第11話 とくべつな能力・ふつうの恋

 清水が予約したというのは高層ビルにあるバーだった。この時間だと前回の店は騒がしいとのこと。佳奈子とゆりこは今度こそお金が掛かりそうだと思い、少し多めに準備した。エレベーターを降りるとスーツ姿の女性が出迎え、清水の予約を告げると奥に通された。前回のように、清水は既に到着している。

「やあ、どうも」

「今晩は。お電話では、ありがとうございました」

「先生、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 予約する必要がないほど客は少ない。平日でもあり、若い客が騒ぐような店でもない。日が落ちたばかりで薄暗くなった街が窓から見下ろせる。おもちゃのような車が高速道路を流れていた。

 窓に対してコの字に配置されたソファーの窓際に清水が座っていたので、テーブルを挟んで対面になるようゆりこが窓際に座り、佳奈子が隣に座った。清水はその二人に対して均等になるよう、ソファーの真ん中に座り直す。

「お決まりになりましたら、お呼び立てください」

 案内した女性が一礼してその場を去る。

「ここは女性客を当て込んでソフトドリンクもいろいろあります。アイスクリーム・パフェだってありますから」

 清水はそう言いながら楽しげにメニューを渡した。バーらしからぬ可愛いページに、ソフトドリンクやらスイーツが載っている。

「わあ、いいね!。先生は?」

「私はジンジャーエールで。いつもそれにしてます。今回も私の経費ですから遠慮は要りませんよ」

 値段も普通の喫茶店と大差ないので、佳奈子は遠慮なく注文することにした。

「わたしは、このアイス・ラテで」

「わたしもそれがいいわ」

 清水は目配せながら人差し指でウェイターを呼び、注文した。

「お電話によると、気持ちの面で辛くないと?」

 佳奈子が軽いグーで口元を押さえ、笑顔を隠す。

「はい…その、なんとお話すればいいのか…」

 清水は前回と同じようにポケットから手帳を出し、しおり紐で空白のページを開いた。

「何をお話しても驚きませんから。秘密はちゃんと守ります」

「はい」

 返事の後、ゆりこもちょっと笑みがこぼれてしまった。二人が顔を見合わせ笑顔でいる光景を、清水はにこやかな顔と怪訝に首を傾げる仕草で複雑な心境を表した。

「お待たせいたしました」

 注文した飲み物が届き、膝丈ほどのテーブルに並べられた。それを三人ともそれぞれ口にする。

「先生。本当におかしな話なんです。飽きれてしまわないかと…」

「そんな事はありません。どうぞ」

「わたしに呼びかけた…」

「ケンジ、でしたね」

「はい。その彼と、お付き合いすることになりまして」

「ふむふむ。なるほど、長い目で症状を改善しようと」

「あ…多分、思ってらっしゃる事とは違ってまして、その…彼氏として」

「ああ。はいはい、なるほど…」

 清水の目が泳いでいた。理解するのに少々時間がかかっているようだ。

「確認したいのですが、恋人ということです…ね?」

「はい。彼に告白されて」

 清水の目が再び泳いだ。今度は次の質問を巡らせているのがよく分かった。

「あのう、失礼ですが…いや、本当に失礼なことで、嫌ならお答えにならないで下さい」

「はい?」

「身体に触れる…具体的に言うとキスなども?…」

 ゆりこは顔を赤らめ、笑って目を伏せた。

「はい、しました」

「そうですか…。そうすると…」

 清水は急に結論めいたように顔を上げ、ニコッと笑みを浮かべて見せた。

「前回から、まさかと思っていましたが…私の見解を述べさせて頂きますと、ゆりこさんには特別な能力があるのかも知れません。いえ、その可能性が高いと」

「特別な…?」

 清水は少し難しい顔をした。そして、その先を話すべきかどうか、迷っているのが佳菜子とゆりこにはっきりと伝わった。

「どういった能力ですか?」

 佳菜子が切り出した。落ち着き払った口ぶりで。清水は一度頷き、話し始める。

「そうですね。まず、この能力についてお話しするに当たって、お二人に私のことを少々知って頂かなければ」

 清水は膝の上で手を組み、それまでと違ってまるでビジネスマンのように語り始める。

「私は大学時代、運良く短期の研修でアメリカに行くことができました。その時、その不思議な能力の研究に出会ったのです。それは一部の研究者が熱心に研究してはいましたが、他の人は関心が薄いようでした。SFとかオカルトめいていましたし、たいして成果のないものだったので。そこで友人になった研究者から何度か話を聞かされましたが、いわゆるUFO研究のような、ははっ、なんとも不思議な研究だなと思ったものでした」

 彼はゆりこと佳菜子の目を見つめ直した。

「私が再びその研究に関心を寄せたのは、日本で開業して数年経ってからのことです。ゆりこさんのように、他の人と交信ができる、原因を見つけて欲しいという患者さんを診察したときでした」

「それは、Latently Man To Man Sympathetic Phenomenon - 略称は LMTMSP。これは私が訳した言葉ですが、潜在的人人交感現象、とでも言うのでしょうか」

 ゆりこと佳菜子はキョトンとした。

「つまり、人と人とが感覚を交感できる、と言うものです。人人だけではなく、人と犬などのペットや、樹木などにも存在するのではないかと考えられています。まあ、その研究によると、ですが」

「わたしが、見えない誰かを触ったり、しているのは…?、その、交感現象ということですか?」

「私の見立てはそう言うことです。但し、同じ能力を持ったもの同士で感じ合える、その他の人間とでどのようになるかについては研究が及んでいません」

 どちらかというと、清水の言う事はぶっ飛んでる。自分を信じてもらえるか不安だったゆりこだが、逆に今度はこちらが信じてあげるのが難しい話を聞いている、そんな気がする。

「おそらくゆりこさんの場合、他の医師では交感神経の異常か或いは軽い精神疾患と診断されてしまう可能性があります。実際その可能性がないとは言いきれませんが。私は、前に診断した女性に出会わなければこの現象を信じることは無かったでしょう。つまり、私はこの現象の存在を知っており、ある人物を通して体験しているということです。ゆりこさんが私を信じなくとも、これは事実です」

 今、ゆりこ自身に起きていることがその証拠だということ。確かにケンジにはゆりこの感覚や記憶が伝わっていたし、まるでその場に居るように触れ合うことができる。

「先生、前にもう一人、同じような方がいらしたんですね?」

 佳奈子が疑問を投げかけるように首をかしげ、ストローを口に運んだ。佳奈子の心配はこの先ゆりこに悪い影響が出ること。

「ええ、そうです。その方も初めは自分が異常じゃないかと悩んでしまって。でも、徐々に自分の能力とうまく付き合えるようになり」

「その方にお会いすることは出来ないでしょうか? 体験が参考になれば…」

 清水は口を一文字に結び、少し考えて返答した。

「申し訳ないのですが、守秘義務があるので詳しいことは言えません。今は九州のある街で幸せに暮らしている、というところで勘弁してください」

「わたしで二人目…」

「はい。私にとって、二人目の交感能力者です」

「交感能力者」

 清水はまた、手を組んで話し始める。

「この能力を持った方を、こう呼ぶようです。ゆりこさんの交感能力は私が以前診察させて頂いた方とは少し現象が違うようですが。アメリカの友人も、知っている交感能力者は一人だと言ってましたから、この能力をもった方はかなり比率が低いと考えられます」

「どうなるんでしょう。わたし」

 伏し目がちでつぶやくようにこぼすゆりこに、清水は少し笑顔で深呼吸した。彼が口を開けかけたとき、佳奈子が続ける。

「先生もその研究をしていらっしゃるの?」

「あ、ええ、その通りです。不定期ではありますが、情報交換してます。まあ、新しい情報は滅多に出ませんが。研究の対象となる交感能力者の数が圧倒的に少ないもので」

「わたしは対象になりますか?」

 自分がモルモットのように扱われてしまうのは嫌だと思った。ケンジとのことはそっとしておいて欲しい事でもあるのだし。

「こうやって二人目の交感能力を持った人に出会えたのは奇跡的なことで、私としてはとても興味のあることです。ですが、相手の気持ち、希望があってのことで、これは私の信条です。そうでなければ信用は得られないと思っています。興味があれば、佳菜子さんと二人で診療所をお尋ねください。私の研究も兼ねておりますから、体の具合が悪くても診察代は頂きません」

「先生とは毎週会えますから…。ゆりこ、あんたが気が向いたらそうしよ」

「うん。ありがとう。先生、よろしくお願いします」

「こちらこそ。ゆりこさんの体が第一です。困ったらいつでも」

「はい。ありがとうございます」

 話がひと段落し、またひと口、ふた口とお互いに飲み物を口にする。清水はまだ何か聞きたそうにしている。

「彼とは…いえ、その彼はどんな方で…」

 恋を始めた女性そのもの。ゆりこは肩をすぼめ、恥ずかしそうに目を伏せた。

「年下…かな?、と思います。まだ、彼のことを良く知らないので…」

「そうですか。いえ、安心しました。不安で夜も眠れないなんてことになりはしないかと心配でしたので」

「えへへ」

 佳菜子は笑顔を作っているものの、複雑な心境で天井を仰いだ。

 そこから、三人は雑談を交わした。清水は彼と交流のあるアメリカの研究者はとても熱心な人間で、相談には親身に相手をしてくれること、そのときは大量に資料を送って来るので困ってしまうことなどを話した。外はすっかり暗くなり夜景が綺麗に映えると、佳菜子がアルコールを提案する。

「いいですね。カクテルなどは?」

「先生、これも経費で?」

「勿論です。気にしないで」

 清水はジントニックを、佳菜子とゆりこもカクテルを頼み、ちょっとほろ酔いでその日の面談を終え、会計のあとエレベーターで降りた。

「では、ゆりこさん。素敵な恋を」

 清水も少し酔ってるようだ。

「うふふ。ありがとうございます」

「じゃあ、先生。またね」

 手を振って、清水は地下鉄の駅がある方向に去っていく。佳菜子とゆりこも、それぞれの帰路についた。ゆりこはその晩、ケンジを待って壁にもたれたまま眠り込んでしまった。

 次の日の夜、ケンジが呼びかけた。応答すると彼はすぐにゆりこの肩を抱きしめ、キスを交わし、そのまま彼女を押し倒した。キスを交わしながらふざけ合う二人。何もかも、すべてが恋人同士そのもの。ただ、お互いに自らのプロフィールを問わずにいた。ゆりこの名前は彼にとってサユリのままだった。

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