4-3 闇医者

 アンリリーの地図どおりにクーヌル通りを進むと、突き当たりに雑居ビルを見つけた。各フロアともに明かりは灯っていて、人の出入りもあり、怪しい雰囲気などは感じられない。三階までエレベーターで昇り、言われたとおりに、右手奥の扉をノックする。返事は無い。ドアノブを捻ると鍵はかかっていなかったので、そのまま中に入った。室内では多くの人が、長椅子に並んで座っている。右手前に受付のようなカウンターが見えた。

「あの、クリストバル・ニーニャのアンリリーからの紹介で……先生にお会いしたいんですが」

 受付の男は、怪訝な顔をしている。

「クリストバル・ニーニャって、そこの?」と、彼は親指で自分の後ろを指す。その方向が合っているかどうかはわからなかったが、ゼノは、そうだと頷いた。

「ちょっと待って」

 受付の男はデスクパッドを操作している。

《はいはい》

 受付内部の小型スピーカーから男の声がした。

「先生、クリストバル・ニーニャのアンリリーからの紹介だそうですが、何か聞いていますか?」

《ああ、さっき連絡があったよ。世界警察の人だよね?》

 そこまでバレているのかと驚きながらも、受付の男から目を合わせられると、ゼノは観念したように頷いた。

「はい、そのようです」

《悪いけど、そこでしばらく待つように伝えてくれないかな》

「わかりました」

 そう言うと、受付の男はデスクパッドに触れて通信を切った。右手を差し出して、背もたれのない長椅子に座るように無言で促される。周りを見ると若い女性も居れば、老人や子どもも少なくない。全員が同じ医師を受診するのだろうかと疑問に思いながら、空いている場所を探して壁際のスペースに腰掛ける。向かいの壁の時計を眺めると、既に遅い時間になっていたが、それでも人が減る気配はなかった。他の人たちは順番に受付に呼ばれ、何処何処に行ってくださいなどと案内されている。それはこのビルの別のフロアであったり、全く違う場所であったりした。聞き耳を立ててみると、整形外科だけではないようだ。そうやって、一時間ばかり呼ばれるのを待っているうちに、疲労と飽きから欠伸が出るようになる。ゼノは壁にもたれかかると、腕を組んで休みながら待つことにした。


「おい、起きろ」

 受付の男に肩を叩かれ目を覚ます。いつの間にか、うたた寝をしてしまっていたようだ。壁の時計を見ると、待ち始めてから五時間以上は経っていた。外はまだ暗いが、時間的にはもうすぐ明け方になる。

「地下一階へどうぞ」

 疲れた表情をした受付の男は、目を合わせないまま、業務上必要な言葉だけを選んだように、ゼノに告げた。


 地下にはエレベーターは通っておらず、階段でのみ移動できた。階段を下りるとビルの管理室にたどり着く。警備員に用件を告げると奥へと案内された。どうやら地下はスタッフの控え室になっているらしい。

「先生、お客さんですよ」

 警備員が扉をノックすると返事があり、中に入るように言われた。警備員に御礼を告げて、ゼノは部屋に入る。その部屋には窓は無く、出入口もゼノの入ってきた扉だけだった。

「待たせて悪かったね。夜勤も結構忙しくて」

 医者のウヲン・リーイェンは、肌の黄色いアジア系の太った男で、こちらを向いて椅子に座っていた。髭が伸びかけているが、白髪交じりでオールバックにした髪も、身にまとう衣服も綺麗に整えられている。白衣は壁際に置かれたポールハンガーに掛けられていた。

「はじめまして、ゼノ・シルバーと申します」

「アンリリーから聞いてるよ。世界警察なんだってね」

 再び直球だった。もう観念するしかない。

「はい」

「この国に何の用だい。僕を捕まえに来たの?」

 ウヲンは笑っている。冗談を言ったつもりのようだ。

「いえ、あの」

「それとも、シャラン王国の悪事を暴く、とか?だけど、この国は世界警察には加盟していないよね。あ、あれかな、マスメディアを通してこの国の印象を悪くしようって魂胆?その事前調査か何か?だったら、あまり協力したくないなー。僕自身の仕事のこともあるけど、こういった場所っていうのは、あって良い、いや、あったほうが良いと僕は思うんだよね」

「いえ、あの」

「君はそう思わないかい?欲望の捌け口だとか、そういう意味じゃなくてさ。僕はここで働く人たちのことを想っているんだよ。言いづらいけど、コードレスは人間じゃないなんて扱いが先進国では罷り通っているだろう?でもこの街だとそうじゃない。まあ、国自体は積極的にパーソナルコードの登録を推し進めているけど、それでもコードレスに対してはまだまだ甘い」

「いえ、あの」

「ほら、巷じゃあ、最近はカード媒体だと精算を受け付けないところも出てきたそうじゃない。クレジット会社や銀行なんかも、パーソナルコードを申告させていろいろ調べるようになっちゃってさ。生体情報を登録して、生体認証をキーにキャッシュのやり取りを行うのが、他の国じゃあ主流なんでしょ?なんだかやり過ぎ感は否めないよね。パーソナルコードがなきゃ買い物もできないなんてさ。いずれ全人類がパーソナルコードで管理される時代が来ると思うと、僕は正直寒気がするよ」

 ウヲンは話好きなのか、ゼノが彼の言葉に返事する隙もないほど、畳み掛けるように話し続けた。

「いえ、あの、人を捜していて……」

「まあ、いいや。今日はもう店じまいで明日は夕方からなんだ。君はラッキーだね。ゆっくり話を聞けるから。そこに座りなよ」

 差し出された手の先には簡易式のベッドがあった。

「仮眠用さ。他に椅子を置いてないから、気にせずに座って」

 ゼノは言われるがままに腰掛け、そしてポケットから取り出した紙媒体を見せた。ウヲンは眉間に皺を寄せて、そこに印刷された顔写真を順番に眺める。

「知っている顔はありませんか?誰も整形手術はしていませんが、何人かは豊胸手術をしていて、全員が子宮の摘出をしています。そして、もれなくコードレスです」

 ウヲンはコードレスという言葉に対して、なるほどねと呟く。

「豊胸手術かあ、そんなのは日常茶飯事だし、どこでもやっているからなあ。昔と違って、今はとても簡単にできるんだ。事前に自身の脂肪を培養してそれを注入するから、拒絶反応もないし自然な仕上がりになって、普通の人じゃ見てもわからない。最近じゃあ、男も太っているのがモテるからって、自分の腹に脂肪を注入する奴なんかがいるんだよ。まあ、それはまだ稀なケースだけど、そういった変わった手術であれば、クランケは絞れるかもね。例えば」

 と、そこから珍しい手術の例をいくつか挙げられそうになったので、ゼノは右手を掲げることにした。すると、ウヲンはそれに気づいて、彼に発言の機会を与えた。

「子宮の摘出なんかもよくするんですか?例えば、娼婦の方が避妊のために、とか」

「君のいう摘出とは、おそらく全摘出のことだろう?それは逆に僕の仕事じゃない。そこまでしなくても妊娠しない身体にはなれるからね。何かの疾患がなければ、普通はそんなことしないよ。僕がするなら、したとしても、例えばそうだな──」

 ゼノは右手を挙げ「そういった手術をするようなところを紹介してもらえませんか」と、食い下がる。

「この街で、という意味だと紹介できるところはあるけど、この国でってなると難しいな。僕ももぐりの医者の全員と知り合いなわけじゃない。この街の医師会を仕切っちゃいるけど、外から見れば腫れ物のような場所だから、他の街との交流は皆無に等しいんだ。そりゃあね、僕らも現状については──」

 と、そこでゼノは右手を突き出す。

「この街の医師で構いません」

 堂々巡りになっても、泥臭くやってやろうとまで、ゼノは考えるようになっていた。

「ふん……」そう言って、ウヲンは腕を組んで押し黙る。部屋全体が広くなったように錯覚するほど、急に静かになった。

「この写真の子たちは、既に死んでいるね?」そして、自ら作り出した沈黙を破り、ウヲンは顔写真を眺めながらゼノに尋ねた。「僕も医者の端くれだ。色を変えてもわかる。これは死体の写真だよ」

「そうです」ゼノは頷く。

「君が嘘をつくことなく全てを話せば、僕も協力しよう」そう言って、男はプリントをゼノに返した。「それが嫌なら、この街の情報屋を教えるから、そっちを当たってくれても良い。まあ、情報屋っていってもお店の情報を取り扱うのがメインだけどね。どうする?」

 街の案内所にはすでに立ち寄り、聞き込みを行ったが目立つ収穫は無かった。けれど、ゼノは迷った。犯人に繋がる情報を得られる確率と、事件のことを一般人へ漏らしてしまうリスクとを見比べると、まだ話すほどの状況ではないと判断できるからだ。しかし、根拠は無いものの、ゼノは何かに近づいているようにも感じていた。そんな様子を見かねてか、ウヲンはゼノに声をかけた。

「別に今日答えを出さなくてもいいんだ。気が向いたら、また来ればいい。別に君の肩書きにびびっているわけじゃないんだよ。むしろ、君はとてもラッキーさ。アンリリーからのお願いだからね。実はこれでもかなりの特別扱いなんだよ。僕は彼女のファンだから」

 それは、女優と娼婦のどちらのファンなんだろうとゼノは思った。

「実はあまり時間もないんです。もうじき、似た容姿の被害者がまた一人出るでしょう。それも、おそらくこの国で」

「そうか……それは悲しいことだね。だけど、僕が譲歩できるのはここまでさ。勿体ぶっているわけじゃなくて、それにもちゃんと理由がある。第一、この国で君は刑事としての権限は使えないだろ?だったら、いくら協力しても意味がないかもしれない。それに教えるばっかりじゃあ、フェアじゃないってのもある。あ、ちなみにお金の問題じゃないからね。そういうビジネスは情報屋とやっとくれ」

「そうですね……」ゼノは俯く。

 目の前の男はアンリリーの紹介とはいえ、あくまで好意で対応してくれている。今までは自らの肩書きを盾にして、捜査のためだと言っては、一般人から情報を聞き出したいだけ聞き出せていた。そんな環境に胡坐をかいていたことを、ゼノは今更ながら思い知らされたのだった。

「もう……仕方ないなあ」ウヲンは壁掛け時計を見てそう呟くと、机の中から何を取り出した。「はいこれ」

 そうやって手渡されたのは、遺留品と同じ柄のカードの入ったカードケースだった。

「これも探しているんだろう?」

「なぜ、これを?」

「アンリリーから」と、ウヲンは微笑みながら答えた。

 確かにゼノはアンリリーにカードについて尋ねたものの、彼女は全く知らない素振りをしていた。与えた情報も僅かで、それだけで品物を特定できるとは思えない。ゼノが困惑していると、ウヲンは人差し指を立てて言った。

「あと一つ、君がとてもラッキーなことがある」ゼノがぼんやりしていると、彼はそのまま話を続けた。「それはね、僕が国王派だってことだ」そう言ってウヲンが指を鳴らすと、その人差し指と親指に挟まれて、キングのカードが手品のように現れた。

「それは、どういう」意味なのか、と問いかけようとしたところで、扉を開けて一人の男が部屋に入ってきた。ゼノは男の姿を見て息を飲んだ。

「さすが、時間ぴったりだね」

 ウヲンは胸を撫で下ろしながら、現れた男に向かってそう告げた。

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