第3話

 ボート乗り場に行くと、瑠花が心配そうな表情で待っていた。

「大丈夫?」

 一心は微笑んで見せた。

「なんでもない。ボートに乗ろうか」

 瑠花が頭を左右に振った。

「いい。乗らない」

「じゃ、少しブラブラして、ケーキでも食べて帰ろう」

 瑠花が黙ってうなずいた。

 飲食店街がある方に歩いて行くと、駅前のパスターミナルから伸びる中央通りで異様な集団に出くわした。

 歩道を一列に並んだ30人ほどの集団が、一歩一歩足元を確かめるような不自然な歩き方で歩いていた。

 一心は顔をしかめた。

「あの連中か」

 最近できた「神聖夢醸会」の会員たちだった。

 白いドレスのような服を着こみ、角状の飾りがある白い帽子をかぶっていた。角は一つのものや二つのもの、幅の広いもの、尖らせているものなど様々だった。

「コーラス部の子が言ってたけど…… エナン帽って言うんだって」

 瑠花が小さな声で言った。

 顔は目の部分だけ黒の網のような生地で作られた白のくちばしのようなマスクで隠していた。網目から外を見ているようだが、少し離れた者からは内部の顔を見ることはできなかった。。

 集団は何かを唱えながら歩いていた。小声で効きにくいこともあり、何語かさえ分からなかった。

 ウィンドウショッピングを楽しんでから、ファミレスのケーキセットを食べて、二人は帰路についた。

「ねぇ、一心の家って広い?」

「普通の家より広いかな。氏子衆が泊まることもあるから部屋数は多いよ」

「ええとね……」

 瑠花が言いにくそうに口を濁した。

「何?」

「うん…… 今日、泊めてもらってもいいかな?」

「うちに?」

「ちょっと、一人で家にいるのは……」

「いいんじゃない。確かに一人でいるより、うちに泊まった方が安全だ」

 一心の言葉に瑠花が嬉しそうに微笑んだ。

 参道の左側には駐車場、右側には駐輪場があった。駐輪場の入り口に黒い影が立っていた。

「珍しいヤツがいるな」

 一心のつぶやく声に、瑠花が影に目を向けた。

 黒いスラックスに黒のTシャツ、黒のジャケットに黒のパンツにブーツを身につけ、黒のキャスケットをかぶっていた。腰に緋色のスカーフを巻き、首から鼻のあたりまでを淡い桃色のスカーフでベールのようにおおっていた。

 ふいに胸元から扇子を取り出した。銀の縁がきらめいた。舞うように手元を動かすと、不意に何かが現れた。遠目には紫色の筋が入った大型の蝶のようだった。だが、胴からは先端が鋭いナイフのような人の手足のようなものが見えた。

 それは正体を暴かれて怒り狂っているように見えた。威嚇するように手足を突き出しながら、影の回りを素早く飛んでいた。

 扇子が追うようにヒラヒラと踊った。

 扇子の風を受けて、蝶のいるあたりから甲高い叫びが聞こえた。羽がボロボロと崩れ、胴体が千切れ始めた。胴からは血の色をした体液がしたたり落ちた。

 それは地面に落ちていきながら、大気の中に消えて見えなくなった。

 手品のように、影の扇子が消えた。

 瑠花が一心の服をつかんだ。

「見えたのか」

「見えた」

「大丈夫だよ」

「行きたくない」

「行かないと、うちに帰れない。それにもう終わったから」

 一心が歩き出した。瑠花も服を掴んだまま歩き出した。

 近づいていくと、影が動いた。

 男にも女にも見える美しい顔立ちだった。柔和そうに見えたが、少し見ているだけで心が寂寥を感じる異様な雰囲気が全身をおおっていた。

 やはり黒のサングラスをかけているせいか、表情が分からず、マネキンのような印象を与えていた。

「やぁ、デートかい?」

 少し鼻にかかった声も、男のようにも、女のようにも聞こえた。

「娚阿弥か。久しぶりだな」

「ああ……」

「乱造か、おランか」

「今は乱造だよ。だけど、まぁ…… 娚阿弥でいいよ」

 不思議な会話だった。

 瑠花がホッとしたように小さな声で聞いた。

「このキレイな人と知り合いなの?」

「ああ、昔、寒稽古の道場で知り合った」

 瑠花の表情がムッとしたものに変わった。それを見た娚阿弥が明るい声で言った。

「心配しなくていいよ。あたしは男のようなものだから」

「ニューハーフさん?」

「違うよ。ヘルマフロディーテで二人格なんだ」

「ヘルマフロディーテ?」

「半陰陽って言ってね」

 瑠花の表情を見て、娚阿弥がため息をついた。

「両性具有者なんだよ」

「ああ……」

 瑠花が顔を赤らめた。だが、すぐに興味深そうに顔を輝かせて尋ねた。

「そうなんですか…… もう一つ、二人格? 二重人格じゃなくて」

「そう。脳に右脳と左脳があるのは知ってるよね」

「ええ、まぁ」

「あたしの場合、右前脳、左前脳、右うしろ脳、左うしろ脳」に分かれてるんだってさ」

 瑠花が少し考えてから言った。

「クアッドコアでデュアルOS?」

 娚阿弥の表情が一瞬固まった。そして、次の瞬間には滅多に見せない笑顔になった。

「一心、いい子を見つけたじゃないか。クアッドコアでデュアルOSねぇ。気に入った」

 娚阿弥がサングラスを外して、ジャケットの内ポケットに入れた。一心が驚いた様子で言った。

「珍しいな。瞳を見られるのは嫌いじゃなかったのか」

「いいんだよ。一心とご家族だけじゃなく、このお嬢ちゃんだったら大丈夫だろうからさ」

 娚阿弥が琥珀色の瞳で瑠花を見た。光の当たりようによっては金色に輝いて見えた。

「変わった瞳の色ですね」

「でしょう」

「キレイでうらやましいです」

「ありがとう」

 娚阿弥が軽く得諸悪をした。

 一心が軽く頭を振って歩き出した。瑠花がついていくと、その横に娚阿弥が並んだ。

「うちに泊まるのか」

「ああ、そうするつもりだよ。ここの敷地の中だったら安全そうだ」

「ご挨拶だな。神社の敷地内が危険だったら、誰もお参りに来なくなる」

「そう言うなよ。一心といえども見えないだろうけど、不浄のものがうろついてる神社だってあるんだよ」

 拝殿の右奥に能楽堂が見えた。

「まだあるんだ」

「能楽堂か? たまに貸すぐらいで、ほとんど使ってない」

「もったいないね。時間があったら、踊ってみせようか」

 再び瑠花の目が輝いた。

「踊りを踊るんですか? 日本舞踊?」

「そっちも少し踊れるけれど。能楽師なんだよ。あたしは」

 少し考えてから、恐る恐るという感じで瑠花が言った。

「観世流? とか?」

「よく知ってるね」

「ダンス部の友人に少し教わって。でも、思い出したのは、それだけです」

「それだけ知っていれば十分だよ。あたしの流派は闇一流っていうんだ。教科書には出ていないけどね」

「有名なんですか?」

 娚阿弥が一心を見て、かすかな笑みを浮かべた。

「少しだけ有名だけど、知らない人の方が多いね。四国に帰る前に見せて上げるよ」

「おい!」

 慌てたように一心が言った。娚阿弥は左手を上げてヒラヒラと振った。

「心配しなさんな。普通の舞も踊れるからさ」

 一心はホッとしたように緊張した表情をゆるめた。

 一心が二人を連れて居間に行くと、靖子がソファで雑誌を読んでいた。

「お客さん、連れてきた」

 靖子が顔を上げた。

「あら、いらっしゃい。ランちゃん、久しぶりね」

「ご無沙汰しています」

「どうぞ。座って。二人ともアイスティでいい?」

「はい」

 瑠花と娚阿弥が返事をした。

 瑠花が一心と娚阿弥に尋ねた。

「どうして、『らんちゃん』って呼ぶの?」

 一心と娚阿弥が顔を見合わせた。娚阿弥がため息をついた。

「紙とペン、ある?」

 娚阿弥に言われ、一心は横に置いたタクティクスバッグからメモ帳とボールペンを出して、渡した。娚阿弥がメモ帳を二枚切り取り、何かを書いた。

「これが苗字」

「じゅうはちおんな?」

「さかりって読むの。こっちが名前」

「ラン?」

「みだれって読むの」

 娚阿弥がため息をついた。

「とんでもない名前だと思わない? 十八女乱で『さかりみだれ』って」

 瑠花が何回もうなずいた。

「だから、普通は娚阿弥って呼んでもらってる。親しい人はおらんとか乱造とかおランって呼ぶけど、何人もいないね」

「わたしは?」

「娚阿弥でいいよ」

 靖子がアイスティと茶菓子を持って戻ってきた。

「瑠花ちゃんは、ランちゃんに会うの初めてよね」

「ええ」

「変わった子だけど、仲良くしてあげてね」

「もちろんです」

「年下だけど気を使わなくてもいいわよ」

 目を丸くして瑠花が娚阿弥を見た。

「ふたつ下だよ」

「うっそ!」

「ほんと」

 娚阿弥の微笑みを見て、瑠花が絶句した。

「成長速すぎ!」

「まぁ、いろいろ体も頭も作りが違うからねぇ」

 ガヤガヤと話をしていると、祖父の鉄心と父の一郎がやってきた。鉄心が娚阿弥を見て、目を細めた。

「にぎやかじゃと思ったら、珍しい客じゃな」

「ご無沙汰しております」

 鉄心が白いあごひげを左手でこすった。

「予兆があったかね?」

 娚阿弥はチラッと一心と瑠花を見た。

「ええ…… まぁ」

「そうか」

 今度は鉄心と一郎が目配せし合った。一郎が納得したようにつぶやいた。

「神聖夢醸会の連中の動きが激しいのも、そのせいか」

 一心は二人の話を聞いていた。鉄心が一心に話しかけた。

「今夜、これから、わしたち、わしと一郎、靖子は鎮守の森の修練所に入る。黒口衆と話があってな」

 鉄心が娚阿弥をチラッと見た。

「ぬしの舞いで収まるかの?」

「穴が空いただけであれば閉じることもできるでしょうが…… 夢殿のあるじが来ていては閉じることもままなりません」

「そうじゃろうな。原因を滅することが先じゃろうて」

「白い連中のような小物は相手にすることはないのでは?」

「そうもいかんじゃろうて。すぐに出入り口になりそうな連中じゃからな」

 一郎が一心に鍵を投げた。

「預けておくぞ。父上は玄武、俺は朱雀、靖子には緋鈴を持たせる」

 鍵を受け取った一心が慌てて二人の手元を見た。鉄心が一本の長い袋を持ち、一郎は長短二本の袋を持っていた。

 何か言いたげな一心を、一郎は目で制した。

 靖子は一心を見つめた。

「夕飯は冷蔵庫に用意してあるから、チンして食べてね。それから…… 二人に手を出しちゃダメよ」

「二人! こいつに手を出すもんか」

 一心が娚阿弥を見た。

「わたしは?」

 小首をかしげて、瑠花が聞いた。

「ええと…… 出しません」

 靖子が笑った。

「よろしい。あとは頼んだわよ」

 鉄心と一郎も笑っていた。一郎が言った。

「まぁ、ランとおまえがいれば、ここも安全だろう」

 一郎と靖子が居間を出た。居間を出る前、鉄心が思い出したように言った。

「何事もなければ明日の朝には帰る。星辰の位置が変わるでな」

 鉄心はそれだけ言うと出て行った。

 瑠花と娚阿弥が用意した夕食を食べながら、一心は母にお釣りを返し忘れたことに気づいた。

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