11-2 アトリウム
「包帯は取れてきたみたいだね」
ゼノ・シルバーと名乗った国際捜査官は、あまり似合っていない麦わら帽子の
「シア、って呼んだらいいかな?」
ゼノの問いかけに、私は躊躇うこともなく首肯した。そして、手元のボードに「レインは元気?」と書いて見せる。
私がまだ
「ああ、そうだ。そのことも伝えに来たんだった」そう言うとゼノは
そこには、赤ん坊に微笑みかけているレインの姿が映っていた。あの館で見せていた強張った顔ではなく、緊張から解き放たれたような、安心しきった表情をして。
「僕が面会しに行ったとき、彼女も君のことを心配していたよ。君の様子はジョーから聞いていたから、快復に向かっていると伝えたら、喜んでた」ゼノは少し考える素振りをして「うーん……世界警察の立場から、君をこの建物から出すわけにはいかないんだけど……いずれ君が声を出せるようになったときに、ビデオチャットくらいなら許可をとれるよう、根回ししておくよ」
笑顔でウィンクをした彼に、私も笑いかけてウィンクで返す。
ゼノは少し照れたような顔から首を振って、真面目な話を切り出すように「あー……実は、今日は君に話しておきたいことがあって、ここに来たんだ」と、私に告げた。
なかなか言い出さない彼を促すように、私は「なに?」とボードに書いて見せる。
「君の知っている『ルイ・オジェ』は、死んでいない」そう言ってゼノは「今もどこかで生きている」と続けた。
* * *
中庭で『ルイ・オジェ』の死んでいく姿を目にしたとき、私の中に違和感が無かったと言えば、嘘になる。なぜなら、眼前の女性がほんの数十分前に時間を共にしたルイとは、別人に思えたからだ。
それは、生き死にの違いだけではない。ただ何となく、感覚的に。けれど、私は死にゆく彼女にその名を語りかけてしまった。ついその名前をこぼしてしまうほど、彼女が死に際に放った、おそらく
死んでいく──そう、あの時、彼女には幽かに意識が残っていたと思う。彼女の身体は微動だもしなかったが、月明かりに照らされた瞳がまだ、濁りきっていないように見えたからだ。
子どもを産み落としたときの下腹部を裂いた痛みは、まだ私の記憶の中に残っている。痛みだけでこのまま死んでしまえると、そう思えるほどの。けれど私は生きていた。腹を裂いてもそう簡単には死ねないのだ。おそらく彼女は、長い時間のた打ち回り、苦しんだに違いない。
だから、オルガは泣いていたのだろうか。逝けずに苦しみ続ける彼女を、早く楽にさせてあげたくて。けれど、彼女の最期を台無しにしてはいけないともわかっていて。そんな想いに挟まれて、オルガ自身も苦しんでいたのかもしれない。
『ルイ・オジェ』は苦しみ続け、そしてそのまま意識が遠のいて死んでいった。私のこぼした言葉は、彼女の耳に届いたのだろうか。
私がその名を呼んだ直後、彼女の瞳は潤んだように光を瞬かせては、程なく生気を失い、果てていった。
* * *
あの中庭の彼女は、確かに目の前で死んでいった。腹部からは血にまみれた内臓が垂れ出て、独特な香りを放っていた。今まで多くの死にゆく人々を目にしてきたからわかる。あれは間違いなく、完全なまでに遺体だった。生き返ることなど、あり得ない。
私が戸惑っていると、彼は「あの遺体は、別の人間のものであった可能性が高い」と説明した。「もっと言ってしまえば、あれは、外部から侵入した者の遺体だよ。それも『ルイ・オジェ』の恰好をしたまま、あの場所で死ぬためだけに忍び込んでいたみたいなんだ」
じゃあ、ルイは今どこに?私がそう尋ねようとしたのを察したのか、ゼノは「もともと館にいた彼女の居場所はわからない。けれど、もしかしたら君にコンタクトがあるかもしれないから、君が驚かないように、そしてその事実を信じられるように、先に伝えておこうと思ったんだ」
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