第5話 オレを殺すためのいくつかの方法
「ライアスって、あのライアスなんでしょ? 独裁者カシュームの懐刀。やつらはこっちのことについてかなりの力の入れようだってことねぇ。……それにしても、こうも早くバレちゃうとはね」
前回の会議では楽観主義だったクラニスでさえ、今回の事態を重く受け止めているようだった。
「おそらく、もう、カシュームの耳に入っているころでしょうね。そして、そのことはアテヴィア国の戦意を削ぐために広められるでしょう。竜王の子は、戻ってこられない身体だって」
トミックさんは特に重い。
「でも、アンブレイカブルボディを持っているなら、ほかの竜王の力も備えているって考えないかな。実際、なんかできないか? おまえ」
場を明るくしようという役目はマリッサが請け負っているようだ。しかし、そう振られたって、なにもできないと思うぞ、オレ。
「そんなこと言われてもなあ。アンブレイカブルボディっていうのだって、自覚なかったわけだし。そもそも竜王の力にどんなのがあるのか知らないんだぜ」
「ん~、たとえば違う世界へ通ずる竜のゲートを開く力とか」
「どうやったら出るんだ? 『開け、ゴマ』っとか唱えるのか?」
「人間に訊くなよ。出し方なんて知らないに決まってるだろ」
そんな、開き直らなくても。……ん? なにかひらめいたぞ。
「お~い、それって、さあ、オレが実際にその力を持ってなくても、あいつらはそのことを知らないんじゃないか? つまり、オレが竜のゲートをいつでも作って向こうへ行けるのかもしれないっていう可能性は否定できないだろ、やつら」
われながら冴えてると思ったが、三人はため息をついた。そのため息のわけを解説してくれたのはトミックさんだ。
「竜のゲートを開いた竜は、そのゲートをくぐれません。竜のゲートは自分以外のものを他の世界へ送り込む力なんです。わたしたちの世界では常識です。だからあなたがその力を持っていても、あなた自身はあちらへ行けないことはみんな知っています。あなたがアンブレイカブルボディの持ち主である限り、こちらで死ねない以上、あちらへ戻る手はない。それはあなたがどんな力を竜王から引き継いでいるか把握していない彼らにとっても明白なことです」
「う~ん、いっそこの力、消しちゃえないのか? 魔法か何かで」
「魔法の力も受け付けないのよ。よく似た力で『無傷の肉体』っていう古代魔法があるんです。アンブレイカブルボディのようにすべての攻撃に対して無敵になる魔法です。この力は魔法だから、より強力な術者によって解除魔法が唱えられれば無効化します。でも、竜王のアンブレイカブルボディは魔法ではないから、解除魔法も効き目はないの」
ふ~む。つまり、次世代竜王でアテヴィア国の守護者になるはずの竜王の息子は、異世界に行きっぱなしで帰ってこられない存在ってことか。
あ、待てよ。
「オレ以外の竜がこっちで竜のゲートを開いてくれたら、そのゲートで帰れるんじゃないのか?」
「たしかに、それは可能ね。でも今のところ、アテヴィアに力を貸してくれる竜は竜王以外にいないわ。しかもわざわざゲートをくぐってこっちの世界に来てくれる竜なんてみつかるかどうか。将来あなたをあちらに戻すとしたら、その手しかなさそうだけど」
クラニスは力なく答えた。その言い方からするとかなり薄い線らしい。
「とにかく、こうなったからには、わたしたちの最優先任務はどうにかして彼を殺す方法を見つけることよ。なにか方法があるかもしれないわ。結果的に今すぐ戻してしまうことになっても仕方ありません。あらゆる手で彼を殺すのよ」
トミックさんのまとめは、対象となる『彼』であるオレにとっては、とんでもない話だった。目の前にいるのに『殺す』って言わなくても。おまけにあとのふたりも、真剣な顔で頷いているし。
向こうの世界へ戻る手段がないオレを、わざわざやつらが捕らえる必要はなくなったわけで、襲撃の心配はほとんどなくなってしまった、ってことでいいんだよな。しかし、もう今日はどこかに出かける気分ではないし、時間ももう夕方近くだ。
「あの~」
リビングでくつろいで雑誌を見てたときだ。涼やかな声に呼ばれて振り返ると、いつものエプロンに料理のときの三角巾を被ってカエルとうさぎのキャラクターをあしらったかわいい鍋つかみをつけたトミックさんが、お盆に両手鍋を乗せて持ってきていた。さっきまでの厳しい感じはなくって、いつものお手伝いさんの顔だ。
「あたらしいメニューなんですけど、味見してもらえますか?」
いいねぇ。新婚ホヤホヤの奥さん、みたいな感じで。
「ええ、いいですよ」
トミックさんの料理の腕はたしかだから、味見なんてしなくてもおいしいに決まってると思うんだが。
鍋のフタを取ると、どうやらスープのようだった。白っぽい色だが和風っぽくもある。牛乳鍋かなにかかな?
トミックさんが小さな椀についでくれたので、スプーンですくって冷ましてすすってみる。自分で冷ますっていうのが残念だなあ、トミックさんがフーフーしてくれて「ア~ン」なんて言って食べさせてくれたら、なんだって食うんだが。
トミックさんは、覗き込むようにしてオレが食べる様子を見ている。
そうか、家族がふたり増えて、マリッサやクラニスの嗜好にも味をあわせなきゃいけないから、お料理をがんばっているんだなあ。
「どうですか?」
ふた口目を食べてると、トミックさんが訊いてくる。
「え? ・・・・・・おいしいですよ。ん? 変わったスパイスですね。・・・・・・これは、ちょっと苦手かな」
あっちの世界で好まれる味付けなんだろうか。3人対1人(めったに家で食事しないオレのかーちゃんも入れるとすれば4人対1人だ)なんだから、オレが妥協するべきなんだろうなあ。なんて、ぼんやり考えてた。
「それだけ?」
正直にまずいって言ったほうがいいのかもしれないが、ここは我慢しよう。食べられないレベルじゃない。
「あ、はい」
五秒ほどオレの目をじ~っと見て、トミックさんはキッチンの方にパタパタと駆けて行った。
会話が聞こえてくる。
「やっぱり効かないみたいですよ」
トミックさんの声だ。相手は・・・・・
「これくらいじゃだめか~」
クラニスだな。なんだ、彼女がオレのために料理をしたのか? いや、そのスパイスは効かせないほうが好きだぞ。
「もっと入れたらどうだ?」
マリッサもキッチンなのか。あいつ、料理できるのかな。
「量の問題じゃないんじゃないかしら~。こちらで手に入る中では一番強いものなのに~。種類が違えばひょっとしたら・・・・・・」
毒か――。
聞こえてるぞ、コラ。
トミックさん、あなた、オレをにこやかに毒殺しようとしましたね。
その夜の食卓には、当然、その鍋は出てこなかった。
食後にお風呂をどうぞ、と言われ、風呂場へ行った。
魅惑的な下着が洗濯機のあたりにころがっていたり、間違えて誰かが先にフロに入っていたりするようなアクシデントを想像したが、もちろんそんなことは起きない。
ひょっとして、お湯が沸騰していて、オレを煮殺せるかどうか試すつもりかもしれないと疑ってみたが、お湯は適温でたしかにお湯以外のヘンな液体でもなさそうだ。
身体を洗ってから湯船にどっぷり浸かり、天井の水滴をぼ~っと眺めていたら、外の脱衣スペースで声がした。
「はいるぞ」
マリッサのハスキーボイスだ。
「え?」
すりガラス越しにマリッサの姿が見える。
長い髪を頭のてっぺんあたりに乱暴にまとめ、おもむろに服を脱ぎ始めた。
え~っ!
混浴の習慣でもあるのか?
「ちょ、ちょっと待て!」
どうしていいかわからず、湯船の中でじたばたしていると、
ガラガラガラ。
オレが想定したよりも早いタイミングで入り口が開いた。つまり、全部脱いじゃう前、まだ下着を着けている状態で浴室に入ってきたのだ。
これは、ナニか? どこかのメディアで「お背中流しましょう」なんていうシーンを見て、日本の風習としてあたりまえに行われていることだと誤解した、とかいうパターンか? それともクラニスあたりに担がれて、いっしょに住んだらそういうことをするもんだと思い込んでいるのか?
下着を着けているとはいえ、その小さな布っきれが隠しているのはほんのわずかの面積で、これがまた昨日までの幻想の『柏木マリサ』が着けているんじゃないかと妄想していたような白いレースの下着で、ある意味素っ裸より色っぽい。
浴槽の横まできてひざまずくと、上体を倒して湯船の中で動くに動けないオレの上に覆いかぶさってきた。顔が近づいてくる。胸も近づいてくる。下着に負けないくらい白い胸元とかすかに笑みを浮かべる彼女の顔を、行ったり来たりして目で追っていたが、もう、近すぎて彼女の目しか見られない。と、その瞬間、
ザポ~ン!
オレの頭をマリッサが押さえつけて湯船の中に沈めた!
前頭部と首を押され、上向きのまま、浴槽の底に頭が付くほど押さえられた。手足をジタバタさせて暴れたが、マリッサのほうがはるかに力が強い。手足は動かせても、頭はぴくりとも動かせない。
激しく波打つ水面越しに、オレを押さえつけるマリッサの顔が見えた。
彼女が笑っていたり、鬼の形相をしていたら、引いちゃうところだが、彼女は眉を八の字にして眉間にしわを寄せ、なんていうか、心配そうな顔をしつつ……オレを押さえ続けていた。
オレは暴れるのをやめた。
苦しくないのだ。
もう、肺の空気はなくなったかもしれないが息苦しくもない。押さえつけられて痛いわけでもない。暴れるとお湯を飲んでしまうことはわかったから、暴れるのはやめにした。彼女の前で恥ずかしかったので両手で前を隠すことにした――手遅れかもしれないがな。
で、浴槽の底から、恨みがましい目で見上げてやった。
オレが暴れないので水面も静まってきて、彼女の表情がわかった。やっぱり、心配そうな顔ってやつだ。彼女にすれば、どうせ殺すなら、苦しませずに殺してやりたいってことなんだろうな。もしもこの方法でアンブレイカブルボディが滅びるとして、その過程は相当な苦痛が続きそうだもの。
三分ほど経って、彼女があきらめ顔になったのがわかった。それと同時に、オレを押さえる腕の力が抜けた。
「プ、はぁああ!」
久しぶりに、肺の中にたっぷり空気を送り込んだ。
頭だけお湯から上げてマリッサの方を向くと、彼女はまだ浴槽の横にひざまずいたままだった。
「すまん。苦しかったか?」
ほんとうにすまなさそうだ。
「いや、痛かったり、苦しかったりしないんだ。まあ、お湯を飲むと不味いっていうのはあったが」
殺されかけたこっちが気を遣うことでもないような気がするが、まあ、フォローしておくことにした。
彼女はシュンとしてる。
髪をアップにするのも似合いそうだな。とか、彼女を眺めていて、気が付いた。彼女はオレが暴れたせいでびしょ濡れだ。
「おい、おまえ、下着が……」
透けてる、と言う前に、マリッサもそのことに気が付いたらしい。
白い肌が、カーッと赤く染まったかと思うと、右腕で胸を隠し、左手で、
パーン!!
と、オレの右頬をビンタした。
戦闘時の殺人的な張り手ではなかったものの、オレの首は百二十度ほど回ってそっぽを向き、ビンタにつづいて浴室から走って出ていったマリッサの後姿を見ることには失敗してしまった。
痛てぇ。
右頬が、痛い?
浴室の鏡で見ると、頬にしっかりもみじみたいに手の跡が残っていた。マリッサが本気で殴ったのなら、少なくとも頭蓋骨骨折くらいのことにはなっていそうだが、平手の跡が残るっていうだけでも驚きだ。アンブレイカブルボディはどこへ行っちまったんだ?
これって、オレに効く攻撃もあるってことなのかな? 彼女達に報告するべきだろうか?
ま、後で考えよう。もう、今日は、寝るぞ。疲れた。
部屋着を着てタオルで髪を拭きながら、自分の部屋のドアの前まで戻ってくると、向かい側の部屋から、ブン! ブン! という素振りの音が聞こえてきた。
この音も慣れれば子守唄みたいなモノかもな。
部屋に入ろうとして、ふと、待ち伏せを疑ったが、慎重に入ったところで、もしもクラニスあたりが気配を消して待ち伏せていたとしたら、オレに感知できるはずがないことに気がついた。
あ~、もう、やめ、やめ。オレはふつうにしてればいいんだ。心配したってはじまらない。
ドサッ! ドン! ドン! ドン! ドン!
自室のベットでぐっすり眠っていたオレは、いきなり起こされた。
暗い部屋で目を凝らして状況を把握しようとすると、まず、オレの腹の上に馬乗りになっているクラニスが見えた。彼女の両手に、例の刃を黒くしたナイフが握られているのが次に見えた。クラニスはバツが悪そうに苦笑いしているようだった。
窓の外、遠くを走る電車の尾を引く汽笛の音が聞こえた。
頭がはっきりしてくると、何が起こったか理解できた。
最初の「ドサッ!」は、クラニスが眠っているオレに飛び乗ったときの音で、それにつづく「ドン! ドン! ドン! ドン!」は、両手に持ったナイフで、オレの胸を突いた音だ。
こいつ、オレが寝ている間に刺殺しようとしたな。
「いや~、起こしてすまないね、少年。寝てるときならひょっとして生身かもってことになったんだけど、起こしちゃっただけみたいね」
オレの上に跨ったまま、ニッコリ笑いかけてくる。こいつの格好が、タンクトップにランニングパンツという超薄着で、オレの両腕に、素肌のふとももが当たってる。え、しかもノーブラなんじゃないのか?
「いいから、早く下りろ!」
持ち上げてベッドの横に下ろそうとすると、素肌の太ももにどうしても手が触ってしまう。
「ちぇ~っ」
と、彼女は、いたずらがみつかったときの小さな子供のようにちっとも悪いことをしたつもりがなさそうな笑顔を見せて、自分から飛び退いた。
オレも起き上がって部屋の明かりを点ける。
「何時だよ・・・・・・二時?! ・・・・・・ふざけるなよな」
「まあまあ、こっちもいろいろ試して、なんとかあなたをあっちの世界へ送りたいのよ。わかってよね~」
つまり、なんとか殺したいってことだろ。
「おまえらが必死なのはわかるけど、オレも協力しないって言ってるわけじゃないんだから、相談してくれよ」
「はいはい、ありがとね。ま、寝てるところをいきなりグサリ作戦は失敗だったみたいだから、今夜はひとまず退散するわ」
退散する、といいながら、クラニスは動く気配がない。
十秒ほどおたがい固まってた。
「かよわいレディが夜中に帰ろうって言ったら、送ってくれるもんじゃないの?」
「誰がかよわくて、どこまで帰るって? 隣の部屋じゃないか!」
「まあまあ」
やたらニコニコ笑ってる。まだ動かないつもりだ。
「わかった、わかった」
オレは立ち上がって、ドアへ向かった。やっとクラニスも動き出した。うしろをついてくる。
ドアを開けて暗い廊下に出ようとしたとき、
「でやあああああっ!」
聞き覚えのあるハスキーボイスとともに、向かいのドアが開いてマリッサが飛び出してくる。体当たり?! じゃない! 剣だ!
ガン!
ガシャン!
最初の「ガン!」は、飛び出してきたマリッサが両手で握っていた剣の先が、オレのみぞおちを正確に突いた音。
そして、一秒遅れの「ガシャン!」は、マリッサに突かれて後ろに吹っ飛んだオレが、オレの部屋の真ん中あたりにあるガラステーブルの上に落ちて、ガラスが砕けた音。
オレの真後ろにいたはずのクラニスはうまいこと横に避けていた。
これで痛みがあれば、たいそうな被害者なんだが、痛みも怪我もないからなあ。
「このガラステーブル、中学のときからのお気に入りだったのに・・・・・・」
テーブルの枠にはまった状態から抜けて、割れたガラスだらけの床に立ち上がるオレを見て、犯人どもは反省会をしていた。
「ちっ! 不意打ちもだめか」
パジャマ姿のマリッサは、可憐な外見に似合わない言葉を吐く。
「寝てるところでもだめなんだもん、不意打ちは試す必要なかったんじゃないの? テーブルは避けておけばよかったわね」
「剣がちゃんと刺さっていれば、後ろに飛んだりしなかったんだ」
ああ、そうだな。しかし、オレの部屋の前でオレを無視して話をするな。
「もう、これで、寝込みを襲ったり不意打ちしたりはしないんだな?」
念押しをしながら凄んだつもりだが、こいつらに効くかどうか。
「ええ。ごめんね~。いちおう試すべきことは試しておかないとね。あ、ごめん、片付けるわ」
クラニスは床に散らばったガラスを片付けようとした。マリッサも手伝うつもりか、剣を壁にたてかけて部屋に入ってくる。オレはそれを手で制した。
「いいよ、朝になってからで。どうせガラス片の上をはだしで歩いても平気なんだし。もう寝かせろ」
パリパリとガラスを踏みしめながらふたりを部屋の外に押し出し、ドアを閉めた。
はやいとこ殺されてやらないと、何されるかわからないな。
《第6話につづく》
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