9-1 侵入

 フォウ・オクロックの最上階の『中庭』と呼ばれる中央ロビー。網目状に張り巡らされた天井のガラス窓は破壊され、そのぽっかりと空いた風穴から、月明かりとともにジョー・セブンが侵入した。次の瞬間、夜空の一部と錯覚するほど黒く塗られたティルトローター機から、ロープをつたって複数の人影が降りていった。暗がりから月明かりに照らされて、徐々に姿が明らかになる。ユピテル・トゥレ、セス・ミセススミス、ローラン・ローレンス、ヨアン・マックロイ。ジョー・セブンのメンバーらが武装して、次々と中庭に降り立った。「生きていてくれよ」と、ヨアンが呟く。

 中庭の四方に備わる四つの扉。その中で両開きのものがエレベーターホールに繋がることはわかっていた。そちらに用はない。トゥレが一人で、その対面に位置するアガズィアやレインの部屋のある扉の方向へ駆け出すと、ローランとヨアンは二人で、娼婦らの部屋に続く扉へと向かった。セスとジョーは中庭を詮索している。

 やがてセスが、ビニールシートに包まれた何かを見つけた。注意しながら捲ると、覗いたのは女の顔だった。人形のように白い、けれど重みが感じられる。死体だ。なぜこんなところに?怪訝な顔をしながらも、それがシアでもレインでもなかったことに、二人は胸を撫で下ろした。そして、ジョーとセスは互いに顔を見合わせると、バンデウムの診察室に続く扉へと進もうと合図を交す。そのとき、ローランとヨアンの入っていった扉がぎぎぃと音を立てながら開き、その中から一人の少女が現れた。

「おじさんたち、誰?」

 ジョーは、自らの左肩に備えられた無線機に触れ、眉を顰めた。


   *  *  *


 ローランとヨアンが扉を開けて足を踏み入れたとき、廊下の先に一人の少女が佇んでいるのが見えた。その少女は今にも泣き出しそうな顔をしている。

「お嬢ちゃん、危ないから自分の部屋でしばらく隠れてな」

 そう言いながらローランが近づいていくと、少女の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。

「ほらー、泣かしたー」と、ヨアンが茶化す。

「オレのせいかよ」

 ローランが少女の涙を拭くためにハンカチを取り出して、頬に当てようと屈んだとき、少女の手のひらがローランの頬に触れた。

「おいおい、オレは泣いてないぞ」と、ローランが照れるように笑いかけたそのとき、火花とともにローランの意識が飛んだ。

「でも変だな……資料には女の子の情報なんてなかったはずだけど……」

 そう言って頭を傾げるヨアンの目の前で、ローランの身体はゆっくりと地面に崩れ落ちていった。崩れていく身体の奥から覗く少女の視線と、ヨアンの視線が交差した瞬間、少女は旋回してローランの身体を越えると、地面を蹴ってヨアンに跳びかかった。ヨアンは咄嗟に離れて距離をとろうとする。視線の先に、白目をむいて身体を痙攣させながら泡を噴くローランの姿が映った。頬が火傷のように傷んでいる。電撃だ。でもどこから?少女の伸ばす手には何もない、いや、白い手袋がはめられている。まさか、あの中に?距離を詰めながら襲いかかってくるその手を避けようとして、ヨアンが道を譲るような恰好で身体を反転させると、少女はそのまま中庭に続く扉に向かって走っていった。

「あっ、待て!」

 ヨアンはその後を追おうとしたが、やはりローランの容態が気になる。少しだけ躊躇したものの、少女のことは諦めてローランの手当てに向かうことにした。

「おいっ、ローラン!しっかりしろ!」

 胸に耳を当てる。良かった、動いている。呼吸もあった。あとは、彼女の頬を軽く叩きながら、声をかけ続けて意識が戻るのを待つのみだ。ヨアンが肩の無線機越しに、メンバーへ状況を伝えようとしたそのとき、殺気を感じて廊下の先に視線を送った。


「いい勘をしていますね」

 廊下の曲がり角から現れたのは、中華系の女。資料にあった人物、メイ・サイファだった。

「サイアクだ」ヨアンは独り言のように呟いた。


   *  *  *


「あら、かわいい❤お洋服とかも良いセンスしてるわね~」

 セスが少女を見て、吐息を漏らした。

「セス、気をつけろ。あいつはただのガキじゃない」

「あら、そう?」

「おい、お前。大人二人とすれ違わなかったか?」

 ジョーは少女に向かって問いかけた。

「ううん、知らない」

 少女は首を振りながら、怖い、と言葉をこぼした。

「そうか」ジョーが少女に近づいていく。「俺らの持つリストでは、このフロアには、館主のアガズィア・ノイン・スクーニー、医者のアドルフ・ユッター・バンデウム。事務責任者のレイン。娼婦のオルガ・セサビナと事務員のメイ・サイファ。公娼のルイ・オジェの計六名の存在が確認されている」語る間にジョーは少女の前に辿り着いた。「なあ、お前は誰だ?」

「私は、バーバラ・シ──」

 少女が名前を言いかけたところで、ジョーは彼女の右腕を掴んだ。

「お前の手から、肌の焦げた匂いがするんだよ」

 ジョーが片耳に付けているイヤホンから、ヨアンの声が聞こえてきた。

《 サイアクだ 》

 メンバー全員が無線を繋ぎっ放しにして、常に音声を拾わせていた。一部始終を聞いていたジョーは、ローランとヨアンが「お嬢ちゃん」と呼ばれる存在と出会ってからの異変に気づいていたのだ。

 顔を歪ませた少女は、掴まれた右腕に左手を伸ばすと、バチッと火花が散らせながら電撃を放った。ジョーは電撃を避けようと掴んでいた手を離してしまう。それと同時に、少女は駆け出した。

「セス、捕まえるんだ!」腕をかばいながらジョーは叫んだ。

《ねぇ、ジョー。やっぱりその子、悪い子なの?押さえつけるにしても、ちょっと気が引けるんだけど》

 離れていても肩の無線機が音を拾い、全員のイヤホンに声が届く。

「安心しろ。おそらくそいつの今の人格は、大人で、男だ」

《あらま!男の子なの?!》セスは声を上げる。


 少女がエレベーターホールに向かって走っていたところを、セスが回り込んで道を塞いだ。やはり大人の脚力には敵わない。

「あなた、男の子なんですって?」

 セスが尋ねると、少女の顔が引きつる。

「おめかしがお上手ねぇ!うんうん。ファッションに関するジェンダー・イクォリティやメンズ・リブの体現はとても素晴らしいことだと思うわ。かわいい~。女の子に憧れるその気持ち、私すっごくわかるの」

「こう見えて男性主義者マスキュリストなんだけどね」少女が息を切らしながら言う。幼さの残る声はそのままに。

「あら、難しい言葉を知っているのね」

「お前よりも年上だよ、」少女は息苦しそうにしながらも、中指を突き立てて見せた。

「あら、私の年齢どこでわかったのかしら?肌かしら。やだ~。あなたとは気が合うと思ったのに、残念だわ。私、あなたのこと少し嫌いになっちゃった。ごめんなさいね、

「そう、その気にさせて悪かったね。勃起したなら、抜いてやろうか?」少女は人差し指と親指で輪を作ると、それを口元に運んで舌を出した。

「あなたって、ほんのちょっとおつむが足りないのかしら。お仕置きが必要みたい」と、セスは指の骨を鳴らす。

「セス、ここは俺に譲ってくれないか?」

 追いついたジョーが、少女を挟んで立っていた。

「あら、もしかしてこの子が?」

「ああ、おそらくな」

「そう……じゃあ、逃げ道だけ塞いでおくわ」

 セスはエレベーターホールに繋がる両開きの扉へ近づくと、針金をウエストポーチから取り出してドアノブにきつく巻きつけて固定した。

「あとはご自由にどうぞ~」

 そう言ってセスは手を振りながら、診察室に続く扉へ向かっていった。


「これで逃げ場はない。残る三つの扉の奥には、それぞれ俺の仲間がいる。それにあれだけの電撃を放ったんだ。バッテリーもあと僅かなんじゃないか?」

「なにを、まだいける」

 少女の纏うレオタードに似た下着には、発電機能が備わっていた。彼女が動いて素地が伸縮を繰り返すほど、糸のように白く細い導線で繋がれた手袋に蓄電されるようになっていた。

「なかなか良い気迫だな、【十一番Jack】」

 【十一番】と呼ばれて、少女の顔色が変わる。

「もう演技はしなくていい」ジョーの口角があがる。「俺たちの資料にはお前のカルテがあるんだ。途中までは、死にかけの男を診ているように書かれていたが、ある日を境に、頭に大手術を施したガキを診察している内容に変わっていた」

「その死にかけていた男の脳みそを、子どもの頭に移植したとでも言いたいのか?」少女は笑っている。「ありえない」

「それは無理だな。脳の神経系を全て繋ぎ直すことなんて、まず不可能だ。仮に、その男の神経幹細胞を移植して、頭蓋内で脳組織を作り出したとしても、元の記憶や人格までは移せない」

「やけに詳しいんだな」そう言いながら少女は、膝を僅かに曲げる。

「おっと、動くなよ」ジョーは、ホルスターから拳銃を取り出して構えた。少女は動きを止める。

「仲間がシアを見つけるまで、ここで大人しくしていてもらう」

「シア?ああ、あのメイドか。居場所を教えてやろうか?」少女は笑う。

「やめとく」信頼できない、と言いたげな顔をして断ると、ジョーは続けて少女へ語りかけた。「少し話をしないか?お前が【十一番】かどうか、確信を得るためにも」

「確かめてどうする」

「もし【十一番】なら、お前を捕まえて、世界警察に引き渡す」

「馬鹿馬鹿しい」

「仮に、だ」ジョーはニヒルに笑う。「【十一番】という男が生きていれば、年齢も二百を超えると言われている。じゃあなぜ、そんな奴の診断書が存在するのか。それは、お前は何者であるか、という考察から始めなければならない」

「私が何者かだと?」少女は鼻先で笑う。

「結論から言うと、お前は【十一番】の記憶だけを刷り込まれた、哀れな哀れなクソガキだ」

 少女は眉間に皺を寄せた。

「お前の脳のスキャン画像を見させてもらったよ。すると、お前の海馬の一部が意図的に削られていたのがわかった。そして、その代わりに埋められていたもの……脳組織と融合していて半生体的とも言えるが、集積回路らしきものがそこにはあった。そして、それが特定の電気信号を発していることも、カルテの経過観察の記録から読み取れた。それがおそらく、【十一番】の記憶メモリーだ。海馬から流れ続ける信号は、やがて大脳皮質にお前自身の記憶として定着する。そうすれば、オリジナルの遺志を継ぐ【十一番】のコピー品の出来上がりってわけだ」

 ジョーの耳にイヤホンから流れる仲間の声が聞こえてくる。どうやらローランが意識を取り戻したようだ。

「だが残念ながら、この方法にはいくつかの問題がある」

 そう言って、ジョーは片手の親指を立てた。

「まず一つが、半分が細胞でできた集積回路、仮に『脳チップ』とでも呼ぶか。その『脳チップ』の細胞部分は高い確率で、オリジナルの【十一番】の神経細胞が使われている。つまり、これを脳内に埋め込むためには、移植先との適合性が重要になってくる。拒絶反応がでればアウトだ。同じ遺伝子であることがベストだが、近似的なものでも適合する可能性は高くなるだろう。つまり【十一番】本人か、もしくは近親者である必要があった、が、お前は明らかにオリジナルのクローンではない。性別からして違うしな。だから、その適合性には疑問が残る。まあ、仮にうまく適合したと仮定しよう。適合したのだから、そこにいるんだろうさ。それでも、お前にその『脳チップ』を埋め込んだ時期は、かなり遅い。遅いどころか、手遅れだ。俺ならそう判断するね。一手や二手じゃない。何十手も何百手もだ。移殖すべき適齢期を、とっくに過ぎているんだよ。移殖したのはここ数年の話だろう?その頃、お前の脳は形成しきっていた。完成していた。するとどうだ。元々現存していた少女としての記憶と、後から追加されていく【十一番】の記憶とが混在して、脳の混乱が始まるだろう。そしてその混乱が、やがては記憶障害や人格破壊につながると予測がつく。どうやら、今のお前の意識はそれなりにはっきりしているようだが、それは脳が自己防衛のために、元の少女としての人格と、後から追加された人格とを切り分けたんだろう。一つの脳で二人分の記憶を共有することは難しい。元の人格がどうなったかは知らないが、少なくとも今のお前は後者の人格に違いない」

 ジョーは続けて人差し指を立てる。

「そしてもう一つの問題が、海馬の損傷というポイントだ。海馬の一部が破壊されて、本来の機能がちゃんと働かないのであれば、お前の脳は短い記憶を保つことが難しくなる。痴呆にも似た症状が現れているはずだ。それにより元の人格は、脳内での成長が遅れていく。すると、一定のペースで記憶が流れてくるお前の人格のほうが、だんだんと強くなってくる。だからお前の身体の主導権は、主に【十一番】にあるんじゃないかと、そんなところまで今の間に俺は考察してしまったんだが、どうだ違うか?」

「……お前こそ、一体何者なんだ?」少女からは笑みが消えている。

万能者ワイルドカードと呼んでくれ」ジョーはニヒルに笑ってみせた。

「ハハッ、そうか」そう言って少女の顔をした【十一番】は視線を左右にやる。「お前が何者か、何となくわかってきたぞ」そして、勝ち誇ったように「けど残念ながら、お前に俺は殺せない」

「勘違いをするなよ【十一番】、俺はお前を殺しに来たんじゃない。言ったろう捕まえるって」とジョーは拳銃を構え続ける。

「そうかい、愚者フール……お前と出逢うときは、消されるときだと思っていたよ!」

 【十一番】はそう叫ぶと、ジョーの左手方向に駆け出した。と同時に、銃声が鳴り響く。撃たれたのは、ジョーの拳銃だった。


 振り向くと、左手にはメイ・サイファ。右手にはアガズィア・ノイン・スクーニーがそれぞれ扉の前に立っていた。アガズィアの手には全自動拳銃フルオートマチックが握られていて、照準はジョーに向けられている。ジョーは思った。この男の存在を、忘れてはいけなかったと。ただの女装館主ではない。かつてシャラン国の軍部中佐であった、この男のことを。

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