第8話 微睡ミノ巫女3
必死で走る美咲の後ろを、2メートルぐらいのヒヒの妖怪が追いかけてきていた。
「オソイゾ! ニンゲン!」
その気になればいつでも追いつける、とでも言うかのように、ヒヒは手を抜いて走っている。
なんでいつも私ばっかり……っ。
美咲は幼い頃から、妖怪の姿を見る事が出来たせいで、小学生の時は人間からも妖怪からもよくからかわれていた。
そんな心ない同級生から逃げる様に、彼女は家から少し離れた所にある中高一貫高に入学する。
それからは、同級生にからかわれない様に、美咲は妖怪を見かけてもなるべく反応しない努力を必死にし、妖怪と遭遇しないようなるべく早く家に帰っていた。
おかげで彼女は、ドジっ子という属性を得るのと引き替えに、無事高等部へと進むことができた。彼女は
そんなある日、別教室での補習を終えた美咲が、荷物を取るために誰もいないはずの教室に戻ると、
「うわあっ!」
出入り口付近でいつもの様に、低級妖怪に足を引っかけられて転んだ。
いったあ……。
低級は彼女に足に纏わり付き、馬鹿にしたような顔で笑っている。
「離れてっ」
美咲は何とか追い払おうするが、低級は手を巧みにかわして上手く行かない。
……どうしよう。
追い払うのを諦めて立ち上がると、低級は彼女に膝かっくんをしてきた。
「ふぎゅっ」
踏ん張れずに尻餅をついた美咲の目に、まだ動いていないストーブの傍で微睡む少女の姿が写った。
……狐の、耳? もしかして、妖怪?
その頭には、半透明な狐の耳とふわふわの尻尾が生えていた。
時折小さく動くそれを凝視していた美咲は、その少女から低級とは格の違う気配を感じた。
足に絡みつく低級を引きずりながら、美咲は少女を起こさないように四つん這いで自席まで移動した。
「きゃあっ!?」
イスの背もたれに手をついて立ち上がろうとしたが、低級にそのイスを倒されてしまい、彼女は俯せに倒れ込んだ。
「……んあ?」
イスの倒れる音に起こされた少女は、眠そうな顔で美咲を見た。
あわわ! どうしよう! 起こしちゃった!
欠伸を一つして立ち上がった少女は、ふらふらと美咲の方に歩いてくる。彼女は、もしかしたら連れ去られるかもしれない、と身構えた。
「……悪戯しちゃ駄目でしょ?」
だが、少女が見ていたのは美咲の事ではなく、その近くにいる一つ目の低級の方だった。
「――ッ!」
文句を言われた低級は逆上したのか、鋭く鳴いて彼女に襲いかかる。
「はいはい、暴れないの」
少女はそう言いながら、全くひるむ事無く素手で低級を鷲掴みにして、
「おとなしく住処に帰ってねー」
それを窓から外に向かって思い切り放り投げる。その姿はあっという間に夕闇へと消えていった。
美咲が呆然としている内に、少女は鞄を持って教室の外に出て行った。
お礼言わなきゃ……!
それからやっと美咲は立ち上がって追いかけたが、その姿はどこにもなかった。
その翌日。美咲は朝礼での点呼で、その少女がクラスメイトの狐宮舞姫だ、という事を知った。
それからのここ数日は、何とかお礼を言おうと何度もトライしたが、全て失敗に終っていた。
舞姫達に撒かれてから、やっと美咲は道に迷っている事に気がついた。
「きゃあっ!」
迷っただけならばまだマシなのだが、運悪く山から下りてきたヒヒの妖怪と遭遇してしまった。
「オマエ オレ ミエルナ? オモシロイ!」
驚いてつい反応してしまった美咲は、ヒヒに追い回されるはめになって現在に至っている。
「誰かっ!」
美咲は精一杯の声で叫んだが、逢魔が時の薄暗い田園地帯にいる人は皆無で、その上隠れられるような場所はどこにも無かった。
もう少しで、彼女がヒヒに捕まりそうになったその時、
「アツイ!」
何とか間に合った久遠の式神が、野球ボール大の火の玉をヒヒにぶつけた。それに怯んだヒヒはその動きを止めたが、対してにダメージを負っている様子はない。
な、何っ!?
、爆風に煽られて転んだ美咲は、腰を抜かして立ち上がれない。呆然と三体の式神とヒヒの戦いを見ながら、ここから離れよう、と彼女は後ずさりをする。
「ジャマダ!」
ヒヒは腕を滅茶苦茶に振り回して、自身の周囲を飛び回る式神を墜とそうとするが、それらの動きは速すぎてまるで掠りもしない。
「ガァアアアア!」
だが、しばらくして式神の妖力が切れてくると、その動きが大幅に鈍くなった。次々とヒヒによって破壊されてしまった。
「ハヤイダケ! ヨワイ!」
勝ち誇ったように叫んだヒヒは、美咲の目の前までのしのしとやって来た。
「オマエ カラダ ヒンジャク。デモ オレ タノシム」
美咲の両腕を押さえつけ、そう言って破顔した。
「――ッ!」
赤く輝くヒヒの目に怯える美咲は、恐怖の余り声も出せないでいた。
「やぁっ!」
「グワーッ!」
少し高めの気合いの声と共に、突如ヒヒの巨体が吹っ飛ばされ、近くの川の真ん中辺りに落水した。
えっ……!?
美咲が身体を起こすと、ヒヒを吹っ飛ばした人物が、彼女の目の前に背を向けて立っていた。
一瞬、彼女はそれ誰だが分からなかったが、金色の耳と尻尾ですぐに舞姫だと気がつく。
「ダレダアアアア!」
その直後、怒りの咆吼と共に川からあがってきたヒヒは、怒り心頭で舞姫の姿を見た。
「オマエ カラダ ホウマン! オレ オカス!」
すると、これでもかと鼻の下を伸ばし、ヒヒは実に下品な事を叫んだ。
「うわぁ……」
『黙れエテ公!』
その汚い発言に舞姫は顔をしかめ、久遠は管狐越しにぶちぎれた。周囲に浮かぶ管狐達の体毛が逆立っている。
「こっちに来なさい!」
「チチ! シリ!」
そう言って、舞姫が回れ右をして駆け出すと、ヒヒは美咲そっちのけで彼女の尻を追いかけ始め、あっという間にその姿が見えなくなった。
一人取り残された美咲を、久遠の式神が担いで運び、人気の多い大通りにまで連れて行った。
「オカス!」
舞姫の肢体に誘われたヒヒは、まんまと二人が待ち構えている林道までやって来た。
「黄金さん! 水葉さん! お願いします!」
「はっ!」
「なの!」
上級妖怪の二人が現われたことで、ヒヒは舞姫を追うのを止めた。
「コレ クラエ!」
そう言ったヒヒは、二人の内で弱そうに見えた水葉めがけて、足元にあったこぶし大の石を投げつけた。
「中級風情が何と無礼な!」
金色の狐の面をした黄金が、すかさずそれを剣で切り刻んで砂利に変えた。
「テッタイ!」
形勢不利と見たヒヒは、その場から離脱しようとしたが、
「逃がさないの!」
水葉が呼び出した大蛇が、ヒヒの身体に絡みついて動きを封じ、裾の下から出てきた少し小さい蛇がヒヒの足に噛みついて毒を注入する。
「カラダ ウゴカナイ……」
身体が麻痺して動けなくなったヒヒを、
「せいっ!」
「グワアアアア!」
黄金はわざと急所を外して斬りつけた。
「中級、何か言い残す事はありますか?」
「セメテ イノチ ダケハ……」
前のめりに倒れたヒヒは、自分の首筋に刃をあてがう黄金に命乞いをした。
「だ、そうですが」
それを聴いた黄金は
『ヒヒよ、二度と人里に下りてこぬ、と約束出来るならば見逃してやるぞ?』
久遠にそう訊かれると、ヤクソクスル! とヒヒは即座に回答した。
『ふむ。水葉よ、そやつを解毒してやるのじゃ』
水葉が指示通りに血清を打つと、ヒヒの身体の痺れが取れていった。
「早く山に帰りなさい」
剣をしまってそう言った黄金は、二人と共にヒヒの横を通って街の方へと去ろうとする。
「フハハハ! ユダン タイテキ!」
そう言ってガバッと起き上がったヒヒは、舞姫につかみかかろうと手を伸ばしたが、振り返った黄金に居合い斬りでその腕を切り落とされた。
「なんと愚かな」
侮蔑の表情を浮かべ、ヒヒにそう言った彼女は懐に飛び込み、
「アバアアアア!」
返す刀で容赦無く首を切り落とした。ヒヒの頭が落ちると同時に、その身体が後ろに倒れた。
「これで一件落着ですね」
「なの」
ヒヒの返り血を多少浴びた黄金は、刀身に付いた血を払って鞘に収めた。
「あー、疲れた……」
そう言った舞姫は、地面に座り込んで大きく息を吐く。
「お疲れ様です」
面を取った黄金が、舞姫の傍にやって来て彼女をねぎらった。ちなみにヒヒの死体と血は水葉の大蛇が綺麗さっぱり処理した。
『ご苦労じゃったの、皆の衆』
久遠の声と共に管狐が一カ所に集まって、空飛ぶ牛車に姿を変えた。
「ありがとう久遠」
「お気遣い感謝いたします」
「なのー」
三人がそれに乗り込むと、御簾が下りて社の方へと飛んで帰っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます