Takeout6:『泣き虫の子鬼』

 その男に、味方は一人もいなかった。

 出会う者全てが、敵。自分を殺そうと、世界そのものが襲い掛かってくるような場所で。

 男は全ての敵を、返り討ちにしてきた。

 人を殺し、魔物を殺し、遂には神を殺すに至った。

 そして異世界を破壊し、現世へと戻る。

 異世界の残骸を目にした神々は、彼を恐れてこう名付けた。

 《地獄の破壊者》。

 《統括大殺陣》。

 《神喰らい》。

 《理外の暴虐》。

 そして――





 「……こんなものか」

 《六術皇》。

 その力は、剣術、魔術、拳術、幻術、呪術、召喚術を統べる。

 呉竹の剣聖技を見ただけでコピーして、十倍にして返し。

 伊吹の風魔術を、水魔術を合成ミックスして全方位に放ち。

 分厚い鉄板を紙切れのように破る柊の手を、それこそ赤子の手を捻るように叩き伏せ。

 雨霰が如く飛び交う藤宮の魔弾を、距離感を絶えず操作することにより全弾回避し。

 柳が回復能力を使う毎に、彼に肩代わりのダメージが回るように呪いをかけ。

 葛葉の防御魔法を、数十にものぼる死霊の手を呼び出して引き千切る。

 これでようやく、本気の二割そこそこと行ったところだ。 


 「……相手の立場になってよくわかりました……ずるいにも程がある……100%の無敵チート……!」

 歯痒い思いでサポートに専念する、忍冬。

 客観的に言うなら、今の戦力では勝ち目など1%も存在しない。そんな事はわかりきっていた。

 そもそもの話、覇王樹は帰還者リターナーの中でも、元々の実力がトップレベルである。

 ほとんどの者が何かしら一つか二つの能力を無敵チートと言えるレベルまで極めている中で、彼は六つもの無敵チートを有しているのだ。

 そして彼は、仲間を必要としなかった。全ての戦いを一人で行い、それに全て勝利してきた。

 戦闘における経験値の面から見ても、七人より上回っている。

 その上で、100%と言う驚異のTP。無制限に無敵チートを使えることの、どれほどの脅威か。

 相手のデータを知れば知るほど、忍冬の焦りは増える一方だった。

 焦燥。絶望。恐怖。負の感情が、元最強を包み込む。

 

 (まだだ……まだ詰んではいない……ッ!!)

 

 だが、折れない。

 『情報共有ネットワーク』で味方にマイナスの感情が伝染しないように、必死に己を奮い立たせる。

 帰還者リターナーは、死ぬほど負けず嫌いである。

 確かに彼らは異世界において、敗北を知らない。苦戦らしい苦戦の経験もない。

 が。

 元の世界……この世界において、彼らは決して優秀ではなかった。鬱屈したものを抱えていた。挫折なら、腐るほど経験してきた。

 異性に避けられ続けた者。友達が出来ず、ずっと仲間外れにされてきた者。優秀な兄弟と常に比べられ続けてきた者。喧嘩で一方的に殴られ続け、小便を漏らして土下座させられた者。

 屈辱を知りながら力を一度手にした彼らが、たかが100%の無敵チートを前にしたところで簡単に諦めるはずがなかった。

 その場にいる誰もが、同じ事を考えていた。


 『奴は恐らく、100%の自分より強いだろう――

だが。自分が100%だったら……絶対に――勝つ!』


 今この瞬間も、彼らのTPは上昇していた。

 最強100%の自分に追いつかんがために。  






 Takeout6:『泣き虫の子鬼』 





 「向こうだ、アザミ」

 椚を避難させたレンは、アザミを連れて商店街の奥まで走っていた。

 全力で走りたい所だが、アザミと離れ離れになるのを恐れてついて来れそうなレベルまで加減する。

 アザミは予想以上に、しっかりと後を追いかけてきた。そう言えば、昔から足は速い方だった。

 「レンくん……忍冬君は、大丈夫かな……?」

 「仮にも帰還者リターナーだ。戦闘向きじゃないとは言え、あのTPなら死ぬことはまず無いだろ」

 「うん……そうだよね」

 不安そうなアザミを元気付ける。

 そうは言うが、自分も嫌な予感をひしひしと感じていた。

 無敵チートの危機回避能力が働いているのだろうか、進行方向から逆風のような、圧力じみたものをかけられている気がする。

 異世界にいた頃は、そんな能力使う機会もなかった。自分より強い者を見る事など、無かったから。

 「……」

 アザミを連れてきて、本当に良かったのか。

 縛ってでも、気絶させてでも。置いてきた方が良かったんじゃあないだろうか。

 そう思ってる間に、忍冬の結界――帰還者リターナーには中が見える――に辿り着いた。

 辿り着いて、しまった。




 「……TP1未満、それに……雑魚未満か。やれやれ、もう少し骨のある奴は出てこないものか」

 そこにいたのは、無傷の男だった。

 右手一本で、ボロボロになった忍冬の首を掴んでいる。

 「忍冬ッ!! てめぇ……!!」

 「まあ、いい。わざわざ探す手間が省けた。異世界から帰って来た者は全て俺が殺す……そこの女も例外ではない」

 ぶん、と男――覇王樹は無造作に忍冬を放り投げた。

 二人の近く。瓦礫の山に頭を打ち付ける所をレンが庇う。

 「忍冬君……それに、呉竹さんも……!」

 七人もの帰還者リターナーが、既に倒されていた。

 かろうじて息はあるものの、既に戦える状態ではない。

 無敵チート集団が、全滅させられていた。たった一人の手によって。

 「しっかりしろッ! 忍冬!!」

 忍冬は口の端から血を滴らせ、咳込みながらも笑顔を向ける。

 「……先、輩……奴と……やる気ですか……?」

 「……ああ」

 「TP……見えてますよね……」

 「……見えている」 

 「先輩一人じゃ、死にます……負けますよ……可能かどうかは別として……逃げるのをお薦めします……」

 「……」

 いつもなら否定している所だった。

 『最強である俺が負けるはずがない』『あんな野郎捻り潰してやる』と。

 だが、この光景を前にしてそんな強がりは出てこなかった。

 恐ろしい。

 目の前の存在に、自分はどうあっても勝てないだろう。

 異世界では味わったことの無い感覚。明確な死のイメージが付き纏う。

 負けるのが恐ろしい。死ぬのはもっと恐ろしい。

 何より恐ろしいのは――

 「逃げろ、アザミ」

 「……嫌だよ」

 その声は震えていた。

 自分以上に恐怖している。立っているのもやっとの状態で、眼を潤ませていた。

 「一緒に逃げようよ、レンくん……一人じゃ嫌だよ……怖い、怖いんだ……」

 「TPが高い奴らを探して、そいつらに守ってもらえ」

 「そんなの嫌だ、できないよ……ボクが、ボクが怖いのは――」

 幸いにも、まだ彼らに息がある所を見るに単純に殺すだけが目的ではないらしい。

 時間稼ぎにはなるだろう。そう考えると、恐怖も和らいだ。心に余裕すらできる。

 そうしてレンは、覇王樹に挑発的な笑みを向けた。

 「かかってこいよ。最強である俺が負けるはずがない……捻り潰してやる」

 「……ほう、威勢がいいな。楽しませてくれ。お前みたいのを踏み躙るしか、最近じゃ面白い事もないんだ」


 アザミには、どうすることもできなかった。

 逃げることもできない。戦いを止めさせることもできない。

 ただ、ただ。眼を閉じて耳を塞ぎ、その場でうずくまる他なかった。

 それでも地面から衝撃は伝わってくるし、斬撃の風圧に身体は晒される。

 覇王樹に一方的に蹂躙されるレンの呻き声も、嫌でも耳に入ってきた。

 「助けて……誰か……レンくんを……助けてよ……!!」

 呪詛のように呟く声は、誰にも届かない。

 自分を守ってくれるレンを、守ってくれる人は誰もいなかった。

 精神が限界に達しようとしたその時、アザミに向かって巨大な炎の渦が襲いかかってきた。

 覇王樹の放った『暁ノ炎龍サラマンダー』。

 前方三方向に撃った巨龍の一体が、小さな身体を飲み込もうと迫る。

 「アザミッ!!」

 満身創痍のレンは咄嗟に自分のすぐ近くで爆発を起こし、その勢いでアザミとサラマンダーの間に割り込んだ。

 「がああああああああああああぁっ!!!!!」

 地獄の業火が、レンの四肢を超高熱で燃やし尽くす。

 《焔の神等大魔導師》の代名詞でもあるサラマンダーの威力は、加減をしていても計り知れない。

 殺気に顔を上げたアザミは、その光景を間近で見てしまった。

 「…………ぁ…………」

 どちゃり、と崩れ落ちるレン。

 「レン……くん……」

 「……一発で殺してしまいかねないから当てるつもりは無かったが、まさか自分から当たりに来るとはな……愚かしい」

 アザミの頭に、感情が湧き出る。

 怒りよりも先に、悲しみが眼の奥から溢れ出てきた。

 (ボクを……こんなに情けないボクなんかを、庇って……)

 「その身体ではもう戦えまい。もう少し遊べると思ったが……殺すか」

 言い終わると同時に、覇王樹はその場で『鳴鵲』を軽く振るう。

 『空間切断ソラキリ』。硬さ、強さに関係なく、ありとあらゆるものを二つに分けるその斬撃波が、もはや動けないレンへ向けられる。

 「――――」

 何もできないアザミに対し。 

 レンは、こう言った。

 「……アザミ……逃げ……ろ……!」




 『まぁ、お前が戦いが嫌いなのもわかるよ。怖い思いしたんだもんな』

 『でもさ、何か大切なものを奪われそうになったら、戦わないとダメだぜ?』

 『守るために、さ』


 

 「――――!」

 瞬間。アザミの足は動いていた。

 レンの盾になるかのように、彼の前に仁王立ちし。

 「馬鹿、や……」

 空間切断ソラキリを、その身に浴びた。



 アザミの身体は、斜めに切断され。

 上半身は、臓物をまき散らしながら飛んでいき。

 辺りには、吐き気がするほどの夥しい血飛沫が舞う――


 ――その場にいる誰もが、そんな光景を想像していた。

 アザミ以外の、誰もが。



 「貴様……何故、それを食らって肉体を維持することが出来る……!?」

 覇王樹は初めて、狼狽の色を見せた。

 これで切断できなかったものなど、何一つ存在しなかった。それなのに。

 服に切れ目が入っただけで、あの小さな身体には傷の一つもついていなかったのだ。

 「アザミ……?」

 安心と、困惑。

 レンの疑問の表情に、アザミはまた一滴涙を零す。

 「レンくん……ごめんね。ありがとう、守ってくれて。

 ボク……頑張るよ。戦うのはどうしようもなく怖いけど……


 ……レンくんが死んじゃう方が、ずっとずっと怖いから……!」



 「……まさか、貴様の無敵チートは……確率操作、か……!? 自分のTPすら、数値を操って欺いていた……?」

 その問いにアザミは答えずに、いや、答えられずに。過呼吸気味になるのを、口を抑えて静めていた。

 涙が止まらない。

 震えは収まらない。

 熱気と冷気が身体の中でうずまく気持ち悪さ。

 体温が下がっているのか上がっているのかもわからない。

 それでも、やるべきことを決めたアザミの潤む瞳は、しっかりと覇王樹を睨みつけていた。







 その男に、味方は一人もいなかった。

 出会う者全てが、敵。自分を殺そうと、世界そのものが襲い掛かってくるような場所で。

 男は全ての敵を、返り討ちにしてきた。

 人を殺し、魔物を殺し、遂には神を殺すに至った。

 そして異世界を破壊し、現世へと戻る。

 異世界の残骸を目にした神々は、彼を恐れてこう名付けた。

 《地獄の破壊者》。

 《統括大殺陣》。

 《神喰らい》。

 《理外の暴虐》。

 そして――


 《煉獄の奴隷》。

 《血染めの右腕》。


 

 

 「ボクは、とても弱い……戦う事を考えただけで、眼の奥が熱くなって、震えが止まらなくなって……足が勝手に逃げ出しそうになる、どうしようもない弱虫だ……でも……でもね……

 与えられた力を振りかざし……一方的に他者を虐げ……人の痛みも知らずに……優越感に浸ることしかできないお前如きに……

 



 

 ボクは負けたりしない……ッ!!!」




 《泣き虫の子鬼》。

 


 白樺薊は、戦線に再び赴く。

 自らの意志で。



 『Takeout-Percentage:?????』

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