第6話 微睡ミノ巫女1


 休み時間に入り、生徒達の談笑する声が、どっと教室内に溢れかえる。

 窓際の席に座る舞姫まいひめは机に突っ伏して、秋の穏やかな太陽を浴びていた。少し開いた窓からは乾いたそよ風が入ってきて、彼女が無意識の内に顕現している狐の耳と尻尾の毛を揺らす。それらは霊的な物であるため、一般人には見えていない。

「すぅ……」

 その喧騒をものともせず、舞姫はマイペースに熟睡していた。

 彼女は特に嫌われている、というわけでは無いものの、別に好かれても居ない彼女に話しかける者は誰一人としていない。

『む……、これはいかんのう……』

 窓から少し離れた所に生えている常緑樹の枝の隙間から、管狐が顔を覗かせていた。

 その管狐の目を通して、社の本殿にいる久遠くおんが完全なるボッチ感に溢れている舞姫を観察している。

『おっ?』

 久遠はそんな彼女の事を憂いでいると、一人のやや背が低い女子生徒が近寄ってきた。

「……っ」

 傍に来たまでは良かったのだが、彼女はハムスターのようにおどおどするばかりで、なかなか舞姫に話しかけられない。

「?」

 そうこうしていると、その女子生徒の気配に気がついた舞姫が、首だけ動かして彼女の方を見た。

「――ッ!」

 途端、彼女は顔を恥ずかしそうに赤くして、そそくさと逃げていった。

 なんだろう? 

 とは、思った舞姫だったが、余り興味をそそられなかったため、彼女はそのままその目を閉じる。半透明な金色の尻尾が、もそもそと僅かに動いた。

 自席で舞姫の事をちらちら見ていた女子生徒は、勇気を振り絞ってまた近寄ってきたが、先程と同じような反応をして離れていった。

 再び自席に戻った彼女が、もう一度行こうとしたその時に、次の授業の予鈴がなってしまった。

 それが鳴ると同時に目を覚ました舞姫は、さっきまで寝ていたとは思えない速さで次の授業の準備をし始める。目覚めと共に、顕現していたものは全て引っ込んだ。

「あわわっ」

 大慌てで準備していた女子生徒は、焦る余り手を滑らせて筆箱を落とし、中身を盛大にぶちまける。散らばった文具を集める彼女を見て、前に座っていた生徒がそれを手伝ってくれた。

美咲みさきちゃん大丈夫?」

「あ、ありがとうございますっ」

 美咲と呼ばれた彼女はペコペコ頭を下げて、前の席の子にお礼を言い、急いでイスに戻ろうとしたが、

「痛――っ」

 立ち上がる際に、後頭部を机の縁にぶつけてしまった。

「大丈夫か? 西浦にしうら

 チャイムと共に教室に入ってきた男性教員が、頭を押えて痛がる美咲へそう訊ねる。

「はひ……っ」 

 気恥ずかしそうな様子で、それに答えてから美咲は席に着く。

 舞姫を含めた数人を除く生徒達は、その様子を愛玩動物を見るような目で眺めていた。


 その後は特に波乱もなく授業が進み、教員は生徒達に少し時間を取らせ、解いた数式を黒板へと書く様生徒達に言う。だが、進んで前に出てきたのは、やけに背の低い女子生徒一人だけだった。

「野村の他にだれかいないか?」

 教室内を見渡した教員は、適当に何人かを選んで指名した。その中には、舞姫と美咲が含まれていた。

 舞姫はさっさと回答を写し終えて席に帰ったが、美咲は頻発する書き間違いを直しながら写しているせいで、一番最後まで教壇の上に残ってしまった。

 あわわ……っ!

 彼女がモタモタしている内に、余りやる気のなかった生徒達がこれ幸いとばかりに、他の人が書いた回答を必死に板書している。


 ギリギリ延長無しで授業が終り、昼休みになった。弁当を広げ雑談をする者あり、学食に行く者あり、売店に走る者ありと、教室は先程の休み時間よりもさらに騒々しくなった。

 美咲は今度こそ舞姫に話しかけようと、弁当を手になるべく早く近寄ったが、すでに彼女は夢の中だった。

「西浦さーん、一緒にお弁当食べない?」

 舞姫の三つ前に移動した、さっき文房具を拾ってくれた女子が、振り返って美咲を誘ってくれた。その正面には、髪の毛フワフワの野村と呼ばれた生徒がいた。

「あっ、はいっ!」

 美咲は声が裏返り気味になりながら、パタパタとその二人に駆け寄った。

「ん……」

 空腹を感じて目を覚ました舞姫は、机の横にぶら下がる鞄の中を探った。持ってきた小さなおにぎりを引っ張りだして、彼女は寝ぼけ眼でちまちまとそれを食べ出した。

 だが、美咲以外に舞姫を誘おうとする者は誰一人いない。

 もう少し待てばよかった……。

 気がついた美咲がその様子を見ていると、偶然舞姫と目が合った。ビクッと震えた彼女はまた、慌てて視線をそらした。

『ええい! なぜ誰も誘わんのじゃ!』

 あまりにも周囲から舞姫が放置されているので、

『……あっ』

 憤慨した久遠は声を消し忘れたまま、つい大声で怒鳴ってしまった。

「え、なに今の?」

「風の音じゃない?」

 幸い、久遠の声は人間には風の音にしか聞えないが、舞姫にはしっかりと聞き取れる。

「……」

 彼女はすぐに管狐の姿を発見し、ジト目でその姿を見ていた。

 すまん! 許してくれ舞姫!

 ジェスチャーを駆使して、久遠は必死に彼女へ謝罪する。

「まったくもう……」

 周りには聞えないようにそう言って、一つため息を吐いた舞姫は、水筒からお茶を飲んでからまた突っ伏して寝てしまった。

 結局、5時間目が始まるまで、舞姫が起きることはなかった。


 放課後なら……、と思っていた美咲だったが、彼女が帰り支度をしている内に、舞姫はもう教室から出て行ってしまった後だった。

「わわっ! へぶっ」

 それを慌てて追いかけようとして、机の脚に足を引っかけた彼女は、固い床で豪快にヘッドスライディングをするはめになった。

「おいおい大丈夫か?」

 担任のジャージを着た体育教師が、傍にやってきて美咲にそう訊ねた。周りの生徒達が、何事か、と彼女に目線を向ける。

「は、はひ」

 ロボットみたいな固い動きで、立ち上がった美咲の額は少し赤くなっていて、

「はわわわ!」

 鼻の穴から血が流れ落ち、彼女は慌てて鼻をつまんで曇った声を出した。

「……誰か保健室に付き添いを頼む」

 担任教師はポケットティッシュを取り出して、その中身を一枚美咲に渡した。

「すみません……」

 彼女はそれを筒状に丸めて、出血がある方の鼻に詰めた。

「じゃあ私が付き添います。じゃあ行こっか?」

「はいっ」

 前の席の女子生徒が付き添って、美咲は保健室へと向かった。


 美咲の額に湿布を貼り、ティッシュ箱とアイシングバッグを手渡した保健教諭は、何かあったら呼んでね、と言い残して職員会議に行ってしまった。

 何気なく部屋の中を見回していた美咲は、ベッドが一床使われている事に気がついた。

「?」

 それを囲うカーテンの隙間から、お守りの付いた学校指定の手提げ鞄が見えた。

 ……もしかして、狐宮こみやさん?

 舞姫の鞄に付いている物は、それと全く同じ紋が刻印されていて、同じような色だった。

 起こさない様にこっそりと忍び寄って、美咲は囲いの中を覗き込んだ。

「すぅ……」

 そこには予想通り舞姫が横になっていた。身体を丸めている彼女は、完璧に熟睡している。

『お、これはよい機会じゃな』

 久遠が操る管狐が、姿を消した状態でベッドの下から出てきて、顕現している舞姫の狐耳をつついて彼女を起こした。

「んにゅ……?」

 それに反応して、むくりと起き上がった彼女と、覗き込んだままフリーズしている美咲は、三度みたびばっちりと目が合った。

「あ、あわわ……っ」

「……何か用?」

 目をしばしばさせて首を傾げている舞姫が、ガチガチになっている美咲にそう訊ねると、

「いえっ! 特にっ! 起こしてすみませんでしたっ!」

 深々とお辞儀をした彼女は、大慌てでカーテンをしめて保健室から飛び出していった。

「久遠……、起こさないでって……、言ったじゃん……」

 恨みがましく管狐を見た舞姫は、大あくびをして身体を伸ばした。

『すまんすまん』

 じゃが流石に、何か用? は無いじゃろ、と久遠は、舞姫に苦言を呈した。

「……そうなの? じゃあ次から気を付けるね」

 そう言ってベッドから下りた彼女は、脇のイスに置いてある鞄を手に、昇降口へと向かって歩き出した。


「舞姫様、お荷物お持ちいたします」

 舞姫が校門から外に出ると、紺色の番傘を持った黄金こがねが待っていた。彼女は恭しく礼してそう言い、舞姫の鞄を預かった。

 穏やかに晴れていた昼間と一転して、空はどんよりと曇っていた。

「いつもありがとうございます」

「いえいえ」

 数ヶ月前に、舞姫が襲われて誘拐された一件があってから、黄金が彼女の通学時の護衛を買って出ている。

 いつもは藍染めの作務衣を着ている黄金だが、目立たないようにと、市街地に出る時は白いワイシャツに灰色のパンツを穿いている。

「舞姫様は、久遠様の大切なお方ですので」

 そう言った黄金は周囲を警戒しつつ、舞姫の隣を半歩下がってついて歩く。 

 坂を下りきった所で舞姫は、街路樹の枝の間に紛れている管狐を見つけた。

「黄金さん。久遠は少し、心配性過ぎると思いませんか?」

 彼女は苦笑いしつつ、そう黄金に訊ねる。

「そうですね……」

 黄金も常々そうは思っていたが、曖昧な答えを返して明言を避けた。ちなみに久遠は黄金にも護衛の式神をつけている。

「心配してくれるのは、ありがたいんですけどね」

 舞姫が寄ってきた管狐の頭を撫でていると、さらに黒っぽい色になっていた空から、ぽつぽつと雨が降ってきた。

「やはり水葉みずはの言う通り雨が降ってきましたね」

 黄金は持っていた番傘をすかさず舞姫の頭の上で差した。傘の下からはみ出している黄金が濡れないように、舞姫は彼女との間を詰めて歩く。

 久遠のもう一人の配下である水葉は、空気中の水分量で雨が降るかどうかが分かる。

 しばし、傘に雨粒が当たる音を聴きながら、二人がのんびりと歩いていると、

「舞姫様、何者かかつけて来ています」

 背後の気配に気がついた黄金が、声を潜めて舞姫にそう伝えた。

「妖怪……、ですか?」

 彼女が耳と尻尾を顕現させると、確かにもう一人分の足音が聞えた。

「いえ。少々霊力が高いようですが、間違いなく人間です」

 とりあえず様子見のために、気がつかないフリをしてしばらく歩き続けたが、その気配はずっと後を追いかけてきた。

「害はなさそうですが、少々厄介ですね」

 住宅街に入った所で、黄金はポケットから式符を取り出した。

 彼女は、失礼します、と一言詫びてから、舞姫の手を引いて急に路地を曲がる。

 すぐさま、雲のような式神を召喚した黄金は、舞姫を抱いてそれに飛び乗った。

「!?」

 姿を消して空高く浮かび上がった後に、二人をつけていた人間――、美咲がやって来て、混乱した様子で辺りをキョロキョロと見回していた。

「なんだ、さっきの子じゃん」

 雨雲の上に昇る直前に、舞姫はやっとそのことに気がついた。

「お知り合いでしたか」

 どうなさいますか? と、黄金に訊ねられたが、別にわざわざ降りる必要もない、と思った舞姫は、彼女に久遠と水葉が待つやしろに帰るように言った。

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