第3話 残り20話
K氏の言葉を全面的に信じたわけではないが、一ヶ月後、政府銀行に関していくつか重要な発表があり、彼のいったことが単なる妄説とは思えなくなった。あまりにも衝撃的な内容のためK氏の話を聞いていなかったら、本当なのかと疑ってかかっただろう。
預金者が政府銀行にあずけた預金は、国家が承認する金融資産データとして登録される。そのデータ自体が、単なる電子決済サービスの情報ではなく、法的な意味での貨幣とみなされる。また、予想通り預金の一部を国や地方などに、無利子で貸し付けるそうだが、もうどうでもよく思える。
K氏の言うように現金が廃止され、現金の裏付けのない口座のデータが実際のマネーになるならば、たとえば政府銀行にある政府の口座の数字が根拠なく増額された場合、税収を増やさずに財政危機が解決されてしまうからだ。しかし、それは電子マネー版政府紙幣を発行するようなもので、気をつけないと財政節度を失い、対外的な信用を失う可能性が高い。
さらに今回の発表にはK氏の予測を上回る内容も含まれていた。政府銀行自らが消費者金融事業を行うというのだ。大手銀行などもサラ金会社を子会社化して間接的に参加しているが、政府銀行の場合はわけがちがう。融資の対象となる資格は、政銀に口座を持ち、給与振り込みなどのメインの収入がその口座に入るようにし、株式や公社債、不動産などの資産を報告しておけば、手軽に融資を受けられるようになる。
それにより銀行側は収入と支出、資産を把握できるので、査定が簡略化できる。というより、口座所有者には融資機能が自動的に組み込まれ、特別な査定は不要となる。問題はその金利であるが、現在の一般的な金利よりはるかに低く、年利を5%以下に抑えて融資する予定だという。これでは、いままで政府銀行の脅威を傍観してきた消費者金融は大打撃を受けること必死。うまく立ち回らなければ業界自体が淘汰されてしまう。親会社の大銀行にとってもショックなはずだ。こうなると他の金融機関では太刀打ちできない。
政府銀行の人事にも驚かされた。初代政銀総裁のポストに就いたのは、名田茂というこれまで名前を聞いたことのない人物だった。そのキャリアが凄い。日本の地方大学を中退、米国に留学。現地IT業界やメディア広告関係の分野で活躍し、いくつものベンチャービジネスをたちあげるなど、投資家としての顔も持っている。まだ四十代で、趣味はバスフィッシング。
通常は元財務官僚や経済学者が妥当なところだろう。民間から起用するにしても金融業界から招くのが常識なのに、二十年以上日本を離れていた得体の知れないベンチャー起業家に巨大組織を任せるなど冒険としか思えない。表向きの理由としては、これまでの銀行とは異なりサーバー上のデーターベースを徹底して活用する政府銀行の立ち上げには、ITに強い人物がふさわしく、海外の誤解を招かないよう、英語が堪能な彼が選ばれたということだ。
この発表を聞いて、
「政府銀行の裏にアメリカ政府がいるな」
とIさんが感想をいったとき、私も同意した。編集長などは、
「富樫君、最初はうちで扱うのはどうかと思ったけど、これ結構いけるかもしれないね。本当に政府銀行の方針ひとつで、世の中が大きく変わる可能性大だよ」とかなり乗り気になっている。
それから一ヶ月後、政府銀行一号店がオープンした。破綻した大行銀行の支店をリニューアルしたものだ。オープン前からすでに、以前からの預金者に対して、来店を呼びかけていた。都合で来店できない場合は、行員のほうから自宅に訪問してくれた。わざわざそんなことをする理由は、契約書にサインや捺印をするためではなく、預金者の生体情報を採取することが目的だ。それも、静脈認証のための手のひらの静脈パターンの登録だけではなく、DNA情報取得のため唾液、毛髪等の提供が求められたと聞いている。DNA情報まで集めるとは、国民を監視下におく序章のような気がする。
当誌としても取材にいかないわけにはいかないが、オープン当初は予想を上回る混雑ぶりで、毛髪提供などもあって口座開設はそれなりに時間がかかり、店舗の外まで行列ができるほどだ。Iさんなどは、
「銀行で待たされるなんて、絶対ごめんだ。俺はラーメン食うときも、並んだことないからな。並んでまで食うくらいなら、まずい店いったほうがましだ」
と、わけのわからない自慢をしてきた。要するに忍耐力がないだけではないか。そのことを指摘すると、
「それなら富樫、おまえひとりで行ってこい」と返された。
たかが銀行の口座を開く程度のリポートに、いい歳をした大人が二人で行く必要もない。幸いなことに、私は政府銀行の前身となった大行銀行に口座は持っていなかったので、新規に口座開設ができる。早速、免許証と若干の紙幣を持って、一号店に向かった。当然、勤務時間中にだ。これも立派な仕事なのだから。
その日は水曜日で、月曜のオープンから三日目だったので、テレビニュースなどで見た初日の様子と較べると若干すいていた。それでも、店外の行列は十メートルほど続き、老若男女がおとなしく並んでいる。おとなしかったのは、入り口前に警官が二人立っていたからかもしれない。
記念すべき第一号店のはずだが、外観はどこの街にもある普通の銀行だ。大行の支店の看板をかけかえただけで、壁の塗りなおしすらしていない。本店と呼ばす、一号店なのは、政府銀行の本丸はデータセンターであって、銀行社屋には大した役目はないからだ。
私が行列の最後尾に近づくと、行員と思われる青年に「こちらにお願いします」と案内された。整列係がいるのに、警官がいるのは、このごろ治安情勢が悪化しているからか。入り口前には警官の他に、若い女子行員がティッシュとパンフレットを配っていた。
二十分ほど待ち、もう少しで入り口に到達しようというとき、入り口の直前、私の二列前にいた青年に警官の一人が、
「帽子とって、サングラスはずして」といった。
「え? どうして?」と青年は聞き返した。すると警官の代わりに女子行員が、
「防犯のため、すべてのお客様にそうしていただいております」と愛想よく答えた。愛想はよくても、答えの内容は事務的だ。
青年は言われた通りにし、中に入っていった。スーツ姿の私は特に注意されることもなく、ポケットティッシュとパンフレットを受け取り、店内に入った。自動ドアを越えた先も、カウンターまで行列が続いている。気になったのは、これまで見たたこともないような半球状の防犯カメラが天井に設置されていることだ。半球状なのは前後左右に完璧に対応するためだろう。おそらく最新式の高解像対応で、これで帽子やサングラスをはずしたならば、何か事件を起こしても、誰なのかすぐに特定されてしまう。
中に入るとすぐ、男性行員に、「お口座開設の方はこちらへお願いします」と店内行列の最後尾を案内され、ガイドポールで仕切られた行列の後に続いた。行列は蛇のように曲がりくねって右端カウンターのすぐ前まで続き、そこで行員が空いたカウンターに誘導している。
入り口に警官がいたせいか、店内は混み入っているわりに静かで、カウンターの行員の説明がよく聞き取れた。
「株式、公社債等はお持ちでないでしょうか?」
「今わからないのでしたら、書類をお渡ししますので、必要事項をご記入して、ご返送ください」
客のほうも納得いかないことがあるようだ。
「敷地の坪数はともかく、自分の家が築何年かまで教えないといけないの?」という中年男性の声が聞こえた。
それに対しカウンターの女性行員は、
「ご融資の際の参考になりますので、ご記入ください」とマニュアル通りと思われる対応をした。
「融資してもらうほど困ってないけど」とその客が言うと、並んでいる客達から笑い声がおきた。
行列の歩みは遅く、暇つぶしに入り口でもらったパンフレットを開いた。挿絵付きのQ&A形式でわかりやすく政府銀行の特徴を説明している。
「政府銀行とは? 日本政府が全額出資する銀行ですので安心です。
他の銀行と何が違うの?
一般の銀行では集まった預金で国債を購入し、国は国債に対し利息を上乗せします。当行では国債の購入をせずに、直接国に貸し出しますので、途中の無駄を省くことができ効率的です。
なぜ利息が付かないの?
当行ではお客様からお預かりしたお金は、お借りしたのではなく、保管を申し受けたと認識しております。そのため預金に利息はつきませんが、全額保護されます。またTENでお買い物をされた場合は、消費税が自動的に1%分還元されます。なお、当行への貸し付けご希望の場合は、窓口にてご相談ください。利息に限らず、様々な特典をご用意しております。
お金が借りやすいってどうして?
最新のコンピュータシステムを使い、お客様の資産や収入などのデータから融資上限額を自動的に算出します。そのため審査に関する手続きはなく、低利子で即座にキャッシングできます。
財布がいらなくなるって本当?
TENは最新の高精度生体認証を使った電子マネーシステムのため、カードを紛失しても他人に使用される心配がありません。そのため暗証番号は不要になります。もうお金や他のカードを持ち歩かなくてすみます。(注)
(注)体質などにより生体認証が不向きな方につきましては、別途専用カードをご用意しております」
途中の無駄? 政銀に言わせると、他の銀行は途中の無駄なのか。
借りたのではなく、保管を依頼された、という文章も気になった。政銀が預かった預金は、全額を融資に回せるわけではなく、そのうちの貸し出し契約を結んだ分に限ることになる。すると、国に無利子で貸し付けるのも、金額的には大したことではなく、真の目的ではないようだ。やはり、政銀の正体は銀行ではなく、マネーのデータセンターなのだ。
古代バビロニアやエジプトで、貴重品保管や支払い代行のため誕生した銀行は、為替業務や両替業務と活動を広げ、やがて現在の主力業務である資金の貸し付けを行うようになる。コインなど貴金属の預かり証は、それ自体が価値を持つ紙幣になり、マネーの主流の役割を果たすようになる。近代に到り、様々な銀行が発行していた紙幣の発行は中央銀行に統一された。政府自体が紙幣を発行するより、独立した中央銀行が発行したほうが、財政の規律が守られるそうである。
政府銀行は、そういった歴史を覆し、マネーに関する全てのマネジメントを独占しようとしている。銀行を名乗ってはいるが、その本質は銀行の否定である。歴史的経緯から現在も活動を続ける銀行。銀行があるから、今の経済の仕組みがある。現代のテクノロジーを用い、ゼロの状態から、最も合理的な経済の仕組みを構築する場合、本当に銀行といった存在が必要だろうか。
正式な貨幣である電子データを管理する公的な金融機関がひとつあれば、ことは足りるのではないだろうか? 中央銀行から借り、民間から集めたマネーを融資する金融仲介機関は、情報の伝達が遅くマネーがモノである時代に適合していた。経済が成熟し、マネーの電子化で企業会計が透明になれば、企業が直接民間から融資を募る直接金融のほうが効率的ではないだろうか?
行列の最後尾に並んでからおよそ三十分。私の番が来た。窓口で、渡された用紙に必要事項を記入し、所持金二万円を入金した。K氏によると、これは政府銀行に預けたのではなく、二万点の口座ポイント使用権を購入したことになる。しかし、現時点ではまだ換金できる。
その後、カウンターの中に案内され、手のひらを専用機材にかざし、手のひら静脈データ登録、DNAのため唾液を提供し、身長のわかるよう目盛りの入ったパネルの前に立ち、顔と全身を撮影。カード発行機の排出口から出来たてのIDカードが出てくるのを待った。係員からカードを渡され確認。
大きさは普通だが、折れにくいようにするためか厚みがある。表面一杯に顔写真が印刷されているので少し気恥ずかしい気がした。裏を見ると、氏名現住所生年月日が小さな黒文字で印刷されている。住所まで載せるのは、プライバシー侵害のような気がするが、このカードは免許証と同様の身分証明書になると思うと納得できる。さらに、
「このカードを本人以外が所持するのは犯罪にあたります。拾われた場合は速やかに最寄りの政府銀行窓口もしくは警察に届けてください」
と、恐ろしい注意書きまであった。
口座を開設し入金もすませたが、カードを早く使いたいので、ATMに向かった。ATMは現金を扱えるタイプと、振り込みやIDカードにチャージするだけの現金を扱わないタイプの二種類があった。当然、後者のほうが省スペースだ。私は現金を使わないタイプのほうで、口座の残高全額の二万円をカードに入金(チャージ)した。
口座開設の次はTENシステム使用リポートである。作ったばかりのIDカードを持って、TEN対応の店舗を探すのだ。といっても導入されたばかりのシステムなので、採用している店はさほど多くないと思われる。
政府銀行一号店の通りをそのまま進んでいくと、コンビニが目に入った。雑誌コーナーの上のガラスにTENのポスターが貼ってある。キャッチコピーは「TENで満点」。有名だが地味なタレントが自分の顔の入ったIDカードを見せつけるように顔の横に持ち、笑顔を作っている。
店内に入ると、わかりやすいように税込み1,100円になるように商品を選択し、レジに向かった。女性店員は床のモップがけをしていた。彼女は私に気づくと、「お待たせしました」といってカウンターに立った。
TEN端末はレジのすぐ隣、客に近い側に置いてある。外観はタブレットPCのようだ。B5サイズほどの大きさで、表面の大半は液晶画面が占め、その下の中央に三センチ四方ほどのセンサーがある。厚さニセンチと薄く、IDカードを差し込む溝は右側面にある。そのため、カードを通し安いよう、また客から見やすいよう、端末を台に乗せて高さと傾斜を作っている。金額の入力などは液晶に表示されるボタンをタッチする。通信は有線LANにも無線LANにも対応している。盗難や紛失避けに、チェーンが取り付けられているが、誰が何の目的で盗むのだろうか?
私は「これで」と、出来たばかりのIDカードを見せた。彼女はわざわざ「TENシステムでお支払いですね」と確認し、それを受け取り、商品のバーコードを読ませていく。
レジの画面には¥1,100という金額が表示される。
「税込みで1,100円です。TENでのお支払いなので消費税1%引きで1,090円になります。こちらに手のひらをかざしてください」
彼女はIDカードの向きを確認し、溝に差し込み、TEN端末に金額を入力した。端末の画面に¥1,090と表示される。私が端末のパネルに手のひらをかざすと、「IDカードから¥1,090支払われました」と表示された。
「ついでに残高知りたいんですが」と私がいうと、彼女はボタンのひとつを押した。すると「現在のIDカード残高 ¥18,910」が表示された。彼女は私に「カードお返しします」といって、それを渡してくれた。それから商品を袋に入れ、通常のレジから発行されたレシートをくれた。税込み¥1,100の下に、TEN割引後の価格¥1,090も印刷されている。
「ありがとうございます。またお越しください」
私は心の動揺を読みとられぬように、「どうも」といって、何事もなかったかのように、その店を後にした。彼女にとっては大勢の客のひとりにすぎないだろうが、私にとっては生涯初のTEN体験だった。
社に帰ると、さっそく体験を記事にまとめた。「政銀レポート第二弾 TEN端末の七不思議」という見出しで、TEN端末にまつわる都市伝説をねつ造した。
興奮の冷めないうちに勢いで書き終え、ほっとしていると、一年後輩のY君が、話しかけてきた。
「富樫さん、今日、僕駅前のパン屋さんに寄ったんです」
竹本ベーカリーは私もよく利用する。どこにでもあるこれといった売りのないベーカーリーだ。
「ふうん、それで?」
「あそこ家族経営でして、あまり大きな店じゃないですよね。だけど、政府銀行の営業が、TENの売り込みに来てました」
「なんて言ってセールスしてた?」
「もう大手さんはどこも使うことが決まってるから、今は零細なところを回ってるとか。さすがに零細とはいってませんでしたけどね」
「それで店の人は?」
やせぎすで銀縁めがねの店主の顔が浮かぶ。
「うちみたいな売上の少ないところじゃ、入れても仕方ないと言ってました」
「ふうん」
「そしたら、営業のほうは、TENを入れれば政府銀行の融資条件がよくなると言って。もともと信用金庫より利子も低いそうです。お店の人は、それじゃあそちらが損でしょ。そんなうまい話信じられないと言うと、政府の銀行だからどんなに損しても絶対につぶれないと自信満々に営業が言って。結局その場で決まることはなかったですけどね」
Y君の話から、パン屋でのやりとりが浮かんでくる。店主のほうは最初のうちは全く乗り気じゃなかったが、融資の話を聞くと心が動いたに違いない。こうして政府銀行は信用金庫の領域を浸食してゆく。大手法人にはそれ以上だろう。省庁との関係をちらつかせながら、大企業のメーンバンクの座をねらう。なんとあくどい商売、まさに言葉通りの殿様商売だ。
しかし、考えようによっては、好条件で融資してくれるので、利用者には優しい銀行ともいえる。また、政銀はメーンバンクになっても、役員を派遣することもないと聞いている。電子制御経済の目指すところは、中央銀行、市中銀行、民間というルートに沿い、融資(貸すこと、利子付きで回収する)で所有権が流れていたマネーを、政府銀行が所有権を持ったうえで使用権化し、民間の口座残高を直接増額(ポイント加点)、減額(ポイント減点)するやり方に変えていく。存在理由がマネーフローコントロールなのだから、利潤追求が目的の市中銀行では太刀打ちできなくて当然だ。
世界で生産される食糧の半分近くは、生産・流通段階で無駄が発生するため、人間の胃にとどいていないという。金も同じことだ。返済能力のある優良企業にだけ、銀行から融資が行われ、収入の手段がサービスの代価という仕組みでは、いくら発行しようと貧困層に届かない。
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