第5話 残り18話

「富樫君、独身だよね? 種子島行ってくれる?」

 という編集長の言葉に対し、

「むこうでは大変みたいですね」といって、私は地元民を気遣った。


「アパート借りるより、一軒家のほうがいい。そこを種子島支局にすれば、経費節約になるし」

「何の話です?」

「富樫君が向こうで住む家の話だよ」


 私はそのときすべてを悟った。記者が種子島に行くといえば、普通は取材のための出張のことだ。編集長は、

「特派員として、種子島に常駐してくれる?」と聞くべきだ。あとで聞いたところ、一人しか常駐しないのに一軒家が必要なのは、他の記者達が仕事(遊び)に行ったとき、寝泊まりするのに困らないようにするためだそうだ。


 いくらTTPで種子島がネタになるとしても、ゴシップ雑誌の記者をわざわざそこに移住させるのはおかしい。これは体のいいリストラではないか。現代版島流しの刑というべきか。


 それからしばらくは何をするにもやる気が起きず、頭の中は安納芋(種子島の特産品。サツマイモの一種で糖度が高い)と、南北に細長いあの島の形状で占められた。しかし、鬱々とした日々の中、一筋の光明が見えた。種子島への移住制限がかかったのだ。

 TTP(TANEGASHIMA TEN PROJECT)発表後、資産補填を期待する輩から問い合わせが殺到し、島への移住に関しては、審査を経て合格しなければならなくなった。この審査に落ちれば、いくら会社の業務命令とはいえ、島に移住することはできない。


 移住条件も厳しくなり、

 全金融資産を政府銀行に預けたうえ、一人で移住する場合は三百万円以上、二人以上の世帯移住では六百万以上、政府銀行の口座に残高があること。

 種子島で最低三年以上暮らすこと。住民票だけ移し、島外で暮らすことは禁止。途中で島外に移住する場合は、ペナルティとして口座残高を大幅に減額する。

 出島回数は月に二度まで、日数は七日以内とする。それ以上の場合は、事前に申請すること。 


 全面TENシステムへの切り替えは四月からだが、島への移住申請は早めに行わなくてはならず、申し込み期限は年内。私は正月までに、他の銀行口座を解約し、株主優待のテーマパーク無料入場券目当てで唯一持っていた電鉄株を売却し、手持の現金を全てかき集め、政銀に預け入れ、三百万の条件をクリアした。その結果、不幸なことに書類選考に合格してしまった。

 書類選考合格の通知が来るまで、現金をおろせず、IDカードで各種支払いをすまさねばならなかった。自販機を使うときは、仕方なく同僚達に借りた。しかし、借りは返すつもりはない。文句があるなら島流しの刑を代わってくれ。


 一月中旬、合格の通知が来た。本来なら面接をする予定だったが、書類選考で絞った結果、希望者は百名ほどに減り、全員でも受け入れ可能になったのがその理由だ。


 二月中旬、移住予定者への説明会が西之表市役所で開かれる。わざわざ種子島まで行かないといけないが、移住を希望するくらいだから仕方ない。


 説明会の前日、私は羽田から鹿児島空港に降り立った。空港で軽食をとった後、一時間かけて港に向かった。種子島にも空港はあるが、費用の関係で、高速ではないほうのフェリーを利用する。三時間半ほどで、島の北側にある西之表港につく予定だ。


 行きのフェリーの中で考えていたことは、平家物語に記された鬼界ヶ島のことだった。その島にも人はいるが、都の人間と風貌が異なり、色黒で謎の言葉を話す。穀物はとれず、衣服もない。島の中には火山があり、硫黄で覆われている。雷が常に鳴り響き、人間が一日とて生きてゆける所ではない。

 平家打倒のかけ声もむなしく、陰謀発覚。死罪を免れた僧俊寛ら三名は、島流しにあい、小屋を建て、木の芽を摘み、貝を拾って生き延びた。一年後、俊寛以外の二名は恩赦となり、ひとり残された彼はやせ衰えていった。さらに一年経ち、迎えに来た者の口から、家族が処刑されたことを知り、絶望から島を出ることもなく、食を断ち衰弱死。まるで、私の行く末を暗示しているような予感がする……。


 鬼界とは、鬼の世界を意味しているのだろうが、奇怪とも音が同じで、島ということから、横溝正史の獄門島や悪霊島、二階堂黎人の奇跡島の不思議、そして、江戸川乱歩のパノラマ島奇譚(単行本化に際しパノラマ島奇談と改題)などを思い起こさせる。

 実は鬼界ヶ島は、現在の薩摩硫黄島だと言われている。硫黄島は種子島のおよそ七十キロ西にある火山島で、島を囲む海に温泉が湧き、港は温泉の成分で黄色くなっている。これから向かう西之表市の中心部とは緯度がほぼ同じ。種子島こそは、まさに鬼界ヶ島と並び称される金界(きんかい)ヶ島。通称金(かね)ヶ島。そんなところにこれから向かうのだ。


 フェリーの乗客の中に琵琶法師がいるようで、琵琶を鳴らしながら、

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす……」と、平家物語の冒頭をうなるように唱えている。私の耳には、まるでこれから始まる「カネガテマ島奇譚」のオープニングテーマのように聞こえる。

 

 フェリーターミナルに到着した。港のあちこちに、「TTPの島 おじゃりもうせ種子島へ」と、TTPをアピールするポスターが貼られ、幟が掲げてある。おじゃりもうせとは、ようこそという意味の種子島の方言だ。


 疲れていたので、予約してあったホテルに直接向かった。港に近く徒歩で数分ほど。そこで一泊し、翌日TENで精算し、チェックアウトした。


 真冬なのにさほど寒くないのはさすが南国だ。予定時刻の午後二時までかなり時間があるので、市内を歩いて回る。

 海沿いの県道から、メインストリートに入り、南に向かう。途中、政銀のATMセンターが二カ所あった。元は別の銀行だったはずだ。某地方銀行の種子島支店もあった。改装工事が行われていて、三月一日より政府銀行の種子島支店になると張り紙がしてある。TTPの準備で忙しいこの時期にまだ工事では遅いと思ったら、島の各地に臨時出張所ができているという案内もあった。


 その隣の書店の前にある自販機で、缶コーヒーを買おうとしたが、「故障中」の張り紙がしてある。本当に故障しているのだろうか。もう、この島では自販機は無理と早々にあきらめた結果ではないのか。島民の現金所持比率が下がるにつれ、必然的に自販機の売上も下がる。そのくせ無駄な電気代を食う自販機は、たとえ硬貨の使用が認められる現時点でも非経済な存在なのだ。聞くところでは、自販機ビジネスでは、メーカーに初期費用を負担してもらう代わりに、設置期間が決まっていて、撤去できない場合が多いようだ。この自販機の場合はどうなのだろうか。


 そろそろ腹ごなしということで、「とっぴっぴ」という名前の小汚い大衆食堂で食事をした。とっぴとはこの地方の名物トビウオのことだ。表の看板には、「とっぴっぴ」とひらがなの店名のすぐ下に略称のつもりなのか、TPPというローマ字まである。何年か前に話題になったTPP(環太平洋経済連携協定)にあやかったのだろう。


 勘定をすまそうとしたとき、そこではTENシステムが使えないことが判明した。多少の現金の持ち合わせがあったから問題なかったが、ひと月後、全国にさきがけてTENオンリーとなる試験区の心臓部の商店がTEN未対応とは笑い話のようだ。店主に聞くと、自分のところは、TPPで看板新調したのだから、TTPまでやるつもりはないと言われた。この先どうなることやら。

 商店街の中には、「TEN移行中のためお休みします」と張り紙がしてある店もあった。島内の全ての商業施設が一斉にTENに移行する今の時期は、いろいろと混乱しているようだ。


 食事を終えると、市役所の近くの種子島総合開発センターと称する南蛮船をモチーフにした建物に入った。なんと公共施設の分際でTEN未対応。少額なので入場料を手持ちの現金で払った。中には、様々な鉄砲が展示されていた。遙か戦国時代、鉄砲がこの島を変えたように、今TTPがこの平和な楽園を浸食しつつある。


 市役所の中にも、その隣の市民会館にも政銀の出張所ができている。防犯上、大丈夫なのか、と思えるが、一旦口座に入金さえすれば、現金を盗まれても、口座主も政銀も資産が減ることはない。一般の銀行は一円足りないだけで、行員が帰宅できないというが、現金を無くす目的で設立された政府銀行では、帳簿と合わせてるかどうかも怪しい。


 市役所に入ると説明会場の二階に進む。部屋に入ると、二時前なのに大勢人がいた。説明は土日を挟み五日間、一日二回行われるので、都合のよいときに出席すればいい。私の出たときは二十名ほど移住予定者が参加していた。説明係は市役所と政銀の職員がひとりずつ。


 二時になったので、役所の職員が淡々と説明していく。私はメモはとらない主義だが、重要なポイントはおさえてある。


 移住は今日からでも可能、移住後三年以内に島外に引っ越すとペナルティが課される。すでに島内の政銀以外の銀行は、業務を終了し、政銀が事業を引き継いでいる。月次資産調整の対象者は島内の全住人の他に、鹿児島県内の公務員、公的法人の職員、全国の政府銀行と関連会社の職員。公務員には議員などの特別職も含める。

 ただし、島外ではまだ現金が必要となるので、現金残高に関しては自己申告とする。タンス預金が二百万円あったのに、一万円と申告すれば、資産調整で得する可能性も出てくるが、不正が発覚した場合はペナルティが課せられ、特に悪質とみなされれば解雇など厳罰が待っているので、どうするかは本人次第だ。


 世帯ごとの残高合計に株式債券などの投資資産額と控除非対象不動産評価額を加算した〈有効資産額〉が、最低資産保障額を下回れば、世帯口座合計が最低資産保障額になるよう、その差額が世帯主の口座に補填される。最低資産保障額の計算式は、


 〈七万 + 三万 × 世帯人数〉


 と単純だ。つまり、月初の世帯ごとの最低資産が、単身では十万円、二人以上いる場合は一人当たりにつきさらに三万ずつ加算された額を下回らないよう調整され、最低限の生活を保障していく。

 ただし、病人を抱えるなど事情がある場合は個別相談。増やされる側はわかりやすいが、減らされる側の計算方法が公表されていない。わかっているのは、有効資産額の世帯合計額が多い世帯から減額していくということくらいだ。五億円の株式資産を持ちながら、貯金が二万円しかないので、資産調整の減額対象から外してくださいなどとならないように、金融商品購入には預金残高に余裕があることが条件になる。それでも、状況により足りなくなる場合は翌月にツケが回る。あまり続くようだと、株式などを強制売却させる。


 ただ、これらは、実際に運用してみて、よりよい方法があるなら随時変更していく。あくまで三年の間は試験期間である。以前からの島民は、三年経った試験期間終了時の世帯残高を、その時点での最低資産保障額の十倍以上とするうえに、協力費として、一人当たり十万円前後を予定している。


 たとえば四人家族世帯で、試験期間終了後、世帯残高が八十万だったら、協力費四十万を加算して120万、最低保障額が現在と同じ場合一九万となるので、それを十倍した190万になるようさらに70万が加算されることになる。月次資産調整は月が変わった時点で行うので、給料日は二十日以降とするよう指導が行われている。一日が給料日では、補填の対象者が増えるから、当然といえば当然だろう。


 新規移住者に関しては、特典はない。法人に関しては、現金が使えないこと以外は従来と同じ。注意事項として、年度内に手持ちの現金をすべて政府銀行に預けること、それ以降は、島内では現金を引き出せない。三月中に住民説明会を開くから、そちらにも是非参加してほしいなど。


 このやり方だと、収入が多くても、支出が多く残高が少なければ、月次調整で資産を減らされずにすむ。ずるい人間でなくても、そのくらい考えるはずだ。


 それに対し政銀関係者はこう説明した。

「現時点では残高だけで調整しますが、今後は収入や支出、その支出も必需品なのか、贅沢品なのかまで判断させて、資産調整をしていく方針です。これから行われるこの島での試験期間で、そのやり方が決まっていきます」

「頭取はどうなの?」という質問が出た。政銀の場合、トップは頭取ではなく総裁だ。

「対象となります」

 そうか。それで米国から来た人間がトップに据えられたのだ。きっと資産の大半は海外の口座にある外貨で、国内の円資産はわずかなのだろう。


「家がでかくて、預金がない人間はどうなるのか?」

「不動産についてはランク分けして、資産調整時に考慮していく予定です。Aランクなら一般的な住まいで対象外、Bランクは土地や家屋に相当の価値が認められた場合で、Aとの差を有効資産とみなします。実際に住んでいない投資対象のCランクはすべて有効資産とみなします。株式に関しては、その日の終値で計算することが検討されています。今証券業界と調整中です。非上場の場合、申告制になるでしょう」


 土地家屋は住むために必要以上なら、相続税のときのように、不動産資産の控除額を八千万などと決めて、それ以上を調整対象資産とみなす。種子島農協の強い働きかけで、農地はAの対象外になったが、耕作放棄地はB。また、将来、土地や家を購入するために貯蓄する場合、不動産購入積立を行えば、利息はつかないが、有効資産額とみなされず、資産調整の対象から免れることができる。ただし、実際に不動産を購入せずに解約する場合は、ペナルティとして一部が没収される。


「金や宝石はどうなるんですか」という質問も出た。

「それらに関しては決まっておりませんが、売却すれば当然口座残高が増えますから、幾分は調整されることになります」という答えが返ってきた。さらに、

「導入時には多少の不公平があるでしょうが、これが全国で実施されれば、地域ごとの不公平はなくなります」とまとめた。


 所得税をとられた上、資産調整で減らされては富裕層はたまったものではないが、今のところは抜け道があるということだ。システムの最終形態では、税はなくなりはしないものの、K氏のいうようにほぼ資産調整だけでいけて、万々歳ということになるのか。


 それにしても、実験の段階から議員までが資産調整対象となるのは興味深い。最初のうちは鹿児島県内の市会議員や県会議員だけだが、次の段階、鹿児島県全域でTENプロジェクトが導入されたときには、全国の国会議員が資産調整の対象となるからだ。金に目がない連中が自分の資産を減らすようなことを好きこのんでやるだろうか。きっとTENプロジェクトの背後には、日本の政治家を遙かに越えた世界権力が潜んでいるに違いない。


 もうひとつ疑問がある。私は挙手して聞いた。

「今後TTPがこの島以外にも広まるなら、回収した現金は必要なくなるんですよね。廃棄するんですか?」

「当面は当行が保管しますが、おそらく二度と使用することはないでしょう。現時点で廃棄するかどうかは決まっておりません」と政銀職員が答えた。

 いくら政府出資の銀行でも、市中から預金として預かった貨幣を廃棄する権利はないはずだ。

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