第9話 残り14話
私は、騙されたことにたいする怒りや悔しさよりも、今月どうやりくりするかで頭は一杯になった。給料日は二十五日だ。あと二十日近く、二万円で生活しなくてはいけない。
「ああ、どうしよう。今月二万しかない」
と声に出すと、浪費した張本人達は、自分たちのせいであることも忘れたかのように同情してくれた。なかでもA級戦犯のIさんは、財布から万札を三枚とりだすと、
「これやるから。五万ならなんとかなるだろう」と言ってから、急に
「あ、そうか。向こうじゃ使えないんだったな」と引っ込めた。
わかっていてやっているからよけい頭に来る。
「お札はいらないんで、僕の口座に振り込んでくださいよ」
「そんなことしたら後でかあちゃんにしかられる」
編集長はこの状況を冷静に受け止めた。
「今君の口座残高がゼロということはだよ、このまま月末を迎えれば、最低資産保障の対象になり、来月の頭には十万円くらい入金されることになるはずだ。是非ともそれをリポートしてほしい。だから、今月分の給料日、君の分だけ来月五日にすることに決めた」
そんなこと勝手に決められても困るし、第一規約違反だ。私は断る理由を探した。
「あの島では、給料日を二十日以降にするよう行政が指導してます。僕みたいに本土の一般企業の従業員は対象外ですが、これまで二十五日だった給料日が、TTPが始まったその月から、翌月五日に変更されれば、政府銀行だって馬鹿じゃないですから、補填目当てだってわかるはずですよ。相手は国ですから、目をつけられると今後は大変ですよ」
そう私はいったものの、システム立ち上げで不具合続出大忙しの今の状況なら、チェックはかからないと思われる。
「そうか。そうだな。残念だな。でも、リポートは欲しいから、今月分二十五日に振りこまれたら、月末までに速攻で全部使ってみてくれ。稼ぐのは大変だけど、使うのは楽だからな」
島に着くまでは現金が使えるので、編集長は帰りの運賃分を現金でくれた。それで無事種子島の家までたどり着いたが、これから島暮らしのつらい現実が待っている。これまでの人生で金に苦労したことのない私は、はじめて試練の時を迎えることとなったのだ。
給料日までの二十日間、およそ二万円で暮らしていかなければならない。電気や水道がいきなり止められることはないが、問題はガソリン代と食べ物だ。
それから二十日間、外出を控え、節約に徹し、なんとか餓死せずに生き延びられた。それもこの島特有のお裾分けの風習があったことが大きい。最近越してきた私にご挨拶ということでヤサー(野菜)や芋などを分けてくださった集落の方々、ここでお礼を申し上げます。人の情けが身に染みる。ちなみに私のいる中種子町の食糧自給率は800パーセントだそうだ。
給料日の二十五日が来た。これでもう金に困ることはない。午後になると、早速チェックした。
残高はゼロのままだった。
入金が遅れているようだ。会社の経理に連絡してみると、富樫君の場合、住居手当が変わって、計算が複雑で、来月にまとめて二か月分振り込むと言われた。補填リポートの絶好の機会を逃すような、甘い編集長ではなかったようだ。
それから五日間、なんとかすごし、四月の終わりを迎えることができた。五月一日はある意味、四月一日のTTP開始より重要だ。この日が始まった時点の口座残高(IDカード分含む)で、最初の資産調整が行われるからだ。現時点では、最低資産保障額に満たない世帯の口座残高を、最低保障額に合わせて、補填した総額を残高上位者の分から減らすだけだが、私は間違いなく補填される対象になるので、無関心ではいられない。
種子島TENプロジェクトと、名前はこの島を中心にしているが、種子島の人口は三万あまりで、資産調整対象世帯の大半は本土在住だ。きっと本土の資産一千万円以上の家庭は、今頃戦々恐々としていることだろう。
島の各地で大勢の人に聞いてみたが、資産補填を受けるほど貧しくはないし、減らされるほど金持ちでもないから、興味がないという人がほとんどだった。それよりカード持ち歩くのが面倒くさいのでなんとかならないか。ズボンのポケットに入れたくても、曲がったり折れたりする心配があるし、買い物するとき軍手はずさないといけないし、政銀ATMの検索機能は従来のどのATMより優れているが、TEN端末がない相手だといちいち振り込みしないといけない、などと前より金を使うのが手間になったという文句が多かった。
「これじゃあ、たねがしまじゃない。カネが手間だ」
と、この島では言われているらしい。
その金が手間島では、緊張の中、五月一日を迎えた。今頃、明美のいるロケットセンター事務本館内に間借りしているTTPシステム開発の現場はてんやわんやなのだろう。
「お疲れさま。はい、夜食です」
と、ロケットセンター職員が差し入れ。その後、開発者達の不満爆発。
「また、宇宙食か。こんなもんばっか食っとったら、宇宙人になってしまう」
「これは俺たちに早く帰ろという嫌がらせじゃないのか」
「自分達が早く帰りたいからなんだろうけど、こっちは今はそれどころじゃない」
「他に不具合見つかってないよな?」
「あれ、鹿児島の公務員全員の残高がゼロになっとる」
「あいつら公務員だから、収入安定しとるで、そのままでいい。それより、政銀職員全員がJR北海道の株持ってるのはおかしい」
「みなみ種の人間全員、フラグが処理対象外になっとる」
「これ、誰かがテスト用ファイルを本番ファイルにコピーしたんじゃねえ?」
「そうだ。そういえば、バックアップしたファイルから戻さずにそのままだ」
「それなら、バックアップファイルから戻して、もういっぺん月次かけてみりゃいい」
「だめだ。月次なんか、二回もかけたら、システムがアベンド(アブノーマリーエンド、異常終了のこと)する」
「もう俺たちじゃ手に負えない。課長はどうしとる?」
「法事で田舎に帰ったって聞いた」
「責任者不在じゃ困ったな。どうする?」
「いいこと思いついた。これみんなロケットの連中の仕業にすればいい」
「どうやって?」
「あいつらが宇宙食に睡眠薬しこんだせいで、俺たち全員眠ってしまったことにするんだ」
「おお、それはいい。そうしよう。それなら堂々と眠れる」
「俺も眠いから眠る」
「俺も眠る。明日は明日の風が吹くっていう。悪いのは全部ロケットの連中だ」
そんなやりとりを想像したせいで、その夜はほとんど眠れなかった。はたして私の口座は無事補填されるのだろうか。
翌朝、中種子町温泉保養センターの敷地内に設けられた政銀ATMまででかけた。中種子町温泉保養センターは熊野海水浴場に近く、入浴したまま海が眺められる。建物正面の右端、ついこの間まで自販機のあった辺りに、二棟のATMコーナーが並んでいる。現金が使えない省スペース省コストタイプなので、公衆電話BOX程度の大きさだ。携帯の普及で利用頻度の減った公衆電話BOXを、そのまま政銀ATMコーナーにするという噂もある。私は片方に入った。
政銀のATMは、未使用時には、政銀からのお知らせや企業広告が表示されている。IDを挿し、認証をすませると、時間節約のため、最初に表示されるのは、残高などの基本情報だ。
月間支出総額 2,986,680
IDカード残高 860
現在の口座残高 99,140
月次調整額 99,140
月次調整額99,140円は、最低資産保障額10万円からIDの残高860円を引いた金額だ。お裾分けで安納芋をいただいたときに感じた、あの暖かみが胸の奥でわき起こる。たかが99,140円と言うなかれ。補填を受けた者の気持ちは、経験者にしかわからない。このお金はどこから出たものかといえば、大半は本土の公務員など特に裕福と言えない方々の口座からだ。今月の給料日には二ヶ月分入るから、十万円近く無意味に恵んでもらったことになる。なんて制度だ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます