第10話 競技場

 真夜中に門を出た。国境の競技場へ向いたいのだが、オレには土地勘がない。門番のじいさんは疲れきって座り込んでいて、起こすのは気の毒だった。どうしようかと門の先に続く草原に視線を移すと、星明りでもじゅうぶん見える真新しい足跡が続いていた。

 戦争で敗れた国の民が、強制されて移動した重い足取りの跡だ。競技場へは徒歩で丸一日というから、四、五十キロはあるんだろう。子供や老人にはかなりつらい行程だ。馬や馬車らしい跡は見当たらない。みんな歩かされたようだった。これをたどっていけばよさそうだ。

 ジンクじいさんの話だと、アテヴィアとバイルーは昔から対立していた国家だが、この数十年、和平ムードが高まっていて、平和的な交流がさかんになっていたそうだ。両国共同で国境に建設された競技場がそのシンボルで、そこでは毎年競技会が開かれ、両国から選手が参加し、多数の観客が訪れて交流していたそうだ。去年、バイルーで政変が起こるまでは。

 バイルーの宰相カシュームは、遠方の大国に対抗するためにバイルーとアテヴィアの合併を唱え、国王一家を捕らえてバイルーの独裁者となった。自分に従う者を側に置き、国王に忠節を誓う者に対しては、国王を人質として脅して言うことをきかせて国をまとめ上げ、アテヴィアを武力で併合する道を進んだんだそうだ。あのライアスも、国王を人質にされて従ったくちだろう。


 明け方、競技場に到着するころには、アテヴィアの人たちの列の最後尾に追いついて紛れ込むこともできた。

 競技場はローマのコロッセオのような石の建築物だった。アテヴィアから歩いてきた者は、例外なく観客席に通されるようで、女子供も戦士らしい男も区別されていない。入り口には武装したバイルー兵が居たが、何万もの民の持ち物をいちいちチェックはしていなかった。目に見える武器を持っていなきゃ、食べ物を入れるサックや袋の中身までは見ちゃいなかった。

 オレの番、ローブがわりに羽織っていたボロ布を開くように手振りで指示される。素直にしたがうと目に見える武器を携帯していないことに満足したようで、サックの中のマラムナッツまではチェックされずにすんだ。

 観客席に出ると、建物全体に屋根があった。薄い色の葉の蔦のような植物がドームのように全体を覆っていた。光を通す屋根で、中は明かりがなくても明るかった。

 本来、競技が行なわれるグラウンドを挟んで、両国の王のための席があるつくりだったらしいが、今日のために臨時に、バイルー側だけが増設されていた。

 増設されたバイルー王側のバルコニーから、幅の広い階段がずっとグラウンドに向かって伸び、グラウンドにはコンサートのステージのような高台ができていて、そこへ上る階段がグラウンドからステージ幅で作られていた。

 このステージで調印が行われ、それを、上から独裁者カシュームが見下ろすってわけだ。カシュームにたどり着くまで、幾重にもバイルーの兵士が守っている状況になるだろう。マラムナッツ六十連発で足りるだろうか。スタート地点をできるだけ、カシュームの近くにしたいものだな。

 階段から通路に戻ろうとすると、兵士に阻止された。ちょっと物陰に隠れて、その兵士が動くのを待っていたが、ずっと動かない。他の階段へ行こうかと、思い始めたときに、兵が下から呼ばれて降りていった。

 行ってみると、代わりの兵が来る様子もない。あたりをうかがいつつ降りると、下でも、そのあたりだけ兵がおらず、通行を制限するロープにも見張りの兵がついていない。グラウンド下の通路へ入れそうだ。

 なんで、ここだけ兵がいなくなったんだろう。

 ワナっぽいか? おかしいけれど、進むしかない。

 たいまつで照らされた地下通路はずっと先まで続いている。

 自分がこの通路に入ってきた入り口が後方でずっと小さく見える。かなり歩いた。まだ、兵はいない。

 やっぱり、おかしくないか?

 警備の兵を置いていないなんてことがあるのか?

 不安が爆発しそうになったとき、前で、鎧の音がした。びくりとしたが、逆に安心したかもしれない。我ながらへんな心理状態だ。

 足音は、ひとりか? 近づいてくる。

 しまった、隠れるようなものはない。ワナじゃなかったと安心してる場合じゃないぞ。かなりピンチだ。

 握る拳に汗がにじんだ。まだ自爆は使えない。ここで使ったら、この先ずっと戦って進むしかなくなってしまう。素手で戦うんだ。

 人影が見え始め、近づいてきた。

 たいまつに浮かぶその人物は、ライアスだ!


「なぜ戻ってきた。彼女たちを助け出すつもりか?」

 こっちへ歩きながら、ライアスが言った。彼はオレをみつけたことに驚いていないようだった。まるで、オレがここにいると知っていて来たような。

「それも、ある」

 心臓はバクバクだったが、かなり落ち着いたかんじの声が出た。

「彼女たちはわたしが保護してる。誰にも手は出させない。大きな怪我もないし、手当てもしている。わたしがいる限り安全だ」

 なぜだか、こいつの言葉が信じられた。

「そうか、ありがとう」

 五メートルほど離れたところで、ライアスは立ち止まった。武器を構える様子はない。オレも身構えるのをやめた。

「階段で困っていた君をみつけてね。このあたりの兵はわたしが移動させた。君も安全なところへ逃げたまえ」

 そういうことだったのか。

 だが、オレは逃げるために来たんじゃない。

「いや、オレはアテヴィア国を救いに来た」

「どうやって救う」

「カシュームってやつをぶっ飛ばす!」

「それで救えるのか?」

「バイルーの国王は戦争を望んでいるのか?」

「いや! 断じて違う!」

 ライアスは力を込めて言い切った。

「王様っていうのは偉いんだろ」

「そうだ!」

 ライアスはさらに力を込めて答えた。

「カシュームさえいなきゃ。王様が国を取り戻しゃ、戦争前の関係に戻れるんだろ? いっしょにこの競技場で競技してた国同士なんだろ?」

「そうだ!」

 ライアスの頬を涙が一筋伝った。こいつが泣くのを見るのは二度目だな。

「彼女とは、まだわれわれの国同士が戦いはじめる前、両国の友好のための競技会で逢った。馬上槍試合で優勝者に花冠を被せる役が彼女で、優勝したのがわたしだった。彼女の神々しいまでの美しさに高揚して頬が熱くなっていた自覚があったので、恥ずかしくて兜をとらなかった。まさか彼女がわたしを覚えていてくれたとは・・・・・・」

 トミックさんとのことを言ってるんだ。

「へぇ~。一目惚れだったのか?」

「そうだな」

 素直にはっきり肯定するライアスの様子には、まったく厭味がない。こういう男っているんだなあ。

「もう一度、太陽の下で堂々と会えるようにしてやるぜ」

「自信があるんだな」

「竜王の息子だぜ」

 なぜかな。自信が湧いてくる。

「わたしも君に賭けたい!」

「カシュームを裏切る気があるのか?」

「わたしが忠誠を誓った相手は国王陛下だ。今の国王一家は、『象徴』という名の人質だ。やつは謀略と恫喝で、まわりの力を取り込み自分の権力を強化していって国を乗っ取った。国王の親衛隊長だったわたしを自分の手駒としてからは、武力で自分に対抗しようとする者に旧親衛隊を差し向けると脅して、さらに配下にしてきた」

「国王を人質にしておまえを操っていたわけか。おまえがやつを殺っちまえば良かったじゃねぇか? やつはおまえより強いのか?」

「カシュームは、ある意味、君と同じだ。魔法で『無傷の肉体』アンインジャードボディを手に入れている。弓矢による暗殺も何度もそれで防いでいるし、もしもわたしが切りつけても、かすり傷ひとつつけられない」

「・・・・・・それって、おれがぶん殴ればどうなると思う?」

「君は竜王のアンブレイカブルボディの持ち主だ。君の方が絶対に上だ。それでやつは竜王を恐れていた。だからこそドラゴンスレイヤーを欲しがったんだ」

「あんな剣、ナマクラだ!」

 ライアスがやっとニヤリと笑った。

「言いきったな、よし、付いて来てくれ、わたしの隊が配備されているところまで案内しよう」

 彼は先に立って奥へ進みだした。

「やつは用心深い。敵意を持つ者に囲まれるようなマネはしない。『無傷の肉体』を持っていても、捕らえたり閉じ込めたりすることは妨げられないからな。今日もわたしの隊はステージの下だ。ステージや階段の上にいるのは、やつにへつらう将軍どもの私兵だ」

 ライアスとふたりで、ケンカに向かう古くからのダチのような気分になって進んでいたら、ふたりの前にすーっと少女が現れた。

 フュージュだ。

「気をつけろ! 彼女は・・・・・・」

 ライアスがオレをかばうように前に出た。

「ああ、知ってる。やつの手先だ」

 オレも身構える。

「わたしも・・・・・・同じ・・・・・・あなたに賭けたい」

 彼女は、ぼそっと言った。

 ライアスは剣に手をかける。

「姉が! ・・・・・・姉がつかまって、脅されてるの」

 姉? そう言われて、オレはあのゲートの間の真新しい石像を思い出した。フュージュに似た女性の像、開戦を知らせるはずの伝令役だ。石像がまだ、あそこにあるってことは、あっちの世界に行きっぱなしってことになる。オレはライアスを見た。

「そうだ。わたしがあちらに赴任する前だ。アテヴィアに潜入していたスパイからの情報で開戦を知らせる伝令が送られると知って、あちらの世界で捕らえて幽閉しているんだ。魔法で拘束されて死んで戻ることもできないようにされている」

 でも、それで祖国やクラニスたちを裏切ったなら、なぜ、今?

「それが本当だとして、どうして今は大丈夫なんだ?」

「大丈夫なんかじゃない。これからもずっと・・・・・・あの男が実権を握っている限り」

 彼女は泣いていた。女の涙をいちいち信じていたら、キリがないよな。それはわかってるんだが、なんて強力な最終兵器なんだ。

「信じるべきじゃない」

 ライアスが進言するまでもなく、オレの理性もそう言っている。

「わたしを信じて! あなたの力になりたいの! あなたなら、救えるんでしょ? わたしに信じさせて!」

 クラリス、マリッサ、トミックさんの顔が浮かんだ。あの、ワナにはまったときのだ。

 でも、三人ならきっと「彼女を信じて」と言うだろう。

 それに、フュージュがオレの行動に賭けるっていうなら、黙って見てればいいだけのはずだが、こうしてオレの前に出てきたってことは、自分でもなにかしたいってことかもしれない。少しでも助けになるようなことなら、すがりたいのも本音だ。

「わかった。手を貸してくれるのか?」

 彼女の表情が明るくなった。涙の量は増えたが。

「ええ! わたしなら、魔法であなたをステージの階段下まで送れます。ステージや階段の上は結界があって送れないけれど、調印を行うアテヴィアの宰相たちのところへなら」

「そこからなら、一直線に上って行ける!」

 ライアスが興奮して言った。彼が案内しようとしたところより、かなり条件がいいらしい。

「でも、到着点が見える位置で詠唱しないといけないし、詠唱中は魔法の輝きが出て、目だってしまうの。魔法に気がつかれて妨害されたらダメ。だから、その瞬間、輝きが注意を引かないようにしないと」

「それはわたしが。ステージ下で、まず騒ぎを起こして注意を引く!」

 ライアスは、一度彼女を信じることにしたら、とことん信じるつもりらしい。たしかに、もういまさら疑ってもしかたない。

「よし。頼む」

 それはオレも同じ気持ちだった。


             《11話につづく》

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