9-2 対峙

 ジョー・セブンとアガズィア・ノイン・スクーニーとの対峙から遡ること数分前、ヨアンはメイ・サイファと向き合っていた。


「この区画には、もう誰もいませんよ」メイは、ヨアンに向かって静かに告げた。

 ヨアンは息を飲み、相手の出方を窺う。

「あなた方の目的は、あのメイドでしょう?」

「シアの、居場所を知っているのか?」

「ええ、もちろん」

 メイは毅然とした態度で、ヨアンに近づいてくる。

「動くな!」そう叫び、ヨアンは自動小銃を構えた。

「あなた、人を撃ったことがありませんね」メイは歩みを止めない。「きっと今も、そしてこれからも撃てないでしょう。そのほうが良いと、私は思います。人を撃つことは、決して心地の良いものではありません。特に、あなたみたいな人にとっては」

 メイの歩みは、ついにヨアンの目の前にまで達していた。

「そこに寝ている彼女を起こしてあげなさい。気絶して舌を巻いてしまうと、息ができなくなりますよ」

 メイはヨアンへの視線を外さないまま、ローランを指差した。ついさっき彼女の呼吸を確かめたにも関わらず、ヨアンはメイの言葉に不安を掻き立てられた。ローランが死んでしまうかもしれない。そんな気持ちが彼の心を覆ったのだ。ヨアンは息を荒げながらゆっくりと自動小銃を下すと、慌ててローランの元に駆け寄った。良かった、息をしている。

「ご無事のようで」

 そしてメイは無表情のまま、扉の方向へと進んでいった。

「おい、どこへいくんだ!」

「バーバラを追います」

「さっきの子どものことか?」

「ええ。邪魔をするのなら、もう容赦はしませんよ」

 ヨアンはメイの醸し出す雰囲気に圧倒されてしまう。彼女の台詞は脅しではなく、本気の忠告だと感じ取った。

「やめとくよ。俺じゃ君の相手は無理そうだ」

 元々メカニックで戦闘経験の少ないヨアンは、諦めて両手を掲げてみせた。

「それが懸命です」

「一つだけ教えてくれ」ヨアンは慎重に尋ねた。

「なんでしょう」

「シアはどこにいる?その、無事なのか?」

「一つではなく、二つの質問でしたね。いいでしょう。答えます」メイの言葉にヨアンは耳を澄ます。「まず、一つの目の質問ですが、彼女はバンデウムという医者のところにいます。場所はわかりますね?」

「ああ、東側のところか、わかった。地図はある」

 無線経由でイヤホンから、セスの声が聞こえてきた。

《ヨアン。私が向かっているわ》

「オーケー……それで、二つ目の質問は?」

「彼女はきっと無事ではないでしょう。運が良ければ、生きている。その程度です」

「セス!急げ!」メイの台詞を耳にして、ヨアンは叫んだ。

《ねえ、着いたけど誰もいないわよ!》

「くそっ!」ヨアンは眼を充血させながら、再び自動小銃を構えた。「おい、バンデウムの部屋にはいないみたいだぞ!」

「そこはきっと、彼の部屋ではなく診察室です。彼の悪趣味な部屋は、そこにあるクローゼットの中の隠し扉から通じています」

「セス、聞こえたか?クローゼットの中だ!」

《ええ、あったわ!地図には無い場所ね……これから入る》

「入口と出口は別なので、注意してください。隠し扉はラチェット式の回転扉で、片側からしか開かないようになっていますから。出口は隣の物置に繋がっているので、位置から察して探してみてください」

「すまない。助かった……」

 ヨアンは再び自動小銃を下して、メイに礼を述べる。そのとき、ローランがうめき声とともに目を覚ました。

「うぅ……あれ、もう出発の時間か?」

 どうやら記憶が飛んでいるらしい。

「それでは」

 そう言って静かに歩み去るメイ・サイファの後ろ姿を、ヨアンはただ見送ることしかできなかった。


   *  *  *


 ちょうどその頃、クローゼットの中へ進むセスとは入れ違いに、アガズィア・ノイン・スクーニーが物置の隠し扉から出てきた。彼は中庭に続く廊下を歩きながら、ジルダの仲間が襲ってきたのではないかと考えていた。もしそうならば、なぜ、そいつらはジルダの危機を知ることができたのだろうか。バンデウムはジルダの奥歯に、発信機付きのインプラントがはめ込まれているのを見つけていた。旧式のタイプで、強く噛むと信号が発せられる仕組みのものだ。しかし、それは丁寧に取り外して、作動しないように保管していたはずだ。少なくともメイがジルダを失神させてから、発信機は一度も作動していない。ジルダは他にも発信機を隠し持っていたのだろうか。いや、違う。身体の隅々まで探したがそんなものは見つからなかった。あんな状況でジルダが仲間に連絡を取れたとは考えづらい。おかしなことは、ジルダが意識を失ってから襲撃されるまで、既に半日以上が過ぎている点だ。もし仲間に危機を知らせる方法があったなら、もっと早く助けを呼んでも良かったはずだ。そうやって考えを進めていく中で、アガズィアは一つの仮説を立てた。ジルダが連絡を、ジルダの仲間は彼女の危機を察知して、襲撃を開始したのではないかと。例えば、発信機は一定の間隔で作動させなければならなかったのではないか。信号を決められたタイミングに発することで、ジルダは仲間に無事を知らせ、定時連絡が過ぎても信号が届かなかった場合、奴らは強硬手段に出る。そういった作戦だったのかもしれない。

 アガズィアは苛立ちを隠せないまま、中庭に続く扉を開けた。すると、エレベーターホールの前に、バーバラと銃を持った男の姿が見えた。自身の正面の扉の前には、メイ・サイファがいる。彼女は二人の様子を静かに観察しているようだ。アガズィアは音を立てないように全自動拳銃を取り出した。男の身体は防備されているようなので、狙うなら頭部がいいだろうか、いや、ここで男を撃ったらその反動で男の拳銃から弾が放たれるかもしれない。もしそれが、バーバラに当たったら。アガズィアはそう思い直して、男の持つ拳銃のほうに照準を移した。男を殺すのはその後でも良い。

 バーバラは覚醒し、人格が切り替わっているようだ。少女のままよりも頭が働く分、幾分か勝手が良い。アガズィアはバーバラと目が合う。そして、彼が頷いて合図を送ると同時に、彼女もこちらに向かって駆け出した。アガズィアの放った弾は、男の拳銃の銃身に当たる。しかし、相手の手から拳銃は離れなかった。男は慌てた様子でこちらを向く。メイの存在にも気づいたようだ。アガズィアがそのまま二発目を放とうと照準を合わせると、男は慣れた手つきで首に掛けていた防弾マスクを被った。アガズィアはたて続けに弾を撃ち放つ。男はそれを身体に浴びながらも、表情を変えない。

「そんな軽い弾で、こいつは貫けないぜ!」

 男は挑発するように叫んだ。

「全身痣だらけになれば良い」衝撃は感じているはずだ。

 アガズィアは左手にも全自動拳銃を握り、両手撃ちを行った。スリーショットバーストで撃つ拳銃からは、薬莢が飛び散る。

「バーバラ!お前はエレベーターじゃなく運搬機から下層に行け!お前の身体なら乗れるはずだ!」

 アガズィアの提案にバーバラは頷いて、北側の扉へと駆けた。

「メイ!バーバラを援護しろ!」

 アガズィアがメイに向かって叫ぶと、彼女はバーバラの後を追って走り出した。それを見送り視線を戻すころには、男はアガズィアとの距離を大幅に縮めていた。

「余所見はいけないねぇ」

 男は拳銃をアガズィアに向けて声をかけた。アガズィアも照準を彼に合わせているが、防弾着で覆われた男に対して、アガズィアが不利なことは明白だった。

「お前は何者だ?」

「ジョー・セブン。賞金稼ぎさ」

 マスクの下でニヒルな笑みを浮かべながら、ジョーは自らの名前を相手に告げた。


   *  *  *


 トゥレがセキュリティのかかった扉を蹴破りながら奥に進んでいくと、レインの部屋の前で警備員と思わしき男と鉢合わせになった。情報には無かった人物だ。名札には「カルゴ」と記されている。

「こんにちは」トゥレは笑顔で挨拶をした。「新入りの方?」

 カルゴは黙ったまま、ゴーグル越しにトゥレを見ている。

「あ、僕?」トゥレは自分を指差す。「僕は、この館の傭兵みたいなものでして。館主のスクーニーさんから、その部屋の女性、レインさんの様子を見てくるように言われてきたんですけど……」

 そう言いながら通り過ぎようとするトゥレの前に、カルゴは立ちはだかった。トゥレはその巨体を見上げる恰好になる。

「あの、通してもらえませんよね?」

「駄目に決まっているだろう」

 カルゴは発言と同時に、トゥレにタックルを仕掛けた。

「良かった、僕も白戦のほうが得意なんですよ!」

 トゥレは跳び箱のようにカルゴの頭に手を置いて、その巨体を飛び越して言った。

「それにしてもすごいお腹ですね。まるで何かが入っているみたいだ」

「脂肪だよ」カルゴは腹を撫でながら言った。

「ふーん。他の筋肉はちゃんと鍛えてあるのに?」

 再び突進する巨体。トゥレは左に避けた。が、浮いた右足首を掴まれてしまう。トゥレは地面に着いている左足を軸にして、身体を回転させながら相手の掴んだ手をすり抜けるも、今度はその左足を掴まれて、引っ張られた。足を払われたように、身体が倒れる。すかさずカルゴは、上半身をかぶせにかかった。トゥレの身体が圧迫される。当然だが、重い。トゥレは腕に仕込んであったナイフを抜刀し、カルゴの腹に突き刺した。が、カルゴは表情を変えないまま、自らの片腕をトゥレの気管に押し付けて片手絞ワンハンド・チョークに移行した。体重差が大きいため、抵抗ができない。喉の潰れる寸前、トゥレはもがきながら、手にしているナイフをカルゴの背に刺す。すると、カルゴは痛がってトゥレの首から腕を離した。後ろ手を回して、ナイフを引き抜こうとしている。カルゴが上体を反らした隙を突いて、トゥレは彼から離れて立ち上がった。

「卑怯者め……」

 カルゴはナイフを引き抜いて言い放つ。あまり血が出ていない。服の下に厚手の生地を着込んでいたのか、傷は浅かったようだ。

「油断しました。あなた、格闘技の経験者でしょう。身体に反応が染みついている。武器の使用は予測できなかったようですが」

 カルゴは息を荒げて、上着を脱いだ。すると、腹部に水袋のようなものの縫い付けられた衣服が姿を現した。

「それはなんですか?」

「うるさい」

 カルゴは不機嫌そうにしながら、それを脱ぎ捨てる。すると彼の上半身が裸になり、隆々とした筋肉が露わになった。

「重りか何かですかね?」

「うるさい殺す」

 カルゴは頭に血が上っているようだ。

「次は油断しませんよ」

 カルゴが再度、タックルを仕掛けた。さっきまでとは比べものにならないほど機敏な動きだ。トゥレは垂直に跳び避けようとする。しかし、その左脚が抱きかかえられるような形で捕まった。トゥレはカルゴの後頭部を股下に挟むと、両脚が英数字の四の字になるように右脚を折り曲げ、掴まれている左脚とカルゴの胸との間に右足首を潜り込ませた。トゥレの両脚がカルゴの首に巻きつく形となる。トゥレはそのまま体重を臀部に落とし、地面にカルゴの顔面を衝突させた。そしてトゥレは身体を捻り、巻きつけた両脚でカルゴの首を締めつける。頸動脈を圧迫されたことで脳が酸欠を起こし、やがてカルゴは音もなく失神した。

 トゥレはカルゴの首から両脚を外して、立ち上がる。左膝を少し痛めたようだが問題はない。カルゴの着ていた水袋のようなものへと近づいて手に取ってみると、ナイフを突き立てた箇所が破れていて、そこから土がこぼれ落ちていた。持ち上げようとするも、かなり重い。

「なんでこんなの着てたんだろう……」

 トゥレはそう呟くも、深く考えるのはやめてレインの部屋に向かうことにした。


   *  *  *


 月明かりの差す中庭では、二人の男が互いに拳銃を向け合っていた。ジョー・セブンと、アガズィア・ノイン・スクーニー。つい先ほどまで舞っていた土埃も、今は地面に伏して静かに二人の様子を見守っている。

「どういうつもりだ」

 アガズィアはジョーに照準を合わせたまま、奇妙なものを眺めるような表情で尋ねた。ジョーが防弾マスクを脱ぎ始めたのだ。

「だって、フェアじゃないだろう?」そう言って、手にした防弾マスクを地面に投げ捨てる。

「賞金稼ぎがフェアな奴だとは思わなかったよ」

「服はさすがに脱げないが、これであんたにも勝機ができた」

「理解できないね」アガズィアは目を細める。

「同情しているんだぜ?今朝からニュースは賑やかだ。ルワン国王の死去がリークされたんだからな。この館のスポンサーも、もうおしまいってことだ。つまり、あんたも死に体レイム・ダックなのさ」

「私は大丈夫さ。身の売り先は見つかっている」

「人体実験の成果を持ってか?」ジョーはニヒルに笑う。

「ああ。だから邪魔をするな」

「言っておくが、さっきのアレは失敗作だぞ」

 ジョーの言う「アレ」がバーバラを指していることは、アガズィアにも理解できた。

「それと、レインの腹の中にいるのは、【十一番】の息子だろ?」

 ジョーの問いかけに、アガズィアは無言で応じたが、その行為が逆に動揺の表われを示していた。

「凍結されていた精子を使って、人工授精で孕ませた【十一番】の息子に、さっきのガキの頭にある『脳チップ』だかを移植したところで、もうまともに機能することはないだろうさ。バーバラあのガキに移植した時点で、お前らの実験は失敗していたんだよ」

「仮にそうだとしても、研究の価値は落ちない。過去に【十一番】という媒体で成功しているのだから」

「あんたはそうやって、どれだけの命を使い捨てにしてきたんだ」

「ここに植えられている花の数だけ」

 そのとき、二人はほぼ同時にトリガーを引いた。倒れるように横旋回しながら、互いの頭を狙って。アガズィアの全自動拳銃が僅かに先行して、火を噴く。撃ち終りホールドオープン手前で銃を左右に撃ち替えて、相手に息をつかせぬ連射を続けるつもりだ。だが、アガズィアの弾は一度もジョーに当たることはなかった。ジョーが放ったのは初弾のただひとつのみ。その弾丸は、アガズィアの左の耳介を打ち抜いた。その衝撃は内耳まで達したはずだが、アガズィアは決して動じない。彼の元軍人としてのプライドが揺らぐことはなかった。だが、右手から左手の自動拳銃ピストルへと撃ちかたを移行するその瞬間、その間際。内耳へと与えられた物理的な振動が、思考と行動との間にほんの僅かな時間差タイムラグを生じさせた。身体の反応がほんの数ミリ秒遅れる。そのときだった。アガズィアの感覚に不可思議なことが起こった。ほんの数インチ、ジョーの方向にのだ。咄嗟の予期せぬ出来事に、アガズィアの身体は慣性に屈して、後方に引かれる形となった。無意識に片足を後ろに着け、自らの体重を支えたそのとき彼は気づく。動いたのは床ではなく、足元に敷かれた絨毯。それを引いたのは、ジョー・セブンだと。瞬時に様々な考えが脳裏をかすめる。「まずい」と、大脳皮質がシグナルを発するまでの間は、些少であったはずだ。しかし、全てが手遅れだった。ジョーのニヒルな笑みが視界の真横をぎると同時に、眼前に鉄の塊が迫ってきた。アガズィアにそれを避ける術は無い。ジョーはアガズィアのこめかみを、ベークライトに覆われた銃把グリップで全身全霊の力を込め、殴り抜いた。アガズィアの身体は後方に大きく吹き飛ぶと、地面で一度身体を跳ねらせて、仰向けのまま白目をむいて倒れた。頭蓋の前頭部が砕けたのか、痙攣しながら血の混じった髄液を鼻から垂れ流している。やがて額の内出血は瞼にまで広がり、頭が腫れ上がっていった。それは元の顔立ちからは想像もつかないほどの、あまりにも醜い姿だった。

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