第4話

 バクヤは突然、意識を取り戻す。

 そこはあのアルケミアの地下墓地にある祭壇であった。バクヤは奇妙な幻惑を感じる。まるで、デルファイに行っていた時間がほんの一瞬の出来事のように感じられた。

ついさっき、ここでヌバークの魔道を感じたように思える。

 あの時と違うのは、フレヤの姿が見えず、二人の魔族そしてブラックソウルがいることだった。バクヤは祭壇から降りる。

 デルファイへ旅だったときと同じ場所に佇んでいたロキが、声をかけてきた。

「フレヤはどうした」

 ブラックソウルが答える。

「判らん、消えたよ」

 ロキは納得したのかどうかよく判らないいつもの無表情で、頷いた。バクヤはあたりを見まわしてみる。

 その薄暮の世界は、デルファイへ行く前と全く変わっていない。おそらく何千年と変わらぬ場所なのだろう。静かであり、生きるものの気配が感じられなかった。

 エリウスが、ふと指を突き出す。

「誰かくるよ」

 バクヤは薄闇を見つめる。広大な湿地帯に浮かび上がっている無数の墓碑、その間に動く灰色の影があった。バクヤは無意識のうちに、身体が戦闘への準備をはじめているのを感じる。

 魔族の王、ヴァルラは、一歩前へ出た。

「そこにいるのは、ウルラか」

 灰色の影は、次第にその姿をはっきりさせてゆく。それは、間違い無くマントを纏った魔導師であった。その魔導師はヴァルラの言葉に答える。

「ヴァルラ様、いかにもウルラでございます」

 ウルラは、湿地帯の中に立ち止まった。その姿は半ば、薄墨を流したような闇の中に溶け込み、あたかも幽鬼のようである。

 ウルラはどこか哀しげな響きのある声で語る。

「ヴァルラ様。あなたは戻られるべきではなかった。あなたはガルン様に殺されるために戻られたようなものだ」

 ヴァルラは闇に輝く暗黒の太陽のように、美しい笑みを見せる。

「それがどうしたというのだ。私は意味なく生き長らえるよりは、戦って死ぬことを望む」

「考え直しませぬか」

 ウルラの声には、切実な願いが込められている。

「中原を、白い肌の人間が支配するあの汚れた王国を、共に蹂躙するわけにはいかないのですか」

 ヴァルラは首を振る。

「私は、狂ってはいない。それに狂うことも望んではいない。私は王だからだ。ウルラよ。おまえこそ、私の前から姿を消すがいい。死に急ぐことはあるまい」

 ウルラは凛とした意思の込められた声で答える。

「あなたに殺されるのであれば、本望です」

 ウルラは両手を漆黒の天へ向けて差し出す。そして、呪文の詠唱が始まった。

 バクヤは、闇が蠢くのを見る。この地下墓地を覆っている巨大な半球形の岩で出来た天蓋の下で、闇が渦巻き形をとりつつあった。

 渦巻く闇。邪悪な瘴気を放つその黒い塊たちは、飢えた呻き声をあげながら次第に近づいてくる。その黒い塊は羽竜の形をしていた。

 冥府の闇を切りぬいたような黒い翼を持つ羽竜たちは、鋸のような牙がはえた口をがちがちと鳴らしながら近づいてくる。その闇でてきた生き物たちが放つ瘴気は、バクヤの全身から力を奪い去ってゆく。バクヤは全身が自然に小刻みに震えだすのを感じた。凄まじい冷気があたりを覆ってゆく。

 フレヤが切り捨てた闇の獣たちより、格段に強力な力を持つ存在らしい。ヌバークは、呪文を唱えようとする。ヴァルラがそれを制した。

「必要ない」

 ヴァルラは静かな笑みを浮かべ、邪念が造りあげた竜巻のような羽竜たちを見つめる。まるで愛しいものを見つめるかのような眼差しだ。

 羽竜は叫び声をあげる。それは、無数の絶叫へと高まっていった。羽竜たちは闇色の矢となってヴァルラの元へ殺到する。

 突然。

 ヴァルラの頭上に漆黒の槍が出現する。

 槍は、羽竜を櫛刺しにした。闇が蠢き、羽竜は消滅する。

 ヴァルラの頭上で闇が裂けた。その闇の裂け目から、精悍で巨大な闇色の馬が出現する。そして、その馬には闇色の鎧を身につけた騎士が跨っていた。

 その騎士は巧みに漆黒の槍を操る。その槍は空間そのものを切り裂いているようだ。

ヴァルラを襲おうとしていた羽竜たちは、空間の裂け目へと吸い込まれていった。

 全ての羽竜は消滅する。

 ウルラは力つきたように、湿地帯の中へ膝をついた。その前に闇色の騎士が立つ。

 黒い槍は、ウルラの心臓を貫いた。一瞬にして、ウルラの身体は空間の裂け目へと呑み込まれる。首だけが残り、静かに水の中へと落ちた。

 一瞬。

 ウルラの瞳がヴァルラを見つめた。その口元には笑みが浮かんでいるようだ。

 そして、水面に波紋を残しウルラの首が消えてゆく。

 漆黒の騎士も、再び中空に出現した闇の裂け目へと吸い込まれていった。

「行こうか」

 嘲るような笑みを浮かべたブラックソウルがヴァルラに声をかける。

「ガルンが冥界の底で待っているはずだ。あそこで決着をつけよう」

 ヴァルラはゆっくり頷いた。


 静かだった。

 そして青い。

 空は晴れ渡り青く広がっている。天頂は遥かに高く、微かに暗い。足元には湖がある。サファイアの輝きを持つ水は、漣を立てることもなく鏡面のように静まり返っておりそして輝いていた。

 フレヤはゆっくりと、湖の岸辺を歩く。

 そこは、小さな島だ。古代の遺跡に残された塔のように聳え立つ木々が、その島の陸地を覆っている。巨大な木に満たされた林の中は、鬱蒼として昏い。フレヤは、その林の中へと向かい歩き出す。

 ものいわぬ緑の巨人のような木々の足元を歩いてゆく。荘厳な空気を湛えたその林の奥には、小さな小屋がある。白亜の大理石によって造られたその小屋は、神の墓のように重苦しい佇まいと静かで神聖な空気をあわせ持っていた。

 フレヤはなぜ、自分がここにいるのだろうかと思う。

 アルケミアにいた記憶はある。そして、デルファイでのアリス・クォータームーンとしての記憶もあった。

 しかし、そのどちらも夢の中のできごとのように遠いものだ。どちらもある意味ではリアルであり、どちらも別の意味では自分のことでは無い気がする。

 フレヤは、自分の身体を見下ろしてみた。

 まるで、屍衣のように白い長衣を纏っている。手に剣はなく、また鎧もつけていない。そのことにさして疑問を感じない。

 ここはそういう場所のようだ。戦いの行われる場所ではない。

 そして、林の奥の小屋から招かれているのを感じた。

 そこに待つものがいる。

 フレヤは白亜の小屋の前に立った。中は薄暗く、よく見えない。木の扉がゆっくりと開いた。

 一人の男が現れる。フレヤはその男を知っていた。その名を呼ぶ。

「ラフレール」

「やあ、フレヤ。いや、それともアリスと呼ぶべきなのかな。ようやく再び会うことができた」

 フレヤは、自分がラフレールと同じ背丈であることにさして疑問を感じていない。

自分は巨人ではなく、また、アリスでもない。何者であるかは、おそらくこれから決めることになるのだろう。

 フレヤはラフレールにすすめられるまま、小屋のテラスに置かれた椅子に腰をおろす。ラフレールはフレヤの前に座った。

 伝説の魔導師ラフレール。

 かつて会ったときとは少し異なる、穏やかな笑みを浮かべていた。青春の神を思わせる若々して美貌には変わりがない。

 どこか魔族にも似た、年を経た古きものだけがもちうる淀んだ空気を纏った人間。

しかし、その姿は青年のものであり、その笑みは慈愛すら感じさせるものだ。

 フレヤは口を開いた。

「ここはどこだ」

「アイオーン界の最奥だ。ウロボロスの輪によって閉ざされたもっとも奥深いところ。

いかなる邪神とて、ここまでは来ることができない。唯一黄金の林檎の力を使うことによってのみ、ここへ来ることが可能になる」

「では、おまえは望みを果たしたということか」

「いや」

 ラフレールは少し哀しげに首を振る。

「これからはじめるのだ。黄金の林檎の封印をね。フレヤ=アリス。君にも協力してもらうことになる」

「私がおまえに協力するというのか?」

「君はもうラーゴスのフレヤではなくなった。あの氷原を渡るブリザードのような巨人戦士ではなくなった。そうだろう?フレヤ=アリス」

 ラフレールの言葉に、フレヤは頷いていた。

 自分はもう、何者でもない。


 闇が井戸の底に水が溜まるように、あたりに満ち溢れていた。

 そこは巨大な砲身の中のようだ。バクヤはアルケミアの巨大な円筒形になっている山の中心部に、この広く深い竪穴があると直感的に理解する。自分たちはまさに、アルケミアの中心奥深くに入り込んでいるのだ。

 竪穴の壁にある螺旋階段をバクヤたちは、延々と降りていった。まるで時間が消えてしまったような気がする。先頭を歩く二人の魔族からは、何か奇妙な力が放出されているようだ。バクヤは古代の領域に入り込んだときに感じるあの特有の感覚、空間が歪んでいくような感覚を味わっていた。

 その深い竪穴の底は、唐突に現れる。無限に続くかのように見えていた階段は突然立ちきれ、漆黒の湖のような冥界の底につく。

 黒衣のロキは闇の中に身体が溶け込んでしまって、顔だけが宙に浮いた仮面のように浮かび上がっている。

「ではここが、」

 ロキは魔族たちに語りかけた。

「魔族の王族のみが訪れることができるという、冥界なのか」

 闇の中で漆黒の獣が吐息をはくように、ヴァルラは笑った。

「そうだ」

 ヴァルラの黄金の瞳は、宵の明星のように闇の中で光っている。

「世界の秘密が隠された場所だ。本来我ら王族だけが知るべきものである世界の秘密がな。ここから先へゆくものは覚悟しなければならない。自分たちが失い、自分たちが得ることを」

 ブラックソウルは苦笑する。

「先を急ごう。ガルンが待ちかねているはずだ」

 ヴァルラは頷くと、壁の一箇所に手を当てる。壁の一部が消失し、トンネルが姿を現した。ヴァルラはその中へ入り込む。バクヤたちは後に続いた。

「世界の秘密ってなんのことや」

 バクヤは傍らを歩くヌバークに声をかける。

「王族だけの秘密を私が知るわけないだろう」

 ヌバークの答えにそらまあそうやけどとバクヤは呟く。ブラックソウルが苦笑しながら言った。

「行けば判る。ただヴァルラの言ったとおり覚悟は必要だ。その秘密を知ったからこそ、ガルンは狂った」

 トンネルは完全な闇だった。その闇の中をかなり速い速度で移動してゆく。先頭を歩く魔族の金色の髪は、闇の中でも残照のように浮かび上がり目印となる。

 結構長いトンネルだった。バクヤは何か、巨大な生き物の体内を走り抜けているような気分になってくる。

 トンネルは竪穴の階段と同じく、唐突に終わりを告げた。

 再びバクヤたちは薄明の世界へと出る。

「ここは…」

 バクヤは目を見張った。そこは巨大なドーム状の場所だ。半球形の天蓋が頭上を覆っている。その天蓋が薄く光を放ち、あたりを照らしているようだ。

 バクヤの目を引いたのはその円形をした場所の、中央に置かれている物体だった。

それは巨大な柱へ磔にされた巨人のようにも見える。しかし、その巨人は生き物には見えない。

 デルファイへ行く前に見ていれば、それが何であるか理解できなかっただろう。しかし、今のバクヤにはデルファイの記憶がある。その記憶がバクヤに囁きかけた。あれはロボットと呼ばれるものだと。

 金属で造られた身体。

 高さは10メートルもあるだろうか。

 その全身へ接続されたケーブルやパイプ、様々な計器類は間違いなくデルファイで見たものと同様の種類に属するものだ。

「ここは確かグーヌ神のおる場所やなかったか?」

 バクヤの呟きに、ヌバークがかすれた声で答える。

「そうだ」

「じゃあ、あれはなんや」

「グーヌ神でしょ」

 エリウスが、あっさりと言った。ヌバークは膝をつく。

「どういうことだ?」

「神とは機械なんだよ」

 ブラックソウルはそっけなく言ってのける。

「デルファイの言葉を使っていえば星船、つまり宇宙船を修理して再びディープスペースへと戻すための、いうなれば宇宙船の自己修復用外部稼動モジュールと言えばいいだろうな」

「それなら人間は」

 ブラックソウルはいつもの嘲るような笑みを浮かべて、ヌバークの問いに答える。

「ま、機械の修理のために別次元界からつれこまれた哀れな家畜というところだよ。

ヌバーク、憶えといたほうがいい。肌が白かろうが黒かろうが機械にとっては同じ存在、道具みたいなものだ」

 哄笑が響く。

 グーヌ神と呼ばれる巨大ロボットの上に、漆黒の天使が立っていた。

 ガルンである。


 ラフレールは穏やかにフレヤに微笑みかける。

「君は知りたいのではないか?あのデルファイでの経験が、なんだったのかということを」

 フレヤは無言でラフレールを見つめている。

 ラフレールはフレヤの答えを待つことなく、言葉を続ける。

「あそこでのできごとは、過去に起こったことを忠実になぞったにすぎない。君は過去の新宿でグランドゼロに侵入し、そして巨人に出会った」

「あの巨人は」

 フレヤはどこか戸惑っているかのような眼差しをラフレールへ向ける。

「私なのだろう」

「そうだ。あの時君たちは一体化した。そして、フレヤ。君が造りあげられたといっていいだろう」

 ラフレールは頭上を指差す。

「見たまえ」

 風景が一変した。晴れ渡っていた青空はかき消すように闇へ呑まれる。漆黒の幕が空に引かれたように、夜空が現れた。そして、巨大な褐色の星がその夜空を覆っている。巨大な星には帯状の模様があり、ところどころに大きな渦がみえた。それはとてつもなく巨大な惑星のようだ。その様は天空を支配する巨神を思わせる。

「天空を覆う巨大な惑星があるだろう。あれが木星だよ。そして、その軌道上にあるものを見てみたまえ」

 ラフレールの指差すほうを、フレヤは見つめる。巨大な惑星の軌道上には、細かな隕石群から構成されているらしい輪があった。その輪の表面に黒い巨大な物体がある。

円筒型をした漆黒の物体は、ゆっくりと木星の周囲を回っているようだ。何か壮大な墓標が宇宙を漂っているように思える。

「あれがクラッグスと呼ばれるもの」

 フレヤは息を呑む。

「クラッグスとは唯一絶対なる神であり、宇宙そのものであると聞いたが」

「そうだよ。しかし、その実体は外宇宙から飛来した宇宙船に過ぎない。クラッグスはなぜかそのユニットの一部を放出した。そのユニットのコア部分が黄金の林檎と呼ばれるものだ。そして、そのコア部分を監視するためにヌースとグーヌ、二つのモジュールが付加されていた」

「では黄金の林檎とは」

「クラッグスが制御できない何ものか。はっきりとは判らない。そしてその黄金の林檎が搭載されているユニットから巨人たちが造りあげられた。君が同化したのはその巨人だよ。巨人を構成していたなんらかの物質は君の体内に入り込み、君と一体化している。君は既に半分は人間であり、半分は異星の生命体だといえるだろう」

 フレヤは肩を竦める。

「私は結局異星人とのハイブリッドというわけか」

 ラフレールはフレヤを見つめる。空を覆っていた木星は姿を消し、闇は急速に薄れていく。再び青空が戻っていた。ラフレールは謎めいた笑みを見せる。

「元にもどりたいと思わないか?」

「どういうことだ」

「再びアリス・クォータームーンと巨人の二人に。同化しているものを再び分化するのだよ」


 大きな黒い鳥が舞い降りるように、ガルンはバクヤたちの前へ降り立った。死の天使を思わせる黒く美しい顔が、バクヤたちに向けられる。穏やかな、しかし冷酷な笑みがその口元には刻まれていた。

 そして、その手にはあのデルファイで見た拳銃が握られている。砂漠の猛禽という名の拳銃。

 バクヤは、漆黒の左手を前に出し構えをとる。エリウスも剣の柄に手をかけた。

「慌てることはない。久しぶりの再会だ。ゆっくりと語らおうではないか、もっとも」

 ガルンは穏やかに言った。

「おまえたちがおれを破壊することは多分、できないがな」

 バクヤはそれを事実として受け入れざるおえないと思う。デルファイのロボットと、ガルンの機械で造られた身体が同等のものであれば、その身体に傷をつけることができるのはエリウスの剣だけだろう。しかし、エリウスが剣を抜く前にガルンの放つ銃弾が、エリウスを殺すに違いない。

「さて、なぜおれがデルファイで得た身体をこのアルケミアに持ってくることができたのか、不思議に思っているだろう。ヴァルラ」

 ヴァルラは明けの明星のように黄金に輝く瞳で、ガルンを見つめている。その表情からなんの感情も読み取ることができない。

「あそこは、お前も知っているとおり夢を見させる世界だからだ。記録してある過去を呼び覚まし、過去の出来事を夢に見させる仮想世界。しかし、アルケミアには生身の身体を情報の形へ変換し仮想世界へそのままロードするシステムが存在する。私はそれを逆に作動させたのだよ。情報を変換し物質を生成する。正確にはダークマターの位相を変換したというべきなのだが」

「禁呪を行ったな、ガルン」

 ヴァルラの言葉に、ガルンは哄笑をあげる。

「その通り。それがどうした。おれがこれからしようとしていることに比べれば」

 ブラックソウルは狼の笑みを浮かべて言った。

「神を殺すつもりだな」

「そうだ!」

 ガルンは高揚した声で語る。

「殺すとは正確ではないな。見てのとおりこれは機械に過ぎない。破壊するというべきか」

 ヴァルラはうめく。

「できるのか、お前に」

「ああ。そもそもおれはこの世界の欺瞞に気がついたときに、そうすべきだったのだ。

おれたちは所詮機械に使役される僕にすぎない。ヴェリンダ。お前は正しいよ。神など全て破壊すべきなのだ」

 ブラックソウルは醒めた声で言う。

「お前はそれがどういうことか、判っているのか?」

「神に刃を向けたものはいない。それは、もしかしたら神を破壊することにより大きな力の介入があるかもしれないからだ。神よりも上位の存在によって全てが抹殺されるかもしれない」

 ガルンは楽しげに言った。

「おれにはこの世界が死滅したところでなんの意味もない」

「愚かだな、お前は」

 ヴェリンダが冷然として言い放つ。

「なんとでも言え!世界を破壊しようと望んだのはお前だ、ヴェリンダ」

「違うな」

 ヴェリンダは静かに言った。

「お前は王家の秘密を中途半端に理解しただけだ。私の望みはお前には理解できぬ」

「戯言はたくさんだ、全て終わらせる。お前ではなくおれの手によって」

 ガルンは狂おしく叫んだ。

「どうだ、それでもおれを憎まぬというのか、ヴェリンダ」

 ヴェリンダは薄く笑う。

「そうだな、哀れみなら感じているよ。おまえは自らの意思で虫けらの道を選んだ。

そういう意味では人間ども以上に惨めで無様だ」

「ほざけ!」

 ガルンは右手を掲げる。夜明けを告げる黄金の光がそこに宿った。あらゆる地上の輝きよりも尚、激しく暴虐に煌く光。黄金の林檎が降臨する。

「やめろ」

 ヴァルラは叫ぶ。

「お前は何も判っていない。神が機械にすぎないのなら、それはなんだ。黄金の林檎も機械が生み出したという気か」

「どうでもいい」

 光に包まれたガルンは、憑かれたものの口調で語る。

「どうでもいい。世界がおれにとって無意味であるという事実以外はな。ヴェリンダ。

おれの心がお前にとどかぬのなら、全てを終わらせる」

 ヴェリンダは夢見るように黄金の林檎を見つめて言った。

「好きにすればいい」


「今なら判るだろう、フレヤ。お前が記憶を封印しなければならなかった理由が」

 ラフレールの言葉に、フレヤは無言で頷く。

「お前は二重の記憶を持ちながら、世界が変貌していくのを見つめていた。全ての人間が小さくなっていくのを。科学技術によって形成された文明が崩壊し、魔法が世界を蹂躙していくのを。そして、魔族が支配を確立し天使たちと無限に近い時間の中で戦争を繰り広げるのを。お前は数億年、永劫ともいえる長い年月をアリスとしての記憶を保ちながら見つづけてきた。お前はそれに耐えられず記憶を封印し眠りにつくことを望んだ」

 フレヤは何も答えない。ただ黙ってラフレールが語るのを聞いている。

「ゼータ機関は幾度かお前以外にも巨人と人間の融合を試みている。お前以外にも融合した巨人はいた。しかし、お前ほど完全に融合することはできなかった。皆狂ってゆき、やむをえず眠りにつかされた。最後に残ったのが一番最初に、そして偶発的に融合した巨人であるお前だというのは、奇妙な運命のめぐり合わせというべきだろうが。まあ、神と呼ばれる存在の仕組んだことなのかもしれないがな」

「それで」

 フレヤは静かに言った。

「どうやって分離する気だ?」

 ラフレールはそっと微笑む。

「私はこのウロボロスの輪の中に入ってからずっと、ウロボロスの輪を調べ続けた。

むしろ、ウロボロスの輪とは何かを知るためにここへ来たというべきなのだが」

 ラフレールはどこか楽しげですらある。

「ウロボロスの輪を私は、完全に理解できていなかったことを知ったよ。妖精城で君を封印できなかったのはそのせいだ」

 ラフレールは上機嫌で言葉を続ける。

「さて、君が巨人と融合したのは、そもそも黄金の林檎の力が作用したためだ。ウロボロスの輪とは、女神フレイアがこの世界に侵入したときにできた裂け目。そして、この世界がある意味裏返った部分といっていい。黄金の林檎と対を成し、世界の裏側へと続く亀裂。つまりそこには、黄金の林檎の力を無効化する作用が存在する」

 ラフレールは真っ直ぐフレヤを見つめた。フレヤは無言だ。

「では、君に働いている黄金の林檎の力を消すにはどうすればいいか。簡単だ。ウロボロスの輪を使えばいい。そして、君が分離されれば世界に黄金の林檎を繋ぎとめている力も同時に失われる。私は再び黄金の林檎を手中に収める」

 ラフレールは立ちあがった。

 フレヤも同時に立ちあがる。

「見たまえ」

 ラフレールは足元を指差す。

 暗黒の輪がそこにあった。フレヤには見覚えがある。それはウロボロスの輪であった。かつて見たものより規模は小さいが、同質のものであることは理解できた。

 世界の裏側へと続く亀裂。そして、ラフレールの言葉を信じるなら、その暗黒の世界の奥底はおそらく黄金の林檎へと繋がっているのだろう。

「これが何か理解できるだろう」

 ラフレールの言葉にフレヤは頷いた。

「君が決めるがいい。この向こう側で君は巨人とアリスに分離される。君の意思のもとに行われなければ、意味はないのだよ」

 フレヤは一歩踏み出す。

 暗黒の輪へと。


 黄金の林檎は剥き出しにされた残虐さで、冥界に光を溢れさせる。それは狂乱の太陽として、空間を支配していた。

 その理から離れた暴虐の力は、空間を変質させてゆく。ガルンは見事に黄金の林檎を、世界の外部の表象をコントロールしていた。狂った精霊たちが呪われた舞踏を舞うように、光が機械で造られた巨人に纏わりついてゆく。変容していく空間ごと神を破壊するつもりらしい。

「させるか」

 ヴァルラは叫ぶ。

 そして、その頭上に闇の裂け目が生じた。

 あたりを満たす黄金の光を拒絶する、真の闇。その暗黒の亀裂から、闇が現れる。

 漆黒の騎士。

 星なき夜の聖なる闇を纏った暗黒の騎士は、槍を構え巨大な馬に跨っている。あのウルラを葬った闇の騎士だ。

 ただ、ウルラを葬ったときと異なり、その全身は揺らめく黒い炎に包まれ、また槍の先からは青白い雷光が放出されている。雷光は蛇の舌のように黒い騎士の槍を舐めまわす。

 ヴァルラはガルンを指差した。

 暗黒の騎士は漆黒の暴風のように、ガルンめがけて走り出す。

 黄金の林檎は猛々しい光を放ち、暗黒の騎士を拒んだ。

 暗黒の騎士は、ガルンの前に突然出現した金色に輝く壁へ激突する。

 その時。

 黄金の林檎が光を失った。

 あたりに満ち溢れた凶悪な力の放流は、一瞬消失する。

 暗黒の騎士が激突した黄金の壁は、砕け散ってゆく。闇と黄金の光がぶつかりあい、天上から彗星が墜ちてきたような爆発が生じた。巨大な蛇がのた打ち回るように青白い雷光が弾け、黒い炎が金色の壁を覆い尽くす。漆黒の嵐がガルンのまわりで荒れ狂う。

 ガルンの視界は閉ざされた。

 その時、エリウスたちの頭の中にヴァルラの声が轟いた。

『エリウス王子、ガルンを斬れ!』

 エリウスはノウトゥングを抜く。その半ばで刀身を立ちきられた剣は、涼やかな煌きを見せる。

 しかし、バクヤは見た。ガルンが狂乱する闇に包まれながらも、その向こうで正確にエリウスめがけてデザートイーグルの照準を合わせるのを。

 バクヤは感じる。エリウスが、ホロン言語を使用した超高速の世界へと移行していったのを。自分自身がやはりホロン言語でより速い時間の流れに意識をゆだねたため、それを感じることができた。

 そして、驚くべきことに、ガルンの速度もエリウスと同レベルに上がっている。いや、エリウスとガルンが身を置いている時間流は想像を絶するレベルへ達しつつあった。バクヤですら辛うじて、感じることができる世界だ。

 一瞬。

 バクヤは漆黒の嵐が消失し、黒い巨人が立っているのを見た気がする。

 その巨人は、柱へ磔にされていたはずだった。つまり、邪神グーヌ。神がガルンの前に立っているビジョン。

 全てがあまりに高速で動いているため、バクヤには捉えることができない。

 しかし。

 エリウスたちにとっては永遠にも匹敵するような瞬間だったのかもしれない。

 そして、漆黒の嵐の向こうで、ガルンがトリッガーを引く。


 そこは荒野だった。

 血で染め上げられたような真紅の太陽が、瓦礫に埋もれた廃墟の向こうへゆっくり沈んでいく。まるで巨獣の屍のような塔の廃墟が、紅い天空めざし聳え立っている。

それは神の墓標のようでもあった。

 広い。

 アリス・クォータームーンは、そこが新宿と呼ばれていた場所であることを知っている。しかし、そこは驚くほど見晴らしがよかった。廃墟の向こうには血の色に輝く海が見える。

 全ては瓦礫となった。

 何もかもが破壊されつくしている。そして、地上も天空も全てが紅く染め上げられていた。

 アリスは、手にしたアサルトライフルを杖にして立ち尽くす。ここがデルファイと呼ばれる場所なのか、時間を超えて過去にきたのかアリスには判らない。ただ、自分がフレヤと分離したことは確かなようだ。酷くあっけない気がする。

 自分の足元には湖があった。

 すり鉢状に窪んだ地の最も深いところにある湖。

 それがグランドゼロと呼ばれていた場所であることを、アリスは知っている。そして、その湖はこの真紅に染め上げられた世界の中でたった一つ青かった。

 青い湖。

 その奥深くに、巨人たちが眠っている。

 この世界で自分は、巨人と融合しなかった。ゆえに、黄金の林檎も降臨しなかったようだ。そして、魔道が支配する世界も実現しなかったということになる。

 アリスはウロボロスの輪を感じた。

 おそらくここは、ウロボロスの輪によって閉ざされた世界。

 ふと、気配を感じアリスは振り向く。

 巨大な黒い影が自分を見下ろしている。

 真紅の世界の中に立ち尽くす、漆黒の影。その身体は機械で造られているようだ。

黒い装甲を持ったロボット。その身の丈は5メートルほどだろうか。

 ロボットは、アリスに語りかける。

「私は君たちがグーヌと呼ぶ存在だ。神と呼ばれるものでもある」

 アリスはグーヌと名乗ったロボットに問い掛ける。

「しかし、あなたは機械なのだろう」

「そうだ」

 グーヌは答えた。

「いや、機械だったというべきなのだろうと思っている。私は私がかつてそうであったものとは、違うものであることを知っている。しかし、そもそも君たちがクラッグスと呼ぶ宇宙船にしたところでそれを機械と呼ぶことに私はためらいがある」

「なぜ」

「クラッグスには宇宙がビッグバンを経て、現在の形に形成されるまでの記録がある。

そして、クラッグスの記録には、その宇宙の形成そのものをクラッグス自身がコントロールしていた形跡がある。クラッグスは宇宙を造りあげたといっても過言ではない」

 アリスは首をかしげる。

「おかしいな。いずれにせよ、機械なのだから、誰かが造ったものなのだろう?」

「誰か造ったものがいるとすれば、宇宙が造られるより前に存在する誰かということになる。しかし、そんなものはいない。いるはずはない。クラッグスには宇宙でおきたことの全てのデータがある。そして、今後起こることの全てのデータがある。それらは決定されたことだ。いや、決定されていたこと、というべきなのだろうな」

 アリスは苦笑する。

「何が言いたい」

「クラッグスは全てをコントロールしていた。ただひとつ。フライアと呼ばれる存在の侵入を除いては」

「フライアとはなんだ」

「判らない。その中心となる部分が黄金の林檎だ。私たちはフライアと接触したことによって異質なものへと変貌してしまった。既に私たちは、自分が何ものであるかを理解していない」

 グーヌは言葉を切った。

 しばらく沈黙が降りる。

「しかし」

 グーヌはその沈黙を破る。

「おまえは、自分が何者であるかを知っているのか、アリス」

「人間だよ」

「だが、お前の手にしているのはなんだ?」

 アリスは驚愕する。

 手にしていたはずのアサルトライフルは消え、剣がある。身に纏っているのは戦闘服ではなく純白の鎧。

「問題は、何者であるかということではなく、何を成したいと思うかではないか?」

 グーヌの言葉にアリスは頷く。

「確かにな」

「ではお前は、この死せる世界の中で朽ち果てることを望むのか?」

「しかし、これが世界の本来あるべき姿ではないのか?」

 グーヌは首を振る。

「真にあるべき姿などない」

「だが、あなたが言ったようにフライアの侵入がなければ」

「いや」

 漆黒の巨人は厳かに言った。

「世界に外部などないのだよ。クラッグスは世界を閉ざそうとした。しかし、閉ざしきれぬものが残った。それがフライアなのだ」

 グーヌは少し苛立ったように問いかける。

「二つに一つだ。全てが死滅してゆく世界で朽ち果てるか。あらゆるものが変化し生成してゆく世界の中で、全てを閉ざそうとする力に逆らって生き続けるか」

 その時、アリスは自分の周りを、暗黒の輪がとりまいているのに気がついた。ウロボロスの輪。それがアリスの全身に纏わりついている。

「選べ、死せる女神の娘よ」

 グーヌの言葉に促されるように、フレヤは剣を振り上げた。


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