第13話 会いたい

 あくる日、ゆりこが出社すると高槻の姿はなく、斜め向かいの加納はパソコンの電源を入れっぱなしで机に突っ伏し、シャツをヨレヨレにして寝ている。どうやら徹夜したようだ。そして山田はその隣で彼のトレードマークである扇子を仰ぎ、なにか放心状態のような表情でいた。

「おはようございます…」

「ああ、ゆりこさん。おはようございます」

 山田はニコニコして答えると、すぐに放心状態に戻る。扇子は仰いだまま。

「おお、おはようさん。大丈夫か?」

 高槻だった。珍しく彼から挨拶を交わし、体調まで気にしてくれた。

「あ、おはようございます」

「ん」

 返事もそこそこに、高槻は資料フォルダをブックスタンドから抜き取ると、足早に会議室に戻って行った。やけに静かな今日のスタート。ゆりこは少なからず異変を感じている。


「おはよ」

 佳菜子がゆりこの傍にやって来ていた。

「ゆりこ、ちょっと販売機まで付き合わない?」

「うん。いいよ…」

 やはりおかしい。佳菜子はこんな誘いをしたことがない。早足にフロアを出る佳菜子を目で追い、販売機へ行くというのに財布も持たず、ゆりこは佳菜子を追いかけた。

「ねえ、何かあった?」

「鋭いね〜、ゆりこさん」

 佳菜子はさり気ないフリで販売機に小銭を入れ、話し始めた。

「あんたのいるプロジェクトだけど、どうも手を引くらしいよ」

「へ?」

「お客がこっちの遅れを理由に吹っかけてきてるんだって」

「そんなぁ。ろくにサポートもせずに」

「分かってるって。あんた達、頑張ってたし。まあ、あわよくばペナルティをもぎ取って損失の穴埋めにしようって魂胆でしょ」

 話を続けながら、佳奈子は自動販売機のボタンを選ぶ。

「この先も採算の取れる見込みは薄いから、手を切る事になりそうだよ」

「…」

 ゴロンゴロンと音をたて、お茶が出て来た。

「あんた、大丈夫? またしばらく忙しくなりそうだけど」

「うん。ありがとう…。ねえっ、佳奈子…」

「ん?」

 ゆりこの頭の中では、別のことが浮かんでいる。昨日、佳奈子は一緒に会社を出たわけで、ゆりこが知っている以上のこと、しかもゆりこ本人が所属するプロジェクトの事をどうして知っている。

「あんた…さあ、なんでそんなこと…」

 そこで、別部署の部長さんが通りかかり、中断した。ゆりこは疑問を佳奈子に問えなかった。それを話せば佳奈子はかえって口を閉ざしてしまう。そんな気がした。

「わたしもお茶…。あ、お金忘れた…」


 ゆりこが机に戻ると高槻が席に座っており、朝イチでミーティングを行うと社内メールのお達しがあった。佳奈子の予告通り、プロジェクトは中断。発注した取引先への対応のため半月ほど存続した後、解散することになった。そしてゆりこだけが特別に高槻に呼ばれ、会議室に入った。

「んん、お疲れさん。がんばったな」

「皆さんとやれてよかったです」

 高槻はニッと笑み、頷いた。

「あのな、ゆりこ」

「はい」

「今回、あちらの方からいろいろご指摘を頂いているんだが、ウチの知識不足が特に挙がっていてな」

「はい…」

 話の先が見て取れた。今回のプロジェクトの相手は工業系の会社で、女性にとってあまり馴染みのない言葉や事柄が多かった。

「オレたちが忙殺されてサポートできなかった。すまなかったな」

「いえ!、そんな」

「これから、こんな業界を相手にする機会がまた来るかも知れんぞ。どうだ、興味は湧いてるだろう?」

「はい」

「よし。今回は残念だった。次は見返してやろう、な」

「はい」

 おそらく、高槻はクライアントや上司からゆりこの作成した資料で突かれているのだ。高槻の心遣いは嬉しいが、反面とても悔しく情けなかった。


 昼休み、佳菜子と屋上で弁当を開く。落ち込んでいるゆりこを佳菜子はどうにか元気付けようと、あれこれ思案していた。

「元気出しなって。あれ以上頑張りようがないじゃない」

「うん。もう終わったしね。次だよ次」

「そうそう」

 夏も終盤に差し掛かっているが、これと言ってそれらしいこともせずに過ぎていきそうだ。


 その日、高槻は後始末で忙しいようだが、あとのメンバーはこれといった作業もなく、早めに帰宅した。佳菜子はもう少し時間がかかるとかで、ゆりこ一人で帰路につき、アパートに着いた。なんだか気が抜けて、あっという間に着いたように感じた。

「は〜あ」

 外行きのまま床にゴロンと寝転がり、天井をみつめた。

「ケンジ、会いたい。早く来て」

 ゆりこからは会いにいけないので、待っているしかない。今日はくるのか分からない。じゃあ、明日はどうか。

「よっこらしょ」

 起き上がったゆりこは外行きを脱ぎ捨て、下着姿で風呂場に入った。

「もう!。だから会い方を教えてって言ったのに〜!」

「あ〜もう!。いじわる〜!」

 残響を響かせながら、ゴシゴシと身体を洗い流し、パジャマに着替えて風呂場から出た。

「あ〜スッキリした!」

 そこで、ケイタイが鳴った。


「あ、もしもし。あれ? 佳菜子。どしたの?」

 電話の向こうで、佳奈子が普段の勢いで話す。

「ねえ、あたしも仕事が終わって帰るとこなんだけどさあ、あんたんち寄っていい?」

「うん。そりゃいいけど」

「ぱっと飲まない?」

「うん!! 賛成!!」

 さすが佳菜子。分かってらっしゃる。

「じゃあ、飲み物買ってくるからね」

「うん。おつまみは冷蔵庫に十分あるから、作って待ってる」

「了解!。じゃ、あとでね」


 ゆりこは頭にバスタオルを巻いたまま急にパタパタと素早い動きに替わり、冷蔵庫からホイホイ野菜やら冷凍食品やらを取り出すと、ものの数分でつまみを何皿か用意した。そしてバスタオルを外してバサバサとぬれた髪を拭きあげ、肩に羽織って今度は炒め物を作り始める。やがて、チャイムの音がした。

「ほいほい」


「おお!。来たよぅ!」

 ドアを開けると、佳菜子が飲み物と惣菜を抱えて来た。その横からちょこっと江坂が顔を覗かせる。

「せんぱい!、今晩は!」

「あら!。早苗ちゃんも一緒だ!。すご〜い」

 江坂も飲み物の袋を片手に小さな玄関からウキウキと上がってくる。

「帰りが一緒になってさ。女だけパーティーだよ」

 ワイワイとキッチンにパーティーの準備を始め、ゆりこが料理を揃える頃には佳菜子と江坂は飲み始めていた。

「ゆりこ〜、早く〜」

「はいはい」

 フライパンを洗って適当に片付け、一目散に二人の元へ。

「カンパーイ!!」

 ゆりこの部屋で揃うのは久しぶり。三人は他の人への遠慮の要らないこの場所で、キャイキャイとはしゃぎ、その日を過ごした。ケンジは結局、訪ねて来なかった。

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