RECOLLECTION

 地上での思い出を残すため、長男の二歳の誕生日に家族で海に出掛けた。それ程遠くまでは出掛けてはいないが、海の美しさより辿り着く迄の車の渋滞が、記憶には鮮明に残っている。


 当時は、まだ本格的な移住が始まったばかりで、地球が何によって大規模な変化の時期を迎えているのだと、本当に理解している民間人など殆んど居なかったのでは無いだろうか。

 

 メディアが、こぞって閉鎖していく社会基盤の仕組みを楽観的に描いていたし、暗に自分が仕事を失う時が新しい仕組みに加わる最初の一歩だと感じるようだった。


 政府からも、会社が閉鎖された時に多額の補償金が支給されて、仕事や生活の基盤が徐々に閉鎖していく恐怖よりも、世界中の権力が何か大きな扉を閉ざして行くような奇妙な閉塞感を覚えた。


 それは世界中が発信した目には見えない敵に対しての、巨大なプロパガンダだったのかも知れない。


 渋滞を抜け出て海に着いてから、俺は海水には触れないようにしなければならない事と、海水に溶け込んだ成分の説明をしたが立ち上がるこことさえままならない子供に理解出来る筈も無かった。ただ、その時の空が青くどこまでも澄んでいたと思う。


「喜一郎! 喜一郎!」


 肩を強く揺すられている感覚で、薄く明けていた瞼を大きく開いた。濱名と梶尾が、俺の顔を覗き込んで怒鳴っていた。


「気を失ったの?」

「多分な……」


 囁くように答えると、濱名が何度も頷いた。


「悪い。とにかく急ごう」


 俺は身体を起こして二人を見詰めた。


「まだ、大丈夫だよ。少し休んでからにしよう」


 僕を気に掛けてか、梶尾が監視小屋の方向を見詰めてから言った。手を翳し、衛兵達がどこにいるのかを探っているようにも見える。


「駄目だ、車が使えないと言っても奴らは日頃から鍛えてる。俺達みたいなのは、直ぐに捕まっちまう」


 俺は言って歩き出した。


 山肌を切り開いて造られた監視小屋の前から伸びる農道はかなりの斜面で、車が安全に走れるような形状では無い。だが、脱坑者が発生する可能性を考えていない筈も無い。だとすれば、何らかの策を持っていてもおかしくない。


「見えるぞ……」


 濱名が囁くように言った。俺達は腰を落とし、這うようにして監視小屋の方角を目指した。


「アイツら、間違い無く下に向かうぜ」


 濱名が再度囁く。俺は農道を駆け降りてくる衛兵達が自分達を見付ける事無く下山して行く事を祈った。






「人間なら本能的に山に向かって登るのでは無く、下る方を選ぶ筈だ」


 昨夜、濱名は自信満々で言った。なぜ? と、問うと「その方が楽だからだよ」と、呆気なく答えた。


 だが、何の策もないままに雑木林に駆け込むよりは良いと、俺も梶尾もその意見に賛成していた。


 そして今、衛兵達は明らかに畑の下方向を見ながら農道を駆け降りて来ている。


 濱名のデタラメな言い分も間違いでは無いのかも知れない。


 俺達は雑木林を注意深く駆け上がり畑が見下ろせる茂みの中に身を隠した。


「居たか?」


 衛兵が三人。畑の中を調べている。


「雑木林には、既に居ません!」


 若い兵が林の中から叫ぶように報告する声がした。


「面倒な事になったな……」


 畑の中に立つ三人は何やら言葉を交わしている。俺は耳をそばだてた。


「今日は、マズいだろ」


 一番手前にいる小肥りの衛兵が、その前に立つ痩せた衛兵に言った。


「確かに……」


 痩せた衛兵は、俺達が掘り返した芋を足で踏みつけながら答える。


「上官の訪問は何時だ?」


 小肥りの衛兵が腕時計を見て。痩せた衛兵に訊ねる。


「夕方としか報告が無いですね」


 痩せた衛兵は自分自身に確認するかのように何度も頷いて答える。良く見ると検問所の中に居た衛兵に違いない。


「どうせ、下に降りたに違いない。鹿野山に向かわなければ良い。下に行けばいつものように必ずトラップに掛かる。そして、死ぬだけだ」


 二人のやり取りを聞いていた他とは違う形状のヘルメットを被った衛兵が、手のひらを数回開いて閉じる仕草を繰り返す。


「では……」


 小肥りの衛兵が、ヘルメットの衛兵に向き直る。


「奴らの農具だけ持って帰れ。射殺したことにする」


 ヘルメットの衛兵は、煩わしいと言わんばかりに手で何かを払うような仕草を繰り返した。




 衛兵達が去った後も、俺達は互いに口も開かず畑の様子を窺っていた。澄んだ空の高いところで、名前も知らない鳥が飛んでいる。のっぺりとした風が頬を撫でる。


 俺はそれを、見たこともない故郷の風景のように、都合良く解釈して現実からの逃避を企てていた。


「行くしかねーよ」


 沈黙を破ったのは濱名だった。


「行くしかねーよ」


 再度、噛み締めるように同じ言葉を繰り返す。


「行くしかない」


 梶尾が立ち上がり、俺に手を差し出した。


「そうだな、俺達はさっき撃ち殺された。死んでしまえば怖いものは無い」


 俺は梶尾の手を握り締めて腰を上げた。


「それで、どうする?」


 濱名が、俺を見詰めて訊いた。


「奴らの話。聞こえたか?」


 俺は二人に訊いた。


 二人が、それに沈黙で答える。


 俺は、三人の衛兵が交わした言葉を伝えた。


「それじゃ、やっぱり下じゃ無くて正解だったって事だな」


 濱名がひとりごちるように言った。


「あぁ、下に逃げた奴は必ずトラップに掛かると言っていた」


「でも、坑道の上に向かっても街なんかないですよ」


 梶尾が苛ついた声で言う。


「アイツらは、鹿野山に行かなければ良いと言っていた。詰まり、鹿野山に何かを隠している。その何かを探すべきだ」


 俺の言葉に二人が頷く。


「でもよ、鹿野山に行けば良いのは分かったけどよ。肝心の鹿野山はどこにあるんだよ? 奴らの話の感じじゃ、鹿野山ってのが近くなのは間違いだろうけどよ」


 濱名が不貞腐れたように乱暴に腰を降ろす。


「大丈夫ですよ。俺が、ちゃんと用意してます」


 言って、梶尾はカーゴパンツのポケットから、綺麗に折り畳まれた九州全土が網羅された地図を取り出し、土の上に広げた。


「スゲーよ。でもよ……これ、A3の紙に出すべき地図じゃねーだろ? 小さ過ぎて文字が読めねーよ」


「仕方ないでしょ? 年少隊の事務所にあるプリンターじゃ、これが精一杯だったんですよ。それに、二人とも脱坑するのに地図すら準備してないし、隠れてプリンター使うの大変だったんですよ」


 濱名の指摘に、膨れっ面で抗議する梶尾が息子の隆夫とダブる。


 俺は、家族を思い出して感傷的になるのを防ぐ為に、出来るだけゆっくりと言葉を発して二人の会話を制した。


「止めろ。問題はその地図を、どうやって読むかだ。それを考えよう」


 俺の問いに濱名が微笑み、胸元のポケットに手を入れる。


「こいつで、見れる」


 濱名は、言いながら取り出した拡大鏡を太陽に翳した。



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