高いものとして、『兜割り』というものがある。

 おそらく、彼の原始は『胴田貫』

 兜割りの代表格とも言える刀であり、その逸話を集合させたファントムなのだろう。


 最後に、カブトは最大限に自身の因子を活動させて、シオンを斬り落とそうとした。

 だからこそ、シオンの因子崩しは成功したのだ。



 試合が始まる前に、シオンはミラに、三つの作戦を伝えていた。


 一つ、先制攻撃で来る上段からの刀を避けること。

 二つ、刀剣の因子をすぐに写しとり、とにかく相手に反撃させないように追撃すること。

 三つ、合図であえて攻撃を受けてパッシブを使い、すぐにシオンと立ち位置を換えること。


 今回利用したミラのアクティブスキルは、『因子写し(ジーンレプリカ)』――ミラいわく、『鏡像再現(かんぜんさいげん)』。

 相手の因子を劣化コピーし、その技術やパッシブスキルを一時的に修得するというものである。


 無論、劣化コピーなので真正面からぶつかってもまず敵わない。だからシオンは言ったのだ。

 とにかく刀を持ったら、鉄の棒でも振り回すように戦え、と。


『刀で相手を斬ろうと思うな。とにかく叩くつもりでやれ』

『わかったけど、どうして? 剣技もコピーできるから、剣術を使った方がいいと思うけど』

『剣技での勝負では、本物に対して数秒も持たない。けれど、単純な膂力に任せた攻撃なら、仮にもファントム同士だ。最低でも数十秒は持つし、相手を混乱させられる』


 あとは、混乱した状態のファントムに対して、シオンが因子崩しを行い、その間にミラが魔法士を仕留めればいい。


 見事に、そのとおりに事が運んだといったわけだった。

 説明を終えたところで、再度ミラが歓喜の声を上げた。


「嬉しいよ! 初勝利だよぉ! ねえシオン、ありがとう!」


 感極まっているのか、ミラは泣きながら抱きついて、シオンを離さない。


「おい、そんなひっつくなって。なんで泣いてるんだよ、お前」

「だって、嬉しいんだよ」


 涙を拭いながら、ミラは頬を紅潮させて言う。


「わたしでも戦えるんだって。ちゃんと、勝てるんだってわかったんだもん。夢のままじゃない、本当に目指せるんだってわかっただけでも、すごく嬉しいよ」


 今まで、彼女は何度負けてきただろう。

 一人で力の差に打ちのめされ、無力に打ちひしがれ、それでもただ、漠然とした強迫観念に突き動かされて挑戦し続けた。

 七塚ミラは、今日はじめて勝利を経験したのだ。

 嬉しくないはずが、ないだろう。


「……馬鹿だな、お前」


 呆れながら、シオンは涙を拭うミラの頭に手を乗せる。


「勝利なんて、これから嫌って言うほど経験しなきゃいけないんだぞ」

「うん!」


 元気いっぱいに頷くミラに、シオンは気だるさの中で満たされたものを感じた。


 勝利したシオンたちと対照的に、敗北したセイヤたちは元気がなかった。無理もないだろう。息巻いて難癖つけてきた上に、格下と思っていた相手に負けたのだ。立つ瀬もないはずだ。


 もしここで、別の生徒がもう一戦、と言ってきたら、素直に敗北を認めるしかない。怪我はないとはいえ、連戦は精神の消耗が激しすぎるため、先ほどのような神経を使った戦いは出来ないだろう。

 そんな展開になってくれるなよと思いながら、シオンは精一杯虚勢を張る。


 そんな時だった。


「一体何をやってるんだ、お前たち」


 一人の少年が、天城たちの元に近づいてきて声をかけていた。


 細い割に体幹のしっかりとした、背の高い少年だった。

 左目を隠すほどに長い髪の毛は、天然なのか透き通るように白く、一見すると銀色にすら見える。同じタイプの制服を着ていることから、かろうじて同級生らしいことは分かった。


 彼は堂々とした立ち振舞で、その場に姿を表した。


「トレーニングに付き合ってくれと言われたから来てみたんだが、よくわからないな。どうやらゲームが行われた後のようだが……何だ、天城、負けたのか」


 氷のような目で、彼は同級生を見下ろす。

 それに対して、天城は怯えたように「いや、その」と動揺を隠せないでいる。


 それを見て興味を失ったように、彼はため息をつく。

 そして、シオンの方に近づいてきた。


「今日の実技室は予約でいっぱいだと聞いていたから、どうするのかと思っていたが、だいたい事情は察した。すまない。うちのクラスメイトが迷惑をかけたようだ」

「……僕達が悪いとは思わないのか?」

「思わない」


 はっきりと、彼はそう口にした。


「技術クラスが、実技クラスに進んで喧嘩を売るとは思えない。逆はあるだろうが」


 ちらりと、彼は背後のクラスメイトたちを見て言う。


「俺はA科の明星だ。お前は?」

「……技術科の久能」

「そうか。覚えておく」


 そう言うと、彼はあっさりとシオンたちに背を向ける。


「おい。帰るぞ」

「だけどよ、明星。トレーニングは」

「馬鹿かお前。人の練習を邪魔した挙句、負けておいてどの面下げてここにいるつもりだ。多少でもプライドがあるんなら、この場はとっとと引け」

「でも、明星ならあんな奴ら……」

「お前らは、自分たちの喧嘩を他人に任せるのか?」


 呆れたように明星は言う。


「断る。俺に尻拭いをさせるな」


 ブツブツと彼らは言い合いながら、尻尾を巻いて逃げるように退散していった。

 後に残されたシオンたちは、ただ黙ってその姿を見送ることしか出来なかった。


「へぇ。明星って案外いいやつなんだな。なあ、シオン。……って、どうした?」


 何気なくレオが語りかけてきたのだが、それに対して、シオンはすぐに反応を返せなかった。


 脂汗が額ににじむ。

 背筋が凍るような緊張感に、生きた心地がしなかった。


 明星、という名前には聞き覚えがある。

 今学年の首席の生徒、明星タイガ。

 全科目において優秀な成績を収めている、ウィザードの称号を飾りではなく実力でもぎ取った生徒である。


 確かに、前評判通りの実力なのは、接してみて分かった。

 あれほど、自身の生体魔力を完全に制御している魔法士は、プロでもなかなかいないだろう。かつてのシオンだって、完全制御はできていなかった。

 そういった意味で、天才という呼び名は適切なのだろう。


 しかし、それだけが緊張の原因ではなかった。


「草上。お前は、わかったか?」

「うん。まあね……。多分、バディ相手に向けてきた殺気だと思う。私ですらこれなんだから、君はかなり、きつかったんじゃないかい?」


 全身がびっしょりになるくらいに、汗が吹き出ていた。

 肝が冷える、というのはこういう感覚かと、現実逃避気味に思った。


 明星タイガが従えていたファントム。


 背の高いタイガよりも、更に一回り上背のある女性だった。

 顔面に大きな傷跡がある、磊落な雰囲気をまとった赤髪の女性。

 実体こそ見せなかったものの、彼女はずっと透過した霊体で、不敵な笑みでシオンとミラを見ていた。

 その威圧感は、あまりにも心臓に悪い。


 聞いたことがあった。

 明星タイガの契約したファントムは、であると。

 その因子数、

 化け物じみたその圧力を、肌で実感することになった。


「シオン……」


 ミラも感じたのだろう。強張った声で、それでもなお、意志のこもった言葉を口にする。


「あれが、わたしたちが超えなきゃいけない、壁なんだよね」

「…………」


 ああ、と頷いたつもりだった。


 声はかすれて音にならない。喉がカラカラに乾いている。

 未だに生きた心地がしないほどに、あのファントムは規格外だった。




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