大波乱
十二時五十五分。
五分後に始まる入所式のため、皆が施設の掲揚台広場に集合しているなか、独り外れて北崎川高等学校管弦楽部前庶務課長・津曲敦子はじっと腕時計を睨んでいた。
「いったい何やってんの……あの先輩たちは……」
明らかな怒気を含んだ低い声音。
傍にいたら八つ当たりを食らうのは確実、と現庶務課長の室井純平は津曲から少し離れた1stヴァイオリンの列に紛れ込んでいた。
「ねぇ、室井、行かなくていいの?」
「行った方がよくない?」
行ってどうにかしろよ、と暗にほのめかす同級生の境ヶ浜鞆と常盤愛美の言葉に室井はプルプルと首を振った
「嫌だ、まだ死にたくない」
それでも五分ほど前までは一緒にいたのだ。
しかし、あの…… と声を掛けた時、地獄の鬼もかくやと言わんばかりの形相で睨まれて、命は惜しいとばかりに速やかに避難した。
「マジ一瞬死後の世界が見えたもん」
「大袈裟な」
「いや、マジだって、常盤さん」
「まぁ怖いのは認めるわ」
「ところで室井君――」
声のトーンを落として訊ねてきたのは四十九期の堤 蝶子。
「――誰が来ていないの?」
「1stの吾川先輩、ヴィオラの杉浦先輩、ファゴットの北見先輩、ホルンの高柳先輩が……」
「四十八期の男の先輩が全員来てないってことよね、それって」
オケ一の美少女といわれる堤に見つめられて、いつもならドキドキするところだが、今回ばかりは真っ直ぐ見つめ返して真面目に頷いた。
四十八期は今年の卒業生。基本的にOBは自由参加だが、その年の卒業生に限り、原則全員参加。初日午後の入所式までに集合することになっている。
そして、今朝の段階では四人とも出席になっていた。
無断欠席をしてもペナルティはない。しかし、結構早くから来ていたOBの一人が、今の庶務課長の室井の顔がわからなかったからだろう、先代の庶務課長の津曲に「あれ、四十八期の男の子たち、まだ来てないの? ちょっと用があったんだけど」と訊ねてきた以上、放ってはおけない。
「上のOBさんと約束してたってことよね? いったい何してらっしゃるのかしら?」
「さあ……」
「堤先輩」
困り顔の面々の横、今まで無表情に突っ立っていた旭まりあが声を発した。
「ここら辺、ケータイ圏外じゃあないですよね」
堤は制服のブレザの内ポケットから携帯電話を取り出し、頷いた。
「うん、圏内。ここに来るまでに圏外はなかったはずだし、着信もないわ――といっても、私、吾川先輩の番号とメールアドレスしか知らないのだけど……」
顔を上げ、見回す。
「家に置いてきましたので」
「僕もです」
「オレも」
旭、境ヶ浜と揃って首を横に振る。
それに続いて常盤が言う。
「北見先輩の番号は覚えてますけど、使い過ぎて親に取り上げられたって言ってた気が……」
堤は再び手許に視線を落とし、
「吾川先輩にこちらから掛けてみるわ」
と電話を耳にあて、すぐに眉をひそめた。
「繋がらない。電池切れかしら」
「いや、それはないはず」
旭が言う。
「なぜ?」
「昨日の夜、うちにいたんですよ、アガケン先輩」
「え?」
どうやら吾川は旭の兄と仲がいいらしい。
「合宿来る前にフル充電しておけと言ったら、当たり前って言っていたので――」
「何しているのですか?」
訝しげな声に室井は振り返る。振り返らずともよく聞き知った声だったが。
室井が口を開く前に堤が言った。
「先生、四十八期の男の先輩たちを見かけられませんでしたか?」
声の主、顧問兼指揮者の津田は、ああ君たちも……、と呟くように言った。
「君たちも、って、先生、他にも誰かアガケン先輩たちを探しているのか?」
旭の問いかけに津田は頷く。
その表情は硬い。
「四十八期が、来ているOBたちと一緒にね。あと、津曲君も――実はさっき施設の職員の方から連絡受けてね。どうもここに来る道のうちの一本、話によれば東側の車道で崖崩れが発見されたそうだよ」
室井は思わず息を飲んだ。
堤も境ヶ浜も常盤も、耳をそばだてていたらしい周囲の人間も、ただそこに立ち尽くす。
そんななかで、旭が眉を寄せ、口を開いた。
「それは東側だよな」
「ええ、東側――」
「そんなのっ!」
両の手で口を覆い、堤が悲鳴に似た声を上げた。
「そんなのって!」
「落ち着きなさい、堤君。巻き込まれているとは限りません」
堤の悲鳴、それをなだめる津田の声。
気付いた部員たちの間に動揺が広がっていく。
室井は時計を見る――十三時はとうに過ぎている。
「先生、施設の職員の方も出られたのですか?」
「ええ、何名か」
「入所式は……」
「それどころじゃあないですからね」
「先生、それじゃあオレたちはこれから……」
津田はしばし考えた様子だったが、仕方ないですから……、と小さく前置きして言った。
「事務室で鍵を受け取り各自部屋で待機するようにしてください」
そして、その場は解散となった。
三十分経っても連絡はなかった。
室井は庶務課長として、副課長の三角明菜、前副課長の高橋孝次郎とともにロビーのソファで待機していたが、聞こえてくるのは風の音だけ。
重苦しい沈黙に耐えられず、口を開けかけたその時、室井は靴音を聞いた。
顔を上げ、廊下の方を見る。
歩いてきたのは旭と部長の姫川小百合。解決を期待していた室井は溜息をつく。
おそらく進展の様子を聞きにきたのだろう、と。
しかし、二人はロビーを通り過ぎて、玄関の靴箱横の公衆電話で足をとめた。
「姫川、テレカ」
「無駄遣いは許しませんわよ」
「んなこたぁわかってる、寄越せって」
「その口のききかたは何ですの!」
「はいはい、早く寄越せって」
ごちゃごちゃしたやり取りのあと、姫川からテレカを受け取った旭はカチャカチャと電話を掛け始めた。
「――もしもし、穂高? ああ、まりあ……うん、突然だけどさアガケン探してほしい……そう、迷子」
はい? と、室井は伏せかけた顔を上げ、旭の方を見た――迷子?
「崖崩れの話もあってな……ああ、大騒動だおかげさんで……うん……ああ、他に三人いると思う……うん、免許持ってるのアガケンだけ……アホだな、ハハハ……あ、そうそう、ケータイ圏外だから、うん、それで場所はある程度絞り込めるだろ? オーケー?……ああ、練習にならんから急いでよろしく」
カチャっと受話器を置く音に続き、ピーピーという音が響く。
「コレで大丈夫だ、ほい、姫川」
「……穴がひとつ増えてますわ」
「うるさいなぁ」
再びごちゃごちゃしたやり取りを交わしながら二人はロビーを通り過ぎていく。
「ちょっと待て! 旭!」
「ん」
足をとめ、姫川ともども怪訝そうにこちらを振り返った。
「どうした、室井」
「さっきの電話は?」
「穂高――兄貴へだよ」
それがどうした、といわんばかりににべもない。
こちらに背を向けて歩いていきそうだったのを、室井は走り寄り引き止めた。
「待てって」
「何だよ? 心配しなくても崖崩れに巻き込まれてなんかいないって。大体皆、事を荒立てすぎだ。人の話も聴かないで」
「何だとぉ!」
あまりにも軽い調子の旭の両肩を掴む。
「何でそんなことが!」
「お、おい! 放せよ! 室井!」
「はいそこまで、ですわ」
室井の手を止めたのは姫川。
「部長!」
「落ち着きなさい、室井君――まりあさんも、きちんと話して差し上げなさい」
旭は乱れたブレザを直しながら、面倒だな……、と呟き、思いっきり姫川に睨まれる。
その視線に促されるように、旭は口を開いた。
「アガケン――先輩は知ってたんだよ、東側の道がヤバいっていうこと。昨日うちに来てたと言ったが、あれは穂高に道を訊くためだ」
――すなわちこういうことらしい。
現在四十八期男子唯一の免許持ちの吾川は、せっかくだからということで四十八期で予約していたバスを断って同期の男たちと共に自分の車で山を登ることにした。
とはいえ免許取って一週間ほどしか経っておらず、念のため下見に来てみたら、あちこちで崖崩れが起きそうだし、路肩も弱かった。
かといって、バスが通る道――今回室井たち現役が通った道――は道も綺麗で幅も広いが、その反面遠回りになる。
だから、吾川は近道を教えてもらいに旭の兄・穂高のところに来たのだという。
「穴場的な道なんだ。道幅は狭いんだが本当に地元のヒトしか通らないって感じで車少ない。見通しも道の状態もそこまで悪くない上、うちの近所からだったらここまで一時間足らずで来れる。でも、やめとけって言ってたんだぞ?」
「何で。何かあるのか」
「方向音痴なんだ」
知っている道や通いなれた道はともかく、知らない道だとたとえ地図を書いてもらってもその通りに行けないくらいの方向音痴の吾川。
もっとも同乗者がナビをすれば、目的地まではたどり着ける。
が、吾川は地図は要らないと言ったそうだ。
「おそらくカッコつけたかったんだろうな」
分岐点少ないから大丈夫だろうと思っていたんだが、やっぱりヤツはダメか――穂高は電話口でそう言って笑ってたらしい。
「先輩、一応慎重なヒトだから東側は通るとは思えないしな。それに、この山の裏手の方はケータイ圏外の場所が多い。そこらでさまよってんだろう。ま、大丈夫だ、十中八九」
それじゃ私は部屋で練習するから、と旭と姫川はスタスタと歩き去る。
室井は、呆然とそれを見送った。
それから一時間後。
旭の予言通り、杉浦、北見、高柳を乗せた吾川運転の車は桜桃山の裏側、市境の峠の道の脇で見つかった。
助けを呼ぼうにも頼みの携帯電話は圏外。
どうにか本道に戻ろうとあがいているうち、ガス欠になって立ち往生してたらしい。
発見者の旭 穂高の車で施設に到着後、四名を待っていたのは修羅場だったのは言うまでもない。
(3月28日13:00 入所式)
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