3-2 白粉花の館
シャラン王国に存在する
「私は、本日からこちらでお世話になります『ジルダ』と申します。ファミリーネームはございません。ただ『ジルダ』とお呼びいただければ幸いです」
東洋ばりに深いお辞儀までして、えらく礼儀正しいメイドが入ったものだと、ルイ・オジェは思った。そのジルダという名の女中は、銀白の長髪を煌かせながら、ゆっくりと顔を上げる。透けるような肌をしていて、その身体は細くしなやかだ。淡色の眼を真っ直ぐに見据え、凛とした風貌をしている。
「私はここのフロア長のルイ・オジェよ。よろしくね」
ルイは色気のある笑みを浮かべて言った。藍みがかった黒髪に合わせた紫の口紅が、妖艶な容姿を引き立てている。彼女はそこに住まう娼婦らの中でも最も長く、この館に在籍する人物だった。齢は二十八だが、その人生のほとんどをこの館で過ごしている。そのためか、新顔が入るたびにどれほど長続きするか、一目しただけでおよその見当がついた。今回の新入りは非常に有望だと踏む。メイドにしておくのが勿体ないほどに。
「何卒、宜しくお願いいたします」ジルダは再び頭を下げる。
「そんなに硬くなってちゃあ駄目だよ、お姉ちゃん。まだ仕事じゃないんだから。もっと、こう、フランクに。そう、フランクにいかなきゃ。ね?」
重くるしい空気を一転させる声の主は、十二三歳ほどの少女。光るように黄色い髪が彼女の性格を表しているようだ。彼女もルイと同じく、この館で生まれ育った子どもの一人だった。青色の大きな瞳と淡いピンクを帯びた唇が、にこやかに微笑んでいる。返事をすることもなく、ただその少女を見つめていたジルダの肩に、ルイは手をかけて話しかけた。
「彼女はバーバラ。私の娘よ」
バーバラは照れるようにして笑う。
「あいにく、他のフロアメイトは仕事で出払っていてね。今日のところは、私とこの子の二人だけ。あとの二人は、また明日の歓迎会のときにでも紹介するわ」
ルイの語りかけに、ジルダは小さく頷いた。夜更けも近い。明日の初仕事に向けて備えなければならないと、ジルダも考えていた。
「さあバーバラ、あなたはここまでよ。今日はもう遅いから、おやすみなさい」
「はあい」と、バーバラは緩い口調で返事をする。「じゃあまた明日ね、お姉ちゃん」そう別れを告げると、少女は右手を小さく振りながら、自室へと戻っていった。
「かなり若いころのお子さんなのですね」バーバラの姿が見えなくなってから、ジルダは尋ねた。
「私が産んだ子じゃないからね。さっきのは比喩だと思ってちょうだい。同じ部屋で暮らして、面倒を見ているだけよ」
ルイの答えに、ジルダの眉が微動する。
「まさか、あんな子どもも、娼婦として働いているのですか?」
「それは、少し違うわね。あの子は特別。娼婦ではないし、メイドでもない。このフロアで生まれて、けれど母親は死んでしまってね。それを私が引き取ったの。……でもそうね、彼女も結局はここで働くことになるかもしれないわね」ルイはかつての自分を思い返して言った。「そういえばあなた、あのレイン女史の担当なんですって?」
レインとは、館の事務の全権を握る責任者の一人であり、ジルダがこれから主に世話をする人物のことだ。
「はい。まだお会いできていませんが……」
「なかなか大変よ。体調を崩して引き籠もるようになってからは、大人しくなったみたいだけど、昔は【
「そうですか」ジルダは相変わらず無表情だった。
「あなた、なかなか見込みがあるわね」ルイはそう言って、ジルダの肩を抱き寄せ、耳元に口を当てる。「どう?これからあなたの部屋で呑まない?」
ジルダの表情は変わらない。
「せっかくのお話で恐縮ですが、明日は早くから準備もございますので、本日はそろそろ失礼させていただければと思います」抑揚の無い声で答える。新人メイドからの断りをルイは残念に思ったが、それも予測のうちだ。大丈夫、まだ機会はある。ルイはそう自分に言い聞かせた。
「そう、じゃあまた今度近いうちに」そう言ってルイが肩から手を離すと、ジルダは再び頭を下げた。
「申し訳ございません」
「いいのよ。でも、明日の歓迎会には出席してね。あなたが主役なんだから」
「はい、楽しみにしております」
「バーバラの言うとおり、私たちに対してそんなに畏まらなくてもいいのよ。もっと気楽にね」
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
堅苦しいままのジルダにルイは思わず苦笑する。楽しみにしているというのは、嘘だろうな。なんて考えながら。
* * *
「女史に、一体何があったのですか?」
ルイ・オジェは二日前の会話を思い出していた。会話の相手は、館主のアガズィア・ノイン・スクーニーである。彼の、齢五十近くながら化粧の施されたその顔に、華やかな衣服を纏ったその佇まいは、一見すると淑女のようにも見える。しかし、長身で細身ながらも肩幅のある体型とその声が、彼が男性であることを示していた。
そのとき、ルイは彼の部屋にいた。その部屋へ自由に出入りすることが許されているのは、ルイとレインの二人だけで、二人はそれぞれ彼と特別な関係にあった。
ルイは来客用のソファに腰掛け、アガズィアと机を挟んで向かい合う。新しいメイドがレインの専属として従事することを聞きつけ、アガズィアに事の真意を問いただしに来たのだ。
「今まで雇っていた秘書やメイドを皆クビにして、女史は部屋へ引き籠もりました」しばらくの沈黙の後、ルイは言葉を続けた。「半年ほど前から、既に様子がおかしかった。あれほど機微として館内を闊歩していたあの方が、水を打ったように大人しくなり、今では全く姿を現さない」
彼女の詰問に、アガズィアは少しうんざりしたように口を開いた。
「前にも言ったけど、彼女は身体を病んでいるからね。それに、彼女が落ち着いたのは、歳のせいかもしれないよ。彼女も若いとは言えない年齢になりつつある」
「良からぬ噂も立っています。もう既に生きていないのではないかと」
ルイの言葉に、アガズィアは間を置いて答えた。
「レインは大丈夫さ。少しの間、安静にしていなければならないだけだ。それに彼女の面倒は、新しいメイドが見てくれることになっている。だから心配するな」
「私がお聞きしたいのは、その新しいメイドことです。このジルダという女、全くの新参者ではありませんか。経歴も薄っぺらい。医療に携わった経験なども見当たらない」ルイはジルダに関する書類を机に叩きつけた。「こんな女に、女史の身の回りの世話を任せるおつもりですか?」
「レインの担当医はあくまでバンデウムであって、メイドに病まで診てもらうつもりはないよ。それにね、この娘が良いというのは、レインからのリクエストなんだ」
「そういう問題ではありません!私が突き詰めて論じたいのは、この館の秩序についてです。この館の上層は、選ばれた者しか住まうことも、ましてや足を踏み入れることさえも許されないのだと、かつて貴方はおっしゃいました。娼婦もメイドも、幼い頃から下層で経験を積み、その中で認められた者のみが、この上層へ辿り着く事ができる。その伝統は守られ、引き継がれてきたはずです」そう言い、ルイは唇をかみ締める。「これでは、今まで選ばれずに去った者たちや、選ばれようと努力する下層の者たちへの示しがつきません」
「じゃあ、この娘がその『選ばれた者』だったんじゃないかな」アガズィアはルイと目を合わせずに言い放った。
「まるで、あなた以外の何者かが決めたような言い草ですね。あなたが許可を出したのでしょう?他人事ではないんですよ」
「厳しいなあ」微笑みながらアガズィアは両手を掲げる。
「とぼけないでください。この女は一体何者で、貴方は何をさせるおつもりですか?」
「このジルダという娘は、レインの身の回りの世話をしに来るだけだよ。それ以上は何もない」
「いいえ、あなたは他に何か隠しています。私にはわかります」
「ああ……」アガズィアは大きく息を吐き、宙を見上げる。「さすがは『ルイ・オジェ』だ。尊敬し、敬愛するよ」
「やはり何か隠しているのですね」ルイがそう言うと、アガズィアは観念したように語った。
「僕が隠しているのは、新しいメイドのことなんかじゃない。召使いなんて、どうでもいいんだよ。それよりも大事なのは、レインの身体のことさ」アガズィアはそう言いながら、ルイの顔を覗きこむ。凝視されたルイは交わった視線を逸らすことができない。「今、レインの身体には、大きな異変が起きている。彼女を観察し続け、無事でいられるように見守ることは、君たちの未来においても非常に重要なことになるんだ。誰にも邪魔されてはいけない。秘密にしなくてはならない。ましてや、外に知られるわけにはいかないんだ」
「つまり……役目を終えれば、そのメイドは」
そこまで言ったところで、アガズィアは人差し指をルイの唇に添えた。下衆なことを口にするな、ということだろう。
「……女史に起こった異変とは?」ルイが静かに尋ねる。
「それは言えない」アガズィアは指を離したものの、笑みを浮かべることもなく、ルイを見つめ続けた。彼女はその身を緊縛されたかのような気分に陥った。「いずれ、わかるさ。レインのことも、なぜ新しく召使いを雇うのかも」
「……わかりました」しばらく沈黙したのちに、ルイは頷いてみせる。アガズィアが微笑むと、彼女はその視線から解放された。「ですが、最後に一つ聞かせてください」
「なんだい?」
「なぜこのメイドを、私たちと同じのフロアに住まわせるのですか?」
「それについては、ルイ。君にひとつ、頼みがあるんだ」
「なんでしょう?」
「新しい召使いへは、まずフロアから出ないこと。そして、レインの部屋で得た情報の全てを、私と担当医であるバンデウム以外の何者にも口外しないという約束を交わしている。だが召使いとはいえ、意思ある人間に変わりはない。懇意のフロアメイトにうっかりと情報を漏らしてしまうこともあるだろう」
「つまり、私にメイドを監視しろと?」
「さすが『ルイ・オジェ』だ。察しが良い。そう。このフロアに居ることが多い君ならではの仕事さ。何か不審な行動を見かけたときは、すぐ私に知らせてほしい」
「わかりました」ルイは頷くも、ただ、と言葉を続けた。「私は、いずれ全てを教えていただけると、貴方に期待しています」ルイはアガズィアの瞳を見つめる。
「ああ、誓うよ」アガズィアはそう言って彼女の手を取り、密な口付けを交わした。
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