第15話 残り8話

 そうしたストレスと作業による疲労が重なった結果、午前の作業を終え、体の向きを変えた瞬間、私は後ろに倒れ、自分の掘った穴にお尻から落ちてしまった。墓穴を掘るとはまさにこのことだった。穴は一メートル四方ほどの大きさで、砂地なので怪我をすることはない。しかし起きる気力もおきなかった。私は、そのままの状態で、空を仰いでいた。


 その日は風が強く、ビーチには誰もいなかった。誰も助けにこない。役場の担当? 絶対に来ない。私はこのまま自らが掘った穴の中で一生を終えるのか。これまで体験してきた様々な出来事が、走馬燈のように浮かんだ。


 日が沈み、さらに数時間が経った。夜が暗いこの島では星々がよく見える。こうして宙を見上げていると、まるで天然のプラネタリウムだ。

喉が渇く。もうしばらくすれば渇き死ぬ。しかし、雲が天を覆い星が見えなくなったと思ったら、にわか雨が降ってきた。口を開けたまま雨を飲む。渇きが潤されると、急に眠くなった。

 目を覚ますと、もう太陽は高かった。まだ残暑はきつい。すでに喉が渇いている。また一眠りしようと目を閉じると、

「種子島名物、掘っては埋めを見に来たんだけど、早かったようだな」という男性の声がした。


 聞き覚えのある声のような気がした。声の人物は穴の淵に立ち、私を見下ろしている。麦わら帽をかぶったアロハ姿の中年男性だ。下から見上げているので見づらいが、どこかで見たような顔だ。


「私の顔を忘れたかい? こんな格好してるから無理ないけど」

 彼は帽子をとった。

「Kさん、どうしてここへ」

 たしかにK氏だ。メガネをはずしていたのですぐにはわからなかったのだ。

「動画サイトで君の映像を見て、会いたくなってね。ところで今一体何をしてるんだ? 穴の中に卵を置いて孵化でもさせようとしてるのか?」

 彼は珍しく冗談をいった。仕事を離れると、陽気な性格のようだ。


「ここは私の墓穴です。そこにあるスコップで砂をかけてください。この島なら土葬ぐらいのことでは、文句がでないでしょう」

 彼はスコップをとって、砂をかけてきた。

「何するんですか?」

「今、自分でいったじゃないか」

 たしかにそういった。

「そうでしたね。じゃあ、そのまま埋めてください。どうせ、生きていても仕方のない身ですから」

「どうして生きる気を無くしたんだ?」

 K氏は、私を穴から救い出そうと手をさしのべた。しかし、私は彼の手をつかもうとせず、

「毎日、穴を掘って埋める。ただそれだけを続けていく。何の意味もないむなしさの極限状態。この苦しみがあなたにわかりますか」

 と声を荒げた。それほど中種子町の仕打ちは非人道的だった。


「そんなの、サボタージュすればいいじゃないか」

「サボタージュって、サボるの語源の? 生まれたときからまじめ一筋、言いつけられたことは何でも従うこの私にさぼれと言うんですか?」

「労働を拒絶するんだ」

 それは玉井がしたことではないか。同じことを私にしろと?

「ここは法治国家日本だよ。多少ルールが本土と変わったが、種子島が独立したわけでも、絶海の孤島というわけでもない」


 そうだ。そうだった。一筋の救いの光が見えた気がした。すっかり島の人間になりきっていた私は、自分が日本人であることを忘れていた。少なくとも種子島が独立するまでは、日本人だった。


「今のTTPルールでは、働こうが怠けようが、最低資産額は保障されている。労働を強制される言われはない」

「でも、万人が怠けだしたら、経済が低迷し、TTPは崩壊します」

 サボタージュという言葉には、破壊工作という意味も含まれている。

「そうならないように今新ルールを策定中だ。それまでの間、各自治体がボランティアなどを斡旋する場合もあるだろうが、強制はできない」

「やはり雇用労働についても政府銀行が電子制御していくんですね」


 私は自分の力で穴からはい出した。それから、衰弱した体を休めようと、砂の上に腰をおろした。

 K氏は持参したクールボックスの中からペットボトルを取り出し、私にさしだした。私は乾いた砂地が水を吸収するかのように、マンゴージュースをごくごくと飲みほした。飲み終わった後のペットボトルは、私の掘った穴にほうりこんでおいた。


 K氏は私の隣に腰をおろすと、アロハ姿のまま語り出した。

「今のままTTPを続けた場合、最低資産保障を一度でも味わった人たちは、そこから抜け出そうとせず、どんどんその数を増やしていく。それでは、怠けた者勝ちとなり、共産主義と同じ末路をたどることになる」

「おそらく、そうなるでしょうね」

「最低資産保障額を定額から変動制にして、長期間怠け続ければ、金額が減っていくようにする。さらに、雇用の仲介を政府自らが行い、補填常習者を優先的に斡旋していく、などの案が出されている」


 案が出されていると明言したからには、最新の取材に基づいた情報なのだろう。それも極秘ルートから仕入れた情報に違いない。しかし、私には随分頼りない意見に聞こえた。


「それでも自分にあった仕事が見つからない人もいますし、雇用自体が冷え込んでいると、仕事の絶対量が足りません。常習者を優先するということは、常習者以外が冷遇されているのと同じです」


 一日八時間労働は、労働者の都合で決められたもので、労働人口×一人当たり八時間が、労働需要の総量と一致するなどと考えるのはばかげている。人出が足りないときもあれば、余るときもある。八時間以上が勤勉とか、以下が怠け者とか、道徳で考えず、需要と供給から一人当たりの労働時間を割り出すほうが合理的だ。しかし、世の中は得てして合理的ではない方向へ向かう。


「労働自体が価値があるといった発想がよくないのかもしれない。そろそろ人類は、勤勉と怠惰といった価値だけで、人を判断するのはやめにして、道徳観をおおきく修正する時期にきている。働いて金を稼ぐだけで、使わなければ経済は回らない。使いたくても、忙しくて使う時間がない。仕事中毒で消費に興味がないなどといったことは、経済のマイナス因子だ。金を稼ぐのと、同じくらい使うことも価値があるという認識を持たないといけない。労働と消費のバランスが重要だ。


 問題は怠け者が得をするという認識が社会に広まることと、一旦補填を受けだしたら働く意志が失われていくことだ。要は労働に対するモチベーションさえ下げなければ、いまある需要から雇用を配分する必要もない。無意味で無駄な仕事を作り出し、雇用を無理矢理作り出すのだ。それでみかけの失業者数を減らすことにもなる。かつては、箱モノ公共事業がその役割を担っていた。利用価値のない無意味な建物をどんどん造りだしたのは、雇用という意味では有効だった。ただし、それで行政の借金が増えて負の遺産を残してしまった。今度は同じ手法をとるのではなく、情報を活用したもっとスマートなやり方をとらなければいけない」


「具体的には?」

「たとえば、政府銀行のシステム開発補佐の仕事と称して、システムエラーでホストコンピュータから転送された数値が間違ってしまったという口実で表計算の数字を修正する仕事と、本当は間違っていなかったので、それを元に戻す仕事。全体の行程から見れば無意味だが、本人達にとってはきっと意味のある誇れる仕事に違いない。これが二十一世紀流雇用創出の具体例だ」


 それこそ私がしている掘っては埋めではないか。そうか、同じ人間が掘る、埋めるを繰り返すから、無意味に感じられるんだ。これを一人が堀り、そのことを知らない別人が埋めれば、それは有意義にとらえられるはずだ。そう考えると掘っては埋めは無駄な仕事ではなかった。新スタイルの雇用創造の実験という隠された目的があったのだ。


「ただし、それは一般の企業では無理だ。無限の富を持つ政府銀行なら、TENの価値をいちじるしく下げない限り、無意味な雇用をいくらでも作り出せる。富と雇用の創造を同時に行えるのだ」

「わかりました。Kさん、僕、この仕事続けてみます」

 利点もないわけではない。以前に比べ筋肉もつき、単調作業が苦にならなくなってきている。肉体労働に転職する準備にもなる。

「いや、私は別に今の仕事に意義を感じろといっているわけではない」

「もう一人いますから、作業内容を分けてやれば、たぶん続きます」

「それなら、やってみることだな。応援はしないけど」


 それからKさんはこういった。

「今日わざわざ君に会いに来たのは、話しておきたいことがあったからだ」

「もう記者はやめたんですけど」だから穴を掘って埋めているのだ。

「そのことはいい。世の中に知らせるようなことじゃないから」

「何なんですか?」

「TTPの本当の目的について」

「電子制御経済の実現ですよね」

「たしかにそうだ。だが、なんのために電子制御経済が必要になったのかを理解しておかないといけない。電子制御経済は見方によっては統制経済の一種だ」

「暴走する商業資本主義に一定の制限を設け、世界経済が崩壊するのを防ぐためですよね」

「なぜ暴走すると思う? 自分たちの利益だけを追求し、そのためには世界がどうなってもかまわないと考える勢力が存在するからだ」

「イエズス会ですか」

「どこからそんな発想がでてくるんだ。彼らに名称はない。名前をつけるとしたらグローバルエリートだ。多国籍企業はその実行部隊にすぎない」

「世界支配がねらいですか?」

「そんな考えはない。ひたすら利潤を追求することしか頭にない。彼らが急速に力をつけてきたのは冷戦が終了してからだ」

「そうですね。共産陣営が敗北したことは、活動を阻害する要因が減ったことになりますし」

「ゲームのルールが変わった。というよりゲームそのものが変わったんだ。冷戦ゲームが西側陣営の勝利でゲームオーバーし、新たにグローバルゲームがスタートした。ところで冷戦の最大の勝者はどこだと思う?」

「ドイツですか。東西が統一したし」

「日本だ。ドイツは第二次大戦ゲームで負けたうえに、冷戦ゲームの初戦で東西に分割された。日本は西側陣営にいながら大将であるアメリカにたかって富を増やしていった。原爆を落とされ第二次大戦ゲームの敗者となった日本は、焼け野原から復興し経済大国となった冷戦ゲーム最大の勝利者なのだ。そして、グローバルゲーム最大の敗者になるだろう」


 K氏によると、人類の歴史は、時代ごとにルールが異なるゲームが開催され、その都度領土が変わり、版図図が書き替えられ大規模な富の移転が起こってきた。時代が後になるにつれ、参加国が増え、関係する地域も拡大していく。冷戦終了とともに始まったグローバルゲームにはほとんどの国が参加していくことになるという。

 そしてこのゲームは、今の近代国家が解体されるまで、何百年もつづく。ゲーム初戦のうちは、中国やインドなど新興国が優位に見えるだろうが、このゲームに勝利国家はない。すべての国家はグローバリズムの前に破れ、消え去る運命にある。


 特に日本は冷戦終了とともにバブルがはじけ不景気になり、人件費の高さから生産拠点として避けられ、坂道を転がるように衰えだした。今は人口減少と高齢化、それに大国である米中に東西から挟撃され、グローバル時代初期で最も凋落した国家となるだろう。


 冷戦の勝者でありながら同盟国に市場を解放したため産業力を落としたアメリカは、ライバルが消えたため、金融と情報に力をそそぎ、グローバル初期時代に世界の覇権を握った。それも、リーマンショックで金融が崩れ、中東経営で軍事費がかさみ、借金の重みでかつての栄光から遠ざかっていく。近代化ゲームに乗り遅れ、列強の餌食となり、第二次大戦ゲームで国土を荒廃させた中国は、冷戦ゲームでも敗者側だったが、地道に国力を蓄えていった。グローバル時代には世界が均一になっていくので、国土の大きさと人口の多さが有利に働き、アメリカと並ぶ勢力になった。


 産業革命を起こした英国は、近代化ゲームで植民地を増やし、モンゴル帝国を越える日の沈まぬ帝国となったが、第二次大戦ゲーム最大の敗者である。勝った連合国側なのにそんな馬鹿なと思われるかもしれないが、日本の失った領土と英国のそれとをくらべてみればわかる。冷戦ゲームでは、日本同様、アメリカにたかり、なんとか影響力をとどめていたが、グローバルゲームでヨーロッパ連合ができると、存在感を落としていった。


 それでも英語ができるのは有利だが、世界中が英語を話す時代では、イギリス人の英語は聞き取りにくいなどと言われかねない。音素数の少なさと異質な言語構造から英語が苦手な日本人は、グローバルゲームに大きなハンディを背負わされたと同然である。同じ学習時間なら、フランスなどヨーロッパ系言語ネィティブが有利なのは当然としても、広い意味でアジアとは言え、距離的人種的言語的にヨーロッパに近い中東やインド、さらに音素数が多く文法が似ている中国語ネィティブや、マレーシア、インドネシアなどアルファベット横書きの国々にくらべても劣る。日本でカタカナ英語を話せばエリートだが、海外ではマルチリンガルがざらにいる。

 ブリテン島と日本ではユーラシア大陸の端と端なので、苦手なのも仕方がないが、同じ島国でも、大陸とトンネルで結ばれたブリテン島と大陸から遠い日本では事情が異なる。高速列車を活用できるのは国内のみだ。大陸のはずれの島国であることは、過去の時代には海外から侵略されずプラスに働いたが、英領や仏領など旧植民地の住民のほうがグローバルゲーム時代に有利な点も多い。


 グローバルゲームは、国家解体がテーマなので、G20などの国際会議、EUやASEANなど地域連合の持つ意味が大きくなる。そこからはずれることは不利に働くが、大勢で話し合えば、大勢に従うことになる。こうして国家の役割は少なくなっていき、最終的に世界はひとつに統一されるという。わかりやすいようにまとめてみた。


  

世界ゲーム

 

◇東西別版図争奪戦 

 テーマ 東西それぞれ地域をまとめあげよ。

  東(漢帝国)  

   勝者 秦   

   敗者 六国(韓・趙・魏・楚・燕・斉) 南越 匈奴

  西(ローマ帝国)

   勝者 ローマ 

   敗者 ケルト ゲルマン ブリタンニア ダキア メソポタミア


◇東西合同版図争奪戦 

 テーマ 東西それぞれ勝者は決まった。次はそれらを統合する大勢力の出番だ。

   勝者 モンゴル 

   敗者 モンゴルに支配された諸地域


◇大航海ゲーム 

 テーマ 海を渡りユーラシアを越え、アメリカ新大陸をねらえ。航海技術が鍵を握る。  

   勝者 スペイン ポルトガル 

   敗者 両国に搾取された地域


◇近代化ゲーム 

 テーマ 世界は地の果てまでも制圧された。次は生産力で勝負しろ。工業力こそがこのゲームの鍵だ。大量生産を軌道にのせ、大航海ゲームの勝者から、領土を奪え!

  勝者 英国 ドイツ 日本 

  敗者 インド アフリカ 清(中国)


◇第二次大戦ゲーム 

  テーマ 近代化ゲームの勝者、英国をはじめとする列強の支配から世界を解放せよ。そうすれば自国領の大きな国の時代が来る。 

  勝者 アメリカ ソビエト 

  敗者 英国 日本 ドイツ


◇冷戦ゲーム 

 テーマ  世界がふたつに分かれているのはよくない。第二次大戦ゲームの二大勝者の間で勝敗を決めろ。

   勝者 資本主義陣営 

   敗者 共産主義陣営

 国別 勝者 日本 英国

    敗者 ソビエト


◇グローバルゲーム 

 テーマ もはや国家の時代は終わった。むしろ邪魔な存在だ。すべての国家の存在意義がなくなるまで、世界を均一化しろ。情報こそが勝利の鍵だ。

   勝者 グローバリスト 

   敗者 国家と国民

 

「グローバルゲームは団体戦であると同時に個人競技でもある。それに気づいたものから、国家の所属を離れ、グローバルチームに参加していく。その結果、ナショナルチームに所属する者は敗者だけになっていく。それに気づいた一部の人間は、国家への依存度を下げ、コスモポリタンになっていく。彼らは国家に忠誠を誓うのではなく、複数の国家を自分にとって有利なように利用していく。もちろん、それには語学力に加え、情報収集力や柔軟性も必要とされる。イデオロギーで動くような、固い頭ではだめだ。

 いずれにせよ、このままでは、国民国家は、遅かれ早かれ弱体化し、グローバリストの支配するブロック経済体に組み込まれ、実質的に解体されていく」


 私には、K氏の危機感が伝わらなかった。国がなくても経済が回るなら、それでいいではないか。だから、

「Kさんも、グローバリストになったらどうですか」と冗談めかしていった。


「グローバリストの支配する0.1%の勝者と99.9%の敗者に別れる恐ろしい世界に君は住みたいのかね。いや、敗者になるとは限らない。電子制御経済の行方次第だがね。テロや国粋主義で、グローバリゼーションに対抗するのでなく、円という地域通貨を完全電子化することで、外国資本の参入を難しくし、富の流出を防ぎ、適正価値配分により社会を安定させる。これが最も優れた国民経済の対抗策だ」


 でも、いくらこんなことをしても最後にはグローバリゼーションに飲み込まれて、国家などは形だけのものになるのは目に見えてる。そのことを指摘すると、

「たとえ国家がなくなろうと、政府銀行のシステムを世界中で実施すればいい。マネーと情報を直接把握することで、金融、労働、雇用、生産、消費。すべてを最適な状態に置く」

「それでも、多国籍企業の競争力をそぐことは難しいでしょう」

「もちろん、世界全体の進歩のためには、多国籍企業も必要だ。ただ、力を持ちすぎて、暴走したときは、直接彼らの資本を操作することになる」

「それでは、資本主義のルールを無視ではないですか。経済に対する信用がたおちですよ」

「経済全体の最適化の大義名分で世間は納得するだろう。それに、この島みたいに他に選択枝がなくなれば、TENを利用せざるをえない。実は今、税以外に、資本配分の適正化といって、個人や法人の残高を、直接変更するルールを模索している。当然、反発はあるが、その反発をどう抑えるかが主な研究内容だがね。一番のポイントは、人々に金に対する所有意識を無くさせ、一時的流動的な使用権利と認識させることだ。

 なかにはおもしろい意見もあって、全ての個人にあらかじめ適正資産を決めておいて、年に一度などと定期的に、その額に戻す。形状記憶合金みたいにね」


「もうそうなると、貯める意味がなくなって、使ったもの勝ちの世界ですね」

「使わせて、経済を回すのが目的だから、それでいいんだよ」

「でも、自分で稼ぐことがばからしくなりません?」

「だから、適正額を変更していくんだよ。稼がずに使うだけだと、適正額自体が減るから、怠けたほうが得ということはない。今のルールはスポーツで言うと、大昔から同じ試合を続けているようなものだ。どこかで一旦終了し、また新規にゲームを始めてもいいと思えるんだが」


 資本配分の適正化……実に曖昧な表現で、かなり奥深い。


「他にも、資産の下限を設けるなら上限だってあってもいいとか、極端なのになると、ランダムに資産、つまり口座の金額を交換するなんて意見も出た。共産主義よりひどいと思わないか。ちなみに、口座の金額を全員平等にしろという意見は出なかったよ」


 他人と口座を交換できれば、この無意味な重労働から解放される。彼はひどいと評したが、今の私にはずいぶん魅力的に映る。それに突然別の人間になるみたいで、わくわくするではないか。


「一番最悪だったのは、政府亭ネットのほうが、勝手に商品を注文し、経済を無理矢理回すというアイデアで、オート買い物機能と命名されていた。買った記憶のない欲しくもないモノが、社会全体の経済動向とこれまでのあなたの購買傾向から、この商品があなたには最適ですといって家に届いたら、誰だって頭に来るよな」といって、K氏は大きな声で笑った。


 しかし、私は真顔で、

「もう言われた通りに働いて、政銀の口座にいくら振り込まれたか知らせないで、勝手に必要な商品が届く。今いくらあるかわからなければ、税金や資産調整も気にならない。そのほうが楽ですよ」といった。すると、

「それなら確かに、お金を意識せずに生きていられるな。ある意味マネーレスワールドかもしれない」

 と、K氏は関心したようにいった。


 家に帰ると、玉井が戻っていた。いままでどうしたのかと聞いても何も答えてくれない。井畑によると、親戚のところに行ったが、今は人手が足りてると言われ、のこのこと戻ってきたらしい。

「それなら、明日からまた、ビーチで働こう」と私は誘った。

「俺はいやだ」

 井畑も、説得に協力してくれた。

「白いビーチ、エメラルドグリーンの海。あんな環境のいいところで働けるんだ。うらやましいよ」

「うるさい。家賃収入でぬくぬくと潤い、趣味で絵描いてる奴に俺の気持ちがわかるか」

「あんまりさぼると、役場の人間もそろそろ気づくよ」

と私は忠告した。彼らも忙しいので頻繁にチェックしているわけではないだろうが、欠勤が長期に及ぶと、さすがにまずい。

「あんなやつら怒らせておけばいい」


 彼はそういったが、次の日には、スコップを持って、三日ぶりの作業にいそしんでいた。せっかく復帰した彼のやる気をさらに高めようと、私は昨日思いついたことを提案した。


「どうせなら作業を手分けしたほうが効率がいい。僕が埋めるから君が掘ってくれ」

「あほ、そんなの、埋める方がずっと楽じゃないか。俺が埋め担当になるならいいけど」


 言われてみれば、たしかにそうだった。私も自分の負担を増やしたくないので、この件はご破算になった。

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