4-1 テラスにて

 地元警察から与えられた部屋に響くノックの音。それは、こつこつと控えめなものだった。

「どうぞ」

 ゼノ・シルバーは椅子に座ったまま入室を促す。

「失礼します」


 入ってきたのは、白髪の若い男。瞳は灰色がかっていて、肌も白い。その長身は、人ごみに紛れていても目立つだろうなと、ゼノは思った。紺と黒を基調とした服装は、身体の白さを隠すようで、逆に際立たせていた。アルビノかもしれない、とゼノは思う。

「その髪は、染めているの?」と、ゼノが問う。

「いいえ、地毛です」白い男は、静かに答えた。

「へぇ、苦労人なんだ」

 表情は変わらないものの、白い男はどこか不機嫌そうだ。その不機嫌はゼノに向けられたものではなく、元々から虫の居所が悪かったようにも見える。

「盗聴器が壊れていないか、様子を見てくるように言われました」

 彼の言葉に、ゼノは声を出して笑う。

「それを僕に言っちゃ、ダメでしょ」そして、自らを指差す。「まずは、僕をこの部屋から追い出さなきゃ」

「ええ。あなたを連れ出して合図を出せば、追ってシステムの者がこの部屋に入る手筈になっています」

 白い男は、静かな口調で淡々と述べた。

「君、面白いね。誰かが様子見に来るだろうとは思っていたけど、君みたいな人で良かったよ」そう言い、ゼノは立ち上がる。「隠し場所をもっと捻りなって、君の上司に伝えといて」

「わかりました」白い男は頷くと、扉を開けてゼノの退室を促した。

「あ、僕の自己紹介はいる?」

 ゼノが思い出したように尋ねると、白い男は軽く首を振る。

「あなたのことは知っています。私は、マスクといいます」

 白い男は、自らをそう名乗った。きっと、ファミリーネームは無いのだろう。

「君のほうが、シルバーという名前が似合いそうだ」

 ゼノは笑みを向けたが、マスクは表情を変えない。

「もういいよ、って言われるまで、僕らはお茶でもしていようか」

 そう言うと、ゼノはマスクの支える扉を通り、部屋を出た。


   *  *  *


「あなたは、歓迎されていません」

 マスクは、ゼノを見つめながら静かにそう告げた。


 地元警察の近くにある喫茶店は、午後四時半という時間のせいか、人が少なかった。というかガラガラだった。ゼノはエスプレッソを頼み、マスクはアイスコーヒーを頼んでいる。


「コーヒースプーンで人生を測り尽くしたと言った奴がいたけど、僕には、こんなのじゃあ小さすぎる」ゼノは運ばれてきたカップに添えられた小さなスプーンを掲げてそう言った。「つまり、それだけじゃあ説明不足ってこと」

「あなたに捜査権限が奪われることを、単に嫌っている者も多いのですが」マスクはアイスコーヒーを一口飲んでから続けた。「この国が国際公法に違反するようなことをしていて、本当はそれを調べにきたんじゃないかと、疑っている者もいます」

「ふーん」ゼノはカップを口に運ぶ。「興味ないな」

「でしょうね。勝手な被害妄想ですよ。巻き込んですみません」

「いえいえ」ゼノは笑って見せる。「それで、なぜ君は僕にいろいろと教えてくれるの?」教えられなくても知っていたけど、と心の声で呟く。

「あなたに信頼してもらうためです」

「それはそれは」ゼノは少しだけ愉快に感じた。「誰かの指示?」

「いいえ、個人の判断です」

「信頼させてどうするつもり?」

「捜査に協力していただきたい」

 マスクはゼノを見つめて言った。

「僕はここで相当嫌われているみたいだけど、その僕が捜査に関われるかどうかを、君個人の権限でどうにかできるわけ?」

 マスクは視線を落として首を振る。

「じゃあ、僕は何をすればいいのかな」

「まず、あなた方のデータベースにある情報がほしい」

「それは、誰かの指示だね?」

 さっきと同じ質問なのに、マスクは何も答えない。つまり、イェスというわけだ。

「その代り、こちらも一つ重要な情報を差し上げます」

「重要な情報ねぇ……何って聞いても、まだ答えてはくれないんだろう?」

 ゼノの質問にマスクはこくりと頷く。どうやら先にこちらの情報を渡さなければならないらしい。

「そっか」

 彼も組織に属する人間だ、仕方ない。そう思うとエスプレッソの苦みがゼノの鼻腔を刺激した。

「まったく、フェアじゃないよな」

 そう呟きながらゼノはポケットに手を忍ばせ、板状の記憶媒体を取り出し、マスクに差し出した。あまりにもすんなりと要求を呑んだためか、彼は少し驚いた様子でそれを手にした。

「君たちの端末と互換するかわからないけど、それで試してみてよ。どこかのサーバにアップするわけにもいかないからさ」

「用意が良いですね」

「まあね」ゼノは微笑んで答える。「それで、そちらからの情報は?」

 すると、マスクはおもむろに自らの電子機器スティックをテーブルに広げ始めた。

「これを見てください」

 そこに映し出されているのは、世界地図だった。ところどころ赤い点が印されている。


「これは一連の事件の殺害現場を表すマークだね」

 ゼノが尋ねると、マスクは首肯して画面を操作し始めた。赤い点が消え、今度は一つ一つ順に表示されていく。

「はじめの事件は、ここ。半年前でした」そう言って、マスクは地図を指差す。

 ゼノは事件のあらましを思い出していた。マスクの言う通り、世界警察の本部からほど近い国で、はじめの事件が起こっていた。しかし、この頃はまだ世界警察の出る幕ではなく、地元警察のみが捜査していた。

「次はここ」

 今度はそこからかなり離れた別の国で、次の事件が起こる。しかし、そこの警察機関が国際身元不明死体手配書Black Noticeの提出を怠ったせいで、当初、この事件の存在を世界警察は把握していなかった。二番目の事件について知ったのも、つい最近のことだ。

「そして、その次がここ」

 そしてまた、そこからさらに離れた国で事件が起こっていた。このときもまだ世界警察は事件を把握しておらず、別の事件としてそれぞれの国で独自の捜査が続けられていた。捜査要請が入らなければ動かない組織……体制が受け身なだけに、明らかに初動は遅いとゼノは感じる。

「四つ目と五つ目。発生した国は少し離れていますが、事件の間隔は二日程度しか空いていません。まるで、気づいてくれといわんばかりに」

 マスクの言うように犯人の思惑が当たったのか、そこで初めて世界警察は動き始めた。ゼノが会議室に召集されたのも、彼らが事件の捜査に乗り出して間もないときのことだった。

「そしてその一週間後、つまり今日からおよそ三日前。六番目の事件が、この国で起きました」

 マスクが指さしたのは、五番目の事件が起きた場所から、国を一つだけ挟んだ場所。この国だ。

「何か気づきませんか?」

「段々と事件が起きる場所の距離が狭まっているね」

 ゼノ自身も、その答えを持っていた。

「あなたはこれに気づいて、この国を訪れたのではありませんか?」

「それは違うよ」ゼノは鼻先を掻きながら答える。「実を言うと偶然に近いんだ。正直言って、この事件に興味はなかったからね。だけど、地図をぼんやり眺めるうちにこの国に興味が出たのは、確かだよ。まさか着いたその日に巻き込まれるなんて思ってもみなかったけどさ」

「おそらく近いうちに、近隣の国で次の事件が起きます」

「そうだろうね。だけど、この国に隣国はいくつかある」

 ラフサは五つの国と隣接していた。世界警察もそのことには気づいていて、既に人員を配備し始めているとの情報が入ったばかりだ。

「ええ。ですが、我々にも世界警察にも手出しができず、そして休暇を取れるあなたにしか行けない場所があります」

 ゼノは全てを見透かされたような気分になる。地元警察の見解のように話しているが、おそらくこれは目の前の青年の推理だ。彼がここまで真剣に考えているとは驚きだった。

「それは、ここです」

 そう言ってマスクは一つの国を指差す。

「シャラン王国、ね」ゼノは呟くように答えた。

 世界警察への加盟を拒否した国。実際は、世界警察の設立当時、内戦で主権が定まらずそれどころではなかったようだが、しかし、そんな国がラフサの五つの隣国の中で一つだけあった。そこには世界警察も、大手を振って立ち入ることはできない。もしシャラン王国で次の事件が起きれば、話はややこしいことになってくる。

「それが、君たちからの重要な情報?」

 ずいぶん期待外れだとゼノは思った。

「いいえ、ここまでであれば誰でも予測がつきます。ですが、その『予測』を『確信』に変えることのできる情報があるのです」

「へえ。それは、何?」ゼノはあまり期待せずに尋ねた。

「このカード」そう言って、マスクが電子機器スティックを操作すると画面に遺留品のカードの背の柄が浮かび上がった。「同僚の中に、風俗通いが趣味の男がいまして」

「それはそれは」ゼノは表情に出さなかったものの、顔も知らないその男のことを不快に感じていた。性的な表現や行為そのものを、彼は嫌悪している。

「その男曰く、このカードを見たことがあると」


 ゼノは思いがけない情報に意識を集中させた。

「シャラン王国にある妓楼に通っていた際、遊女らとの戯れの中で使ったカードの柄がこれとそっくりだったそうです」

「それは確かに僕たちも知らない情報だ」ゼノは息を飲む。「だけど裏は取らなきゃいけない。その人の記憶違いかもしれないし」

「裏はもう取りました。これはさっき得たばかりの情報ですが、このカードはシャラン王国の一部の遊里でのみ出回っているものでした。ルワン国王の生誕五十周年を記念して、ある妓楼のオーナーが作ったもののようで、系列店で使われていたことはもちろんのこと、一部の常客にも配られていたそうです。カード単体ではわかりませんが、ケースにはそこの系列店の名が連なって刻まれています」

「なるほどね」ゼノはコーヒーカップの柄を持つ。「じゃあ、犯人は意図的に我々をシャラン王国に導いているというわけだ」

 ゼノはカップを掲げるも、中身はもう空になっていた。マスクのアイスコーヒーはまだ半分以上残っている。

「なぜ犯人はここまでして、あからさまなアピールをしたのだと思いますか?」よく見ると、マスクのアイスコーヒーの氷は既に溶けきっていた。自分ならもう飲まないな、とゼノは思う。「シャラン王国について、あなた方に調べさせたいことがあるからではないでしょうか」

「面白い推理だ」ゼノはカップの柄を握ったまま言った。「今の話は、僕から組織のほうへ報告しても良いのかな。それとも、君たちから正式に報告がくるのを待ったほうがいい?」

「お任せします」マスクはそのことには興味がないように答えた。

「わかった。それで、僕はここで何を手伝えばいいんだい?さっき、捜査に協力してほしいって言っていたよね」

「この国の捜査については、私たちを信頼して任せていただきたい。その代わりあなた方には今の情報を元に、シャラン王国での潜入捜査を行ってほしいんです。そうしたほうが事件の解決に最も近づくと、私自身も感じています」

 どうやらこの国の警察は、早々に世界警察をこの国から追い出したいらしい。

「僕を追い出しても、次にまた誰かが来るだけだよ」

 ゼノは思ったことを素直に述べた。

「わかっています。ですが、これが今の私に与えられた任務ですから」

「正直だなあ。ここの警察に君は勿体ないよ」

「私はこの国が好きなだけです。刑事になったことも、誇りに思っています」マスクは表情を変えないものの、その眼は若さの残る真っ直ぐなものだった。


「本当に勿体ないな」そう言って、ゼノは空のカップに口をつけた。

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