名前のない、雨


五月の夕方に降り続く雨は

一年でも、特別な匂いがする雨で

夏を予感させる土の気配に

消えて土に還りゆく春植物たちの、

さよならの残響が混ざり合っている

薄れゆく君にはぴったりの雨だった


人は真っ赤な夕刻にはたくさんの

美しい名をつけて、詩にしたけれど

雨の降り続く五月の夕べは、

まだふさわしい名前を持たない


僕はこの空に名前をつけてみたいけど、

きっとそれが出来る詩人ではないのだから

僕は雨、たんにそう呼ぶことにした

それは雨、そこになんの変化もないけれど、

僕だけにはそれが特別な名前で、

そこにいる薄れゆく君の残り香が、

少しだけ帰ってくる、寂しい名前だった


雨、君の夕刻は少しずつ過ぎていき

夜は青色にもう迫っていて、

きっと、これから十五分あとには

雨は音だけを残し、消えてしまうだろう


僕は雨、この五月の切ない夕方に

もう一度こうしてまたベランダに立って

雨、その暮れてゆく微かなにおいを

この不器用な何文字かの書き捨てに

固着する、この瞬間の奇蹟を、

時折風に乗り、掌に落ちてくる

雨粒を、ずっと握り締めていよう


いつかもう一度、雨、その日が来たのなら

今日のベランダを、懐かしむために

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