4-2 語られざる場所

 S字に曲がった道を抜けると、ネオンサインを思わせる電気装飾に彩られた色街が顔を覗く。シャラン王国の「語られざる場所」。入国したばかりは比較的治安も安定して見えたが、この色街に辿り着いて、ゼノはその考えを改めることになった。薬物と子どもが路地裏で取引される無法地帯。生殖行為を好まないゼノにとっては、ただでさえ吐き気をもよおす場所であったのに、彼は更に暗い気分へと陥った。ゼノの得た情報によると、この場所では多くのコードレスの女性が、娼婦やメイドとして働いているそうだ。働き口を探し、最後に行き着いた者も居れば、この地で産まれ育った者も居るらしい。


 シャラン王国は世界警察には加盟していないものの、国際公法の主な条約には署名している。そうしなければ貿易がままならず、国益にも影響するためだろう。そのため、この国でもパーソナルコードの登録は義務化されており、国内には第三機関の存在が認められて、国民の遺伝子情報が管理されることになっている。しかしそんな中でも、情勢が不安定なこの国では、コードレスは溢れるほどに存在するとゼノは聞いている。だが、世界警察のコードレスへの関心は薄い。薄いがために、このような地域も野放しになっているのが実状だった。昨今では、パーソナルコードを持たない者への人権侵害が問題視されているが、世界警察からすれば対岸の火事といった姿勢ですらある。にも関わらずパーソナルコードへ依存するばかりに、いざ事件にコードレスが絡むと捜査は難航するといった具合だった。そんな組織の体制に、ゼノは日ごろから辟易していた。


 彼の手元には、被害者らの顔写真をプリントした紙が収められている。顔には傷一つついていないため、元の画像の色味を調整するとまるで生きているかのように映し出された。この国では、まだ紙媒体がメインで、電子機器スティックを取り出そうものなら、窃盗の被害にも合いかねない。そう考え、わざわざ色味を調整したデータを、マスクに出力してもらったのだ。

 遺体の状態から見て、薬物中毒の症状はない。身なりにも品があった。ということは、入り口付近のケバケバしい店で聞いて回るよりも、装飾が控えめで気品のある店で聞いたほうが見込みはあるとゼノは踏んだ。あらかじめ、例のカードケースに刻まれていたという系列店名も控えてきた。この国では、世界警察の名前を出してもデメリットしかないだろう。何の権限も使えないうえに、拘束されたとしても文句は言えない。一般客として潜入するしかなさそうだ。そう考えながら歩みを進めると、この国独特のアジアな雰囲気ではなく、どちらかといえば欧州に近い様式の建物が並ぶ通りへと辿り着いた。看板も国際公用語のものが増えている。ここなら、被害者に近しい人間が居るかもしれない。そう思い歩き回っているうちに、ゼノはメモに控えた店名の一つを見つけた。小さな城のような豪勢な造りに初めは躊躇したものの、ゼノは意を決し、建物の中へと足を踏み入れた。


 内部は高級ホテルのエントランスのような佇まいだった。あまりの華やかさに驚く。置かれたディスプレイを見ると店名は「クリストバル・ニーニャ」と表示されていた。目的の店で間違いない。

「いらっしゃいませ、ご予約のお客様でしょうか?」

 正装をした若い褐色の男が尋ねてきた。話す言葉も、地場の言葉ではなく国際公用語だった。

「いえ、初めてで、その、つい誘われるように入ってしまって……予約がないとダメかな?」

 ゼノは引きつったような笑顔を作り、初心者で何もわからない、といった素振りで答えた。

「いえ、そういうわけではございません。ただ、初回であれば、IDをご登録させていただくことになりますが、宜しいでしょうか」

 彼の言うIDとは遺伝子情報のことだと、ゼノは察した。

「ええ、構いませんよ。あ、ラテン系の女性が好みなんだけど、いるかな?」

 そう告げると、男はもちろんと笑顔で答えながら、ゼノを奥の控え室へと案内した。皮のソファに絵画と花が飾られた小奇麗な室内。クラッシック音楽が流れ、眼にも鼻にも耳にも癒される。やがて、アジア系と白人とのハーフのような肌の白い女性スタッフがやってきて、綿棒と指紋照合機が手渡された。綿棒で口内の粘膜を採取し、指紋と名前を登録する。当然のように、偽名を使った。しばらく待っていると、登録完了の通知とともに在籍する女性の一覧が表示された。驚くことに、よく見るとそれは最新型の電子機器スティックであった。表示されている内容に、女性のプロフィールと顔写真は並んでいるものの、料金が表示されていない。

「あの、お金はどれくらいかかるのかな」

 そうスタッフの女性に尋ねると、電子機器スティックを手に取り操作し始めた。どうやら価格を表示する設定に変更したようだ。

「どうぞ」

 そうやって返されたディスプレイの右半分には、女性毎に時間単位の値段が表示されていた。思わず絶句する。高い、高すぎる。安くても二時間でゼノの給料の一か月分は飛んでしまうほどだった。独身で無趣味なため、多少の貯蓄はあるものの、正直痛い出費だ。諦めようかと思い悩んだものの、ここで退くのもどうかと考え、最後には腹を決めた。身体的特徴が被害者に似ている女性を選ぶ。部屋のグレードも選べたので、彼は一番安い部屋を選択した。

「どうぞ、こちらへ」

 しばらく待たされた後で、ゼノはスタッフの女性に呼ばれた。控え室の奥の扉を抜けると、そこはエレベーターホールになっていた。どこかに金属探知機が備えられていたようで、アラームが鳴ってしまう。

「ああ、すみません!頭に金属のプレートが入っていて……あとは、これですかね」と、ゼノは元々所持していた電子機器スティックを取り出す。

「こちらでお預かりいたします」

 スタッフは、持ち運び式の金庫を持ってきて、その中に電子機器スティックを入れた。暗証番号を設定し、ロックをかける。データは外部サーバに保管しており、電子機器スティック自体もゼノの指紋認証が無ければ操作できないため、もし本体が盗まれたとしても心配はない。

「お客様の選ばれたお部屋は四階となります。それでは、どうぞごゆっくり」


 エレベーターの扉が閉まると、彼の身体は四階まで運ばれた。到着して降りると、廊下の先に扉が一つだけあるのが見える。真っ直ぐに歩みを進めて、扉を叩いた。すると、部屋の中から返事が。若い女性の声だ。自分の選んだ女性が扉の奥にいると思うと、甘苦いような不思議な気持ちに囚われる。扉が開き、心地よい芳香とともに目当ての女がゼノを出迎えた。

「いらっしゃい」

 女は慣れ親しんだ相手を迎えるように、嬉しそうにしている。そうやって生身の人間に歓迎されたのは、どれぐらいぶりだろうとゼノは考えた。部屋は広く、その中央にはベッドが置かれ、壁際には大きなスクリーンと家具一式が備わっていた。入って右手側は硝子張りになっていて、奥にはシャワールームとジェットバスが見える。キッチンは無いものの、料理さえしなければ、居住するにも十分な設備だ。

「どうする?映画でも観よっか」

 女は腕を絡めて問いかけてきた。

「いや、ごめん」と、ゼノは謝る。

「なに?もう、の?」

 女は色っぽい声で、ゼノの頬を人差し指で撫でながら言った。

「違うんだ。実は、君に聞きたいことがあってここまで来た」

 ゼノはゆっくりと彼女の腕を解く。

「聞きたいこと?お客さんじゃないの?」

「ああ、人を探していて、君が、その、似ていたから……もしかしたら何か知っているんじゃないかと思って」

 ゼノは白々しく言う。

「そりゃあ、私に似ている人はいるでしょうね」

 女はどこか不機嫌そうにしてゼノから離れると、そのままベッドに寝転んだ。

「この中で、知ってる顔はあるかい?」

 そう言って、ゼノはポケットに折りたたんで入れておいた紙を女に手渡した。

「んー……」女はしばらく眺めて「知らない。何これ、整形手術のときの写真?」と、ゼノに突き返した。顔の後ろに映る解剖台が、手術台に見えたのだろう。

「まあ、そんなもんさ」

「だったら余計にわからないかも。ここでは売れなくなると、皆しょっちゅう顔を変えるから。知っている顔も、明日には知らない顔なんて、ざらなのよ」

「そうか……」

「例えば、ほら、私が誰だかわかるでしょ?」

 女はベッドから起き上がって、谷間を強調するポージングをした。

「……ごめん、前に会ったことが?」

「んもう、そうじゃなくて。何、私のこと知らないの?この顔よ、ほら」女は自分の顔を指して、円を描く。

「ごめん。全くわからない」

 そう言うと、女は壁に掛けられたポスターを指差して「女優のアンリリー・リングラート!そんなことも知らないで私を選んだの?」と、声高に叫んだ。

「名前は聞いたことがあるけど……え、でも、どうしてこんなところに?」と、ゼノは真面目顔だ。

「バカね、本人のわけないでしょ?整形よ、整形。憧れのスターと寝ることができる夢のひととき。それを提供するのが、私たちの仕事なの」

「整形って……どこからどこまで?」

「顔も身体も全部よ。彼女の仕草やプライベートな情報、映画の台詞も全部覚えて、完全に本人になりきるの。私が知っているのは、そんな子ばかり。だから、もし有名人にそっくりな人を捜すことになったら、すぐに教えてあげる」

「じゃあここに居るのは、ほとんどが整形している人?」

「ここら全部がそうじゃないけど、少なくともこの館はそうよ」

 とんだ無駄足だった。被害者に顔を整形した痕跡はない。

「ナチュラルな女性を扱う店はあるかい?」

「それはそれで何件かあるけど……何よ、あなた私をバカにしているの?」

「いや、違うんだ。気分を悪くしたなら謝るよ」

「当然よ!ちゃんと良く調べてから来なさいよね。まったく」

 おっしゃる通りだ。まさかこんなところで叱られるなんて、思ってもみなかった。

「お金もあまり余裕が無いから、写真に見覚えがないのなら、もう失礼するよ」ゼノはそう告げて部屋から出ようとする。

「あ!待って!」と、服の裾を掴まれた。「すぐに出て行くようなことはしないでよね。私の価値が下がるから。お客をどれだけ留めることができたかで私の値段も変わるのよ。最低一時間はいてよね。大丈夫、あなたが支払う金額はそんなに変わらないから」

 女はゼノをじぃっと見つめている。これから一時間口説かれるのだろうか。それだけは何としても避けたいと心の中で祈った。

「実は女性に興味がないんだ。だから、できればもう」と嘘をつく。

「冷やかしだって、人を呼ぶわよ。強面に囲まれて根こそぎ盗られるよりも、ここは平和的に解決したほうがいいんじゃない?」女は笑顔だったが、眼は真剣だった。


 そうやって、ゼノは映画を観ながらしばらくその女とおしゃべりをすることになってしまった。映画は当然、彼女と同じ名前の女優が出演する作品だ。どうやら薦められた映画はその女優の代表作らしい。スクリーンに映る女優の容姿はもちろん、喋り方や仕草、そして声まで隣に座る女と驚くほどそっくりだった。ゼノは、職業を訊かれては警備員だと答え、写真の女たちを捜す経緯を尋ねられては、腹違いの妹で六つ子なのだと答えた。女にカードのことを尋ねるも知らぬ存ぜぬで、少なくともこの部屋には置いていない、とだけ答えられた。女からは他にも娼館のランク分けについて教えてもらう。「クリストバル・ニーニャ」はその手のサービスを提供する店の中でも、まだ良心的な値段設定だそうだ。ついでに何を勘違いされたのか、ゲイ向けの店も紹介されてしまった。

「それにしても、本当に君がスクリーンに映っているようにしか思えないな」そう言うと、女はふふふと笑う。笑い方もそっくりだ。

「自分でもね、こうやって彼女を眺めているうちに、彼女は自分自身なんじゃないかって倒錯してしまいそうになるの。それくらいこの国では全てを変えられるのよ」

「そんなに腕の立つ医者がいるんだね」

「だいたい、皆行くところは一緒よ。アングラな医者なんて限られているからね。もし、その写真の子たちを探すなら、そういった医者を当たればいいと思うわ」

 苦笑するゼノ。どの子も整形はしていないんだけどな。とそこまで考え至ったとき、ビリィの言葉を思い出した。

《バストは豊胸している人もいるけど、スリーサイズもほとんど同じです》

 そうだ。豊胸手術をしている被害者がいたのだ。そう考えると子宮の摘出手術の痕も、何か関連があるように思えてくる。

「それだ!」

 そう叫んでゼノは立ち上がった。

「名案だよ。ありがとう」

 女はきょとんとしている。ゼノはそのまま、時計を見てもう十分だと判断し、部屋を出ようとした。

「ちょっと、サンジェルマンさん!せっかくだから、最後まで観ていったら?」

 女がゼノの偽名を呼ぶ。

「ごめんね。実は僕、サンジェルマンって名前じゃないんだ。ありがとう。楽しかったよ」

 そう言って、扉の前まで行くと、女が叫んだ。

「クーヌル通りよ!」

 ゼノが振り返ると、ちょっと待ってて、と女は立ち上がり、机から紙とペンを取り出した。

「はい。これ」

 手渡されたのは、簡易的に描かれた地図だった。

「クーヌル通りの、突き当たりにあるビルの三階に行くの。そして、右手奥の部屋にある受付で『クリストバル・ニーニャのアンリリーからの紹介だ』って言えば、医者のところまで案内してもらえると思う」

「ありがとう……何て御礼をすればいいか」

「じゃあ、最後まで一緒に映画を観ましょうよ」女はゼノの手を取って言う。

「ごめん、お金がもたない」ゼノは笑顔で答えた。

「ちぇ、残念」女は上目遣いで悲しそうな顔をする。きっと、帰り際にいつもする表情が癖として残っているんだろうな、とゼノは思った。

「じゃあ、せめて名前を教えてよ」と、女が尋ねる。

「名前?」女からの意外な問いに、ゼノは聞き返す。

「あなたの本当の名前。大丈夫、私の心の中に留めておくから」

「ゼノ・シルバー」ゼノは迷うことなく正直に答えた。その顔をじっと見据えて、女は微笑む。

「ありがとう」

「君の名前は?」

「アンリリー・リングラート」

「けど、それって……」そこまで言うと、女は人差し指を彼の唇に当てた。

「言ったでしょう?自分でも本人なんじゃないかって倒錯してしまいそうになるって。あなたに良くするのも、彼女ならきっとそうするって思ったから。私はもう、自分の名前もわからないの」

 微笑むアンリリーに再度の礼と別れを告げ、ゼノは部屋を出た。

「ゼノ」ふいに名前を呼ばれて振り返る。「気をつけてね」


 扉の閉まる間際に彼女から発せられた言葉。ゼノは不安を覚えながらも、エレベーターに乗り込む。受付まで戻ると、預けていた電子機器スティックを金庫から取り出して、虹彩こうさいと指紋を同時に認証するクレジットシステムで会計を済ませた。店を出る際、正装の男がゼノに囁く。

「今度はプライベートでいらっしゃってくださいね」

 盗聴でもされていたのか、いや、おそらく遺伝子情報から調べられたのだろう。遺伝子情報のリストが裏で取引されていることは知っていたが、まさか自分がその被害に遭っていたとは思わなかった。女も部屋に入る前から、ゼノについて知らされていたのかもしれない。アンリリーという女優のことは良く知らないが、さぞしたたかな女なんだろうな、とゼノは思った。

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