旭まりあを釣るならば

 時折吹き抜ける風にまだ冬の名残が残る三月末のキャンプ場。

 しかし、今日はシーズン中もかくやと思われるような喧騒に包まれていた。

 キャンプファイアが行われる広場を中心にキャンプ場を占拠しているのは約六十人の制服の団体。

 そのうち数えるほとしかいない男は隅に追いやられ、日の当たる場所にいるのは女。

 色とりどりのシートに色とりどりのお弁当。

 ――これが、北崎川高等学校管弦楽部の春合宿初日昼食の伝統的な風景である。

 施設は午後からの予約ということで楽器荷物の搬入以外は入所式が済むまでまで立ち入ることができない。なので、昼食も施設の食堂ではなく野外で。

 合宿だから浮かれているのか、解放的な野外の空気に当てられるのか、男子部員が隅の方で引いているのも構わずかしましい女子部員たち。そのとりとめないトークのネタは惚れただの腫れただの。

 黒崎園子、小山万里、南川奈々絵の五十期2ndヴァイオリンの三人娘もご多分にもれず――いや、彼女たちは多少他とは違っていた。

 黒崎も小山も南川も彼氏がいる。

 三人とも中学の時からの彼氏で、さらに上手くいっていて仲睦まじい。

 喜ばしいことだが、非常に落ち着いているので話題がないのだ。

 正直べたべたに惚気るのも飽きている。

 そんな彼女たちの話のネタは、はた迷惑にも他人の恋の話。

 だが――

「ねー、誰かくっついたりしてくれないかなー?」

 黒崎はお手製のカツサンドを手に溜息をついた。

「平和すぎて楽しくないんだけどー」

 ――最近、部内にはまったくといっていいほど色恋沙汰がない。

 去年の秋口にかけては話題も豊富だったのだが現在完全沈静化。

 その手の一大イベント、バレンタインデーやホワイトデーすら特に何もなかった。

「それは私も一緒、ソノちゃん。ね、バンリちゃん」

「右に同じ」

 はぁ……、と三人の溜息が揃う。

「一体どうしてなのかなぁー」

 口では言うが理由はわかりきっていた。

 飽和状態なのだ。動きのない、まるで凪の海のような日常。

「でもさ、園子、あたし結構この合宿に期待してるんだけど?」

 そう言う小山に、黒崎はカツサンドにパクつき、もぐもぐして問い返す。

「……きたい?」

「だって泊りがけでしょ? さすがに何かあるよ」

「うーん、でも肝心の人間がねぇ……」

 ざっと部員の顔を思い浮かべて答える。

「男女とも売れそうなのは既に売れてるし、何よりうちの部、先輩やOBさんたち含めても男少ないよね」

 南川はこちらに同意らしい。

 小山の表情も釣られたように曇り、

「そう言われればそうだね……」

 しばし思案するような素振りの末、ぱっと表情を明るくした。

「ねぇ、園子、奈々絵、それでもフリーのコが全然いないわけじゃあないじゃない? そのコたちが恋する可能性を徹底的に考えるっていうのもおもしろそうだけど?」

「んー、そーだねー、それいいかも」

 大して面白くもなさそうな気がしたが、黒崎はとりあえず乗ることにした。

 黙っているよりかはましだ。

 南川も同じように思ったのか、あまり期待しているようには見えないものの乗ってきた。

 もっとも乗り気ではないにしろ、それは年頃の女のコのこと。

 次第に話は盛り上がる。

 誰々はこういう人とくっつく、とか、こういう人が現れたら釣られる、とか。しかし、ネタが想像に基づくものである以上、火がつくのも早ければ消えるのも早い。またまた溜息の回数が増えくる。

 日の光も明るくあたたかい春空の下。

 溜息ばかりの三人を哀れに思ったのか心配したのか、

「どうした? 溜息ばかりついて」

「悩みがあるなら聴くよ?」

 掛けられた声に黒崎はのろのろと顔を上げた。

「まりあ、たえこ……」

 同学年の1stヴァイオリンの旭まりあと、同じくヴィオラの小阪たえこ。

 飛んで火に入る夏の虫――今は春だが。

 おそらく小山と南川も同じことを思ったのだろう。

「いいところにきたわぁ! マリちゃん! タエちゃん!」

「歓迎するよ! さぁさ、こっちへ!」

 虫――もとい旭と小阪の手を引いて、傍らに座らせる。

 三人の豹変具合にカンのいい二人は何の話題か気付いたらしい。

 顔を見合わせて、しまった、という顔をしたがもう遅い。

 黒崎はにんまり笑って切り出した。

「時にまりあ、たえこ、二人ともフリーよね?」

「フリーもなにも暇がない」

「あ、あたしも」

 明らかに帰りたそうな二人をまぁまぁとなだめるのは南川。

「タエちゃん、美人なのに本当に何もないの?」

「な、ないない」

 父親がイギリス人のハーフで母親がアメリカ人のハーフというクォータの小阪はふわふわのやや茶色がかったブロンドに碧の瞳のかなりの美少女なのだが彼氏はいない、というのはオケ部周知の事実。

 狙っている男子学生は少なくないとも言われるが、彼女が最低三つ以上の年上好きだというのも周知の事実。

 そこのところをしっかり踏まえて、黒崎は微笑みながら訊く。

「でもさぁ、たえこ、素敵な年上のヒトが現れて、お茶でもしませんか、って言ったら付いていくでしょ?」

「そりゃあ行くだろうな、絶対」

 答えたのは小阪ではなく旭。

「ちょ、ちょっとまりあ! 何でまりあが答えるの!」

 焦る小阪に、まりあは鷹揚に言う。

「事実だろう」

「いや、そりゃまぁ、その……」

 やっぱりねー、と黒崎は小山と南川に頷いてみせる。

 つまらないことだが、それでも当たれば嬉しいものだ。

「前も楽器屋でナンパされて、危うくついていくところだったろう」

「だって! カッコよかったんだもん! 大人っぽかったしー、ちょっと幸薄そうでー、何かかげがあるっていうかー、何より美形!」

「そうやってフラフラしているといつか誘拐されて身代金要求されるぞ。おじさんおばさんが困るだろう」

「……いや、その前にあたしの心配はしてくれないの?」

 勢いづいた三人娘。

 今度は小山が説教されている小阪に助け舟を出すと見せかけて旭に矛先を向ける。

「そういう旭だって、ちょっとかっこいいクラシック通のおじさまにコンサートでも、って言われたら弱いんじゃない?」

「は?」

 とんと男の噂を聞かない旭。

 聞こえてくるのは朴訥、無愛想、三度の飯よりクラシックのクラシックマニアだということばかり。

 だが、三人娘は、この同級生がオケ部の顧問兼指揮者の津田と一緒にいることが多いことに気付いていた。

「どういうことだ?」

 訝しげに眉をひそめた旭に黒崎は畳み掛ける。

「たとえば津田先生にコンサートでも、と言われたらどうするの? まりあ」

 旭は組んでいた腕を解き、うーん、と視線を落とす。

「チケットだけ貰っとくだろうな」

「……え?」

 思わぬ回答に黒崎は目を瞬かせた。

「チケットだけ貰うって……?」

「私と先生は趣味が全然違うからな。そもそもコンサートは独りで行きたい。音楽を聴いて考える時間というのは独りの方がいい」

 趣旨から大きくはずれた旭の答えに、そうじゃなくってね……、と苦笑いの小阪が言う。

「あのね、三人はまりあがどういう男のヒトに釣られるかって訊きたいのよ」

「は?」

「要はまりあの好みが知りたいの」

「何だ、そういうことか。まわりくどいな」

「まりあの性格がストレートすぎるんだって。で、どうなの? まりあ」

 おやっ? と小阪に目を向ける。

 小阪はうきうきした様子で旭の答えを待っているように見えた。

「たえこも、知りたいの? まりあの好み」

「もちろん! まりあの好みの音とかは知ってるけど、男はよく知らないもん。よくよく考えると訊いたこともなかったし――」

 そう言って旭の方に向き直る。

「――でさ、あたしちょっと気になってたんだけど、弦バスの山元兄弟の弟、実は好みだよね? ていうか、もうすでに極秘で付き合ったりする?」

 あっけらかんとした結構大きな声に、半径三メートル以内がしんと静まり返る。

 五十期コントラバスの名物双子こと山元兄弟の片割れ、山元俊之。

 百八十を超える長身で、ルックスはそこそこいい。が、何があったか大の女嫌い。

 そんな俊之と旭が――しかし、黒崎はハッとした。

 とにかく女を避けまくるため、普段関わるどころか近寄ることもあまりない俊之だが、遠目で見る限り、旭に対しては普通。旭もまんざらではないような気がした。

「ね、どうなの? まりあ」

 周囲の沈黙に気付いているのかいないのか、興味津々に訊く小阪に、

「は? 何でヤツと付き合わにゃならん?」

 旭はあっさりそう言った。

「えー、ホントにぃ? 結構イイ線いってると思ったんだけど」

「あのなぁ、何を根拠に言ってるんだ何を」

「だってー、仲良しじゃん」

「そんなコト考える間があったら練習しろよ、練習――2ndの三人もだぞ。惚れただの腫れただのが音楽を含めた芸術には必要と説く評論家なんかもいるが、それにはまず技術が必要だからな。三人組、最近腕が少々鈍ってるだろ」

 誤魔化されないからな、と鋭いまなざしとともに言われたら頷くしかない。

「は、はい……」

「以後気を付けます……」

「はい……」

 小さくなった三人娘に、さらに畳み掛けるように旭は言う。

「しかしまぁ、よくそんな話で盛り上がれるな。大体、コンサートに連れてってやるなんて言われて誰が釣られるんだよ? 誘拐されるぞ?」

 そんな旭を上目遣いに見ながら、そうだよね、まりあが男に釣られるはずなんてないわよね……、と、黒崎は小さく溜息を吐いた。

 しかし、幼馴染みの旭の睨みの効かない小阪は、なおも食い下がる。

「でも、好きなタイプの男の人に、上手い奏者がいるからって言われたら、一緒に行くでしょ?」

「興味はあるが、やっぱり独りがいい」

「どうしてもって言われたら?」

「それでも信用ならんヤツとは行かんな」

「えー、好みの人にさそわれても?」

「そもそも好みの人とはなんだ? いちいち男を系統立てて考えたことがないんだが」

「えー、本当に?」

「どうして嘘をつかなきゃならんのだ」

「じゃあさ、あえて言うならどんな人が好み? なんでもいいから言ってよ」

「……メンデルスゾーン?」

「何よそれ」

「作曲家だ」

 あーもう、そんな実りのない会話はよそでやってよ、と思ったその時――

「こんなとこに埋もれてたのか」

 突然の影と声にギョッとして振り返る。

 聞き覚えのある声の主は、

「と、俊之君……」

 ついさっきまで話題の人だった山元俊之。

 黙って黒崎を一瞥した彼は、すっと旭に目を向けた。

「探したぞ」

 三人娘はもちろん、今度は小阪も一緒に固唾を飲んで二人の動向に注目する。

 俊之同様、周囲を気にする様子もなく、旭は怪訝そうに首を傾げた。

「何かあったのか?」

「コレ」

 俊之が旭に見せたのは、一冊の楽譜。

「お前、見たがってたろ?」

 目に見えて表情を明るくした瞬間、旭は立ち上がり、お弁当、さらに黒崎まで飛び越して俊之の横におさまった。

 そして、その楽譜と思しき冊子を受け取る。

「ヘルメスベルガーの!」

「悪魔の踊りのスコア」

「おい、俊之、これ買ったのかっ?」

「ああ、買った」

「高かっただろう!」

「安かったと言ったら嘘になるな」

「くれ! 何だったら買い取るぞ!」

「やらんが見せてやる。何ヶ所かお前の考えを訊きたいところがあるんだが、ここでは何だから向こうで」

「そうだな」

 じゃあたえこ、また後でな、と軽く小阪に手を振る旭。

「う、うん……またね……」

 明らかな作り笑いで手を振り返す小阪を気にとめる様子もなく、旭は大切そうにスコアを抱き、俊之と並んで仲睦まじく歩いていく。

 その背を見ながら黒崎は呟いた。

「まりあ……、私、あなたのことがよくわからないよ……」

 男よりスコア。

 好みかどうかはわからなくても見知った人が自分の欲しいスコア持ってたら釣られていくのね――そう内心でぼやいて、お弁当箱に残っていた最後のカツサンドを取り上げ、

「何だかちょっと腑に落ちないわ……。二人とっても仲良しだし、私たち退屈だし、いっそのこと、この合宿を機に付き合ってもらいましょうかね」

 と言ってかじりついた。

 旭と俊之を付き合わせる――こうして色恋沙汰の好きな2ndヴァイオリンパートの三人娘の春合宿の目標は定められた。


 (3月28日12:00 昼食)

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