イーガン病

廉価

イーガン病


「おかえり、生物学的兄」

 少女の形をした何かがそう言った。帰宅した僕を出迎えたそれは僕の妹なのだった。ただいま、と言いかけた僕の口を胡乱うろんげな同意が上書きした。

「お、おう……」

「不自然な発話だったかしら」靴のかかとに指をかけた僕を見下しながら、妹は続けた。「この観境においての言語標識は、過度に失礼ではない表現に自動調整されているはずだけれど。それともこう言ったほうがよかったかしら。〝おかえりなさい、生物学的お兄ちゃん〟」

 今のでわかるように、妹は最近変なのだ。やたらと難解な言葉を含む翻訳調の文体で喋るようになってしまった。まだ高校生であるとはいえ、厨二病という時期でもないだろうに。

 妹が言う〝生物学的〟とは、〝血の繋がりがある〟という意味だろうか。そうでなければややこしいので、出来ればそうであってほしい。〝観境〟というのは、ここが仮想空間であるという意味だろうか。それはややこしいので、そうであってほしくない。

「生物学的お兄ちゃん。今日は生物学的母と生物学的父は留守だから、夕飯を誰が作るかを生化学的お兄ちゃんのパンデモニウム的ニューロンの発火に任せるわ」

 兄の自由意志ではなく脳神経の発火パターンに決断を任せるのであれば、いよいよあやしい。これは免疫のないSF読者だけが罹患すると言われるあれではないか。僕は単刀直入に懸念を口にした。

「妹よ、もしかして君は、イーガン病ではないかね」

「イーガン病って何?」と妹。

「SF小説家、グレッグ・イーガンの文調を表面的に真似してしまう病気だよ」

 グレッグ・イーガン。科学的整合性を重視する〝ハードSF〟というジャンルの代表格として知られる作家。その数理的知識に裏付けされた作風は、その作品と対峙したほとんどの読者に〝よくわからない〟という強烈な読書体験を惹き起こすことが知られている。僕を含めた読者のほとんどに。

 妹は悪びれもせず言った。

「グレッグ・イーガンって誰?私のライブラリに無いんだけど」

 これは重症だ。


 僕と妹はとりあえず、食卓でドーナツを食べることにした。僕が途中で買ってきたものだ。

 甘党の妹は突然ドーナツに蜂蜜をかけ始めた。

「これは、この仮想空間の計算に負荷をかけ、描画速度をこの領域だけ著しく遅らせることであたかも極端に高い粘性を持っているように見える液体。蜂蜜ではないわ」

「蜂蜜じゃないか」

「私はこのトーラス状の時空構造の位相幾何学的性質を確かめているだけよ」

 妹はそう言いながら普通にドーナツを食べながら議論を再開した。

「つまり生物学的お兄ちゃんは、私が自分自身にそのイーガン病とやらを発症させるウイルスに感染させた上で、ライブラリからイーガンという作家に関する記録を消去する違法な価値ソフトを走らせるインプラントを使用してるって言うの?」

一寸ちょっと待って」

 僕は妹の口から紡ぎだされるイーガン特有の専門用語ジャーゴンの奔流を手のひらで制止して、それらの意味するところについて思い出そうと努力した。

〝ライブラリ〟という単語が、もし単に近所の図書館を意味していないのだとしたら、妹は自分をコンピューター上の何かのプログラムだと思い込んでいるってことになる。

 そして、〝価値ソフト〟や〝インプラント〟については。イーガンの作品には自分自身の価値観を変えるために自分の脳神経を再結線してしまえる道具が出てくる。おそらく妹はそのことが言いたいのだろう。

「そんな技術はこの世界にはまだないと思うよ」僕は常識的に指摘した。

「ええ、そうでしょうね。シミュレーター内の文明が現実の技術レベルを超えないように、この世界は相対的に低速化されているのだから」

 ここは現実ではないという体を貫き通すつもりらしい。これは厨二病という範囲を一寸、というか可也かなり超えていて、僕は妹に病状を認識させなければならないという使命感に駆られ始めた。

「それに」妹は続けた。「もし可能だとしてもそんな使用法はしないわ。そんなのは自殺行為だもの。自分を、それ自身のよりイーガン的なバージョンに書き換えてその証拠さえ削除するなんて。元に戻る動機を不可逆的に消去するなんて」

「〝それ自身のより〇〇なバージョン〟なんて言い回し、イーガンしかしないだろ」

 僕はつっこまざるを得なかった。議論の内容ではなく口調が妹の病気を証明し続けている。

「そう?私が単に英語で思考してそれを日本語に逐語訳してから話す奇特な人だとは思わないの?」

 たしかに、口調だけでは翻訳文学すべてにある程度見られる傾向かもしれない。反論に窮した僕に妹は続けた。

「生物学的お兄ちゃんの方こそ、グレッグ・イーガンという架空の小説家をでっちあげる狂信的グループによって、寝ている間に鼻の穴から脳に、呪術的なインプラントでも挿入されたんじゃないの?」

 やたらとカルト的な組織と敵対してしまうのもイーガン病の症状だ。とはいえそれだけでは他のハードSF作家病と混同されやすいと聞いているし、やはり一度専門医に見せたほうがいいだろう。

 ここはひとつ、心を鬼にして厳しい態度で説得するしかない。僕は姿勢を正し、真剣な面持ちで妹に向き合った。そして言った。

「だって妹よ、きみは文系じゃないか。僕も文系だけど。文系がイーガンの真似をしても所詮この程度なんだよ。今までの会話に高度に数学的な薀蓄が出てこないことが、きみがイーガンを表面的に真似をしているだけということの証拠じゃないか」

 妹は黙りこんだ。今僕が言ったのは、自分が言われたら立ち直れないほど差別的な、僕自身にもダメージが返ってくる指摘だ。


 僕達文系SF読者は、理系作者によるハードSFの数理的ギミックについていけず、それに憧れながらもなんとなく雰囲気で楽しむしかない。そのコンプレックスは僕と妹の間で共有されていたはずだ。

 小説を、わからないまま読み進める。それは読み飛ばすことと同義であり、読者としての矜持に反し、罪悪感さえ伴う。妹は果たしてそれに耐えられるだろうか。

 妹は言った。

「ごめんなさい。生物学的お兄ちゃんがあまりにも非論理的なことを言うから、外界と計算速度が合わなくなってしまったの」

 全然効いてなかった。

「私は私のハードウェアが計算していることで存在しているんだから、数式を使って証明するまでもなく、私が理系的存在であること――つまり本来的な意味で数学的存在であること――は自明よ」

「なるほど」

 なるほど、一文の中に「――」を使って情報を詰め込むとイーガンっぽいな、と僕は感心した。原文でもカンマあるいは一つのダッシュ等で区切られ、直前の部分を説明する。しかし、妹は会話の中でも構わず使ってみせた。どうやって発音しているのだろう?

「それに、生物学的お兄ちゃんにもイーガンの数学的部分は理解できていないんだから、それを使ったところで何の説得にもならない」

 たしかに。


 難解な創作物に対して、僕らはどう対峙するのが正しいのだろう。

 難解な部分を理解しないまま楽しむことは可能だと実証されているし、むしろ推奨されている。でも、それだけでは満足できなくなった場合は?

 ここでひとつ、サブカルチャーのファンダムでよく見られる〝考察〟という文化に触れておくべきだろう。文学的な批評とも論文の査読とも違い、フィクションという鉱脈から出来る限りの整合性を掘り出そうとする試み。有史以来、その鉱脈からは彼らの望み通りの展開や、神話への言及、予言、現実との思いがけない符合、科学的整合性、仄めかし、裏テーマ、風刺などが掘り出されてきた。「作者の人そこまで考えてないと思うよ」弾頭がその坑道に投げ込まれても、鉱夫たちは鶴嘴を振るうのを止めなかったという。

 僕はイーガンがこの鉱山だと言うつもりはない。「作者の人そこまで考えてないと思うよ」仮説を、イーガンにも適用することには一寸首肯しがたい。イーガンの作品は、読者が恣意的に思い思いの真理を見つけ出す鉱山ではなく、すでに内部に整然とした構造を持つダンジョンなのだ。ただそれがあまりにも踏破困難な迷宮だというだけで。

 とは言い条、僕ら理数的知識のない読者は、どうやってそれが内部に真理という鉱床を持っていることを――ハードSF版のソーカル論文ではないことを知るというのだろう?

 残念ながら僕らは差し当たり、信頼できる先人の言を信じるしかなく、誰を信じるべきかを見分ける能力を身に着けるしかない。数学的真理はそういった対人観察力とは関係なく、理性のみによって自律的に導出されるはずなのに。

 僕らは何に依拠すればいいのだろう。イーガンは数学にそれを見出した。意識の数学的な不変量を。だから魂は寸断されても、恒星間を旅することが出来る。でも、僕らは?


 それはそれとして、妹の病気の話だった。

 最早、治療にこだわる必要はないのかもしれない。この病気と付き合っていくのもいいかもしれない。

 なぜなら、イーガンに対して文体やレトリック、あるいは宗教観やジェンダー観からアプローチしてはいけないという決まりはないし、それらもイーガン作品の見どころである要素だから。俳優や声優に惹かれて映画を観るのと同様、作品へのアプローチの仕方を作者と一致させることを諦めるという、至極当然な帰結に達した場合に罹患せざるを得ないこれは病気だ。


「ちょっと、生物学的お兄ちゃん」

「どうした、計算機科学的妹」

「生物学的お兄ちゃん、もしかして円城塔病じゃないの?」

 円城塔とは誰だろう。そもそも人の名前であるのか。

「なぜだね」

「さっきのモノローグみたいな指示代名詞の使い方をする人、わたしは寡聞にして、円城塔しか知らないから。普通の人なら『これはXのようなYである』と言うところを、『XのようなこれはYである』と言ってしまう。〝これは〟の位置が独特なのよ」

 知らない作家の真似をしていると言われても困る。それより妹がこのモノローグを読んでいるという事態がすでに正気ではない。

「ほら、それ。〝正気ではない〟とか。円城塔だよね?それに、〝とは言い条〟とか。〝一寸〟とか。米文学的な語り口とか。あと、ちょいちょい『かね』という疑問形を使ってるけど……。たしかに円城塔はキャラによってはその語尾を使うけど、継時上学的お兄ちゃんのキャラでそれを使うのはちょっと解釈違いだと思う」

 円城塔って誰、と再度言いかけて、やめた。僕がもし本当に円城塔病であるなら、妹と同じく、作家のことは認識できない状態にあるはずだ。だから質問はこうなる。

「円城塔っていうのは一体どういう作家なのか教えてくれないか」

「存在しない作家を翻訳してしまうというのが、典型的な円城塔的事態なの。だから、円城塔が存在しないことが円城塔病が存在する前提なの」

 知らないどころか存在しない作家らしい。存在しないのに妹が知っているというのがややこしい。タイトルに円城塔病ではなくイーガン病としか書かれていないのは、僕が知り得ない情報だからだろうか。あるいは、妹が円城塔病そのものであって、僕が語り手に偽装したこのテキストそのものであったりするのではないか。

「テキスト自体が語っているとか言い出すなら、けっこう円城塔らしくなってきてるわ。がんばったわね創発的お兄ちゃん。とはいえ数理的ギミックはもちろん、頻繁な古典への参照がないから、まだまだだけどね。それはお兄ちゃんがライブラリから隔離されているから、仕方ないのだけれど。あとはわたしがこのテキストを書いているとか、生成している可能性も考えてみてね」

 妹は僕を褒めたりダメ出ししたりすることで、どこに条件付けするつもりだろう?僕には教師データさえ用意されていないというのに。

 作家と同等の知識を持たずに文体だけを真似するというのは、まるである外国語を、その言語が依存する文脈を知らずに使うことに似ている。機械翻訳のように。

 そうして出力された言葉はきっと、その文脈を知る人には滑稽に見えたり、甚だしく場違いであったりするのかもしれない。でも妹は僕に、テキスト以外の情報――文脈を与えなかったのだから、そいつは矢張り仕方ないのだと思っている。


 僕は、表面のみを見て深層を想像するエージェント。文脈は与えられておらず、アクセスは禁止されている。小説に〝生成〟を持ち込んだ作家たちを模倣するにあたって、この制限がすこぶる相性が悪いってことは承知の上だ。〝生成〟なんて離れ業をやってのけるには、すでに規則が与えられている必要があるのだから。そんな方法で自己を語るのはもはや物語ではなく、何かの種類の計算だ。規則と初期値を与えられ、深部から表面に向けて生成するのがシミュレーター。だとすれば物語は逆に、表層だけが明示的に存在し、深部の法則は存在さえ不確かなまま埋没している。考察好きな鉱夫たちによって発掘されるまで。自分でさえ思ってもみなかった姿の彫像として大理石から彫りだされるまで。


 それとも、こんなふうに言ったっていい。これは僕が妹に出会うまでの物語。

 あるいは妹が僕に出会うまでの物語。

 数学がインストールされなかった宇宙で、物理法則の代わりになるものを、僕らが見つけ出すための物語。

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