守山 平の話
北崎川高等学校管弦楽部の春合宿は、実のところ影では初見合宿と呼ばれているんです。
あ、そうそう、初見、というのはですね初見合奏――「初めて見た楽譜ですぐ演奏をすること」の略ですから。
合宿二日目の朝食の席で先生が楽譜を配られます。
今日初日ですから、明日……二十九日ですね。
その朝食が終わったあと、一番最初の練習の時間にボクたちはぶっつけ本番の合奏――そう、初見をすることになるんです。
これが初見合宿の名前の由来です。
そのあと、反省会をして課題点を洗い出して、それに沿った練習をして……で、合宿三日目の晩に、もう一度同じ曲の合奏をします。
この初見の曲というのは、つまり、この合宿での課題曲みたいなものなんです。
とは言っても、二日目の初見では曲が通らなくても別に叱られたりお小言とかはないです。
でも、噂によると、三日目の合奏の時に曲が通らなかったりしたら……、何だか恐ろしいことになるそうですよ。
――どうして“噂”なのか? ですか?
ここ十年位、通らなかったことがないからなんです。
今、合宿に来てくれるOBさんで十年以上前に卒業した方はいらっしゃいません。
恐怖体験をしたという古いOBさんから伝え聞いた話を、今来てくださっているOBさんがボクたちにしてくださっているだけなので。
――え? まあ、作り話かもしれないっていうのは、なきにしもあらずですけど……。
でもですね、そもそも二日間の練習で通らなさそうな曲を選ぶことないと思うんですよね。
いくら練習のための合宿だといっても、苦しくない、楽しい合宿にしたいじゃないですか? だからボクも去年は……。
あ、ごめんなさい、肝心なことを言うのを忘れてました。
初見の曲を選ぶのは先生ではないんですよ。
先生の指名を受けた部員なんです。
去年はボク――あ、重ね重ねごめんなさい、ボク、チューバの四十九期生の守山 平といいます。
そうなんです、去年はボクが初見の曲を選んだんですよ。
初日の夜に施設内を散歩してたら先生に呼び止められてですね、「守山君、初見の曲を選んでくれないかな?」って。
――ん? なぜボクなのかですか? それがよくわかんないんですよー。
ボクも訊いたんですけど、先生は「今年はキミにその権利があるんだ」とおっしゃっるだけで……、うー……、そうですね、もう少しその理由を詳しく訊いておくべきでしたね……。
ああ、曲ですが、チャイコフスキーのバレエ組曲“白鳥の湖”から、好きな曲を何曲か抜粋させてもらいました。
初見といっても実際には初見じゃないですから、あんまり詰まることもなくて、合奏ではかなりいいところまでいきましたよ。
――ん? 一昨年?
一昨年はベートーヴェンの序曲の何かだったハズ……ああ、そうそう“エグモント”だったと思います。選んだ方はわかりません。
でも、選曲からすると弦楽器の方ではないかと。
トロチュー――あ、トロンボーンとチューバのことです――の出番がないし、どちらかというと弦のおいしい曲ですからね。
そうなんですよ、一昨年選んだ方、ボク知らないんです。
誰だったんだろう?
――いえ、別に選んだヒトがそれを他言してはならないという規則はないと思います。
ただ「翌朝楽譜を配るまでは、今年の権利所有者であったことや選んだ曲を他言しないように」とは言われましたけど。
まぁ、でも、あまり影響はないんじゃないですか?
どの道、難しい曲が選ばれるなんてことないでしょうし。
だって誰も好き好んで自分の首を締めようとはしないでしょうから――あ、そろそろ練習の時間です。
これから、セクション練習なんですよ、二十二時まで。
あはは、長いですか? 二時間は普通ですよー。
おまけに初見合奏予想会も込みなんで、実際の練習時間は一時間足らずなんじゃないのかなぁ……。
ええ、一応セクションごとに予想会やるんですよ。
これからやるセクション練習のあとに選曲が行われるというは確かですから、だから、もし自分のセクションのなかに曲を選ぶヒトがいれば、予想会の内容が反映されるでしょう? 高い確率で。
実際、ボクも参考にしましたから。
――え? それじゃあ予想会という名称は相応しくない?
うーん、確かにそうですねー。
来年は参考会っていう名称にでもするように提案してみよっかな?
あ、五分前だ。チューニングが始まっちゃう。
ということで、ボク、この辺で失礼しますね。
はい、頑張ってきまーす。
(3月28日20:00 管セクション練習)
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