第2話 新同居人×2人

 オレは思わず後ろ向きにベッドに這い上がり後ずさった。

「まだだから、安心して。代替わりの成人の儀式をすることになったら、知らせに仲間が来ることになってるから」

 そう言う倉西が無表情なのが怖い。

「じゃなくて! こ、ころ、ころ、コロスゥ?!」

「言ったじゃん。こっちの世界に来てるのは魂だけで、身体は仮なの。この身体が死んだらあっちに戻れるわけ。あんたもそうなのよ。あんたを戻したくないやつらは、あんたを死なせたくなくて、戻したいわたしらは、時が来たら殺しちゃうつもりなのよ」

 すまして言うことか? それ! もっと、すまなそうに言うとか、ないのか?!

「ほかに戻し方がないのかよ!」

 いや、まだ戻ることに同意しているわけではないのだが、さすがに方法がとんでもなさすぎるだろ。

「ゲートは一方通行なのよ。こっちで死んで戻るしかないの」

 倉西は、まるで小学一年生に横断歩道の渡り方を説明するような口調で言う。

 あ、まてよ。なんか、あたらしいキーワードが出てきたぞ。

「ゲート?」

「そうよ。竜王が作った異なる世界同士を結ぶゲート。竜王が、あんたのお母様とあんたを守るために、この世界との接点を作ったの。それから先、あなたのお母様を支援するため、とか、今回みたいにあなたを守るため、とかでこっちの世界へ来ることができたのは、竜王が通過を許した『清らかな乙女』だけなのよ」

 この三人が清らかな乙女? まあ、黙って座ってるぶんには、オレも同意するが、さっきからのマリッサとクラニス(もう、本名のほうでいいだろう)の様子は、どっちかというとあばずれという言葉がしっくりくるんじゃないか?

 むむ、それにしても、なんか引っ掛かるぞ。

「ちょっと待て。こっちで死んだら、ほんとにあっちに戻るのか? そのまんまってことは?」

 三人は、また顔を見合わす。クラニスは左右を振り向いてから、オレを見る。

「たしかに、自分で体験したわけじゃないわ。今のゲートができてわたしらが来るまでに、この世界から死んで戻った知り合いはいないわねぇ。でも、昔っからそういう話よ。異世界から死んで戻ったっていう人には会ったことあるし。まあ、疑えば、ほんとうに異世界へ行っていたのか、そこで死ぬという方法で戻ってきたのか、確認したわけじゃないわね。常識としてだわねぇ。竜のゲートは別世界への一方通行。ゲートの先は魂の仮の居場所って」

 命がけで信じるほどの昔話かよ!

「おまえらは信じてるのか?」

「そこが肝心でしょ」

 そりゃそうだな……。信じてるからオレを殺すつもりなんだから。

「で、あのワルモノどもはどうやってこっちに来てるんだ?」

 今の説明どおりなら、あんなやつらがこっちに来ているはずがないじゃないか。

「別の竜でゲートを作ったらしいのよ。あっちは『清らかな乙女』っていう条件もないみたいね。その情報を得たのが二ヶ月前。こちらに来ていたあなたのお母様のガード役のひとりが、それを伝えるために、わざわざこっちの世界で死んでガミエンへ戻って来たそうよ。それでわたしたちが竜王の息子のガーディアンとして増員されたってわけ。バイルーのやつらは、この二ヶ月の間に、この世界での足場を作り、あなたを探し出し、今日、初めて襲ってきたってことね」

 ここでマリッサが口を挟んだ。

「あれは、こっちの様子を確認するための小手調べだぞ。ミエミエだ。どこかで様子を観察してたやつがいたんだろうよ」

 クラニスも同じ考えらしく、小さく頷いていた。

「ま、そういう訳だから、これからも、わたしたちがあなたに付きっきりでガードすることになるわね」

 ここで、これまで黙って話を聞いていた富子さん――じゃないや、トミックさんが、立ち上がった。

「では、お二人のお部屋を用意しましょうかね。もう、状況はバラしちゃったんですし、守りやすいように、このお家にいっしょに住みましょう」

 え? いっしょにって、クラニスとマリッサが? それって、もしかするとラブコメ展開を期待できる美味しい話ってことか?

 たしかに家はやたら部屋は多い。空いてる部屋で彼女たちの部屋になりそうなのは、オレの部屋の向かいの部屋か、隣の部屋か。一階の客間とかは、オレの部屋から遠いからなあ。

 向かいの部屋なら、たまたまドアを同時に開けたりしてハチ合わせとかあるかもしれないし、隣の部屋なら、ベランダが並んでいるから、夜空を見上げながら、恋人トークとかできるかもってか。

「くぉーら。きさま、なに鼻の下伸ばしてやがるんだ。セクハラしやがったら、直ちにあっちの世界に送り返してやるからな!」

 妄想に冷水を浴びせるような汚いセリフを吐いたのは、やはりマリッサだった。

 ああ、この天使のような外見が悲しい。いっそ、筋肉モリモリの色気ゼロ女だったらよかったのに。

 いや、待てよ。外見は外見だ。いっしょに住んでれば、アクシデントで、フロ上がりとかパジャマ姿とか寝顔とかをゲットできるかもしれない。それは、それで、この性格や言葉遣いとは別に考えればオッケーじゃないか?

 ふたたびオレがしあわせな妄想してるうちに、二人も立ち上がってオレの部屋を出ていくところだった。今まで住んでいたアジトへ、身の回りの品を取りに帰るのだそうだ。オレも一応、玄関まで送っていく。

 廊下でオレのすぐ前を歩くマリッサに話しかけてみた。思えば、彼女に話しかけるなんて、はじめてなんだが、残念ながら妄想していたときめきの会話とはほど遠い内容だ。

「おまえ、その言葉遣い、なんとかなんないのか? っていうか、国のニューホープで竜王の息子に対して、なんか、尊敬の欠片も感じられないんだが」

 彼女は肩越しに振り返った。冷たい目でオレを見る。

「こっちは、内情を知ってるからな。国民には、国の大事が起きたら現れて救ってくれる新しい救世主って宣伝されているが、おまえときたら、竜王の力もを継いでいるわけでもなく、何の訓練も受けていないただのダメ男じゃないか。せいぜいウソ話で盛り上げて顔見せして国民の士気を上げるくらいしか役に立たないだろ」

 あ~、それは言われるとおりだなあ。剣なんて持ったこともないし、魔法が使えるわけじゃなし。オレはただの高校生だよ。竜王の息子だなんて言われても実感ないよ。

「まあまあ。いいじゃないマリッサ。彼の使い方は国のお偉方が考えることよ。それなりに役立てるでしょ。さっさとアパート引き払って、引っ越してきましょうよ。こっちのお家の方が断然環境がいいわ。ケーブルテレビもあるし」

 玄関で靴を履く前に、ふたりの口論がはじまった。

「クラニス、おまえはそうやってこっちの世界で遊ぶことばかり覚えて。任務で来てるんだぞ」

「やることやってれば、いいじゃない。こっちには楽しいこといろいろあるんだし。あ、そうそう、明日は映画を観に行きましょう。ほら、先週の映画で予告編やってたアニメ映画」

 後半はオレに向けた言葉だ。そういえば先週観に行ったハリウッド映画のときの予告編をやたら気に入っていたなあ。

「ずるいぞ! クラニス!」

 ここでマリッサが割り込んだ。おっ、ひょっとして嫉妬か? やはりオレに気があったんじゃないか。

「な、なによ」

「おまえばかり任務にかこつけて、映画だのショッピングだのゲーセンだのカラオケだので楽しみやがって!」

 そ、そういう嫉妬か? っつうか、羨望?

「あ~ら、あなたも彼のガールフレンドになっちゃえばよかったのよ」

 クラニス……。その言い方はうれしくないぞ。ちっともうれしくない。

「そ、そ、そ、そんなことが、できるかーっ!」

 マリッサは真っ赤になってる。そういう照れはあるんだ。奥ゆかしいと、言えるのか? これって。

「じゃあ、やったもん勝ちよねぇ?」

 勝ち誇るクラニスに、マリッサは負けを認めなかった。

「とにかく! もう、話はバラしちゃったんだから、明日はわたしの番だからな! わたしがガールフレンドとしていっしょに出かける。おまえもわかったな!」

 オレに怒鳴らなくっても……。

 ガールフレンドという言葉に反して色気もなにもない話だなあ、もう、これは。

 明日は晴れて、マリッサとデートってことになったようだが、ときめきもなにもあったもんじゃない。まさかこんなことになるとは、なあ。

「遊びじゃないのよ、任務よ?」

 クラニスは片眉を上げて意地悪そうに笑った。こら、煽るな。こっちに飛び火しそうじゃないか。

「おまえが言うか?! 散々遊びまわっておいて!」

 つまり、倉西――いやクラニスがオレにまとわりついていたのはそういうことだったわけか。オレのガードという任務を果たしつつ、この世界で遊びまわる手だったんだ。

 そして、マリッサがオレに送っていた視線は、クラニスのように便乗して遊べる立場になりたかったからなんだ。それをモテてると勘違いしてたわけか、オレは。

 なんだか自分が情けなくなってきた。

 クラニスとマリッサが自分のアパート――彼女たちはそれぞれ一人暮らしだったらしい――から自分の荷物を持って来るために出ていくと、家にはオレとトミックさんだけになった。

「それじゃあ、わたしはお部屋を簡単に片付けておきますから、お食事はちょっと待ってくださいね」

 まあ、まだ夕食の時間ではない。

「どの部屋にするんだい?」

 興味本位で、一応訊いてみることにした。

「この家を襲撃された場合を考えれば、あなたのお部屋の向かいのお部屋とお隣のお部屋ですわね」

 おお、やはりそうなるのか。

 自室に戻ってくつろいでいると、向かいの部屋と隣の部屋に掃除機をかける音が聞こえてくる。その音から想像されるのは、てきぱきとしたお手伝いさんぶりで、富子さんが掃除している様子だ。お手伝いさんをやってる姿からは、僧兵のトミックさんとは思えないよなあ。

 富子さんが掃除機をかけ終わったころに、まずクラニスが到着し、つづいてマリッサがやってきた。荷物運びを手伝おうと玄関まで迎えに出てみたが、二人とも、修学旅行程度の荷物しか持っていない。

 どっちがどっちの部屋に来るのか、どうやって決めるのかと思ったら、意外にも何の相談もくじ引きもじゃんけんもなく、それぞれすんなり部屋に入ってしまった。向かいがマリッサで、隣がクラニスだ。

 さっきのミーティング中にも妄想したが、ラブコメ的展開を期待するならば、向かいの部屋は、ドアを開けたときに予想外の鉢合わせしたりする展開がありそうだし、隣の部屋はベランダで並んで会話っていう展開がありそうなわけだが……。

 さっそく、オレの部屋のドアを用もないのに何度も開けたり閉めたりしてみるが、向かいの部屋のマリッサには動きがない。

 あきらめてベランダに出てみると、隣のクラニスはカーテンも閉めずに、少ない荷物の整理をしているようだった。夕日が沈んで一番星が見え始める時間帯。もうちょっと経って星空と街の夜景の方がいい感じだなあ、なんて思っていると、サッシが開く音がして、クラニスがベランダに出てきた。

 ふたつのベランダは、それぞれの部屋に固有のものだ。隙間が三十センチほど開いていて、繋がっていない。それぞれが二メートル×四メートルほどの、エアコンの室外機以外に何も置いてないゆったりした空間だ。二階だが、家が高台にあるので街が見下ろせて眺めもいい。

 クラニスはピンクのキャミソールにデニムのショートパンツ姿だ。家のなかではかなりリラックスしているらしい。右手を上げて、左腕を頭の後ろから回して右肘を左手でつかみ、大きく伸びをしている。

「ふぁ~っ!っと。……やあ、少年。青春してるかい?」

 青春って、なあ。

 まあ、普通に考えれば、クラスメイト美少女が二人もいっぺんに自分の家に住み込むことになったら、いろいろ期待しちゃう展開なんだが……なあ。

「おまえら、どうやって部屋を決めたんだ?」

 とりあえず、生まれた疑問をぶつけておくことにした。

「マリッサの隣はうるさいからなぁ。本人も分かってるから、あなたの向かいの部屋を選んだんだと思うよ」

 あのマリッサが気を遣ったって言いたいのか?

「何がうるさいんだ? いびきかなにかか?」

 今日生まれた新しいマリッサのイメージからすると、そんな残念なことが思い浮かんだ。

「ま~さか。ほら、聞こえるでしょ?」

 言われて耳をすますと、何か風きり音が聞こえてくる。ブン! ブン! ってやつだ。この音は・・・・・・。

「……素振り?」

「あったり~」

 素振りと言ったって、バット振ってる野球少女じゃなくて……剣を振ってる女戦士なんだな、つまり。

「あれが夜中まで続くよ、多分」

 へぇ~。努力家なんだな。たしかに隣の部屋でやられたら、寝るに寝れないか。

「で、おまえはやんないの?」

「わたしはもっぱら瞑想」

 ほ~、そりゃあ、静かなことで。そういえばケーブルテレビがどうとか言ってなかったか?

 クラニスはベランダの手すりに両肘をついて、ポニーテールをほどいた髪を風になびかせて街を眺めていた。

「ここは、平和よねぇ」

 彼女はしみじみと言った。

 彼女は戦いに囲まれた世界で、ニンジャもどきの兵士として生きてきたわけで、ここがえらく平和に見えるんだろうな。

「今日のことがなかったら、あのまんまあなたが高校卒業するまで、こっちで女子高生として楽しく過ごせるんじゃないかって錯覚しちゃってたなぁ」

 彼女の横顔は、失った幻想への思慕の念に溢れていた。

「おまえ、オレをダシにして結構いろいろ遊んだんだからいいじゃないか」

「えへ~、ごめんね。ひょっとして惚れられてるって期待してた?」

 ちょっと疲れたような笑顔が正面を向いた。そういえば、ポニーテールじゃないこいつを初めて見たなあ。髪がなびいて美少女ぶりが数割アップしてるじゃないか。これならマリッサといい勝負かもしれないぞ。

「……ん、ああ、まあな」

「な~んて、お世辞言わなくていいよ。あなた、マリッサの視線ばっかり気にしてたもんね。わたしとデートしてても、全然上の空だったし。ま、こっちもあなたが目当てじゃなかったから、おあいこよね」

 バレてたのか、やっぱり。鈍感なわけじゃなかったんだな。

 彼女はまた街の方を向いて、今までにないのんびり口調で続けた。

「わたしたち……わたしとマリッサはね、クラスメイトとしてあなたに近づいて、校内と登下校のあなたをガードするっていう任務だったの。家にいるときはトミックさんでしょ。で、あなたが学校以外のお出かけするときはどうするか、って話になったときにね、ガールフレンドになって、デートに引きずり回したり付きまとっちゃえばいいじゃん、ってことになったの。そう決まったら、マリッサとわたしで役の奪い合いよ。役得だもん。任務で来てるから、あなたに関係ないとこでの自由時間なんてわたしたちにはないんだけど、あなたが一緒なら別だものね。任務の一部だもん。わたしもマリッサも、この世界のいろんなことに興味があったしね。……実はマリッサが先手だったのよ、くじ引きで。で~も、彼女、アレでしょ? 結局時間切れでわたしに出番が回ってきて、押し掛けガールフレンドに収まったってわけ」

 入学初日の帰りだったよな。彼女が教室でいきなり声を掛けてきたの。「ねぇ、少年。いっしょに帰ろうよ」って。まわりの級友たちが目を丸くしてたっけ。

 その前にマリッサの熱い視線を感じて彼女ばかり気にしてたオレは、状況つかめなくて、思わず押し切られちゃったんだ。

 あのときのマリッサの視線は、オレに声を掛けるタイミングを図っていたんだな。どおりで真剣そうに見えたわけだ。

「マリッサには悪いことしたわよね。多分、あちこち行きたかっただろうに、わたしだけ遊びまわっちゃって。それに、今日だって、もし逆なら……」

 今日、逆? つまり、オレの隣がマリッサで、後ろから離れてついて来てるのがクラニスだったらってことか?

「今日の二人組なんて、わたしたちのどっちか一人で十分相手できたのよね。もしも離れて見てたのがわたしだったら、こっちの戦力をばらさないように、って頭が働いて、様子を見てたと思うのよね。でも、マリッサは、ほら、考えるより身体が先に動いちゃうタイプだからね。結局、あなたに真実がバレる前にあなたのガールフレンドになることには失敗しちゃって、こっちの世界を満喫する機会を失っちゃった」

 どうやらマリッサに同情しているらしい。さっきのやりとりも、マリッサを煽って、オレのガールフレンドにさせようという、思いやりみたいなものだったのかもしれないな。

「明日、デートするんだから、いいじゃないか」

「でも、わたしらのこと知っちゃったから、あなたは彼女のこと普通のガールフレンドみたいに扱わないでしょ。あなた、わたしに惚れてなかったわりには、あれこれ気を遣ってくれてて優しかったもんね。わかってたよ」

 そういうつもりは、なかったんだけど、そう言われるとこそばゆい。

「彼女もちゃんと女の子として扱ってあげてよね、可能な限り。不器用なとこあるけど、ちゃんと女の子なんだから」

 相変わらず、ブン! ブン! と続くマリッサの素振りの音を聞きながら、そんなものかなあ、とオレは半信半疑だった。


 夜遅くなって、『母親』が帰ってきた。

 スーツ姿にハイヒール。女性のスポーツ用下着メーカーの社長として、パートから起業に成功したやり手の女社長でシングルマザー、っていうのがオレのかーちゃんに対する認識だったが……竜王の嫁?

「おかえりなさいませ」

「おかえりなさ~い」

「・・・・・・」

 富子さんに続いて、部屋着のクラニスとマリッサが顔を出すと、大して驚いた様子もない。

「おやおや、ついにそういうことになっちゃったの? じゃ、よろしくお願いね」

 それだけかよ?

 オレの知らないところで、なにかあったら二人が住み込むって話は出来ちゃってたわけだ。

「富子さん、ビール頂戴。あ~疲れた。明日の土曜日も仕事になっちゃった。帰れないかもしれないし、朝も早いのよね」

 オレの前を素通りして部屋へ向かう。

「おい、かーちゃん。何か息子に言うことはないのか?」

 この場合、一番説明責任ってやつがあるだろう、かーちゃんには。

 たとえば、竜王との馴れ初めがどうとか、今後のオレの進むべき道はこう、とか。

 当人は廊下で立ち止まってオレの方を見ると、

「う~ん」

と、五秒くらい考えて、

「ま、そういうことだから、ヨロシク!」

と、敬礼みたいなポーズを取って、行ってしまった。オイオイ……。


 そろそろ寝ようとベッドに入っても、今夜は簡単に眠れそうになかった。

 ただの高校生だと思っていた自分が、得体の知れない竜王の息子で、クラスメイトの美少女たちが、そのうちオレを殺すつもりでオレのことを守ってるって話は、簡単に受け入れられる状況ではなかった。で、その件については先送りにしようと、モラトリアムを決め込んでいると、次には、クラニスとマリッサが今日から同居することになったっていう事実に思考が移ることになる。

 残念ながら、これから起こるかもしれないムフフな状況にワクワクする、という単純な思いではない。

 実は打算的だったクラニスのアプローチが、今後は無くなったのだというさびしいような気持ちの大きさは、これまでの二ヶ月ほど『倉西』がオレの心に占めていたスペースが、意識していた以上のものだったことの証なのだろう。オレはどうやら、知らず知らずのうちにファミレスのごちそうに、手をつけていたらしい。三ツ星ディナーを横目で見ながらも、ファミレスのステーキに舌鼓を打っていたのだ。

 ところがそのごちそうはニセモノだったわけだ。オレにぞっこんなんだと思っていたクラスで二番目の美少女は、任務でオレに近づきつつ、この世界を遊び倒すためにデートを重ねていたに過ぎなかったのだ。すでに手に入れていたと思っていたがゆえに軽んじていたバラ色の高校生活は、それが虚像だと判ると、その価値の大きさを思い知らされた。

 こんなことなら、もっと楽しんでおけばよかった。あ、いや、もしも本気になっていたら、今日の落ち込みはこんなものじゃなかったかもしれなかったから、これでよかったのか?

 どうやらクラニスは、これからもオレとのデートを続けるつもりらしいし、隣の部屋に住み込んだことで、いっしょに居る時間は増えるわけだが、彼女はオレのことを単なる任務の対象としか思っていないわけだ。ううむ。さっきのベランダでの会話の感じだと、ひょっとしてまんざらでもないかもしれない、という可能性は残ってるのだろうか?

 すでに『キープ』していたと思っていた『彼女』は、スタートラインに逆戻りで、新たなスタートラインからコースを眺めると、実は平坦なコースじゃなくて障害走であり、ハードルも高そうだな。

 さて、今日の昼まで、オレの高校生活の中心だったクラスで一番の美少女の方は、というと、こっちは壊滅的だ。ガサツそうなマリッサの実像に幻滅しつつも、なんとか現実を知る前の可憐な美少女という虚像に置き換えて、同居という状況を楽しめないか、という邪まな思いがまだまだ残っていて、未練たらたらなんだと思い知らされる。

 向かいの部屋からは、まだ、彼女が剣を振る音が聞えてきていた。

 宮本武蔵かなにかのノリだな。武道を極めようとする探求者だ。彼女はどうやら色恋とは無縁な存在らしい。

 なんてムダな外見なんだ。宝の持ち腐れにもほどがあるぞ。


 寝付けそうにないし、のども渇いてきたので、という理由付けを自らに対して行って、その実、彼女がシャワーでも浴びに部屋から出てきたりしないかという期待を胸に、階下へ降りて、お茶でも飲むことにする。

 ドアをそっと開けて廊下に出ると、向かいのドアの向こうからは、規則的な「ブン! ブン!」という音が続いている。出てきそうにないな、とあきらめて階段を降りかけたとき、素振りの音が止み「ダダダダ!」と足音がしたかと思うと、バン! とドアが開いた。

「おい! 明日は八時半出発だ! いいな! デートだからな!」

 剣を片手に、空いた手でびしっ! とオレを指差して廊下に仁王立ちしたマリッサは、とんでもない格好をしていた。

 紫色のスポーツブラのようなタンクトップに、ショッキングピンクのハイレグブルマー。それ以外に彼女が身につけていたのは、白いヘアバンドだけだった。

 てっきりジャージ姿かなにか色気のない格好で剣を振っていたのかと思ったら、なんておいしい格好をしてるんだ。

 当の彼女は、自分がいかに男の目を釘付けにする格好をしているかということにはまったく無頓着な様子で、あっけにとられて見ているオレの視線に恥らったりする様子はまったくなかった。多分、単に機能性だけを考えてこういう格好をしているのだろう。

 三時間以上剣を振り続けていた彼女は、全身汗だくで、頬も紅潮していた。ヘアバンドでまとめられた黒髪も素振りのせいで乱れている。

「以上!」

 そう言い残して、彼女はまた部屋に戻ってしまった。

 階段の降りかけで振り返り、ポカンと口をあけて固まっていたオレは、閉じてしまったドアの向こうで再び始まる素振りの音を聞きながら、階段を降り始めた。

 まるで夢か幻を見たようにしか思えない数秒の出来事だった。

 可憐な文学美少女は消えてしまったが、これはこれで、いいかもしれない。彼女の任務に対する責任感や、この世界に対する興味が、オレへの恋愛感情に発展する余地はないかもしれないが、彼女と同居して、デートとかもできてしまう状況は、やはり悪いものではないんじゃないかな。


             《第3話につづく》

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