第2話 晩秋 (金木犀、または柿)


 時は晩秋、落ち葉の頃。僕は彼女に出会った。


 

「おにさんこちら、手の鳴るほうへ」


 柿の木の下で、近所の友達と遊んだ帰り道、夕方も過ぎたというのに子供と遊ぶ、彼女の姿を見つけた。

「あら、君も一緒に遊ぶ?」

 その、お姉さんと呼ぶにふさわしいほどの年齢の女の人は、ぼうっと立っていた僕を見つけて声をかけてきた。

「なんで…」

「あら、ずっと見ているから一緒に遊びたいのかと思ったわ。違ったの?」

「ち、違うよっ」

 彼女はだったらなぜ僕が立ち止まっているのかわからないという表情をしたが、それ以上はなにも聞かず、

「さあ、みんな。もう暗くなるからお家へ帰りましょうね」

 といって遊びを切り上げ、もう僕の方を見ることもなく帰って行った。


 

 彼女にはそれきり会わなかった。時々思い出しては柿のほうに回ったり、それこそ何時間も柿の木の下に座ってみたりもしたのだが、結局会うことはなかった。

 同級の女の子達には、まさか尋ねることなどできず、母に話すのも、何とはなしに気恥ずかしく、それはそのまま少年の日の淡い思い出となり、いつしか時の向こうへと追いやられていった。

 月日は流れ、僕は大人になり、仕事にもなれた。幼い日のことなど思い出すことのない日々を送り、そこそこの出世もした。

 上司に勧められるまま見合いをし、もうそろそろ身を固めなければならないかと思っていたある秋の日、僕は再び彼女に出会った。


 仕事で外回りをした帰りだった。やはり夕方で、けぶるような金木犀の香りが、やけにきつく感じられる日だった。

 街路樹が取り囲む大きな家の前で、彼女は枯葉を集めていた。

「何かご用ですか?」

 彼女に尋ねられてもすぐには答えられないほど、僕はショックを受けていた。彼女は間違いなく、あの日の彼女だった。

「あの……?」

 ためらいがちに、不審げな声を掛けられて、僕は我に返った。不審人物と思われては困るので、僕は

「いえ、なんでもありません」

 と、帰るほかなかった。


 しかし、それからというもの、来る日も来る日も彼女のことが頭から離れなかった。仕事ではミスが続くようになり、同僚からも心配された。


 彼女は多分覚えてはいないだろう、そう思いつつも毎日、遠目でも見えるのではないかと、用もないのに彼女が掃いていた門の前を通るようになった。

 そこは自宅からは遠く、僕は早朝出勤、夜間帰宅をするようになった。

 彼女はいつも金木犀の下を掃いていた。なにも落ちていない時でさえ、彼女は箒で地面を掃いていた。

 そうして通いつづけたある日のこと、彼女がいつものように掃除をしている途中で倒れてしまうのを目撃した。

 僕は慌てて大通りを横断して行こうとしたのだが、その頃には、彼女は家の中から出てきた人達に、運ばれていってしまった。

 僕はなすすべもなく、通りの逆側からそれを見ていた。



 会社での僕の立場は微妙だった。そこそこ認められていたのが、遅刻早退の重なるにつれ、失点をより多く挙げられるようになった。

 ここに至って見合いの話は断るわけに行かず、僕は、結納まで済ませた。

 それからは体裁も考えて、あの金木犀の邸宅には近寄らず、毎日仕事に専念した。休日には婚約者と出歩くことも増え、再び彼女のことを忘れた。

 そしてその日はやってきた。


 仏滅だった。衣装あわせを終えて、婚約者と少しあたりの散策でも、ということになり式場近くを歩いていた。

「○○さん、あれをご覧になって」

 彼女は急に立ち止まり、一軒の家を指差した。

 私は金縛りにあったように動けなかった。そこは例の、金木犀の家だった。

「あちらの家は、代代…言いづらいんですけれども、お金を他所様にお貸しになることを生業にしていらっしゃるのですけれど、二十年ほど前に借金の代わりに娘さんを引き取ったのですが…」

「えっ」

 僕は驚いた。二十年前というと僕が彼女に出会った頃ではないだろうか。

「もちろん娘さんのご両親は、娘さんを必ず迎えに来るという条件でお渡しになったのですわ。でもそれから二年と経たずに彼らは約束を守れないまま他界してしまったのです。」

 動けないでいる僕に気付かず、彼女は続けた。

「娘さんはそれを聞いて、あまりの衝撃に耐えられず、心を手放してしまったそうです。あの家の人達も、そういう状態の人を他所へやるわけにもいかず、今でも面倒を見てあげているそうですわ」

「それであなたは…なにを思うのですか…」

 怪しまれてはいけないと思い、僕は言をつむいだ。

「えぇ、家に金木犀は植えたくないと思いますの。なんとなく験が悪いような気がして…。構いませんか?」

「え、えぇ、いいですよ」

 それ以上のことは言えなかった。

 後で聞いたところによると、それからの僕はどこかうわの空だったようだ。

 これは僕にはとても衝撃的なことだった。彼女は心を手放しているようには見えなかったし、普通だったと思う。そう思い、その娘さんは彼女ではないと思おうとした。

 しかし、僕は小さい頃近所の夫婦が借金で首が回らなくなり、心中事件をおこしていたことを覚えていた。そして、彼女が何もない場所を掃いていたことも…。



 私は大安に式を挙げた。多分一般的には幸せなのだろう。妻との約束通り、家に金木犀は植えていない。

 縁側から、よく私は庭を見る。中央、正面に柿を植えている。

 感傷だろうか。妻は私が柿を植えたいと言ったときに不思議そうな顔をしたが、何も言わなかった。


 私は柿を見ながら、今日もあの日のことを思い出している。



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