第15話 わたしたち…

 次の日のお昼前に清水からメールが入り、弁当を食べながら佳奈子と読んだ。

「えーっとね、レイコさんとの約束は、1時から4時までです…で、飛行機は、出発が10時で、帰りが18時だって」

「飛行機で1時間40分もかかるのね。11時半過ぎに向こうに到着して、お昼食べて… 話せるのは3時間かあ」

「う〜ん。先生は次の日仕事だし。レイコさんと話すだけだし、丁度いいかな」


 二人は九州のことを話し始めた。どうせ行くならおいしいものを食べたいなど、あれこれ欲求が膨らみだす。

「やっぱり、博多ラーメン?」

「明太子? 本場の食べたいよねぇ。いいなあ、あたしも連れてってよぅ」

 弁当と食べ物の妄想でお腹がいっぱいになったところで、午後の仕事に戻る。パソコンをスリープから解除し、午前中に手がけていた契約先との報告書を入力しているところで、ケンジに呼びかけられた。

「サユリ、僕だよ」


 平日のこんな時間に呼びかけて来るのは交際を始めた頃以来。そのときはケンジが時間を間違えてのことだ。でも、恐らく今日は違う。何かしら理由があるのか。ゆりこは応答するべきか迷ったが、ここのところ会っていないので席を立ち、足早に更衣室に入る。

 奥にある小さな椅子に座るとロッカーにもたれて応答した。

「どうしたの?」

「会いたくてさ」

「この時間に?」

「ああ、ごめん。平日だね」

 まるで悪びれないケンジに、ちょっと飽きれるゆりこ。やっと会いに来たと思ったら、彼女にとってまったく都合の悪い時間。


「ねえ、なにか用があるの? わたし仕事中なのよ」

「少しくらい、いいじゃない?」

 ケンジはゆりこの唇に触れたが、ゆりこが拒否したので二人からその感覚は消えた。

「どうしたの? 怒った?」

「今はダメよ。仕事に戻らなきゃ」

 今度はケンジが少し怒り気味になる。

「ああ、そう!。せっかく会えたのに!」

「とにかく、今はダメ。わたしの勉強不足でこの間は仕事のみんなに迷惑かけちゃったのに」


 ケンジは「はあ」とため息をつき、別れの合図もせずに接続を切った。目を覚ましたゆりこは唇を噛み、心のモヤモヤでしばらくそこを動けなかった。


 仕事に戻ったゆりこは報告書の続きを入力し、契約先と上司である高槻に送信した。忙しくないとはいえ、それなりに作業がある。それらをこなすとあっという間に就業時間となった。


 作業量が多くないゆりこのチームは残業が認められていないので、時間通りに帰宅した。帰る途中、ずっとケンジの事を考えていた。

 アパートに着いたゆりこは、いつものようにお風呂に入りほっとした。するとまたケンジを思い出す。冷蔵庫からビールを取り出し、ひと口で飲めるだけビールを腹に流し込む。

「ふうっ!。もう、あいつったら」

 ビールの缶を持ったままいつもケンジと過ごす壁に座り込んだ。テレビをつけてぼうと眺めてはいるが、彼のことを考えているので頭に入らない。

「サユリ。僕だよ」

 ケンジが再び呼びかけてきた。それを予測していたゆりこは、すぐに応答した。

「昼間はごめん。僕が悪かったよ」

「もういいわ…。わたしこそ、ごめんね」

 彼が誤ってきたので、ゆりこも素直になれた。だが、今日は楽しい気持ちになれない。それはこれまでのことで気に病んでいたから。


「どうして全然来てくれないの?」

 ゆりこはそれ以外、言い出す言葉がなかった。今はそれだけが知りたい。

「僕だっていつも暇じゃないさ。君だって、会いに来たところでいつも忙しいからって言ってるじゃない」

「だって、疲れていたし。あなただって楽しくないと思って。わたしのことも分かって欲しい…」

 少しの沈黙があった。ゆりこは実世界の自分が持っているビールを飲みたかったが、それは叶わない。


「僕だって、僕なりにいろいろ考えて会いに来てるのに!」

「だから、私から行くって言ってるのに、なぜ教えてくれないの?」

「それとこれとは別だよ」

「どうして? 全然別じゃない!」

 また、沈黙が流れる。ゆりこにはこちらから会いに行くことを避けるケンジの意図が全く掴めず、何か困ることがあるものと疑う他ない。


「もういいよ!。僕は一人になりたい。今日はもう帰るから」

 ケンジはため息まじりに答えた。

「ねえ。待って」

「なんだい?」

 うっとうしそうに答えるケンジに、以前からの悩みがボロボロと崩れるようにゆりこの胸に落ちてくる。


「ねえ。わたしたち…。わたしたちって…、上手くやっていけるかな? わたし…もう自信がない」

 ケンジは何度か強く息を吐き、動揺を隠せずにいるのが分かった。

「別れるって? 言うのかい…」

「そう…そうね。ケンジ、わたしたち…わたしたち、別れましょう…」


 ケンジはそれからも、何度も大きく息を吐いた。

「君が…、君が、それでいいのなら」

「…ごめんなさい」

「解った、じゃあ、帰るよ」

「…」

 ケンジが接続を切り、目を覚ましたゆりこは手元にあったビールをひと口飲んだ。正直に言うと、まだ迷っている。

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