第9話 微睡ミノ巫女4

                  *


 その翌日。

 狐宮さん、大丈夫かなあ……。

 美咲はいつもより早い、朝七時半に学校へと来ていた。その他の生徒は、運動部以外は姿がない。

 教室の前に着いた彼女は、二、三度深呼吸をしてからゆっくりと戸を開ける。

 ……ああ、良かった。

 美咲の視線の先には既に登校していた舞姫が、自席に座ってぼんやりと外を眺めていた。彼女から生えている例の耳と尻尾は、今は引っ込んでいた。

「……どうしたの?」

 すぐに気がついた彼女は美咲に視線を向けて、今度は少し丁寧にそう訊ねた。

「あっ、あのっ! そそそ、その!」

 後ろ手に戸を閉めてそう言った美咲は、ロボみたいな固い歩きで舞姫に近寄ってきた。

「二回も、助けてくれて! あふぃがどうごじゃっ」

 ガチガチに緊張している彼女は、舌がもつれて滅茶苦茶に噛んた上、

「いだっ!」

 頭を下げたタイミングで、偶然その目の前を横切った、鈴の低級妖怪に勢いよくヘッドバットを喰らわせてしまった。

「はわわわ!」

 地面にぶつかって良い音を出した妖怪は、泡を食っている美咲を睨み付ける。

「まあまあ、わざとじゃないんだから」

 飛びかかろうとした低級を鷲掴みにした舞姫は、許してあげて、と言ったが、低級はリンリンと怒りが治まらない様子だった。

 あんまりにもうるさいので、窓を開けて管狐を呼んだ舞姫は、彼に低級をどこかに持って行くよう指示を出した。

 管狐が前足で低級を掴んで持って行くと、途端に教室は静寂を取り戻した。

「何度も、ありがとうございます……」

「お礼なんていいよ。私の気が向いただけなんだし」

 窓を閉めた舞姫は、大あくびをしてからそう言い、席に帰って机に突っ伏す。

「は、はひ……」

 もう一つ訊きたいことがあった美咲は突っ立ったまま、少しためらいがちに口を開いた。

「……あ、あのっ」

「ん?」

 舞姫は顔を上げて、口がぱくぱくしている美咲に目線を合わせた。

「その……、狐宮さんって、妖怪なんですか?」

 少しどもり気味にそう訊いてきた彼女に、

「うーん、ちょっと違うかな」

 自分の過去をザックリと説明をして、舞姫はまた机に突っ伏してうとうとし始める。

「そうなんですか……」

 その意外に重い話を聞いた美咲は、それっきり黙り込む。

「また何かあったら……、相談してね……」

 そう言って、眠ってしまった舞姫は、いつもと同じく耳と尻尾が顕現していた。


 その日の夕方。

 何事もなく無事に授業が終わり、美咲と舞姫は一緒に下校していた。今日も迎えに来た黄金は、二人の後ろを付いて歩いている。

「あ、そうそう。渡したい物があってね」

 舞姫は鞄の中を探って、小さな白い紙袋を引っ張り出して美咲に渡す。

「これは……、お守り、ですか」

 その中身は、舞姫の持っているそれとは色違いのお守りで、その表には金色の糸で神社の名前、裏には神紋が刺繍されていた。

「魔除けのお守りだよ」

 その中身は、昨夜の内に久遠が作った護符で、彼女の尻尾の毛が一緒に入っている。

「ありがとう、ございます」

 早速それを鞄に付けると、美咲の足を引っかけようとした低級が、思い切り吹き飛ばされた。

「久遠のお守りは凄いでしょ」

「そうですね……」

 美咲は低級が飛んで行った方を見て、感心しきりだった。

「……あの、狐宮さんは、何で他人の私にそこまで?」

 美咲は自分より少し背の高い、舞姫の顔を見上げてそう訊ねる。

「うーん、気が向いた、っていうのもあるんだけどね」

 今まで私、ずっと誰かに助けてもらってるから、私も困ってる人を助けたいって思ったからかな。

 舞姫は美咲を見返して、少し気恥ずかしそうにそう答えた。

「あ、じゃあその……。私っ、もう一つ困ってる事があって」

「何かな?」

 二人は歩道から川の堤防の道に、少し入って立ち止まった。横を通った自転車に乗る男子生徒が通過した。

「私、友達が居なくて……。だから……、狐宮さんにお友達になって欲しいなって……」

 もじもじしてそう言う美咲は、どんどん声が小さくなっていった。

「うん、良いよ」

「あ、ありがとうございますっ」

 緊張の面持ちだった美咲は、一気に表情を明るくして頭を下げた。

『良かったのう舞姫ぇ~!』

 すると茂みの中にいた管狐が、本人よりも喜んでいる久遠の大声を伝えてしまう。川縁で釣りをしていたおじさんが、ノイズみたいに聞えたその声に驚いて転んだ。

「久遠様、お声が」

『あっ』

 黄金にそのことを知らせられると、久遠はダラダラと冷や汗を流し始めた。茂みから出てきた管狐が、また舞姫に向かってペコペコと頭を下げている。

「……その声の人が、久遠さん、なんですね」

 声もその様子も見えていた美咲が、舞姫にそう言うと、

「そうだけど……、聞えるの?」

「はい。あと、そこにいる狐さんも見えます」

 初めて純粋な人間で見聞きできる彼女に、久遠達は少し驚いた。

『ふむ。ならば美咲とやら、舞姫と仲良くしてやってくれな』

 顔面に張り付くような勢いで管狐を近づけさせ、久遠は美咲にそう訴えた。

「あっはい……っ!」

「久遠、止めあげて」

 軽く引いている美咲を見て、舞姫は管狐を引っ張って遠ざけた。

「ごめんね、驚かせて」

「いえ、大丈夫です。……狐宮さんは、大事にされているんですね」

 申し訳なさそうに謝った舞姫と、三度頭を下げている管狐を見つつ、そう言った美咲は思わず表情をほころばせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る