第24話 死んでもらいます

 「それを言っちゃおしまいよ!」

 というのは映画『男はつらいよ』でお馴染みの寅さんのセリフだ。

 それを言ってしまえば喧嘩にもならない。

 それを言ってしまえば……もう、旅に出るしかない。

 いくらが口を滑らせたことを悔やんでも後の祭り。

 せいぜい「ばっかだね~」と自嘲気味につぶやくだけである。


 言われなくてもわかっているが、どうしようもできないことがある。

 だから……それを言っちゃおしまいよ――というわけ。


 ――こちら、京成金町線柴又駅――


 日曜日も終わりを告げるようにひっそりとしているホームへ、23時45分発の上野方面行き普通電車が緩やかな右カーブを描いて入ってくる。

「お兄ちゃん、ほんとうに行っちゃうの?」

 あとを追ってきた妹のさくらが心細げに尋ねる。

「ああ。さくら、博と仲良くやんな。それから年寄りのことは頼むわな」

 師走の風は、物悲しくなるほど冷たい。

 やっぱり正月は南国だろう、と的屋てきやの寅は思いを馳せる。

「うん。お兄ちゃんも元気でね」

 さくらは持ってきた財布から紙幣を抜き出すと、何も言わずに寅のポケットへ忍

ばせる。


「男はつらいよ」って言うけれど、 実際、

「女だってつらいのよ」と、さくらも言いたいだろうに――。


 電車の扉が閉まり、お互い姿が見えなくなってしまうと、

また、それぞれの生活が始まる。


でも、また……


「おい、寅さんじゃねえか!」

「おいちゃん! おばちゃん!」

と忌憚なく再会を喜ぶことができるのは、言ったほうも言われたほうもお互いに愛情があるからであり、切っても切れない家族だからである。


しかし、赤の他人が悪意で言ったそのひと言や、あるいは悪意がなくても気遣いのないそのひと言に、 ひどく傷ついてしまうことがある。


 例えば、次のような場合――。


*************************************



 (1)



「ごめんくださいまし……こんばんは……」


 背の低い、小柄な、痩せた女は、薄暗い土間に立って、奥へ呼びかける。


「あのう、夜分恐れ入ります、奥さん……いらっしゃいますでしょうか」


 すりガラスの障子越しに影が大きくなって、


「はい、どちらさま?」


 カタリと一寸ばかり、細めに開く。


「あのう、わたくしでございます。一本柳のそばの……」


 女は恥ずかしそうに障子の隙間に顔をむける。


「……はいはい、あなたね。どうなさったの?」


 さらに一尺ばかり障子が開いたが、中は見られたくないらしい。


 大柄な体でふさぐ様に、障子の間に仁王立ち。


「あのう、お話があるのですが……」


 女の病弱そうな白い顔に、透けるような青い筋が浮き出す。


「あ、そう……」


 困ったように眉間に皺を寄せる女の細い眼がさらに細くなる。


 何かを促すように、部屋の奥から空咳が一つ。


「あのう、外で……堤の火番小屋の前で待っておりますので……」


 女は必死であった。


「……そうねえ。いいかしら?」


 は女に対するものであり、は部屋にいる男へのものであ


る。


「では、わたしは先に行って待っておりますので、ごめんくださいまし」


 女は返事を待たずに出て行った。


 表情を凍らせた大柄は軽く舌打ちすると、ピシャリとガラス障子を閉て切った。




 薄暗い路地裏を小走りに駈け抜けると、女の視界が急に開けた。


 宵に降った驟雨の滴りに、月の青い雫がきらきらと煌いている。


 夜道は思いのほか明るかった。


 川堤を上り、半ば朽ちた火番小屋を過ぎると、もうそこは堤の頂である。


 静瀬川の水の匂いがたゆたい、涼風が頬を撫でていく。




 女はほつれ毛をかきあげると、風呂敷包みを解いた。


 右手で柄の部分をしっかり握ると、左手で刃に巻きつけた新聞紙を剥ぎ取る。


 古新聞は一陣の風に舞い上がり、暗い流れの中へと消えていく。




 奥さん、死んでもらいます!




 女にはもう、それ以外、何も考えられなかった――。 


 


 (2)



 川端桜の庄屋の末娘が亡くなったという知らせは、女にも一本柳の実家からもた


らされていた。


 女と娘は同い年の同級生であり、大変親しい間柄でもあった。


 家が近いので、登・下校をともにしたが、それは娘が人力車を拒絶したからであ


る。


 旧家にはない、新しい考えを持った娘であった。




 静瀬川の右岸が川端桜と呼ばれる庄屋のお屋敷で、春ともなればソメイヨシノが


満開となる。


 左岸は領民の住まうところで、柳橋を渡りきった川下に枝垂れ柳の古木があり、


その前に女の実家である荒物屋が店を開いている。




 女は二十五年前に隣村の男と結婚し、この村を離れた。


 五年たっても子宝には恵まれなかった。


 一度流れると癖がつくらしい。


 もう諦めかけた時、一つの話がもたらされた。


 庄屋の末娘に子が生まれたという。


 しかし、父親はどこの誰だか本人にもわからない。


 その子を養子にというのである。


 いや、財力と権力を使うのだろう、実子として届けは受理されるらしい。


 女がそうすることを娘も希望している、というのが決め手であった。




 その貰い子が、現在大学3年生の女の一人息子である。


 たまたま試験休みで、実家に帰っていた。


 女は、実母である庄屋の娘の野辺送りに息子を連れて行くかどうかで悩んだが、


「俺が送っちゃる。バスも走らんとこやに」


 ちょうどアルバイト先の中古のミゼットを借りての里帰り中だった。



 長男の方から言い出したのは、何かしら亡くなった娘の、つまり実母の念すら感


ぜられて女は息子と出かけたのであった。


 式次第は事なきを得て終わったのだが、帰り際に、あの奥さんと出会ったのであ


る。




「ああ、この子かいなぁ、もろた子いうのは……」




 あの日以来、息子の所在がわかりません。


 大学へは退学届けが出ていました。


 アルバイト先へはミゼットを返した日を最後に顔を出しておりません。




 だから、奥さん! どうあっても奥さんには死んでもらいます。







                           (了)





 

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