第十三章 クロノス出陣

 血も涙もないと言われている異能者のロイドに置き去りにされた国定修は、次第に高くなって来る海面を見て、腹筋を使って上半身をできるだけ引き上げようともがいていた。

「畜生、あいつだけは、あいつだけは絶対にぶっ殺してやる!」

 ギリギリと歯嚙みをし、国定は岸壁に当たって噴き上がるなみ飛沫しぶきから逃れていた。

「無様だな、忠治」

 そこへ不意に瞬間移動で姿を現した者がいた。国定はハッとして声の主を見た。

「ク、クロノス! 助けに来てくれたんですか?」

 頭に血が上っているので、国定の顔は普段より幾分腫れ気味だったが、

(不細工には変わりない)

 クロノスと呼ばれた人物はニヤリとして思った。国定は必死に上体を起こしながら、

「早く、クレーン車のワイヤーを上げてください、お願いします!」

 絶叫気味に告げた。しかし、クロノスはその声が聞こえなかったかのように反応しない。

「クロノス! お願いしますよ! 助けに来てくれたのでしょう?」

 国定は泣きそうな顔になっていた。しかし、クロノスは全く無反応のままだ。

「クロノスーッ!」

 国定はさすがに怒りを覚えたらしく、唾を飛ばしてクロノスに怒鳴った。クロノスはようやく国定に顔を向けたが、それでも動こうとはしない。国定は尚も怒鳴ろうとしたが、ピクンとして口を噤んだ。いくら叫んでも、クロノスは自分を助けるつもりがない事を悟ったのだ。

「ガイアはお前を助けるようにおっしゃった。だが私はお前を助けたくない」

 クロノスの冷徹な目が国定を射るように見ている。

(ガイアの言う事は絶対のはずなのに、こいつはガイアに逆らうつもりなのか?)

 国定はクロノスはガイアの忠実な部下で、自分のような半端者とは違うと思っていた。しかし、どうやらそうではないのだ。

(クロノスがガイアに忠実だったのは、信頼を得るためだったのか?)

 国定はクロノスの真意を見抜いた気がした。するとクロノスは国定の思考を透視したかのように、

「お前の考えている通りだよ。俺はガイアの命令に従うつもりはない。ここでお前には死んでもらう」

 わかっていた事だったが、改めて言われると衝撃だった。国定は全てを諦めた。自分の異能の力では、すでに現状を打破する事はできない。心身共に疲弊し切った状態では、何も成し得ないからだ。

「どういうつもりです、クロノス? 俺を見殺しにすれば、貴方も只ではすまないのですよ?」

 国定は顔にかかり始めた波を気にする事なく、クロノスに尋ねた。クロノスは再びニヤリとし、

「そんな事はないさ。ガイアは俺がお前の事を嫌っているのをご存知だ。にも関わらず、俺にお前の救出を任せたのはどうしてだと思う?」

 国定は戦慄した。ガイアはクロノスが命令に逆らって、自分を殺す事も織り込み済みだという事なのだ。

「せめてもの情けとして、ジワジワと窒息する恐怖から解放してやるよ、忠治」

 クロノスはクレーン車の運転席に乗り込み、ワイヤーを降ろし始めた。

「うわああ!」

 国定は急速に近づいて来る海面を見て雄叫びを上げた。だが、それはやがて海水にかき消されてしまった。ゴボゴボと国定の吐く息が泡となって水面に上がってい来る様を、クロノスは眉一つ動かさずに観察していた。しばらくして、もがいていた国定の身体が動かなくなり、泡も上がって来なくなった。

「呆気なかったな、忠治」

 クロノスはアームを上昇させ、目を見開いたままで絶命している国定の遺体を引き上げた。そして、運転席から降りると、

「このままではまずいのでね。もっと深い場所に沈んでいてくれ、忠治」

 そう言って両手をかざした。その途端、国定の巨体がフッと消失し、そこから遥か沖合に飛ばされて落下し、そのまま海底へと沈んで行った。

「静かに眠れ、忠治」

 クロノスはフッと笑い、瞬間移動した。


 出かける準備を終えたかすみは、ロイドがその後どうしたのか探ろうとしたが、全くわからなかったので、諦めて家を出た。その時だった。

「国定先生?」

 かすみは国定が死んだのを感じた。彼の最後の言葉が聞こえた気がしたのだ。

(何て言ったの?)

 国定の言葉は不明瞭で、完全には聞き取れなかった。だが、悲しみに満ちていたのはわかった。

(ロイドじゃない。ロイドは国定先生を殺してはいない。その後で、何者かが国定先生を溺死させた……)

 そのあまりにも残酷な殺害方法に、かすみは身震いしてしまった。

(何故だろう? 国定先生を殺した異能者の事が全く見通せない。もしかして、その異能者が、ガイア?)

 かすみは自分を犯そうとした国定の死を悼んだ。それほど、彼を殺した異能者に怒りを覚えたのである。


 グレーのパンツスーツを着て、短くカットした黒髪にボリュームを持たせた髪型の女性が、天翔学園高等部の門の前にいた。切れ長の目に高い鼻、薄い唇。年齢は二十代半ばというところだろうか。彼女を見ながら通り過ぎる男子生徒の多くは、そのせり上がった胸の膨らみに目が釘付けになっている。

(女子の価値は胸じゃないわ!)

 その女性を睨みつけるようにして通り過ぎたのは、三年三組の桜小路あやねだ。彼女は過剰な程、自分の胸にコンプレックスを持っているので、他の女子に比べても、反応が大きかった。

「あやね、まずいよ、そんなに睨んだりしたら」

 親友の五十嵐美由子が苦笑いしてあやねを引き摺るようにして女性から離れて行く。

「いやあ、かっすみちゃあんには敵わないけど、結構いいオッパイしてるねえ、あのお姉さん」

 日本一不用意な発言をする横山照光が言うと、その隣にいた風間勇太は顔を引きつらせて横山から離れた。

「え?」

 横山が殺気に気づいた時はもう遅かった。美由子の必殺技である鞄角打ちがその後頭部に炸裂していた。

「ぐええ……」

 横山は衝撃に堪え切れず、うずくまった。

「大丈夫か、横山?」

 勇太はそう言いながらも笑っている。スタスタ行ってしまう美由子を追いかけたいあやねだったが、パンツスーツの女性が何故か勇太に近づいたので、ハッとして足を止めた。

「ねえ、君、高等部の新堂みずほさんて、知っている?」

 思わぬ名を尋ねられ、勇太とあやねはほぼ同時に、

「え?」

 キョトンという顔をして、女性を見た女性は肩にかけていたショルダーバッグを背負い直し、上着の内ポケットから名刺入れを取り出すと、勇太とあやね、そしてようやく立ち上がった横山に手渡し、

「私、ファッション雑誌の記者をしている錦野にしきの那菜ななと言います」

 営業スマイルとも言うべき笑顔で告げた。勇太とあやねと横山は顔を見合わせてしまった。


 クロノスはガイアがいる場所にいた。

「やはり、忠治を始末してしまったのか、クロノス?」

 ガイアの言葉は非難めいていたが、口調と表情は全く違っていた。クロノスはそれを承知しているのか、

「申し訳ありません、ガイア」

「まあ、いい」

 ガイアはクロノスに背を向け、

「それより、ハロルド・チャンドラーの行方を探っているが、全くわからない。お前は奴の動向を探り、今度こそ殺せ」

 その言葉にクロノスは目を見開き、

「ガイアに見通せない場所があるのですか?」

「奴も全能者オールマイティサイキックに近づきつつあるのだ。しかも、奴がいる場所も問題だ」

 ガイアはチラッと振り返って言った。クロノスは眉をひそめて、

「どこですか?」

 ガイアは再び前を向くと、

「恐らく警視庁だ。あの森石章太郎が作らせた対サイキック用の特別室らしい」

「対サイキック用、ですか」

 クロノスは腕組みをした。ガイアは歩き出し、

「カスミの秘めた力はまだあるはず。それを全て引き出し、その上で手に入れる方法を探らせる事にした」

 クロノスは考えるのをやめ、腕組みを解いた。

「という事は、光明子こうみょうしが動き出したのですね?」

「そういう事だ」

 ガイアは歩きながら瞬間移動をした。クロノスはそれを見てニヤリとした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る