3月28日

オケ部の良心、常磐の決心


 今日から北崎川高オケ部恒例の春合宿。

 合宿といっても最低限の練習さえやっておけば自由が保障されるらしい。

 ということで集合場所――学校のグラウンドに集まった部員たちは、まるで観光ツアーの団体客のように賑やかだった。

 そんな団体を仕切るのは五十一期の役員たち。

「ええっと! 出発前に先生のお話があります! 来た人から順番にパートごとに並んでください!」

「並んでー! 並んでー!」

 声を張り上げ部員たちをまとめようと奮闘する役員たちの傍らで、参加者名簿を確認していた副部長の常盤愛美はその手を止めた。

「……何、これ?」

 彼女の目を釘付けにしたのは一枚の紙。

 思わずその紙を取り上げて、春らしい淡く霞む空にかざす。

 何か透けて出てくることなんて期待などしていたわけではない。が、そうして何か透けて出てくるのを期待したくなるほど妙だったのだ。

 当然、その彼女の奇妙な光景は周囲の目にも留まる。

「どうしたの? 常盤ちゃん」

 駆け寄ってきたのはこの合宿の総責任者の一人、庶務副課長の三角明菜。

「……ねぇ、アッキー、これ……何で?」

 かざした紙をゆっくり下ろし、視線は釘付けたまま訊く。

「何、この部外参加者」

「ん? ああ」

 すいっと紙を覗き込み、常盤の疑問を理解したのか三角は苦笑した。

「それね、仕方ないの」

「仕方ないって……」

 紙から視線を外し、傍らの三角を見る。

 ──この春合宿にはOBやOGも多数参加するのだが、それ以外にも「部外参加者枠」というのが設けられている。

 来年度からオケ部に入ることを希望している次期二年生を対象にした枠で、いってしまえば在校生用の体験入部枠。

 常盤が事前に聞いていたのは打楽器希望者が一人、そしてヴァイオリン希望者が二人来るということだけだったのだが。

「成宮 慶、神崎零介、この二人、聞いてない」

「私だって昨日知ったもの」

 と三角は苦笑いのまま。

 総責任者のその表情にムッとして問う。

「おまけに希望楽器の欄に特別顧問って書いてあるんだけど?」

「うん」

「それにこの人たち、四月から三年生じゃないっけ?」

「うん」

「ていうか、少なくともこの成宮って先輩、別に合宿来なくてもいいくらいうちの部に出入りしてるでしょう?」

 成宮は小柄だが球技大会などの体育会系行事で目立った活躍をしている男子生徒。

 学年が違う上、体育会系行事にはまったく興味のない常盤ですら、彼の活躍ぶりは見聞したことがあるのだが、どの部にも所属していないのか、よくオケ部の部室にいる。

 もう一人の神崎零介は、確か成宮の友人か何かで、こちらは生徒会執行部と演劇部に所属。

 成宮とは違いオケ部の部室に現れることはほとんどないが、演劇に使う音楽のことでたまに相談に訪れることはある。

 どの道、この二人に興味などないが、こうなってくると話は別。

「いったい何なの、あの二人。どういう権利があってここに出入りしてるの」

「うーん」

「うーん、じゃあなくて、どういうこと?」

 合宿は外部の施設を借りるため、参加費を徴収する。

 ただしOBやOG、部外参加者からは食費以外の費用は徴収しないことになっていて、それらは合宿終了後に精算して現役部員たちで負担する。

 演奏会のチケットノルマに比べれば大したことない額だが、出費という点には変わりない。

「こんな納得のいかない参加者の費用負担って、役員会や総会通すの大変よ?」

 行事の決算は役員とパートリーダーで構成された役員会と、部員全員を集めた総会を通さなければならない。

 こういう話し合いの場は形骸化されて、機能していないことも少なくないが、幸か不幸か北崎川高オケ部では立派に機能していた。

 もし、この問題の二人の費用負担が否決されたとしたら役員が負担することになる。

 五十一期の役員は全部で十四人。それらで割るから微々たる額であるが微々たる額でも納得できない人間はいる。

 常磐もその一人。

「何で合宿行く前から決算のこと考えなきゃならないの……?」

「うーん、そんなの考えてるの常盤ちゃんだけだと思うけど……」

 いまだ苦笑いの三角。

 いい加減バカにされているような気がして、キッと睨めつける。

「何言ってんのアッキー! うちの部にはねぇ、私以上に口うるさいのがいるでしょっ!」

 すなわちオケ部の影の帝王、旭まりあ。

 すなわちオケ部一のお嬢様守銭奴、姫川小百合。

 すなわちオケ部のアイドル、境ヶ浜鞆。

「あいつら三人が反対したら、私たちや先輩はもちろん、先生でも動かすことできないでしょうが! 成宮先輩と神崎先輩には参加費払ってもらうようにしなきゃ――って、何?」

 ポンポンと、三角が肩を軽く叩いてきた。

「何、アッキー」

「後ろ見てみなさい、後ろ」

 ひとまず怒りを静め、促されるままに振り返り、そして、唖然とした。

 常盤と三角が立っている辺りから少し離れた場所にできた、ちょっとした人の輪。

 その中心にいるのは、成宮と神崎。

 そして、その周りにいるのは件の三人を含む次期二年生数名プラス次期三年生のなかでも主要な面々。

 会話の内容まではさすがに聞こえないが、そこから漂ってくる雰囲気は険悪なものではない。

 むしろ、和気藹々と楽しそうだった。

「チェロの百武先輩やフルートの都先輩に……、相川先輩……」

 憧れの先輩までその場にいることに常磐は軽い眩暈を覚えた。

「相川先輩、その人たちは部外参加者枠に適切な方たちでは――あ」

 その人の輪に近寄っていく人を見て留め、短く声を上げる。

 オケ部顧問兼指揮者、津田奏司教諭。

 ああ、これで注意されるかな、と少々邪悪な期待を込めた安堵の微笑を浮かべた。

 が、

「成宮君、おはよう。今年もよろしくお願いしますね」

 津田教諭のよく通る声は常盤の期待をキレイさっぱり裏切った。

「ていうか先生まで……」

「常盤ちゃん」

 やっぱり苦笑いのまま、三角が言った。

「私も知らなかったんだけどね、ストレートに言ってしまえばあの先輩たち――特に成宮先輩はうちの部の人気者なんだって。実は去年も参加して大いに場を盛り上げてたらしいよ。今年卒業した先輩たちはもちろん、去年卒業した先輩たちも一目置いてるとか何とか」

「はあ?」

 あのバリバリ体育系っぽいチビッコ先輩にいったいどんな特技が――そう思いつつ三角を見る。と、今度は多少楽しそうに笑んだ。

「何でも成宮先輩は、まりあちゃんや山元弟君をはるかに凌ぐクラシックマニアらしいよ」

「はい?」

 それは常磐の理解の範疇を超えた存在。

「ちょっと待ってよ、それって人間?」

「さぁ、どうかな? でもまぁ何にせよ、楽しくなるんだったら私は大歓迎。多少の負担もサービス料ってことでいいんじゃないかな? たぶん、誰もそれで反発しないと思うよ」

 何はともあれ楽しみだわぁ合宿、と笑顔で去っていく背を常葉は呆然と見つめた。

 ――え? クラシックマニアだったら部外参加者枠の規定外でも認められるの? ていうかまりあと山元弟君を超えるクラシックマニアって人間? 楽しければそれでいいの? 皆、普段月々三千円の部費に相当ケチつけるのに楽しければいいの? ていうか合宿ってそもそも何? 皆で練習するんじゃないの? 楽しむためのものなの?

「おーい、愛美ー、何しゃがみこんでんだー? 早くこっち来て並べー」

 旭の呼び声に、ハッと我に返り、立ち上がる。

 いつの間にか全員きちっと整列し、こちらを訝しげに見つめていた。

「あ……」

 羞恥で頬を赤らめながら慌ててスカートの裾についた砂を払い、座り込んだ拍子に散らばったらしい参加者名簿を拾い上げる。

 そうして自分のパートの方に走りながら密かに誓う。

 何があっても私だけはオケ部の良心であり続けよう、と。


 合宿から帰った常盤が会計係を差し置いて徹底的に部費徴収、そして規律改革に取り組み始めた、というのはまた別の話。


 (3月28日9:00 高校グラウンド集合・点呼)

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