第7話 残り16話
市内の物件にはめぼしいものはなかった。隣の中種子町に格好の物件があったが、不動産屋は訳ありだと言って勧めようとはしない。それでも、私はそこが気に入ったので、不動産屋とそこを訪ねた。場所は、県道七五号線を通って東海岸を南下した坂井熊野集落のはずれで、熊野海水浴場に近い。海岸沿いの住居だが、道路沿いのフェンスが邪魔している。
画家がアトリエとして使っていたコテージ風のおしゃれな木造二階建て。間取りも広く、二階の窓からは太平洋に続く熊野湾が見渡せる好条件の物件だが、月五万と格安なのに借り手がつかないのには訳があった。
不動産屋の言葉では、本当に幽霊が出るからやめたほうがいいということだ。それも霊感体質者だけに見えるといった希薄な存在ではなく、実際の人間と見分けがつかないほどリアルで、モノをつかんだり、人を殴ったりするので、とても危険でおすすめできないそうだ。幽霊のうわさ話を賃借人に告げなかったことは、法的な落ち度とはならず、不動産屋がそこまで言うのは、よほどのことに違いない。しかし、私は一切そういうものを信じていない。
信じていないくせに、恐る恐る中に入った。二階はアトリエだった部屋が一部屋あるだけだが、十畳以上と広く、テラスを臨む大きな窓から熊野湾が一望できる。アトリエっぽさを演出するためか、所有者が変わったのに、イゼールに描きかけの油絵を立てかけているのが気になった。上部には空、下部には砂浜に白いパラソルとテーブル。その間に海が描かれるはずなのだろうが、手をつけずに亡くなったようだ。
南の島の別荘としては文句ないほどすばらしい。毎日ここに住めるかと思うとわくわくする。私は迷信の類は一切信じないので、不動産屋の車で西之表まで戻ると、すぐに契約を交わした。港まで送ってもらい、このまま高速フェリーで帰るのもどうかと躊躇していたところ、たまたまバス停の時刻表が目に入り、種子島宇宙センター行きの路線バスがもうすぐ出るところだと知った。それで、もう一泊することに決めて、島の南東にあるロケットセンターに行ってみた。
乗客の少ないバスで一時間半かけて、目的地に着いたが、見学には予約が必要だった。どうせ島に住むようになったら、いつでも来ることができるので、私は施設を外から見るだけにした。広大な芝生広場には、ロケットの実物大模型が展示されている。植え込みをJAXAの文字に刈ったのは、宇宙人に向けたメッセージと言われている。JAXAとは宇宙航空研究開発機構の略称でジャクサと読む。この島でよくみかけるJAの関連団体らしい。
綺麗な景色に誘われ、近くのビーチにも行ってみた。背後にはリゾートホテルがある。人はおらず、砂浜は白い貝殻で一杯だ。お尻が汚れるのもかまわず、そのまま腰をおろし、体育座りのまま太平洋を見つめていた。
遙か百数十億年前、ビッグバンによって無から宇宙が誕生した。数十億年前、海の中でバクテリアが発生し、それがどんどん進化し、やがて陸上に進出。数百万年前、猿の一部が、二足歩行をするようになって、急激に大脳を発達させ、人類が誕生した。数千年前、モノを交換するため、貝や石など特定のモノを使うようになり、マネーが誕生した。一ヶ月後、この島でマネーはタンジブルな実体を失い、ただの数字になり、その方式がやがて世界を席巻していくのだろうか。
世界人口の下から半分の所有する富と上位数十人の富が同じ額だという記事を見たことがある。小惑星が集まって惑星になるように、埃がひとまとまりに固まるように、金は金のあるところに集まる。きっと金と金の間にだけ働く引力があり、それが富の偏在を引き起こすのだろう。この未知なる力を金有引力と名づけよう。ニュートンが万有引力を発見したように、天才富樫は金有引力を発見した。この力をうまく使えさえすれば大金持ちになれる。
世の富裕層は、無意識のうちにその力をうまく活用することに成功した。このまま今の資本主義が進めば、ほんの一握りの層が富のほとんどを所有し、残りのわずかな額だけが百億人の貧困層の間をちょろちょろと流れていくことになる。マネーが水ならば、海と砂漠しか存在しない世界の出現だ。
マネーが誕生したときは、全員が生産者で、同じレベルの物々交換が行われた。それが法人化され、サービス力に差が生じるようになった。企業買収がそれに拍車をかけた。今後は多くの職業がロボットや人工知能にとって代わられると予想される。サービスを提供しようにも、需要がない層で世界はあふれ、世界的大企業の所有者とその従業員の間だけで、マネーが循環する。
共産主義は馬鹿なことをした。すべての労働者の給与を等しくすれば、世の中がうまく回る? そんな小学校低学年でも思いつきそうな配分ルールで、マネーに勝てるわけがない。政府銀行の推し進める電子制御経済は、マネーの持つ金有引力に対する精妙な抑止装置である。果たして、政府銀行はマネーをコントロールすることに成功するのか、それとも金有引力の前に屈するのか、
などと思索に耽っていると、背後から若い女性の声がした。
「もしかして地元民?」
座った姿勢のまま振り向くと、声の主は、スイムパンツとパーカーを着たサーファー風の二十代前半の女性だった。ロングの茶髪で目と鼻が大きく、大柄で少しふっくらとしている。総合的には美人の範疇に入ると思う。サーファーのくせに色が白い。
「私は旅の者です。そちらこそ色白で、真冬にその格好からして、北国の方ですか?」
「生まれは宮崎だけど、あちこち引っ越して。この間まで高知にいたんだけど、先月からこっち」
どこもサーフィンができそうだ。彼女は私の右隣に座った。
「私、あけみ。あんたは?」
名乗る必要はないが、「富樫明伸」とフルネームを名乗ってしまった。
「あきのぶって、どういう字書くの?」
「明るいに伸びる」
「私は明るくて美しい。明美と明伸ってなんか似てるね。ついでに私の苗字は便器」
「便器?」
「便器じゃなくてビアンキ。イタリア人と結婚してそうなったけど、すぐに別れて、今フリー。ところで、富樫、何やってる人?」
「雑誌記者」
「へえ~」
彼女は座ったまま、砂浜の貝殻を手のひら一杯につかみ、海に向かって投げつけた。
「君は?」
「ここのロケットセンターで働いているんだけど、ロケットの仕事じゃなく、政銀関係」
「なんで政銀関係者がロケットセンターにいるんだ。火星支店でも作るつもり?」
彼女は私の冗談を無視して、
「システム開発の下請けなんだけど、この島オフィスが少ないから、ロケットセンター事務本館で作業させてもらってる」と複雑な状況を語った。
「雑誌記者って政府銀行の取材に来たの?」
「そんなようなもの」
「いいな、すぐ帰れるんだ」
彼女も私と同じで、この島に住みたくないくちのようだ。そこで私が事情を打ち明けると、「へえ、じゃあ三年もいるんだ。ハハハ」とバカにしたように笑った。
「ごめん、ごめん。私はそんなにいないから。一年ぐらいで終わると思う」
政府銀行の関係だから、移住の許可も簡単におりたのだろう。
「今日は平日なのに休み?」と私は聞いた。
「最近忙しくて、全然休みとれない。これじゃあ体がくたばっちゃうから、午後から外に出てみたんだ。ここ、いいよね。ただで旅行した気分になれるし。それに、こっちにいるとあまりお金の使い道がなくて、どんどん貯まっていくし」
「もともと大した使い道がないうえに、TTPですごく不便になるよ。カード持ってないと買い物できないし、小さい店だと買い物自体できなくなるかもしれない」
「へえ、詳しいんだ」
彼女は政銀の仕事で来ているといっても、コンピュータ関係者なので、経済の知識は少ないようだ。そこで、
「とっておきの情報教えてあげようか。残高を増やす方法」と私は得意げにいった。独裁政権を作ればいいというジョークを無知な彼女に披露するのだ。しかし、彼女のほうから先に、
「そんなの簡単だよ。私テストも担当してるから、残高くらいいじれるよ」と言われてしまった。
「え?」
私はあいた口がふさがらなかった。彼女が黄金の女神に見えた。
「それ、テストデータのこと? さすがに本物のデータはセキュリティかかっているよね」
「本物もテストも同じ画面で修正するから。ファイルは違うけど、やること同じ。本当はできないことになってると思うけど、銀行の人システムのことわかんなくて業者に丸投げで、業者もフロー設計だけで、実際作業するのは孫請けとか派遣ばっかで超いい加減。それに、四月頭から本番なんて無茶苦茶なスケジュール組まれたから、細かいところまで手が回らないし。みんなろくに寝てなくて、私も倒れそうになったから、今日半日だけ休ませてもらってるの」
日本のシステム開発で普通にみられる多重下請け構造だ。人自体が商品といえる中小下請けソフトハウスは無数に存在する。発注元のシステム担当は、自社で開発せずシステムベンダーに発注。そのベンダーは大まかなフローを設計するだけで、作業は主に下請け業者が行う。その下請けも二次、三次といろいろな業者がからみややこしい。さらに、予想されないトラブルでスケジュールは遅れがちになるだろうし、四月一日という期日も無理があるように思われる。それにしても彼女にそこまでの力があるとは驚きだ。
「だったら自分の口座の数字、百億とかにしてみたら?」と言ってみると、
「自分のデータだとばれやすいからやだよ」
いろいろとリスクはあるようだが、期待はできる。是非、お近づきになりたい。
「君、名詞持ってる?」
「今は持ってない。それよりあんたの携帯番号教えてよ」
「是非、そうしよう」
私たちは互いの携帯番号を交換した。そのころ、西之表港行きのバスの時刻が迫っていた。それを逃したらもう便はない。わずかな時間の間に彼女と遭遇できたのは幸運だ。
「もうすぐ港行きのバスが出るから、残念だけど帰らなくちゃいけない。また連絡するから、今度島に来たとき会って欲しい」
「フェリーで行くつもり?」
「鹿児島で一泊して、明日、東京に戻る」
「それなら、この近くの民宿に泊まって、明日プロペラ機でいけば」
費用が多少は高くつくが、そのくらいはかまわない。
「それでもいいよ」
「私ももう仕事に戻らないといけないし、これから民宿まで車で送っていくよ。そこ、知り合いのサーファーがやってて。何年か前にこっちに移住してきた人だから、いろいろと相談にのってもらえるよ」
それから彼女のミニバンでその民宿に向かった。運転は乱暴そのもので、がさつな性格がよく出ている。サーフボードがロングのため、荷台におさまらず、運転席と助手席の間まで侵入している。
「今、時間がなくてやれないけど、時間ができたらサーフィン教えてあげるよ」
私は全く興味がなかったが、彼女に接近するために話を合わせた。
「前から一度やってみたいと思ってたんだ」
「それなら種子島来たの、正解じゃん」と、彼女はいって、私の肩を思い切り叩いてきた。
民宿に着くと、彼女は何度もクラクションを鳴らした。三十代の主人が出てくると、彼女は窓から顔を出し、
「この人、明日東京帰るから、寝坊してたらたたき起こしてあげて」
と大声で言って、私を押し出すと、助手席のドアを自分で閉め、すぐにすごい勢いで車を発車させ、自分の仕事場へと向かっていった。
翌日、帰りの機内で記事の構想を練った。もちろん、現実に体験したことをそのまま普通に書いたのではつまらないので、多少は盛る必要はある。この体験記もすでにいくつか盛っているので、勘のいい人は気づいたことだろう。そして、浮かんだ記事ネタは、
「 火縄銃をご神体として崇拝する謎の教団内部に潜入。
TTPを機に沖縄から観光客を奪え! 南種子町観光課。
洞窟内にイエズス会の残党を発見。政府銀行の黒幕か?
種子島では西南戦争はまだ終わっていない。
種子島宇宙センターには本物の宇宙人がいる。
二十年後、種子島が日本の首都に。遷都計画をすっぱ抜く! 」
明美のことだが、携帯番号を交換したのに、音信不通となった。きっと仕事が忙しくて携帯に出る暇がないのだろうと、自分なりに解釈しておいた。
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