あの人が載っていないのどうしてか?(『作家の値うち』を読む)

 載っていない人についてもう少し考えてみる。

 どういう基準で載せる作家を絞り込んだのかは、本書の「はじめに」に書いてあるので、それを引用する。


 けれども、試みの性格からして、ある程度の絞り込みは避けることができない。たしかに、これはと思われる作家の名前が数名落ちていると思われる。かような事態が出来したのには、いくつかの事情が重なっている。その事情の中で大きなものは、①取り上げるべき主要作品が入手不可能で、論じるのが困難であること。②あまりに濫作していて、なおかつその水準が低く、絞り込みようがないこと。③その存在感からして五十人という枠組みから落とさざるをえなかったこと、などである。


 「けれども」と書いてあるのは、「取り上げる作家と作品の選択は、なるべく客観的かつ、社会的通念に沿うべく勤めた…」というその前に書いてあった文言に対するものである。また、「試み」というのは、本書を執筆・出版することを指している。

 上記引用文の①から③について、具体的な作家名を推理してみる。

 まず①だが、これは一発屋タイプの人を言っているのかもしれない。

 入手不可能とまで言ってしまうのは言い過ぎのような気もするが、確かに2000年当時はまだ日本語でアマゾンのサイトを見ることはできなかったので、一発屋タイプの作家が書いた時代遅れの本を入手するのはかなり難しかったはずである。

 一発屋タイプとしては、柴田翔・庄司薫・三田誠広・田中康夫などが浮かぶ。確かに彼らの書いた本はそれぞれの時代においてベストセラーとなったが、後にまったくと言っていいほど売れなくなった。

 ②は前の項目で書いた赤川次郎・西村京太郎・内田康夫のミステリー組。それからバイオレンス小説の勝目梓・西村寿行などの量産タイプの作家を指しているように思われる。 

 ③は、具体的にどういう人を指しているのかはっきりとはわからなかった。①よりも③こそが、①で挙げたような一発屋のことを指しているのだろうか。

 あるいは、執筆分野が文壇村的な意味では存在感が薄そうな城山三郎・高杉良の経済小説勢や、教育問題を扱った灰谷健次郎、実録小説路線の木下英治などだろうか?もっとも、木下英治の場合は、②と③の両方なのかもしれないのだが。とにかく、上記のような広い意味での社会派は敬遠されているようだ。

 どういう人がどういう基準で載らなかったのかを正確に特定することはできなかったが、こうして推定してみたメンバーをみると「文芸的に論じるよりも、商品学とか社会学的に論じた方が面白そうな人が多い」ということは言えそうである。

 多くの人が納得できる妥当な選び方をしているかどうかは一概に言えないが、ある程度一貫性のある基準が存在することは想定できそうだ。

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