第5話 祭リ囃子ノ巫女2

 ややあって。

「あの男の事は忘れて、出店周りにでも行って来るがよい」

 境内から出られない久遠に気を遣って、良いのですか? と訊く黄金。

「気にするでない」

 第一、儂が行ったら目立ってしょうが無いからの、と久遠は苦笑して言う。

「それでは行きましょうか水葉」

「なの」

 二人が軒下に埋められた、庭石の上の履き物を履いた。

「久遠様、何か欲しいものあるなの?」

 水葉は振り返って、久遠にそう訊ねる。

「りんご飴を頼むぞ」

「了解なの」

 先に戸の所まで行った黄金に、水葉はパンプスをパタパタいわせながら追いつく。

「では行って参ります」

「うむ」

 軋むような音を立てて木戸が閉まると、手を振っていた久遠は再び扇風機の前に座る。

「……舞姫よ」

「なあに?」

「お主は行かぬのか?」

「ちょっと疲れたからやめとく」

「そうか」

 生ぬるいそよ風が、軒先につり下がっている金属の風鈴を鳴らす。それを合図にしたかのように、虫達が美しい鳴き声の演奏を始めた。

「ならば脚を揉んでやろう」

「ん、お願い」

 立ち上がった久遠は、扇風機の首を舞姫の方向に向け固定した。それから顎の下に畳んだ座布団を敷いて、俯せになった彼女の横に座る。

「では始めるぞ」

 管狐が持ってきたタオルを舞姫の太腿に乗せ、彼女の引き締まっていながらも、柔らかな脚をとって膝の上に乗せる。

 久遠はその弾力のある肌の奥の、凝っている筋肉をもみほぐしていく。

「痛くないかの?」

「うん……、気持ちいいよ」

 舞姫は目を閉じて、久遠に身をゆだねている。

「……疲れた、ていうのもあるけどね」

「うむ?」

 金色の長い髪が風にそよいで、久遠自体が薄く輝いているように見える。

「最近、二人きりでいられないじゃん?」

 黄金と水葉がやって来て、家が賑やかになったのは良いが、その分二人きりで過ごす時間が減ってしまっていた。

「そうじゃのう」

「でしょ。ん……」

 特に凝っているふくらはぎを揉まれ、舞姫は気持ち良さそうな吐息を漏らす。

「友を誘って出店回りしても良いのじゃぞ?」

 これまで舞姫は、一度たりとも友達を連れてきたことがない。

「居ないからいいの」

 もう片方もお願い、と言って、舞姫は乗せる脚を交代する。

「……寂しくは、ないのかの?」

 憂いの表情を浮かべる久遠は、揉みながら舞姫にそう訊ねた。

 一人きりの寂しさや辛さは、彼女が一番良く分かっている。

「ううん、別に」

「なぜじゃ?」

「だって久遠がいるもん。だから要らない」

 平然としてはいる舞姫だが、久遠には何となくその背中が寂しそうに見えた。

「……舞姫。無理にとは言わんが、友人は作るべきじゃぞ」

 マッサージを終えた久遠は、穏やかな口調でそう言って、舞姫の頭元にやってきた。

「人が友を求めるのはの、それが必要じゃと分かっておるからなんじゃ」

 すると彼女は甘えるように、久遠の腿に頭を乗せた。その黒いセミロングの髪を、久遠は優しくかきなでる。

「でも、どうやって作れば良いか、全然分からないんだけど……」

 どうしたら良いのかな? と舞姫は頭を逸らして久遠を見る。

「すまぬ。儂にもよう分からんのじゃ」

 彼女を見下ろす久遠は、申し訳無さそうにそう答えた。

「まあそこまで急くことは無かろう。まだ人生は長いからの」

 その内出来るじゃろうて、と、舞姫のすべすべな頬に触れた。

「そうだね」

 その手に頬ずりして甘える彼女は、とても心地よさそうにしている。

「……友が出来ても、お主は儂を慕ってくれるのかや?」

 ふいに、久遠は畏れの表情を浮かべて、そう舞姫に訊ねる。

「当たり前でしょ? ……だって久遠のこと、大好きだもん」

 彼女は身を起こして久遠と向き合い、気恥ずかしそうに笑ってそう言った。

「儂もじゃあ!」

「ちょっ」

 先程のしっとりとした表情はどこへやら、目がハートになっていそうな顔で舞姫を押し倒した久遠は、その豊かな胸に手を伸ばす。

 舞姫はとっさに、のしかかる久遠の腰の辺りを掴んで横に転がす。

「痛いぞ!」

 転がって行った彼女は、その先にあったタライに頭をぶつけた。

「全くもう……」

 腕を組んで胸をガードする舞姫は、まだ早いよ……、と顔を赤くして小声でつぶやく。

「なんだ行かないのか――、あっ」

 こっそり林側の生け垣から忍び込み、庭木の低木の裏に潜んでいた神主が、しまった、という顔でひょっこり顔を出した。

「……忠告はしたはずじゃぞ?」

 口だけが満面の笑みを浮かべて、久遠は爪の先に狐火を灯す。

「ほぎゃああああ!」

 予告通り彼女は、容赦無く神主の生え際が後退しつつある髪に、炎で高温黒焦げパーマをかけた。

「ひどいやひどいや……」

 神主はグスグス泣きながら、速やかに去っていった。

「ふう、危なかったのう」

 一仕事やり終えた顔で久遠はそう言う。

「そうだね……」

 舞姫が乾いた笑いを浮かべていると、出かけていた二人が帰ってきた。

「……先程、泣いているあの男とすれ違ったのですが」

 アレは一体……、と困惑している黄金の横で、

「いい気味なの!」

 水葉が清々しい表情で、神主を見下すようにそう言った。その手に、リンゴ飴と焼きイカ三つを持っている。

「久遠様、買ってきたの」

 打って変わってほんわかフェイスの水葉は、リンゴ飴を久遠に差し出した。

「うむ、ご苦労じゃったの。さて、早速食べるかの」

 そう言って、久遠はつやつやしたその表面を舐める。珍しい事に高い砂糖を使っているらしく、口に残るしつこい甘さを感じなかった。

 小さなリンゴ本体を囓ると、その酸味が広がって砂糖の甘さがより引き立った。

「どう? 久遠」

「うむ、うまいぞ。舞姫もいるかの?」

 囓りかけのそれを舞姫に差し出すと、彼女は肯定して小さく囓る。

「美味しいね」

「じゃろ」

 他人が入れないような、甘ったるい空気を醸しだしている二人。

「む……」

 羨ましそうにそれを見て、むくれている水葉は烏賊焼きを一気に平らげた。

「……久遠様、水葉も分けていただきたいようです」

 片付けようとタライを抱きかかえていた黄金が、その様子を見かねて久遠にそう言った。

「欲しいなら欲しいと言うのじゃぞ」

「はい……、なの」

 水葉は嬉しそうに寄ってきて、半分ほどになっているそれを囓った。

「黄金も食うてみ?」

「いえ、私は……」

 遠慮するでない、と言って、立ち上がった久遠は黄金の側までやってきて、半ば強引に飴を口元に持ってくる。

「では少し」

 彼女は言葉通りに、ごく小さく飴を囓った。

「黄金はちと謙虚過ぎるぞ」

 残りを食べ終えた久遠は、まあ、そういう所を好いておるんじゃがの、と目を細めて小さく笑って言う。

「恐悦至極に存じま――ッ!」

 陶然として表情が緩んでいた黄金は、手を滑らせてタライを足の上に落とした。

「うぐぐ……」

 まさに天国から地獄の心持ちな彼女は、患部を抑えて悶絶している。その足元は中の水のせいでずぶ濡れになっていた。

「おいおい」

「大丈夫ですか?」

 洗面所に干してあるタオルを取ってきた舞姫は、すぐさまそれを黄金に手渡す。

「はい……」

 それから雑巾を引っ張り出してきて、濡れた畳の水気を拭きとる。

「黄金らしくないの」

「いえ、あまりにも嬉しかったもので……」

 黄金の足が赤くなっている部分を、水葉は氷の蛇で冷やす。

 顔を真っ赤にする黄金は、頭の中で同じ言葉をループしている。

「今後は気を付けるんじゃぞ」

 もう一枚雑巾をもってきた久遠は、舞姫の手伝いをしながらそう言う。

「はい」

 恥ずかしそうに笑う黄金と、久遠と水葉の三人が笑い合う。

 こういうのが、友達なんだろうなあ……。

 今度は舞姫が羨ましそうに、その様子を眺めていると、

「おお! 今年は花火が上がるのか!」

 ひゅー、という気の抜けた音に続いて、腹の底に響くような轟音が聞えた。

「黄金! 梯子を持てい!」

 かなりハイテンションな久遠は、もふもふの尻尾をちぎれんばかりに振りまくる。

「はっ」

 復活した黄金は駆け足で倉へと向かって、中から四メートルほどの梯子を引っ張り出してきた。

「おお! よい感じじゃの!」

 梯子を屋根の縁に掛けて、上に昇った久遠の眼下には、それほど大きくはない街の明かりが広がっている。その中央を横切る川の真上で、炎の一輪花が咲いては散っていく。

「こんなによく見えるんだ」

 遅れて三人が上がってきた時、ちょうど「柳」の花火が炸裂した。

「皆で見るには良いじゃろ?」

 隣に座った舞姫の手を握り、久遠はニコニコと笑っている。

「うん」

 微か花火に照らされた、その無邪気な笑顔には、不思議と人を惹きつけるものがあった。

「おや、不発でしょうか?」

 打ち上げ音が上がったきり、しばし無音だったが、直後、

「わあ、凄くでっかいの!」

 鮮やかな赤色をした特大の花火が、天高く花開いた。

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