第6話 えっ?! 傷?!
日曜の朝、目覚めると日の光はまだ低く、時間は早いようだった。デジタル時計の最初の数字は『5』だ。
起き上がって、ベッドから足を下ろすときに『あ、割れたガラスが散らばってる上だ』と急速に記憶がよみがえったが、間に合わない。どうせ、傷つかないからいいや、と思ったのだが、下ろした足の下はやわらかいカーペットだけだった。
夜中の二時の襲撃は夢だったのか? と疑ってみたが、ベッドに腰掛けた格好のオレの目の前には、ガラス板がなくなったガラステーブルの骨組みの上にコタツ板が乗っかった臨時のテーブルがあった。
だれかがガラスを片付けて、コタツ板を運んできたのだ。オレを起こさないように。
のどが渇いていたので部屋を出てキッチンへ向かった。キッチンに誰かいるようだ。まな板の上でトントン切るような音がしている。トミックさんだろうか?
行ってみると、トミックさんのエプロンをつけて、味噌汁らしいものを作っているのは、クラニスだった。
「おはよ」
冷蔵庫をあけて牛乳のボトルを取り出しながら声を掛ける。
「おはよ~」
クラニスは手元を見て調理を続けながらこたえた。
牛乳は残り三百CCほどだったので、ゴクゴク飲み干してしまった。ほかの二人が起きている気配もないし、母親も帰宅してないようだ。テーブルの件について鎌をかけてみることにした。
「ガラス、ありがとうな」
やはり振り返らずにクラニスがこたえる。
「あー、ゴメン、寝たふりしてたの? 静かに片付けたつもりだったんだけど。わたしの技も鈍っちゃったのかな」
忍者の技で音や気配を消しながら掃除したらしい。
「いいや。寝てた」
「な~んだ」
オレが鎌をかけたってことを知って、彼女は今朝はじめて笑顔を正面から見せた。オレは、その笑顔に見とれて牛乳の最後の一口をゴクン、と飲み込んだ。
「昨日はいろいろやってごめんね。今朝はお詫びに手料理でも、ってね」
「ふ~ん」
飲み干したボトルを口にあてたまま、横目でクラニスの手元を見る。指にいくつも絆創膏を貼っている。戦闘用ナイフと包丁は勝手が違うらしい。流し台の横には、ふたが開いたままの救急箱が置かれていた。
「あはは、切るのは下手だけど、味は大丈夫よ。毒も入ってないし」
オレの視線に気が付いたクラニスが照れ隠しに笑いながらごまかした。
あとは沢庵を切るつもりらしいが、見るからに押さえるところが危なっかしい。思わず、ボトルを置いて歩み寄る。
「あ、ああ、それ、オレが切るよ」
トミックさんが来るまで、中学のときは自炊してたから、料理はできる。
「いえ! いいの、最後までやるから!」
彼女はあわてて振り向いてオレにストップをかけようとしたが、包丁を持ったまんまだった。
「あ!」
「え?」
最初の「あ」は包丁を持ったままだったことに気が付いたクラニスが驚いて上げた声で、ほぼ同時にでたオレの「え?」は、差し出した手にクラニスが持ってた包丁の刃が当たったときに、痛かったから出た声だ。
そして、向き合ってオレの右手の薬指を見て、ふたりで同時に声を上げた。
「ええ~っ?!!」
「……おはよ、どうした? 騒がしいが」
眠そうな目をこすりながらパジャマ姿のまんまキッチンにマリッサが来たのは、オレとクラニスが大声を出した一分後くらいだった。すぐ後ろにはトミックさんも起きてきていた。
オレとクラニスはキッチンの床の上にペタンと向かい合わせて座り込んでいて、オレの右手の薬指に、クラニスが包帯をぐるぐる巻いている最中だった。
「わたし……彼を切っちゃった!」
クラニスが、たいへんなミスをして打ち明けるときのような半泣き声で言った。深夜にオレを刺殺しようとした割には気弱だ。しかし、気持ちはわかる。包丁を持って振り向いたとき、彼女はオレを傷つけることなんて考えてなかっただろうから。
「え? んなわけないだろ? だってこいつは・・・・・・」
マリッサは信じない。
「傷口を見せてください。なにかわかるかも」
「え? ……ええ」
トミックさんに言われて、クラニスは包帯を持つ手をさっきと反対にまわして解き始めた。しばらくすると、血がついたガーゼと脱脂綿が出てきて、包帯が完全に巻き取られた。ガーゼと脱脂綿の下には、血がついたオレの薬指。
でも……
「あれ? 傷がのこってないぞ」
オレがこすってみると、血は全部取れてしまい、傷ひとつない指が残った。おかしい、さっきはたしかに三センチくらいの長さの切り傷と、吹き出る血をふたりで見たんだ。だからあんな声を上げたんだし。
「包丁の方を見せて」
トミックさんがクラニスから受け取ったのは、いつも自分が料理に使っているものだ。何の変哲もない。
トミックさんは、包丁の柄のほうをマリッサに向けて手渡した。マリッサも包丁を確かめ……るんじゃないな、こいつは、予想どおりの行動に出た。立ち上がったオレの胸めがけて、包丁で突いたんだ。
包丁は刺さらない。
一同無言。
オレのパジャマとシャツは昨夜からの襲撃で穴だらけだ。オレはマリッサを恨みがましく睨み、マリッサはバツが悪そうにそっぽを向いて口笛を吹いて視線をかわす。
次に包丁はオレに手渡される。オレは自分で包丁を持って、反対の手に切りつけてみる。最初はゆっくりと、そのうちキコキコと前後に押し引きを繰り返すが、なにもおこらない。左手に持って、右手の薬指にも刃を当てるが、やはり切れない。
「ふたりで夢でも見たのかな?」
しかし、血がついた脱脂綿やガーゼは残っている。
「わたし、自分の手の傷は絆創膏しか使ってないわよ。これはわたしの血じゃない」
なぞは深まるばかりだ。
「アンブレイカブルボディは、なにかの条件で力を失うのね」
トミックさんは腕組みをした。そういう話を聞いたことがないか、思い出そうとしているようだ。
「ある意味希望、ある意味危険、だな」
マリッサが言った。オレを殺せるかもしれないが、オレの弱点が増えたわけだ。
朝食が終わった食卓で、今後の予定を確認した。
昨夜、かーちゃんは帰ってこなかったようで家にいない。食卓でくつろいでいるのはおれたち四人だけだ。
くつろぐ、というのは面倒なことを横に置いておいてのんびりすることだから、この場合ふさわしくないな。オレたちは、まさに面倒事を目の前に置いて腕組みしてる状態だったんだから。
ただ、その面倒の解決方法がなさそうだから、その場をあきらめが支配していたっていうだけのことだ。のんびりしてたわけじゃない。
「あと試すとしたら、衝撃や電撃、炎ってとこかしら」
いや、トミックさんはある意味のんびりしてるように見えるな。
「そんなのは、かなり高位の魔法使いでも呼ばなきゃ、こっちの世界じゃ簡単に試せないんじゃないかな」
マリッサもいつもの歯切れ良さがない。
「ビルから飛び降りたら、落下衝撃ってことになるかしら。こっちの世界にもマラムナッツがころがっていたら、爆発の衝撃と炎は一度に試せるのにね。爆発物って手に入りにくいのよね、こっちじゃあ」
おい、クラニス、爆発物は手に入りにくいじゃなくて、手に入らない、だぞ一般人にとっては。
「そんな物騒なものがころがってる世界なのか?」
「あ、そうか。知らないわよね。あっちの世界に行ったときの用心に教えといてあげましょうか。って言っても多分あなたは爆発の真ん中にいても平気なんだしょうけどね」
その点はクラニスの言うとおりだな。
「マラムナッツっていうのは球形の木の実で、二つの半球の殻に十二個づつの突起がついてるの。この二つの殻はね、子供の力でも引っ張ったら簡単に開いちゃうわ。でも、開けたら最後、爆発しちゃうの。つまり、動物が実を食べようとして開けてしまったときに、爆発して、あたりの植物を焼き払って焼畑みたいにした上、開けようとした動物の屍骸を養分にして、ばら撒いた種が育つしくみなの。引っ張らないかぎりたたいても割れたりしないし燃えもしない実だから、まわりで他の実が爆発しても誘爆しないのよ」
爆弾がそこらじゅうにあるってことか?
「おまえが不注意で爆発させるのは勝手だが、持ち物は焼けて吹っ飛んでしまうし、まわりに人がいたら巻き添えにしちまうから、気をつけろよ」
子ども扱いするマリッサに、
「ほかにも危ないものがあったら、先に教えておいてもらえるといいんだがね」
と言ったら、そっぽを向かれるかと思っていたのだが、彼女はまじめになって危ないものがないか思い出してくれているようだった。腕組みをして難しい顔で頭をひねっている。
「あなた、ひょっとして、自分で自分を傷つけられないかな?」
クラニスが思いつきを言った。
「自分で? 包丁でやってもだめだったぞ」
「違うのよ、自分の拳で。ほら、こっちの言葉であるじゃない『矛盾』ってやつ。どっちもアンブレイカブルならどうなるのかしら、ってこと」
オレは自分の手を見つめた。
右手で拳を作って頭を叩いてみる。
「いて!」
手も頭も『痛い』。そうだよ、これがホントの『痛い』だ。頭、ガンガンするし、手も、ジンジンする。
「まどろっこしい!」
マリッサがオレの右手首をつかみ、強引にオレの手をオレの横っ面にぶつけた。
アレ? 痛くない。手も、頬も。
「どうやら、自分で動かさないとダメみたいですわね」
不思議そうに右手を見ているオレの姿を見て、トミックさんはオレが痛くなかったってことがわかったらしい。
トミックさんの分析どおりだとすれば、オレが死ぬには、自分で自分を攻撃して死ぬほどのダメージを負わせろってことか?
「ボコボコには出来ても、死ねやしないよ、これじゃあ」
「根性だ。やればできる!」
無茶を言うなマリッサ。
「つきあってらんねぇよ。休憩休憩」
オレは立ち上がって自分の部屋へ向かった。
《第7話につづく》
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