第13話 残り10話
会社がつぶれてから、無収入のうえ、家賃は自己負担になり、一気に生活が節約モードに変わった。フリージャーナリストを名乗っているが、全く収入がなく、生まれてからもっとも質素な年の瀬を送った。
元旦になった時点での総資産は六十五万だった。多少の節約くらいでは、じり貧を免れない。しかし、それほど深刻に考える必要もない。この島では、資産が十万を切れば、最低資産保障額に自動補填されるルールなのだ。
それでも、いざ月収十万になった場合、引っ越しを迫られる。十万では家賃五万に光熱費等を加えると、ほとんど残らない。車を処分すれば多少の金ができるが、西之表市街地ならともかく、車なしでこの島での生活は困難だ。結局、売却した金で安い車を買うことになるので、そのままにしておくしかない。
家賃さえなんとかなれば。せめて二人で負担できれば、半分の二万五千円なら生活できそうだ。私にいいアイデアがひらめいた。私と同様に、この島で家賃を払って生活している人物と共同で住めばいい。心当たりはある。ミュージシャンの玉井だ。井畑に話すと、あまり玉井のことは好きでないが、他に方法がないなら仕方がない、と了承してくれた。
こうして、玉井と共同生活をはじめることで家賃を折半できた。一緒に住んでいても、赤の他人ならば、同一世帯とはみなされない。家賃負担は減っても、収入のない玉井を支えるため、私の負担はあまり変わらず、四月末には最低資産額を下回り、補填を受けることになった。
仕事はないが、補填を受けたので暮らしには困らない。時間をつぶしたくても、マリンレジャーを除けば、この島にはパチンコ程度しか娯楽がない。私はもともとパチンコにはほとんど縁がなかったが、玉井は本土にいるときはよく通っていたらしい。
そんな折り、とんでもない情報が私の耳に入ってきた。政府銀行がパチンコ製造大手と組み、ATM兼用のパチンコ台を開発したという嘘のような話だ。
情報源である同業者によると、
TTPが始まった最初の頃は、ATMの使用を控えていた島民も、慣れて来るに連れ使用頻度が増し、行列ができるなどのATM不足が生じるようになってきた。人口が少なく土地が広い種子島で足りないようなら、都会でATMを必要なだけ確保するのは、場所の面でも費用の面でも大変困難である。そこで解決策として、パチンコ台にATM機能を搭載させた機種を、パチンコ店に商品として納入できれば、容易に場所の確保ができ、費用はパチンコ店が負担するので一挙両得だ。
これは、パチンコモードとATMモードを切り替えることで成立する。派手な演出でゲームを盛り上げる、中央付近にある液晶画面に、政府銀行のTEN対応ATM画面を表示させ、タッチセンサー機能をもたせることで、パチンコ台としてもATMとしても使える仕組みだ。ATMであるからには、当然IDカードの差し込み口と生体認証センサーもあり、それによってパチンコモードにおいても、独自のサービスを提供できる。
問題は、パチンコ客がプレイ中に他のATM利用者がどう割り込むのかだが、運用はそれぞれのお店にお任せしますではさすがにまずい。
ATM客「すいません。ATM使いたいので、少しの間だけ替わってくれますか」
パチンコ客「今、調子いいから、後にして」
と、トラブルの元になるのははっきりしている。
そこで、プレイ途中にATM利用者に譲った場合はなんらかのプレミアムを用意すればいい。玉十個贈呈などとアナログな対応では、店側の負担が大きい。今のところ検討されているのは、一回譲るごとに一円プレゼント。これはATM機能があることができるサービスである。
たかが、一円で譲ってくれるのかという疑問はもっともだが、このパチンコATMは、ATM利用のピーク時の混雑を緩和するのが目的なので、通常の時間帯についてはそれほどATMとしての利用を見込んでいない。だから、正午から午後一時の昼休みの間は、ATMオンリーでパチンコ台としては機能させないらしい。
ここまでは大した内容ではないが、なんとこのパチンコATM、IDカード口があることをいいことに、とんでもないサービスが用意されているという。そのサービスとは、条件を満たすと、そのままIDにお金が入金されるウルトラ賞金チャージのことだ。これはATM機能をうまく利用したもので、賞金はパチンコ店ではなく政府銀行が負担する。
実は、まだ大々的に発表していないが、すでにこの島の一部のパチンコ店で導入が決まっていて、来週にでも、試験運用が開始されるとのこと。
玉井にこのことを話すと、「おもしれえ、行ってみようぜ」と乗り気だ。
翌週、私たちは中種子のパチンコ店に向かった。
運転席の私にむかって彼はいった。
「一日中パチンコしてたときもあったよ。そりゃ、もちろん儲かったよ。一番勝ったときなんか、一日で十万だ。一日でだよ」
「負けたときは?」
「ギャンブルだから、負けたときもあるさ。だけど、金額はたいしたことはない。具体的にいくら負けたかなんて覚えてないけど」
「人間なんてものは、自分に都合良く、勝ったときの記憶だけ大切にして、負けたときのことは忘れようとするもんだよ。だから結果をデータとして残しておくといい。勝っていたと思ってたら、実は負けていたとわかるから」
「そういわれてみるとそうかもな」
彼は声のトーンを落とした。しばらく無言でいると、
「冷静に考えてみれば、どちらかといえば、負け越しかな」とつぶやいた。
たいていのギャンブルは、胴元が儲かる仕組みになっている。
パチンコ店に着いた。駐車場も建物もあまり大きくなく、いかにも昔からあるような店だ。駐車場に車をとめ、中に入ろうとすると、入り口のガラス扉に注意書きが貼ってあるのに気づいた。
「お客様へのお願い。四月一日より、島内の全パチンコ店におきましては、月末の資産補填を受けているお客様に限り、大変申し訳ありませんが、ご入場をお断りしております」
「入れないだとよ」
玉井は淡々といった。ことの深刻さが伝わっていないのか、その顔は明るい。
「仕方ない。買い物でもして帰ろう」
「どうせ、チェックしないさ」
彼が扉を通ったので、私も続いた。
狭いホールは活気があった。パチンコ台から流れる安っぽいBGMのシンフォニーが、なんだか心地良い。どの台も客でふさがっているようだ。まったくの感だが、客の半分は私のようなよそ者だろう。
カウンターまで玉を運んでいく店員の姿が、硬貨や札を運ぶ銀行の行員に重なった。古代ならパチンコ玉は、貨幣として通用しただろう。
パチンコATMを探すと、奧のほうに二台あった。一般の台の隣なのだが、「ATMコーナー」というプレートが上に載っており、全くのATM扱いだ。試験導入なので、あまり店のほうも積極的に勧めてはいないようで、二台とも空席だった。
外観は、一般のパチンコ台とさほど変わらなかったが、液晶画面が説明文字ばかりで華やかさに欠ける。台の左側にIDカード差し込み口と認証センサーがある。
私と玉井は並んで座った。
近くにいた年配の男性客が、
「それ使うと、政府に個人情報つかまれるぞ」と忠告してきたが、迷信にすぎない。
台の横にパンフレットがぶらさがっていたので、私はそれを手にとったが、面倒なのですぐに読むのをやめた。IDカードを挿すと、中央の液晶画面に、「お客様はご使用できません」というメッセージが出た。
「どういうこと?」
反TTPのくせに、私同様に補填を受けることになった玉井にも同じ現象がおきた。
ホールスタッフを呼ぶと、「補填受けてますかね?」と質問とも回答ともとれる言い方をされて、私は、
「ひょっとしたら、先月少し稼ぎが足りなかったかもしれない」と曖昧に答えた。
堂々と補填を受けていますとはいいづらいものだ。ホールスタッフには気持ちが伝わったと思う。
「申し訳ございませんが、先月から補填受けてるかたは、パチンコができなくなったんです」
玉井は知っているくせに、
「え、そうなの?」と驚いてみせた。
「TTPにも困ったものですね」と私は店員にいった。
「そのとおり、困ったものです」
店員のいうとおり、売上の減少は必至である。それでも、現金を扱わなくて済むので、盗難の危険性がない。
私たちは店を出て、駐車場に駐めてある車に乗った。それから私は、エンジンをかけずに、車内で玉井と話をした。
「補填受けてる人間は、娯楽が与えられないそうだ」
といって、私はやりきれない思いを玉井にぶつけた。
「そういえば、生活保護もらってる連中が、その金でパチンコやってることが問題になったよな」
「これはまだ始まりで、そのうち買い物もチェックが入るようになるな」
「どういうこと?」
「たとえば、スーパーで買い物をする場合、安物しか買えなくなる。補填情報のあるIDカードは、レジで商品ごとにチェックが入り、菓子類など生きていくうえで必要ないものは、一日二百円までとかなんらかの制限がかかる」
「おやつが二百円って、小学校の遠足かよ。でも、補填さえ受けなきゃいいんだろう?」
「たぶん」
「なんだよ、たぶんって……」
たぶんといったのは、政府銀行の目指す電子制御経済では、分不相応な支出が制限される可能性があるからだ。収入と資産状況に応じて、商品やサービスの選択幅が自動的に決まる。貧乏人は、少しばかり貯金があろうと、贅沢が許されなくなる。日頃から節約して、ようやく貯金が貯まって、高級ホテルに泊まろうとしても、残高に余裕がなければ、宿泊を断られるということだ。
これは、自分の資産ならば、いくら借金しようが何をどう使おうと自由であるという現在の自由資本主義とは考え方が異なる。その背景にあるのは、人間はそんなに賢くないし、我慢強くもないという考えだ。ある意味、自由資本主義より現実的かもしれない。
その証拠に、世の中の大半の家庭はたいした貯金もない。少しでも収入があると無計画にすぐに使い切ってしまう人間が大勢いることは、周囲を見渡せば誰もが納得するだろう。だから電子制御経済では、給料日から三日以内に派手に使い、次の給料日まで余裕がないような状態を、人工的に作り出さないようにする。
これで消費者金融の出番がかなり減るだろう。自由度が下がった分、経済は安定する。結果、活力のない社会になる可能性は高いが、共産主義のような極端な平等を強制するわけではないので、すぐに崩壊するとも思えない。
翌日、納得のいかない玉井は、海の家どんげーのオーナー高城さんを誘って、私と三人で同じパチンコ店に行った。高城さんのIDカードで玉を借り、プレイは玉井がする作戦だ。もちろん相手も納得済みのことだが、これは他人の金で遊ぶという犯罪すれすれの行為だ。
「もちろんただとはいわない。高城さんが得するように考えているよ」
玉井は偉そうにいった。
パチンコATMの前は今日も人がいない。高城さんに認証してもらい、高城さんのIDカードの支払いで玉を用意した。IDカードは、挿しっぱなしにする必要はないので抜いた。玉井に席を替わり、玉井は玉をはじいてゆく。
玉井は少しプレイすると、ATMモードに切り替え、今度は自分のカードを差し込んで、残高確認をした。カードを抜き、パチンコモードに戻しプレイ。すぐにATMにしてカードを挿し残高確認。同じことを十回ほど繰り返し、
「これで高城さん、俺に十回、席譲ってくれたことになるから、十円もらえるはずだ」
と勝ち誇った。
「お礼は別にいいよ」
謝礼のあまりの少なさに、高城さんが辟易しているのが見てとれた。
それから私は、中にいても仕方ないので、二人を残してパチンコ店を出た。近くで一時間ほど時間をつぶして戻って見ると、玉井はプレイに熱中し、そのすぐ後ろで高城さんまで興奮している。
玉井は目を血走らせながら、「賞金獲得、賞金獲得」とうわごとのように言い続けている。彼のいう賞金獲得とはウルトラ賞金チャージのことだ。
私はルールが良くわからないのでパンフレットを開いた。簡単にいうと、液晶画面に「賞金チャージにチャレンジ」と表示されている間に、玉がスタートチャッカーと呼ばれる穴に入れば、液晶画面で回転している三桁の数字が停止し、その金額分がIDカードにチャージされるというルールらしい。
その他にも、パチンコATMならではの特長があった。通常、パチンコ店は客が帰るときの玉数で景品と交換し、客はその景品を売って現金を得るという手順を踏む。それがパチンコATMでは、IDカード使用とATM連動の利点を活かし、出玉から直接IDカードもしくは口座に入金できる仕組みになっている。
もちろん、直接金銭に換えるのは違法なので、一旦、景品と換えたことにする。景品といっても、液晶画面に写真が出るだけのヴァーチャルなもので、在庫は持たない。これで店側の負担はかなり減る。その割にこの店では、ATMを薦めていない。
「チャンス!」
玉井が叫んだ。画面には「賞金チャージにチャレンジ」と表示され、その下に三桁の数字が勢いよく回転している。その回転する様を見て私は思った。まるで政銀の口座のようだと。いつどんな値に変わっていくのかわからない。
銀行を名乗っているが、その本質はギャンブルの胴元と変わらず、政銀にカネを預けることは、スロットマシーンにコインを投入することと同じなのかもしれない。パチンコの玉は買うのではなく借りる。店内でのみ使うものだ。政銀のTENもパチンコの玉と同じで、政銀の中でだけで使う借り物なのだ。
「入った!」
玉井の言葉で、私は我に返った。彼は目を見開いたまま、液晶画面を見つめている。
数字は「934」だ。
音楽が鳴り響く。
「おめでとう! ウルトラ賞金チャージ達成」と表示された。
「やった!」玉井はその場で狂喜乱舞した。「一桁目9だよ、9!」
IDカードが抜いた状態だったので、「IDカードを差し込んでください」と表示された。高城さんが自分のカードを差しこむと、
「政府銀行様のご好意で、934円がお客様のIDカードにチャージされました」
と表示された。
「やったよ。高城さん」
玉井は自分の偉業達成に酔いしれたが、高城さんの顔色はさえない。
「934円って、もう一万円以上負けてるじゃないか」
「今、つきが回ってきたところ。絶対、取り戻すから」
と、玉井がプレイの継続を頼むと、高城さんは、
「さっきからずっとそう言ってるじゃないか」
と怒りをあらわにした。それから二人は口論となり、ホールスタッフからつまみだされた。 高城さんはそのまま自分の車で帰り、玉井は店の前で歌いだした。
『 玉井の玉はパチンコの玉 玉入れ祐二と人は呼ぶ
この店には玉がないのか 金は当たるが玉が出ない
おいらが負けたのは、全部政府銀行のせいだ
政府銀行様のご好意で ぼったくられました 』
自分の金を十円しか使っていない彼は、一曲歌っただけで、店内のスタッフに気づかれ、すぐにその場から追い払われた。
私達がこんなくだらない暇つぶしをしている間、全国でATMが使用できない事態が多発した。この島にいると実感がないが、複数の金融機関で現金がおろせず、ちょっとしたパニックになっているようだ。また、新宿駅構内で出所不明の一万円札数億円の燃えかすが詰まったボストンバッグが見つかり、メディアを騒がせている。
もう現金は信用できない。そんな世論が意図的に形成されつつある気がする。どちらの事件も現金廃止をもくろむ政府銀行がしかけた可能性が高い。これで偽札事件でも起きた日にはどうなることやら。
それ以外に公共交通機関で、IDカードを切符代わりに使ったり、病院の診察カードとして利用する案も浮上している。もう、種子島に限らず、この国に住む限り、政府銀行と関わりを持たずに生きることは不可能である。
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