おまけの話 どうしたらよいのだろう

 かねてから売りに出していた家屋敷が売れ、その金をアタッシュケースに詰めて右手に提げ、左手のバッグには親類縁者はもとより幼なじみや恩師にまで無理言ってかき集めた金を詰め込み、猿股などの下着と箸・茶碗・孫の手などの日用品を背中のナップザップに詰め込んで、勇躍、私は田舎を飛び出したのだった。


───必ずやこの金で大儲けして、帰ってくるぞ!――


 さすればこのような中年男でも、若くてきれいな娘っこを嫁にすることができるのだ!


 むふふっ……あははっ……えへへっ……


と物思いにふけりながら野道を歩いていると――。


 ズブッ……。


 体が大いに傾いて具合が悪い。


 ズブッ……。


 体の平衡は戻ったが、なんだか背丈がちびったみたいだ!


 ズブ、ズブ、ズブズブズブ……。


「しまった! 底なし沼だ!」


 気がついたときには、もう首から上しか出ていなかった。


 もちろん、首から下は泥の中である。


 こんな田舎の畑じゃ人なんかいるわけがない!


「ああ、なんてこった!」


と、首を振ってみると……。


 60歳前後の百姓らしき男が沼の縁にしゃがみこんで、こちらを不思議そうに見ているのである。


 しかも、落ち着いて煙草などふかしながら……。


「す、すみません! 助けてください!」


 藁にもすがる思いで訴えた。


「助けてください、ちゅーてものう、一間(1.8メートル)はありそうじゃでな、届かんやろう」


「だったらロープか棒でも使って助けてください!」


「そう簡単に言うが、ロープを農協に買いに言っている間に、お前さんが沈んでしまうかもしれんしな。滅多に見れんもんやで、じっくりと見ておきたいんじゃわ」


「な、なに言ってるんですか! 人命救助です! 助けてください!」


 百姓男の背後に、柄杓ひしゃくが突っ込んであるたんごが置いてあるのに気がついた。


「その柄杓で助けてください! それなら手を差し出せば届くでしょうから――」


「うん? これか?」


 百姓が柄杓ひしゃくを握って、ぬ~と突き出す。


「う、く、く、くっさ~~~!」


「なにが臭いもんか! 堆肥には人糞がええのじゃわい。わしとこはな有機農法じゃから――」


 百姓は、体を伸ばして柄杓のしゃくの部分を顔から一尺(30センチ)のところまで持ってきた。


 あとは、それを両手でしっかりつかむだけである。


 そうすれば助かるのだが……周囲から泥に噛み付かれた腕は重たくて、上がりそうにもない。


「はよ、せんかい!」


 百姓はせかすが、踏ん切りがつかない。


 右手のアタッシュケースには家屋敷を売った金が入っている。


 左手のバッグには借り倒した金が詰め込んである。


 その、どちらかを放さなければならないのだ――。


「ほら、はよせんかい! わしゃ、これから保育園へ孫さ迎えにいかにゃなんねーだ。こんなところで、人助けしている暇はないんじゃからな!」


 金額の多寡たかを考えて、左手のバッグを離した。


「よーし、その輪っかのところじゃのうて、柄の部分を持つんじゃ!」


と百姓が言い終わる前に、人糞とドロドロに溶けた紙のこびりついた杓がスポンと外れて、顔面有機栽培という状態になってしまった。 


「こら! 両手でしっかり握らんか! 死にたいのか!」


 百姓はそういうが、右手のアタッシュケースを離してしまえば……。


 残るのは、背中のナップザックの猿股だけである。


 しかも、猿股は泥でドロドロだろう。


「すみません! この沼はほんとうに底なしですか!」


「ああ、底なしじゃ! この間も林野庁のダンプが飲み込まれよったが、まだ上がってこんわ」


 さて、どうしたらよいのだろうか――。


 く、く、く、くっそ~!



                           (了)

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