第16話 残り7話

 十月に入るとさすがに残暑も薄れてくる。私と玉井は黙々と働き、井畑はアトリエにこもり、新作に取り組んでいた。


 そんな折り、明美から久しぶりに連絡があった。休みがとれるので、付き合えという内容だった。サーフショップでボードを無理矢理買わされ、それから初波乗りに挑戦した。女性でロングボードを使うだけあって、彼女は男のように力が強かった。

 私はボードに立つどころか、腰掛けることもできず、ひっくり返ってばかりいた。結果、海水を飲みすぎて、気持ちが悪くなった。それに、ウェットスーツを買うのをかたくなに拒んだため、寒中水泳大会のようだった。


 帰りに、空腹を満たそうとハンバーガーショップに立ち寄った。ちなみにサーフショップもハンバーガーショップも本土からの移住者がオーナーだ。

 彼女が恥じらいもなく、スペシャルチーズバーガーを口いっぱいにほおばっているときも、私は怒りがおさまらず、

「なんで自腹で買わないといけないんだよ」と小声で愚痴をいった。

 それが彼女の耳にも聞こえたようで、

「いいじゃない。TTPでお金もらってるんでしょ」

 私はその言葉に腹がたち、

「無駄遣いさせられたのは、今回だけじゃないよ。エイプリフールのときも騙された」とどなった。

「何のこと?」と彼女はとぼけた。

「9999万にしてくれるって約束だったじゃないか」

「ああ、あれ。忙しくて忘れてた」

「忘れてた? 最初からできないくせに」


「できるよ」

 彼女はあっさりといった。


「それなら、五億円にしてくれよ」

「いいよ」


 人が大金の話をしてるのに、彼女はこちらを見ようとせず、ストローの中を移動するアイスジャワティーを見つめている。


「本当だな」

「OK。今日中に変えておくから。それと、富樫、体力ないから来年マラソン出たら?」

 人が重大な話をしているのに、次の話題に簡単に持っていく。

「ロケットマラソンだから、ロケットブースターつけていいんだよな?」

 種子島では、三月にロケットマラソンと称するマラソン大会が催される。

「つまんない」

 彼女は私の冗談を批判し、どこかに携帯をかけた。それから、

「これから仕事だから、ここ払っておいて」といって、そのまま店を出ていった。


 二人分の代金を払いおえ、あんな態度の悪い女となんで知り合いになったんだろうと後悔しながら、私は家に戻った。これも、システム開発の人間なら、残高を変更できるのではという一抹の可能性を期待したからだ。


 翌日、彼女の言葉を信用したわけではないが、ATMに立ち寄った。約束通り、私の口座残高は五億円になっていた。何度も確認したので、見間違いではない。私は、平均的な日本人の生涯収入を上回る大金を、五億円にしてくれよ、というたったひとことで手に入れてしまった。これは長年の労働に対する報酬でも、計画的な投資の成果でも、いちかばちかのギャンブルの幸運でもない。言うなれば、買った記憶のない宝くじが当たったようなものだ。全身の細胞から喜びの感情がわき起こった。


 夢うつつの状態で、困窮する玉井のために、こっそり彼の口座に百万円振り込んでおいた。

 二日後、残高が増えたことに気づいた彼は、

「おかしい。俺の口座が勝手に増えてる」と首をかしげた。

「あれだよ。TTPの宝くじに当たったんだ」

「なにそれ? そんなのあるの」

「種子島限定で、キャンペーン中に口座開設した人に限り、月に一名ずつ百万円が当たるってやつ。口座作るとき、聞いてないかな?」

「はじめて聞いた。すげえ、おれついてるわ」と、彼は本気にして喜んでいた。

「そうだ。少しおまえにわけてやるよ。これで来月から穴堀りしなくてよくなる」


 今のボランティアを資産調整がすむ十月末まで続けることにした。それなら役場から文句を言われずにすむはずだ。そして、十一月。私は自由になった。保釈金を払って釈放された容疑者の気分だ。金のあることがこんなにすごいことだとは。あらためて金のもつ力を思い知らされた。

 その金自体は実体のない数字にすぎない。石や貝などを加工し、それがなんでも交換できる価値があるとみんなで決めてしまえば、誰もその価値を疑いもせず交換に使い出した。それがコンピュータ上の数字データに変わっただけのことだ。その正体はディスク表面の磁気配列なのだ。偽札も本物も、どちらもただの紙なのだ。偽札と本物と何が違うかというと、みんながそれを本物だと思っていることだけだ。


 ボランティアをやめて自由時間が増えたので、三日の午後、玉井と西之表の市街地に出かけた。私の口座残高は当然資産調整で減額の対象になる。種子島支店のATMで調整額を確認すると、十万円近く減っているではないか。なぜ、見ず知らずの他人に虎の子の貯金を恵んでやらなければいけないのだろう。不公正にもほどがある。なんて制度だ!


 玉井も自分の口座残高をチェックした。すると、

「あれ、宝くじって、マイナスの場合もあるんだな」と不思議がった。

 宝くじ自体は私の嘘である。まして、マイナスの宝くじなどあるわけない。

「減ったっていくら?」

「三十万ちょっと。この間百万増えたから、まあ仕方ねえか」

「三十万って額、どうやってわかった?」

「だって、特別調整額、マイナス三十万ってなってたから」

 納得できないので、窓口の女性に尋ねてみた。


「ご案内届いていませんでしたか?」

「案内って?」

 玉井が聞いた。

「こちらです」

 彼女は、細かい文字がびっしりつまったA5サイズ用紙を玉井に渡した。彼が読み出すより早く、私がとりあげた。一部を抜粋しておこう。


「 経済最適化特別調整モニタリング制度のご案内


 経済最適化特別調整とは、社会全体の経済状況を最適化する目的で、毎月の資産調整とは別に、口座残高を変更する究極の経済対策です。これは、モノやサービスのやりとりを伴わないソーシャルフローの一種で、取引が発生していないのに口座残高を増減させることで、経済を活性化させ、社会の安定につなげる画期的な制度です。

 モニタリング対象者の方は、種子島の住民の方の中から無作為に選ばれ、ご案内を郵送しております。事情によりモニタリングを断られる場合は、同封した書類に内容を記入して、当行宛に返信してください」 


 これだけの説明ではわかりづらいので解説しよう。

 経済をうまく運営するために設立された政府銀行は、実物マネーを情報に換えて手元で管理するという強硬手段をとった。しかし、税金や、最低資産保障のための月次資産調整程度では、望ましい経済状態にすることができない。そこで、口座の残高を経済最適化の名目で、持ち主の許可なく変更するというウルトラ技を将来的に計画している。

 政銀では、モノやサービスのやりとりで動くマネーフローをコマーシャルフロー、税や月次調整などそれ以外の資産配分調整のためのマネーフローをソーシャルフローと名付けている。これも、そのソーシャルフローの一種で、世間に広く承認させるための研究として、導入試験を島内の一部のテスターで試みているということだ。

 特に減らされた場合、どう反発するか。増えた場合でも、ギャンブルなどに使われないかどうか。また何度も行って慣れていくと、働くことに対するモチベーションはどうなるのかなどを、経済学者や心理学者などとともに研究しているのだ。そのテスターに私の同居人である玉井が選ばれたのだが、連絡ミスで今頃になって騒いでいる。

 

「なんて書いてある?」

 玉井は自分で読もうとはせずに、私に聞いてきた。

「君は、テストモニターに当選したんだ。おめでとう」

「そんなの応募してねえけど」

「この島で口座開いた時点で応募したと同じことだ。当選案内も来てるはずだから、帰って封筒探してみるんだな」


 外に出ると、私は携帯で詳しく調べた。現在、最適化ソーシャルフローの実験は三パターン。検討中のものは八パターン。それだけで足りないのか、アイデア募集中とある。


 ランダムフローは、残高が月間平均支出額の五倍以上ある口座が対象だ。実施頻度は十日に一度で当選確率1%。残高の1~30%を減額し、無作為に選んだ他の一口座を同額分増額する。


 デッドフロー。口座主が死亡し、かつ相続人のいない場合。口座を消滅。残高を百分割し、無作為に選んだ百口座を増額。


 サークルフロー。高所得者の一口座と低所得者の九口座をもってひとつのサークルとする。高所得者の月収の10~20%で、最低資産保障額を守りながら、サークル内を循環させる。サークル発生は月に一度のペースで、当選確率は5%。循環頻度は半月に一度のペース。循環するうちに残高不足で金額が減っていくと予想され、循環金額が一万円以下になった場合そのサークルは消滅。


 検討中のアイデアの中で人気投票一位はオフィシャルフロー。対象は全公務員世帯。公務員世帯の年度末の世帯有効資産額から不動産を除いた金額が、世帯人数×百万を越えた場合は超過分を世帯主の口座から減額。世帯主の口座がマイナスになる場合は不足分を世帯構成員から均等に減額。国家公務員なら政府、地方公務員ならそれぞれの行政の当座預金を同額分増額する。これで財政問題は解決。ランキング一位なのに検討中なのは、公務員側が抵抗しているに違いない。私はこの案に一票を投じておいた。


 残高が百万を越えた玉井は、ランダムフローの対象に選ばれた。しかも、日付から判断すると、たった一度の実施で確率1%に当たったことになる。金額は上限の30%。なんとも運が悪い。


「増える場合もあるから、あまり気にするなよ」

 と私は彼をなぐさめたが、彼は無言だった。

「政銀のしてることは、無茶苦茶に見えるかもしれないが、金を余ったところから足りないところに、流すための研究だ。大昔、金が麦や羊だった頃は、金を貯めることが難しかった。腐ったり死んだりするからね。これも富裕層がため込んだ金を、減価紙幣みたいに、永久保存できなくするのが狙いだ。金が羊や麦だった頃みたいに、金持ちは世の中のためにとっとと使ってくれということだ」


 玉井は、私からの百万円の譲渡をふくめると、現時点では得をしているので、制度そのものに喜んでいいのか怒っていいのか迷っているようだ。それが、車の後部座席に乗せてあるギターを見ると結論が出た。


「要するに、俺はモルモットってわけか」

 といって、ギターをとりだし、銀行の入り口前まで歩いていく。そこで、いつものように歌い出した。


『 おいらはマネーモルモット 勝手に選ばれた実験動物

  働きもしないのに金が増えたり 使ってもいないのに減ったりする

  来月いくらあるのかわからない どうすりゃいいんだ

  こけろ、TTP 怒れ、モルモット くたばれ、種子島  』


 この一件で、彼は反TTP活動を本格化させた。私もすることがないので、彼につきあった。それでも、ボランティアから解放された時間をつぶせなかった。

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