地獄とはテッド・チャンの不在なり


 ニイルが初めてテッド・チャンの降臨に遭遇したのは、まだ彼が中学生のときだった。今は閉店してしまった、近所の小さな本屋に顕現したその本が纏う雰囲気は、SF小説とは思えないほど神々しく、宗教的な象徴性に満ちていた。その内容についても、個々の語彙だけを見るとSF的と呼べるものはむしろ少なかった。恒星間航行法も、計算機の中の宇宙も、太平洋上に生物工学産珊瑚によって造成された人工島も、登場しなかった。テッド・チャンが取り上げたモチーフには、ほとんど非科学的と言える要素すら含まれていたが、それらの背後に隠された原理と、それを解明しようとする登場人物達の態度が透徹して科学的だった。テッド・チャンの宇宙は、例えどんな擬人化が施されていても、非人格的で、冷酷で、決して人間を特別扱いしなかった。それまで、〝意志の力〟によって全てがなんとかなる少年漫画しか読んだことが無かったニイルにとって、それらの物語は宇宙と人間という二者の関係についての最も訓戒的な説明として受け入れられた。


 あまりにも傾倒していたが故に、ニイルが異変に気づくのに数ヶ月かかった。幾ら待っても新作が出ないのだ。ニイルはあたかも、たっぷり餌付けされてから突然山奥に放された獣のように戸惑った。テッド・チャンは、あれだけの傑作を作る能力がありながら沈黙を守ることで、読者にどんな罰を課そうとしているのか。あるいはこれは読者に対する試練なのか。明確に説明的な意味を与えることは困難だった。

 テッド・チャンの新作を求める渇望は定期的に、およそ可能だとはとうてい思えぬほどの激しさで襲ってきた。ニイルはしまいには、テッド・チャンを憎みさえした。


 ニイルは、自分と同じ境遇の人々を探して、〈テッド・チャン寡作すぎ被害者の会〉に出席した。その名称に反して、集まったテッド・チャン信者達はほとんどが現状の飢餓状態を仕方のないものとして受容していた。

〝書く価値のあるアイディアを思いつかない限り書き始めない〟――それがモットーだというテッド・チャンの天啓がwikipediaに記録されている。この託宣が全てを説明していると、出席者の一人である男性が力強い調子で言った。むしろ、思いついていないのに書き始める作家が多すぎるのだとも。また別の信者は、テッド・チャンの本業はテクニカル・ライターであり、副業である作家業に煩わされることを望まないほど多忙なのだろうと言った。

 信者達の意見は、テッド・チャンの知的探求に対する信念を尊重しようという点において概ね一致していた。その上で、まだ単行本に収録されていない作品の御業の素晴らしさについて語り、テッド・チャン分の欠乏をグレッグ・イーガンやケン・リュウなど別の使徒の降臨によって補おうと試みることに終始する集まりだった。

 彼らの説明はニイルを満足させなかった。テッド・チャンの科学的アイデアに対するストイックさは、もっとも啓蒙を必要としている自分のような人々を無視する正当な理由になるだろうか?現にニイルは、〈理解〉というテッド・チャンの短編を読んだ時に、主人公と一緒に頭が良くなった気がしたが、実際には全く頭が良くなっていなかったことに気付いていた。読者全員の知能が臨界に達するまでテッド・チャンは啓蒙的な著作を出し続けるべきではないか?ニイルはそう主張したが、信者達の共感は得られなかった。

 ある信者は、ニイルをこう諭した。テッド・チャンに我々の啓蒙を懇願するのは間違いである。テッド・チャンに対して我々が唯一取りうる反応は愛だけである。手っ取り早く啓蒙されたいのなら、SFではなく新書の棚を探すべきである、と。

 新書を読まない主義であるニイルに、それは納得できる説諭ではなかった。


 信者の中には、テッド・チャン病にあえて罹るという選択肢を取る人々もいた。それは、表面的にテッド・チャン的な文章を自ら書いてみるという不遜な行為を伴う病気で、試みた結果として地獄に落ちるものも少なくなかった。そもそも、テッド・チャンの文体には語彙レベルでは特徴がなく、何がテッド・チャン的な文章であるかの定義自体が曖昧だったので、意図的な罹病が困難だった。

 自ずとして、テッド・チャン病はテッド・チャン作品のテーマへの接近となり、すなわちそれは科学及び科学哲学への通暁と同義であり、ニイルにとっておよそ耐え難い努力を伴うことは明らかだった。ニイルは物語仕立てになっていない難しい本――専門書は、全く読みたくなかった。全く読まずして、テッド・チャンを理解したかった。

 結局、〈テッド・チャン寡作すぎ被害者の会〉で得たものは何もなかった。ニイルの中学生活はテッド・チャンへの不信の中で、陰鬱に過ぎていった。


 高校生になって、ニイルは〝文芸部〟と呼ばれる、文芸病にかかった哀れな人々が集まるグループセラピーに参加した。ニイルはテッド・チャン以外の小説を読む気は全く無かったし、執筆する気もなかったが、自分と同じように、心酔する作家の寡作に苦しんでいる人々と共有できる感情があるのではないかと思ったからだ。しかし彼らは推しの作家が少しでも休筆したら、別の作家に宗旨替えする便宜主義者ばかりだったので、ニイルはここでも孤独だった。

 ある日、部室でボロボロになったテッド・チャンの短編集を読みふけっていたニイルは、部屋に残っているのが自分と一人の少女だけだと気付いた。

「テッド・チャンは存在しないわ」

 少女の第一声に、ニイルは耳を疑った。

「一体何を言ってるんですか?」

「あなたには真実を知っておく権利があると思ったの」

 そう言って少女が膝の上で閉じた文庫本の表紙には、グレッグ・イーガンの文字。彼女はニイルの一つ上の先輩で、〈イーガン病〉に罹ったと言われているがそれを認めないことで厄介者扱いされている、暮継伊我乃ぐれつぐいがのという名の少女だった。ニイルはあまりの冒涜的な宣告に戸惑いながらも、テッド・チャン信者として反論しないわけにはいかなかった。

「無テッド・チャン論ですか。暮継さんは、イーガン病だからそう思うだけです。イーガンは素顔を公表してない謎の作家ですから、いないと言い張るのもまだネタとして理解できます。でもテッド・チャンは、検索すれば顔写真やインタビューを簡単に発見できます。僕はテッド・チャン病ではないので、テッド・チャンが実在していることを疑っていません。単に寡作であることを嘆いているだけです」

「では、どうすればその苦しみから解脱し、涅槃に至れると?」暮継イガノはおどけたように、古代の瞑想的ミームを引用しながら聞いた。

「テッド・チャンにはテッド・チャンの、我々の想像も及ばないお考えがあるのです。それを理解し、愛するしかない――そう〈テッド・チャン寡作すぎ被害者の会〉で教わりました」ニイルは完全には同意していない被害者の会の主張をなぞるしかなかった。

 イガノは嘲笑というより面白がるように、「あなたはそういう、反テクスト論カルトの連中が言うたわごとの全てを、本気で信じているの?」

 ニイルが聞いたことがないカルトだったが、テクスト論というのはネットで見たことがあった。〝作者は死んだ〟とかいうなんとなく昔のロックが言うような標語を掲げた主張で、作者の意図というブラックボックスによる支配から、文章の解釈を解放する試みのことだったはずだ。つまり反テクスト論は逆に、作者の意図に作品解釈を従属させたがる――

 ニイルが何か言う前に、イガノは付け足した。「誤解しないでね。わたしが社会構成主義的テクスト論主義者のような、別のカルト派閥の回し者というわけではないの」

 ニイルはしびれを切らして、「もったいぶらずに、なぜテッド・チャンがいないとおっしゃるのか、そろそろ理由を聞かせて下さいませんか?おそらくあなたのことですから、ネット上にあるテッド・チャンの写真は、カルトによる組織的な捏造とおっしゃるのでしょう。そこにはツッコミません。例え本人を肉眼で見たとしても、あなたにとっては証拠にならない。もっとも、イーガンはそんな陰謀論的なことは言いませんがね。まさか、テッド・チャンの作品は全部自動小説執筆AIが書いたものだから、テッド・チャンは存在してないというオチじゃないでしょうね?」

 イガノは不敵な笑みを浮かべた。「七本脚新留ヘプタポッドニイル君……と言ったかしら。あなた、〈人間原理〉という言葉を知っているかしら?」

 不意に宇宙論的ジャーゴンが飛び出しても、ニイルは驚かなかった。イーガン病患者と対峙するときには予測して然るべき話題だ。

 ニイルは挑むような調子で言った。

「二つのレベルがあると僕は理解しています。

 弱い人間原理は、人間の生存に都合よく宇宙が設定されているというもの。これはかろうじて宇宙が人間の存在に先行しています。もう一つの、強い人間原理は、人間の観測が宇宙の存在に必須だというもの。これは宇宙の存在が人間に依存しています」

「そのとおり」イガノは物分りの良い論敵を演じるニイルの態度に満足した様子で続けた。「次に、イーガンの『万物理論』という作品に登場する、〈人間宇宙論〉について説明しましょう。その理論は、強い人間原理よりもさらに先鋭的。まず物理法則として解釈される情報があり、それを説明可能な知性があり、そこからその知性が依り代とする脳、宇宙が過去と未来に向かって生起するという、常識とは逆転した順序を提唱する。宇宙はそれ自身の設計図を、自身の存在に先だって要請するの。これは物理法則というクラスを、宇宙というインスタンスより重視するという意味で、テグマークの数学的宇宙論や、塵理論の変奏と言うことが出来るわ」

 相変わらずイーガン病患者はよくわからないが、全くわからないというほどではない。〝宇宙は説明されることで存在を始める〟――そういうアイデアについて語っているのだろう。

「そこまではなんとかわかります。しかし、それがテッド・チャン学論争とどう関係があるのです?」

 イガノは戯画的に誇張された聖職者のように言った。

「もしテッド・チャンが宇宙を創造したと言うのなら、それは〝光あれ〟ではなく〝原理あれ〟から始まる仕事となるでしょう。テッド・チャンは、〈人間宇宙論〉で語られる宇宙の存在の根拠となる、物理法則の説明者にうってつけ。それも、明快で無矛盾な説明者。〝信頼できる創造主〟といったところかしら」

「ではあなたは、テッド・チャンは存在していると言っているも同然ではないですか?」

 ニイルは論敵が早々に、敗北を認めたように見えることを訝しんだ。

「わたしが今言ったのは、この宇宙に確固とした法則があるという前提を置いたらの話。でも、わたしはこの宇宙にはおそらく、そんなものはまだないと思う。この宇宙は現在、物語に近い構造を持っている」

「物語だとしても同じことです。宇宙が法則を要請するなら、物語は作者を要請する。その作者がテッド・チャンと名指しされるのです」

「作者は法則ではないわ。宇宙はその内部に物理法則の考案者を内包できるけど、物語内に作者は含まれない。作者と名乗って登場するキャラクターや、私小説における作者の分身のようなキャラクターも、作者自身ではない。物語にとって作者とは、決してアクセスできないものなの」

 カントのいう物自体のように?ニイルは思った。

「では、物語の外にいるのでしょう。不可知論的になりますが、信仰するしかないのです」

「残念ながら、不可知ではないわ。定義上、テッド・チャンは、あなたが言うように、非人格的で厳然とした法則がある宇宙しか描かない。だからここはテッド・チャンの宇宙ではありえないし、その種の宇宙はどこにも存在しない。テッド・チャンはテッド・チャン的宇宙内に存在できないのだから」

 テッド・チャンは宇宙が物語ではないことを描き続けた。宗教とは人生を巨大な物語の中に位置付けるものだから、それを否定するテッド・チャンは内部にテッド・チャンのいる宇宙は決して描かない。

 もし宇宙の外部に創造主たるテッド・チャンがいるなら、この宇宙はテッド・チャン的ではないし、もし宇宙の内部にテッド・チャンがいるなら、この宇宙はテッド・チャンが作ったものではないので創造主としての定義に反する。よってテッド・チャンは存在しない。

 暮継イガノの論理に破綻はないように見える。ニイルは彼女によるテッド・チャンの不在証明に、説得されかけている自分を認めざるを得なかった。

 しかし、何かが引っかかるとニイルは思った。イガノが言っていないことの中に、何かが仄めかされている気がする。


 部室には西日が差し込んで、窓枠に隔たれた二人の影を廊下側の壁に映していた。この情景は特に何の啓示的メタファーにもなっていなかった。単に下校時刻ということだ。自然現象に過剰な意味を読み込んでしまうことに警鐘を鳴らしたのは、ほかならぬテッド・チャンではなかったか?ニイルは、自分がテッド・チャンの教えを無視してきた可能性に気付いて愕然とし、項垂れた。

「それで――あなたが僕に話しかけてくれたのは、僕が崇拝するテッド・チャンが実在論的幻影に過ぎないということを知る権利が、僕にあるからだったんですか?わざわざ教えてくれてありがとうございます。これで心置きなくハードSF的虚無主義にひたることができますよ」ニイルは冷笑的に言った。

「そういうことでは全然ないのよ」

 暮継イガノは立ち上がり、窓際に歩いて行った。

「私はテッド・チャンは存在しないとは言ったけれど、未来永劫にわたって存在しないとは言っていないわ」

 窓ガラスに華奢な手をあてるイガノの背中越しに、ニイルは空の一箇所に輝く銀色の光を見た。光は、遮る雲がというより、光源自体が変形していることで揺らめいているように見えた。それはまさに顕現しようとする天使アラエルのようでもあり、この世界の位相的形状を隠している丸天井が決壊して流れ出る滝のようであり、言語学的オーバーロードを乗せた宇宙船のようであり、テッド・チャンそのもののようでもあり、それらのいずれでもあり得た。

 次の瞬間、指向性の〈第四の壁〉が雲間から強烈な光芒となってまっすぐニイルの全身を貫いた。その光はニイルに、テッド・チャンを愛さなければならない全ての理由を明らかにした。それは、ニイルが今いるこの宇宙が、テッド・チャンの宇宙と地続きであることの最も直接的な証明でもあった。テッド・チャンは存在しない。だからこそ、テッド・チャンは常に自分と共にあり、あらゆるテッド・チャン的事態を経験することが出来る。なぜなら、ニイルもまた存在していないからだ。テッド・チャンは相変わらず寡作であろうが、そんなことはニイルにとって全く問題にならず、むしろテッド・チャンを愛する積極的な理由になった。存在していないニイルは、ほとんど一個の純然たるテッド・チャン愛となって天へ昇っていった。

 しかし、ともかく、テッド・チャンはニイルを地獄に落とした。


 暮継イガノはその一部始終を見ていた。それは、七本脚新留という少年がついにテッド・チャン病にかかり、その直後に、自身のテッド・チャンに対する態度自体がテッド・チャン的でないことの報いとして自己撞着的地獄に落ちたと解釈されるべき出来事だった。

「テッド・チャン……。仮定上の宇宙論的概念の一つとしては、興味深いアイデアだったけれど」

 しかし依然として無テッド・チャン論者であるイガノは、起こったことに何の因果関係も見出さなかった。そして、普通に帰宅の用意をしながら言った。

「もしそれが存在していたなら、この世界はもっとエレガントで、意味をなすものだったでしょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る