第5話 カール・セプトの鏡回廊
土日の間は、ミラの勧誘も受けることなく、平和に過ごすことが出来た。
近場の下宿暮らしなので、下手をすると押しかけてくるんじゃないかと心配していたのだが、さすがに杞憂だったのか、土日はずっと引きこもって生活していることが出来た。
そして、週が明けて月曜日。
学内で、面白い動きがあった。
「何してんだ。あれ」
昼休憩の移動中のことである。
テクノ学園は、高校から大学院まである関係で、敷地内に様々な施設がある。実技場もその一つで、グラウンドよりも一回り小さい、魔法の鍛錬に使うための施設がいくつか存在する。
食堂に向かう途中にそこを通ったのだが、外からでも騒がしさがわかる様子だった。
「なんか、ファントムたちの模擬戦をやってるらしいぜ」
早速近くにいる生徒に尋ねたレオは、そう教えてくれた。
模擬戦。
通常、ファントムは現実世界で万全の状態ではいられない。存在するだけでも力を使うし、影響を与えようとすればすぐに内蔵魔力を使いきってしまうので、普段は霊体として生活している。彼らが実体を持って行動しようと思えば、魔法士からの魔力供給が必須となる。
模擬戦なんて言えば、余計に難しい。
それでもやる理由があるとすれば、そこにメリットがあるからなのだろう。
「企画は生徒会の方でしているから、生徒会の人間が霊子庭園を展開してるらしい。要するに、ファントム側の実力のお披露目会みたいなもんだろ」
生徒側の実力は、先日の実力テストが公開されているので、ある程度わかるとして、ファントム側もアピールとなるものを提示したいのだろう。
実体を持ったファントムは、身体能力も魔法力も人間の比にならない。契約相手がいないとはいえ、さぞ盛り上がる戦いが見られることだろう。
そういえば……今日は、ミラを朝から見ていない。
「もしかすると、諦めて別の契約者を探してくれてるのかもな」
だとすると、一安心である。
何度も断り続けるのも、精神的にきついのだ。
「ミラちゃんもさすがに脈が無いって気づいたんだろうなぁ。しかしもったいねぇな、シオン。せっかくファントムと契約するチャンスだったのに。しかもあんな可愛い子」
「なんだお前。ロリコンか?」
「高校生が中学生を可愛いって言って、ロリコン扱いはひでぇだろ」
くだらないことをぼやきながら、深く考えずにそのまま二人は昼食に向かった。
まあ、見る必要はないだろうと、シオンはそう思っていた。
※ ※
そして、放課後。
なぜかシオンは、ファントムたちの模擬戦が行われている競技場にいた。
「……なんで」
「こういうのはみんなで見たほうがいいだろ。な、姫宮?」
「う、うん。こないだ、試合観に行って楽しかったし」
ゲームの観戦は確かに、ハマる人は中毒になるというが、普段は大人しいハルノがやけにそわそわしているのを見ると、本当に楽しみなのだろう。
乗り気ではないのは、シオンとノキアの二人だけである。
そのノキアにしても、先程からしきりに「早く帰りたい」とぼやいているのだが、それをバディであるトゥルクが許さない。
「お嬢様。ご学友の皆様が誘って下さっているというのに、帰りたいとは何事ですか。度が過ぎた遊びは看過しかねますが、適度に交流を深めるのはいいことです。それに、他のファントムの実力を見る機会など、それほど多くありません」
「いいじゃないか。私には君がいるんだから。他のファントムなんて見ても仕方ないだろう?」
「そんなことはありません。ここに集まっている者達は、いわば我々のライバルとなる存在です。ならば、視察をしておいても損はないかと」
「……実はそっちが目的なんじゃないかい、トゥルク」
憎々しげに言うノキアに対して、何のことかとすまし顔でトゥルクは受ける。
そうして四人と一体は、実技場の周囲で模擬戦を観戦する。
競技場には、三十体ほどのファントムが集まっていた。
その中で、二体のファントムが中央で戦いを繰り広げている。
展開されている霊子庭園は、至ってシンプルな競技フィールドで、障害物もない闘技場であった。こういった施設で展開する霊子庭園では、特殊プログラムで廃墟や雑木林など、様々な競技フィールドを作ることができるのだが、今は模擬戦なのでシンプルな作りにしてあるのだろう。
トラを思わせる獣人型ファントムと、片腕が刃物になっているファントムが戦い合っている。戦闘内容は、単純な格闘戦で、霊子体が維持できなくなるまでの戦いのようだ。
さすがファントムの戦闘と言うべきか、その派手さは魔法士のそれをはるかに上回る。彼らが腕を一振りするだけで、フィールドには亀裂が走り、周囲に魔力の残滓が吹き荒れる。
ふと、フィールドの片隅で、そのバトルの様子を凝視する霊体を見つけた。
「お、ミラちゃんも来てんじゃん」
横でレオがつぶやく。
少し離れたところに、ミラの姿があった。彼女は、いつかのウィザードリィ・ゲームの時のように、真剣な様子で片時も見逃さないように戦闘を見ていた。身を乗り出さんばかりのその様子は相変わらず鬼気迫る感じで、どこか危うさすら覚える。
やがて、その模擬戦が終わり、次の模擬戦の相手が募集され始めた。
「はい! はいっ! わたしやる!」
真っ先にミラが立候補をした。
すると、周囲はどこかげんなりしたような様子を見せる。
とはいえ、無視するわけにも行かないのか、ミラはフィールドの中央へと案内される。
ミラの対戦相手は、しなやかな体つきをした長髪の女性だった。長い手足はどこか蜘蛛を思わせる。見た目ではわかりづらいが、体には半透明の鎖が巻き付いているようだった。
「ゲーム、スタート!」
勝負が始まると、ミラは両手を広げて構えを取る。
瞬間、彼女の周囲に、円形の鏡が七枚浮かび上がった。
七枚の鏡を従えて、ミラはフィールドを駆ける。
それを相手の女性は迎え討つ。
女性の体に巻き付いていた鎖が実体化し、ミラへと迫る。
鎖の先端についた楔が、ミラの鏡を破壊する。構わず、ミラは無事な六枚の鏡を投擲するようにして、相手の周囲を鏡で囲おうとする。鏡と鏡が、重なりあうようにして自在に移動する。
ジュッ、と。漕げるような音がした。
鏡に投射された光が反射し、鋭い熱量となって地面を焼いたのだ。
彼女はどうやら、光の反射と増幅を利用して、擬似的なレーザーのようなものを作ろうとしているようだった。
実際それは成功しているのか、対戦相手の足元を何度も焦げ付くような光の投射が行われている。
しかし、決定打にはなっていない。
それに対して、女性ファントムは鎖を振り回しながら、アクロバットに空中を飛び回る。立体的に動く相手を前に、ミラのレーザー作戦はなかなか命中しない。
相手のファントムは、どうやらミラの戦い方を熟知しているようで、ミラ本人よりも周囲の鏡を優先して攻撃していく。
乱射されるレーザーと、その間を縫うように縦横無尽に駆け巡る鎖の様子は、さながら美しき乱舞の様相である。
そして、五枚目の鏡が割られた時、ミラは足元をふらつかせてその場に倒れこんだ。
最後にトドメとばかりに、女性は鎖をミラに巻きつける。そうして楔の先端をミラに向け、勝負ありとなった。
「あちゃー、ミラちゃん負けちまったか」
レオが残念そうに呟く。
見知った相手ということで応援していたが、負けてしまったので落胆が隠せないようだ。
競技場から降りるとき、ミラは悔しそうな顔を隠しきれずに俯いていた。
それでもすぐに切り替えているのか、観戦場まで下がると、次の試合を真剣に見学し始める。
先ほどの戦いの様子や、今日彼女の姿を見かけなかったことを思うに、どうやら彼女は、朝から休み時間の度に、模擬戦に参加していたようだった。だからこそ、戦い方も対戦相手に見切られているし、魔力の回復も万全ではない。
それでも、最低限の魔力回復までは観戦し、戦えるようになったら試合に参加する、ということを繰り返しているのだろう。
なぜ、そこまでするのか。
今まで邪険に扱ってきたが、ふと、そんな興味が湧いてしまった。
「悪い。ちょっと、離れる」
今ならば、彼女の本心が聞けるのではないか。
そう思って、シオンはレオたちに断って、ミラのいる場所に近づこうと移動する。
近づいてミラに声をかけようと思ったのだが、そこにはすでに先客が居た。
「さっきの試合、惜しかったね、君」
襟のラインが緑なので、二年の先輩だろうか。
バッジからすると、実技B科の先輩である。彼らは三人ほどで固まって、ミラに話しかけていた。
「君、朝からずっと試合してるよね。どうして?」
「んー、楽しいから、かな」
それまで危ういほどに真剣だったミラだが、声をかけられると笑顔で対応した。
思ったよりも人当たりはいいらしい。彼女は頭をかきながら、罰が悪そうに言う。
「ホントは勝ちたいんだけど、なかなか勝てないの。わたし弱いから」
「確か君って、一年のやつにバディ契約してくれってお願いしている子だよね。すごく噂になってるよ。ウィザードリィ・ゲームに出るためだって聞いたけど、ほんと?」
「うん。そうだよ」
自信満々に頷いたあと、寂しそうに笑う。
「ずっとお願いしてるんだけど、なかなかオッケーもらえないんだ。残念」
「七塚ちゃん可愛いのに、もったいないよな。どう? 俺たちなら、二年だから一年なんかよりも実力あるよ。契約しない?」
やはり、彼女くらい目立てば、こういう風に逆アプローチされることもあるのだろう。
アプローチした先輩がどれほどの実力かは分からないが、実技B科ならば期待できる。きっとウィザードリィ・ゲームに出るという目的は果たせるはずだ。
そう思って、シオンは安心した時だった。
「んー。ありがと。でも、ごめんなさい」
一瞬、耳を疑った。
声をかけた先輩方も、すぐに断られたことに驚いたのか、間の抜けた表情を晒している。
そんな彼らに、ミラは丁寧に頭を下げる。
「気持ちはすっごく嬉しいんだけど、ごめんなさい。わたし、心に決めた相手がいるの」
きっぱりとしたその言葉は、離れて聞いているシオンの心に強く突き刺さった。
心に決めた相手、というのは、おそらくシオンのことだろう。
どうして――なぜ、そこまでして彼女は。
シオンがその場で固まっていると、二年の先輩たちが会話を切り上げてこちらに向かってきていた。
仲間内で、何やらぶつぶつと話をしながら。
「やーい。振られてやんの」
「うるせっての」
気安い感じの言葉の応酬だったが、すぐに印象が一変する。
「ちょっとした冗談だったのに、あいつ本気で謝ってきてさ」
「だよなー。あんなのこっちが願い下げだっつーの。つきまとわれてる一年に同情するなぁ」
「あいつ、単一因子だろ? ローランクでも、因子一つなんて珍しいにも程があんだろ。そんな奴がウィザードリィ・ゲームで勝ちたいなんて、百年早いって」
「だよなぁ。生まれ直して、一つくらい因子増やさねぇと勝ち目ないのに、何夢見てんだか」
ぎゃはは、と下品な笑いをあげる二年の先輩たち。
彼らの会話に、余計にシオンの足は硬直してしまった。
先輩たちの言葉の数々。その中には、明確に蔑みの感情が込められていた。
人から向けられる当然のような悪意ほど、つらいものはない。
シオンはその場で動けず、立ちすくむ。身がすくむような思いと共に、苛立ちや苦味の混じった怒りが、ふつふつと湧き上がるのを感じた。
しかし――シオンには、怒りを覚える資格はない。
シオン自身、ミラのことを拒絶しているのだから、彼女に同情する資格などないのだ。
だから、彼らの言葉から、気になったことを反芻する。
(単一因子、だって?)
通常、ファントムにはその能力の本質となる、因子がある。
ファントムが発生する時、彼らの無秩序な力をまとめあげるための、基礎となるようなものが因子である。
大抵のファントムが、二つから三つの因子を身に含んでおり、それが彼らの能力の基本となる。現在では、最大で十の因子を持つファントムも観測されている。
ミラは、その中で因子を一つしか持っていない、いわばファントムとしては生まれたてのようなものだというのだ。
ファントム同士の力量差は、自身がよくわかっているはずだ。
特にウィザードリィ・ゲームに出るファントムは、因子を四つや五つ持っていて当たり前である。もちろん、因子の数で勝負が決まるわけではないが、戦略の幅を考えると、因子の少なさは不利が前提となる。
ましてや、因子一つである。
誰に聞いても、話にならないと言うだろう。
そんな状態なのに、彼女はあんなにも、ウィザードリィ・ゲームにこだわっている。
シオンは隠れるようにして、ミラの様子を見る。
ミラは、相変わらず食い入るような目で模擬戦の様子を見ている。
現在の試合は、洋弓を持った鳥人と、全身から放電を行っているファントムの試合だった。どちらも一歩も引かない攻防で、見ていてハラハラする戦いが繰り広げられている。
全力をぶつけあってなお、どちらが勝つかわからない、ぎりぎりの勝負。
「……っ」
それを見つめていたミラの瞳から、一筋の雫が零れた。
彼女は目元を乱暴に拭うと、唇を噛み締めながらまたフィールドを見つめる。
その顔には、悔しさを必死でこらえる表情が浮かんでいる。
自身の無力を噛み締めながら、それでも憧憬の視線を向け続けるその姿は、あまりにも痛々しかった。
――思わず、声をかけていた。
「どうして、そこまでして、ウィザードリィ・ゲームに参加したいんだ」
シオンの声に、ミラは驚いたように振り返る。
シオンを見とめると、顔を赤くして慌てて濡れた目元を隠す。
彼女はゴシゴシと強く目元を拭った後、「あはは」と照れ笑いを浮かべて言う。
「恥ずかしいとこ、見られちゃったなぁ」
そうごまかした後、彼女は目を伏せる。
「参加したいんじゃ、ないよ」
隠し切れない嗚咽が間に挟まる。落ち込んだ声で、彼女は言った。
「わたしは……、一番に、なりたいの」
その声は、意外なほどに弱々しかったが、それでも、ちゃんと言った。
――今日一日で、彼女はどれだけの挫折を味わっただろうか。
力量差はわかっていただろう。
しかし、わかっているのと実感するのでは天と地ほどの差がある。
周りとの実力差をまざまざと見せつけられて、彼女はどう思っただろうか。心が折れそうになって、惨めさで心がいっぱいで、もう自信なんて一欠片も残っていないはずなのに。
それでも彼女は、ちゃんと言い切ったのだ。
一番に、なりたいと。
「お前。少し、時間あるか?」
「え?」
「こんな所で腐ってても仕方ないだろ。ちょっと、外の空気吸いに行くぞ」
そう言って、シオンはミラの手を取る。
霊体を実体化させるだけの最低限の魔力も、今のミラにはないのだろう。透けそうになる彼女の手を、シオンは手に魔力を集めて無理やり握る。コントロールが上手くきかない魔力は、周囲に飛び散り、キラキラと光があふれる。
構わず、彼は無理やりミラを連れ出す。
これ以上、彼女をこの場に居させたくなかった。
※ ※
自販機で、ファントム用の霊子飲料を購入し、ミラに渡した。
ミルクティーを手渡された彼女は、きょとんとした顔をした後、恐る恐る口をつけた。
「あ、美味しい」
「飲んだことないのか?」
「そんなことないけど、いつも飲むのは、味気ないのが多かったから」
目を丸くしてもう一口飲むミラに、シオンは尋ねる。
「いつだったか、ハンバーガーは食べてただろ」
「アレは、見よう見まねで買って美味しかったから、ずっと買ってるの。飲み物も、美味しいのあるなんて、思わなかった」
ちびちびとミルクティーを口に含むミラの様子は、もっと幼い少女のようだった。
口ぶりからすると、本当に発生して間もないらしい。
シオンもコーヒーを一口飲む。苦々しさを、コーヒーの苦味で洗い流そうとする。
お互いに無言の時間が続く。
連れ出したはいいものの、どう話しかけてよいかわからない。
ミラは、どこか無理をしたように、明るく笑って言う。
「あはは。シオンったら、強引なんだから。これはあれかな。やっと、わたしのバディになってくれるのかな?」
お茶目な風を装っているが、少し語尾が震えていた。
緊張しているのか、それともまだ感情の整理がついていないのか。顔は紅潮し、潤んだ瞳が、零れそうな雫を必死でとどめている。
唐突に、飛燕と話した時のことを思い出す。
真剣、なのだ。
無邪気に、がむしゃらにお願いをしているように思っていたが、彼女はずっと真剣だった。それを、本気にせずに邪険に扱ってきたのは自分のほうだ。
なら、こちらも真剣に答えるべきだろう。
「質問を、してもいいか?」
「な、なにかな?」
「僕にこだわる理由を、はっきりと聞きたい」
それは、これまでも何度か聞いてきたことだ。
けれど、今まではミラの誘いを断りたいがために聞いていた。最初から、ミラの言葉に耳を貸す気などなかったのだ。だが、今回は違う。
もう誤魔化さない。
「お前は、僕の過去を知っているんだよな? どこで聞いたんだ?」
「聞いたんじゃないよ。見てたの」
きっぱりと、彼女は涙の残る目で、真っ直ぐに答えた。
「一番近くで、シオンがすごいとこ、見たんだ」
「見てたって。四年前だぞ。見たところ、お前はまだ発生して半年も経ってないだろ」
当然の疑問に、ミラは顔を伏せる。
少しだけ、間があった。
「鏡の、迷宮」
手の中のミルクティーに視線を落としたまま、彼女は恐る恐る、ひとつの単語を口にした。
「……迷宮型の、霊子災害。鏡のパズルに、記憶ない?」
はじめ、ミラが何のことを言っているのかわからなかった。
だが、すぐに彼女の言わんとする事を思い出した。
「お前……まさか、『カール・セプトの鏡回廊』か?」
シオンの言葉に、彼女はこくん、と小さく頷いた。
カール・セプトの鏡回廊。
それは、シオンが十歳の頃に解いた、迷宮型の霊子災害だった。
円形に合わせ合う七重の鏡。
螺旋のように循環する鏡のパズル。
霊子災害とは、呪いが具現化し、周囲に災厄を振りまき始めるものの総称だ。
いろいろとタイプはあるが、『カール・セプトの鏡回廊』の場合、移動せずに拠点を構え、その場で鏡を見た者を、永遠に鏡の迷宮に閉じ込めるというものだった。
なかなか凶悪な霊子災害であり、解呪に挑んだ魔法士のことごとくが迷宮に取り込まれて死亡し、発生から三年近くで百人単位の被害者を出した。
周辺一帯は立入禁止となり、百年以上にわたって接触不能措置が取られるようになったほどの災害である。
それを、退屈しのぎにとアヤネに誘われて迷宮に入り、思いの外手こずって、七日がかりで解呪した記憶がある。
はじめこそ、アヤネは自分が解くと息巻いていたのだが、術式の根底が概念属性であることが判明すると早々に諦め、結局はシオンが一人で解くことになった。
懐かしさを覚えながら、ミラの姿を見る。五年も前の話であるが、あれから五年かけて、あの霊子災害は、ファントムとして顕現することが出来たのか。
彼女は罰が悪そうに顔をひきつらせながら、ポツポツと語り始めた。
「わたしの生前は、魔法使いだったの。もう何年前になるかわからない。今みたいに、体系化された魔法がない時代。世間から隠れながら、わたしは世界の神秘を学ぶのに、耽溺してた」
彼女の研究テーマは、鏡だった。
光を反射するという基本の物理属性から、鏡に写った存在を対象にした概念属性まで、様々な角度から、鏡というものを解析していった。
いつしか、鏡に写った自分を追い求めた。
その奥に、真理があると信じた。鏡の世界を作り出し、そのまた先に、先に、と、彼女は際限なく進み続けた。
そしていつしか、彼女は鏡の迷宮そのものとなった。
鏡の反射で光を丸めて、七重の檻に閉じ込めた。
暴走した彼女は、霊子災害として世間に名を轟かせ、そして、当時神童と呼ばれていた少年に退治された。
解呪された後も、彼女の名前だけは残った。合わせ鏡の呪いの究極形として、伝承だけが伝播し、そしてひとつの方向性を持つに至った。
それが、七塚ミラ。
『合わせ鏡』を原始とし、『鏡』の因子を持つ、ファントムの発生である。
「わたしは生前、小さい世界に憧れていた。世界は自分だけがいれば良くって、自分を突き詰めていけば、いつか本質を理解できるって思ってた。だから、わたしは鏡の中の自分を追い求めたの。それはもう、極度のひきこもりだったの」
だけど、外の世界を知った。
久能シオンが、彼女の雁字搦めになっていた迷宮を解きほぐし、外の世界を見せてくれた。
「だから、シオンしか居ないって思った。
シオンだったら、わたしをもっと遠くに連れてってくれる。わたしのようなちっぽけな存在を、最大限に使いこなしてくれるって、そう思った」
自分に力が足りないことは百も承知なのだ。
それでも彼女は、自分という存在を解明し、そして伝承にまで作り上げた久能シオンという魔法士を、求めたのだ。
「ウィザードリィ・ゲームにこだわっている理由は、発生してすぐに見たのが、試合の様子だったからなの。
発生して、いきなり『あなたはファントムになりました。自由に生活してください』なんて言われて市民権を与えられても、何がなんだかわからなかった。そんな時に、近くで試合の中継が流れていた」
そこでは、ミラと同じ立場であるファントムたちが、活き活きとしのぎを削り合っていた。
彼、彼女たちは、一度死んだ存在だ。精神だけとなり、完全な肉体を持たず、あやふやな存在としてあるだけの彼らが、まるで生きた人間のように目的を持って戦っている。
それを見て、ミラは気づいた。
自分は、ただひとつに憧れていたのだと。
だから彼女は内側に逃げた。
鏡の中に逃げ、自分が唯一の存在であると感じたかった。外から来たものを取り込んだのは、他の人間を認められなかったからだ。そうして自分の中で閉じこもってだけいた自分は、やがて危険な存在として忌避され、誰からも見向きもされなくなった。
そう――シオンが解呪するまでは、すべての人から忘れ去られていた。
認められたい。
わたしはここにいると、胸を張って言いたい。
「――一番に、なりたいの」
その言葉の裏には、悲痛な叫びがあった。
彼女はまだ、あの鏡回廊の中にいるのだ。鏡の中にいたころの自分に、囚われてしまっている。彼女が満足するまで、その呪いは続くことだろう。
今の七塚ミラの実力では、一番など程遠い。
ならば、自分の力を百%以上引き出してくれる存在が必要だ。
彼女はそれを、シオンにお願いしている。
「シオンだったら、わたしを一番にしてくれるって信じてる。だから、お願い」
ミラは改まった様子で、丁寧に頭を下げる。
「わたしと、バディになってください」
必死に悲痛に、なりふり構わず。
一番弱い部分すらもさらけ出して、彼女はただお願いをするのだ。
その姿に、シオンは別のものを思い出していた。
ああ――なるほど。
苦手なはずだと、彼は納得する。
断られても、何度も向かってくるミラの姿に、かつての相棒の姿が重なった。
口調も態度もぜんぜん違う。あの厚顔な従兄妹は、常に上から目線で、それが当然というふうにシオンを振り回していた。
しかし、アヤネの言葉の裏には、常に不安が見え隠れしていた。
強い言葉は不安の裏返し。シオンに断らせないために、そして断ったとしても、自分の意志は固いのだと、言外に伝えるように。
それに気づいてしまった今、もう、断ることは出来なかった。
「言っておくが、昔の僕を期待されても困る」
でも、と。
彼は照れそうな自分を隠すように、そっぽを向きながら言った。
「やれるだけのことは、やってやる」
そう言って、彼は手を差し出す。
ミラの表情がぱぁっと明るくなる。目尻に浮かんだ涙は、こらえる努力もされずに次から次にポロポロとこぼしていく。
感極まりながら、彼女はシオンの手を取った。
久能シオンと七塚ミラのバディ契約は、その日のうちに結ばれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます