第4話 祭リ囃子ノ巫女1
いよいよ夜の帳が下り始める頃、丘の上にある社の境内と参道を、連なる提灯が照らす。そのおかげで、上空からでもその形がよく分かる。
境内と参道の境目である、赤鳥居の隧道を下った先、石畳の道の左右に露店が建ち並んでいる。それを目当てにやって来た人々の喋り声と、ラジカセから流れる祭り囃子により、参道は普段と違ってとても賑やかだった。
「うーむ、暑いのう……」
それを遠くに聞きつつ、久遠は拝殿横に建っている、社務所兼住居の居間で扇風機に張り付いている。障子も窓も開け放たれたそこに、蚊取り線香の匂いが漂う。
ただでさえ暑いのにも関わらず、夕立が降ったせいでさらに湿気もプラスされてしまっていた。
「あー……」
久遠は扇風機に向かって声を出し、それにビブラートをかける。
「夏だからね」
そんな彼女にそう言った、キャミソールにショートパンツ姿の舞姫は、縁側でゴロゴロしていた。
入ってくる風が生ぬるいせいで、伝統的な平屋の日本家屋とはいえ、まったく涼しくはない。
「ねえ久遠。そんなに暑いなら、もっと薄着すれば?」
久遠はいつも通り、巫女服の袖を絞って着ている。
「一応、神らしくせんといかんから、そうはいかんのじゃよ」
久遠は舞姫にも届くように、風力をもう一段階上げ、首振りにしてから少し離れる。
「大変だね」
「うむ」
首振りに合わせて、久遠の頭が左右に揺れる。
「じゃあ髪まとめてみる? 結構涼しいよ」
「そうじゃな」
そう言って立ち上がった久遠は、部屋の隅に置いてある桐箪笥を開け、結わえる紐を捜索していると、拝殿にある大鈴の鳴る音がした。
祭が始まった5時から今までの二時間で、それが鳴らされたのは三回だけだった。
「むう……。なぜ誰も参らぬのじゃ」
引き出しの奥から引っ張り出した、白と黄色組み紐を手にむくれる久遠。
参道こそ賑やかだが、何段も階段昇らないとたどり着けない、丘の上の境内までわざわざやってくる人は少なく、ぶら下がる提灯の方が多い有様だった。
「縁結びとか出来ないからじゃない?」
起き上がった舞姫は適当な事を言いつつ、頭元にある木製のタライの中から、涼しげなガラス容器に入った水葉特製の水羊羹を取り出す。
タライの中には氷水が入っていて、それはキンキンに冷えていた。ついでに麦茶の入った容器もそれに浸かっている。
「無病息災が精一杯じゃからのう」
儂は不器用なんじゃよ、と答えた久遠は髪を結わえつつ、舞姫が食べている水羊羹を物欲しそうな目で見ている。
「自分の食べたでしょ?」
「むう……」
舞姫のつれない態度に、久遠は唇をすぼめて残念そうにする。
そんな彼女を後目に、水羊羹を食べ終えた舞姫は、
「さて、そろそろ着替えなきゃ」
麦茶を飲んでから立ち上がり、自分の部屋へと向かった。
もう一つぐらいないかのう……。
その隙にタライの中をのぞき込んだ久遠だが、生憎もう麦茶の入った容器しか残っていなかった。
「……」
彼女は憮然として、すごすごと扇風機の前に戻った。
「おう駄狐。舞姫ちゃんはもう着替えたか?」
境内と住居の庭を仕切る塀の木戸を開けて、名目上は神主の中年男が入ってきた。その手には、白いビニール袋を持っていた。
「誰が駄狐じゃ!」
「毎回毎回反応がいいなあ、お前は」
軽い調子でそうからかった神主は、草履を脱いで家に上がり、ビニール袋をちゃぶ台の上に置く。
「……舞姫はいま着替え中じゃ」
ビニール製の風呂敷を開けると、様々な寿司が詰め込まれている、黒い円形のパックが現われた。
「やけに大盤振る舞いじゃの」
いつもは二人前の「梅」だが、そこにあるのは四人前の「松」だった。
「他人の金だからな」
今まで寿司は神主の自費だったが、今回は氏子を丸め込んで集めた寄付で買っている。
「また詐欺紛いのことしよってからに」
縁側に座って麦茶を飲む神主を、久遠はジト目で見る。
「お前らは豪華なもんを食える。んで氏子連中は善行したと思うだろ?」
WIN-WINじゃねえか、と平然と言い放ち、さらに久遠を呆れさせる。
「……お主の屁理屈は聞き飽きたわい」
蓋を開けた久遠は魚型の醤油差しから、アジの握りに醤油をかけて食べる。
「うむ。旨いのう」
じっくりと味わってから、彼女は満足げにそう言う。
「齊田のおっさんが普段より良いネタで握ったとよ」
もちろん、お前に食わせるためじゃないぞ、とわざわざ釘を刺した。
「舞姫のためじゃろ? ……全く、鼻の下伸ばしよってからに」
久遠がぶつぶつとぼやいていると、
「ただ今戻りました」
「なの」
手伝いに駆り出されていた作務衣姿の黄金と、シンプルなロリータ服姿の水葉が帰ってきた。
「なぜ貴様が?」
「消えるの!」
神主を見た二人は、眉根を寄せて彼を睨み付ける。
「じゃ、出番きたら呼びに来るわー」
そう言って手を上げた神主は、その場からさっさと退散した。
「我々を何だと思っているのでしょうか」
「全くなの!」
不快感をあらわにする黄金は、社の飾り付けから出店の設営。水葉はひたすら製氷作業をさせられてかなり立腹していた。
「まあまあ、寿司でも食って機嫌直すのじゃ」
盛大にため息を吐いた久遠は、そう言って二人をなだめる。
「随分とタネの種類が増えたのですね」
「美味しそうなの」
二人が物珍しそうに、プラスチックの寿司桶をのぞき込んでいると、巫女装束に着替えた舞姫が戻ってきた。
「終ったよ、久遠」
どう? と感想を聞く彼女は、儀礼用の装飾品を身につけてはいるが、不思議と落ち着いた印象を受ける。
「やはり画になるのう」
「お似合いですよ、舞姫様」
寿司を焦げそうな程見ている水葉以外は、舞姫の姿を絶賛する。
「ありがと」
彼女は少し照れた様子で、座布団に正座で座った。
「あ、お寿司」
いただきます、と言って箸で寿司を掴み、醤油が落ちないように手を添えて口に運ぶ。
「しかし、舞姫が巫女神楽やってくれて良かったわい」
舞姫が十二歳になるまでは、神主による舞いだったので、見物客は誰一人来ようとしなかった。
にわかに人々がざわつく声が、白塗りの塀越しに聞えてきた。だが、全く大鈴のなる気配はない。
「……まあ、賽銭は増え無さそうじゃがの」
気が沈む久遠の耳がしょんぼり、と垂れる。
「その分私が久遠を楽しませるから。ね?」
「舞姫……ぇ」
見かねた舞姫が慰めると、久遠の表情がパッと明るくなり、甘ったるい空気が流れそうになったが、それは、出番を告げに来た神主の野太い声にかき消された。
「お、舞姫ちゃん似合ってるね」
神主の態度は、他の三人へのそれと正反対だった。
「ありがとうございます」
なんとなく、よそよそしい態度で彼に例を言う舞姫。
「んじゃ、そろそろ行ってくれ」
「あ、はい」
返事をして立ち上がった舞姫は緊張した面持ちで、拝殿に続く渡り廊下の方へと歩いて行く。
「練習通りにやれば大丈夫じゃぞ」
久遠のアドバイスに彼女はコクンとうなずくと、その表情は多少和らいでいた。
「我々も見物に行きましょうか」
「そうじゃの」
舞姫の姿が見えなくなると、久遠は裏を通って本殿の中に入った。薄い御簾で遮られた室内は暗くしてあり、外からは中が見えないようになっている。
「お、そろそろじゃの」
凛とした空気を纏った舞姫が、久遠達から向かって右側から現われた。彼女が拝殿中央にある、しめ縄で囲われた所までゆっくりとやってくる。
「……」
舞姫が本殿の方を見て、深呼吸すると同時に和楽器の演奏が始まる。厳かな雰囲気の中、リズムの緩やかなそれに合わせて神楽を舞い始めた。
全く無駄の内美しい所作に、見ている全員が惹きつけられ、簡単のため息を漏らす。
「やはり、舞姫の舞いはいつ見てもよいのう……」
惚れ惚れとした表情で、久遠はそうつぶやく。
「ここまで素晴らしい物は……、見たことがありません」
「綺麗なの……」
太い木の枝の上でそれを見ている二人も魅了され、手放しで絶賛する。
やがて音楽が終ると、舞姫は本殿と後ろの観客に一礼した後、住居の方へと帰って行った。
「ふう……」
楽な服装に着替えた舞姫は、麦茶を一気飲みして息を吐くと、縁側に寝転がって存分にだらける。
「お疲れさまです」
そんな彼女にねぎらいの言葉を掛けた黄金は、団扇で火照った舞姫の身体を扇ぐ。
「年々仕上がりが良くなっとるぞ、舞姫」
「ありがとう」
ニコニコ笑って舞姫を称賛する久遠は、再び扇風機に張り付いている。
「……」
そんな中、水葉は寿司桶に残った寿司をガン見していた。
「水葉、食いたいならそうと言うのじゃぞ」
「いいの!?」
三人を巡に見まわし、全員のOKが出ると、
「やったの!」
彼女は幸せそうにそれを頬張った。
「時に舞姫、水葉のきておる面妖な洋服はなんじゃ?」
「ロリータファッションだよ」
水葉が着ている、フリルがあしらわれたノースリーブワンピースは、先日、舞姫の見立てで買ってきた物の一つで、水葉本人も気に入っている。
「ほう、なかなか似合っておるのう」
「ですね」
ハイペースで寿司を食べていた彼女は、三人が見つめているのに気がつき、その箸が止まる。
「恥ずかしいの……」
顔を染める水葉が、そう言って少し目をそらす。その手前にある寿司桶の中身は、既に両手で数える程になっていた。
「恥ずかしがる事はないぞ?」
「そうそう、可愛いよ」
「ありがとうなの」
主人からも褒められた水葉が気を良くしていると、
「おーいゴスロリちゃん」
オジサン臭さ満載な、ティーシャツ姿の神主が庭に入ってきた。彼は舞姫の太腿をチラ見してから、水葉にかき氷用板氷を作るように言う。
「いやなの!」
残りを全て平らげた水葉は、可愛いゲップをしてから水の蛇を出し、神主に水をぶっかける。
「オジサンの濡れ透けを作ってどうする!」
ビッショビショになった神主は、明後日の方向に怒った。
「怒るところはそこではない様な……」
汚い物を見る目の黄金は、呆れてそうつぶやく。
「さっきはOKしたじゃないか!」
「一回だけって言ったはずなの!」
水葉は水鉄砲を連射して、確実に神主を捉え続ける。
「ええい!」
埒が明かないと判断した神主はタンクトップを脱いで、濃い体毛が生える上半身をさらす。
「ひゃああああ!」
「ヒィッ!」
それを見た瞬間に、水葉は号泣して久遠にしがみつき、黄金はその場でひっくり返って気絶してしまった。
その一方、舞姫はうわあ、といって、少し嫌そうにしていた。
「その汚いものをしまうのじゃ!」
そんな三人を後ろにさがらせて、久遠はその前に出る。彼女は目の前の変質者にむかって、耳と尻尾の毛を逆立たせて威嚇する。
「君が! 来るまで! 見せるのを! やめない!」
神主はえもいわれぬ圧力を放ち、さあ……、と、水葉に迫る。
「わかったの! わかったらどっか行くの!」
恐怖の余り号泣している彼女は、久遠にしがみついて震えている。
「わかりゃいいんだよ」
後ろに落ちているティーシャツを拾った神主は、
「おい狐、これ乾かしてくれ」
びしょ濡れのそれを手に、久遠に向かってそう指示する。
「いい加減にせえ!」
ブチ切れた彼女は、それを乾かすどころかすっかり灰にしてしまった。
「ぬわああああ! 高かったんだぞこれ!」
「知らぬわ!」
野良猫にする要領で手を振り、久遠は神主を追っ払う。
「じゃあ行ってくるの……」
鼻の頭を真っ赤にして、水葉はよろよろと歩き出す。
「まて水葉、行かんでもいいぞ」
その手を掴んだ久遠は、そう言って彼女をとどめる。
「しかし久遠様、それでは店主が」
そうだそうだ! と自らに賛同して囃し立てる神主を、黄金は凍るような目で睨み付ける。
「ならばお主が店で氷を買えばよかろう」
「お前ふざけんな! そんな金もったいなくて出せるか!」
極めて利己的な猛抗議していた神主は、
「これ以上そこに居ると髪の毛燃やすぞ?」
指の先に狐火を浮かべる久遠を見て、さっさと退散していった。
「久遠様ぁ……」
人間怖いの……、とガタガタ震える水葉は、両手を広げている久遠の薄い胸に飛び込む。
「おお、よしよし」
包み込むように水葉を抱いた彼女は、その細い背中を優しく叩いて慰める。
「大丈夫、あの人が変なだけだから」
愛玩動物を愛でるように彼女の頭を撫でてから、舞姫はもとの位置に戻って寝転がる。
「頭が痛くなってきそうです」
かぶりを振って額を抑えた黄金は、空になった容器を片付け始めた。
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