第20話 子泣き
人々が感じられなくなってしまった、日常での不思議な出来事――。
昔は、よくあったそうですが……。
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女は部屋の隅で針仕事をしていた。
そばの布団には赤ん坊が寝ている。
時々、掛け布団がうごめいて、顔の横で小さな紅葉が二つ、赤く色づく。
かわいい女の子だ。
男は板の間の卓袱台に腰をすえ、日の暮れる前から酒を呑んでいる。
仕事にあぶれるのは、今日に限ったことではなかった。
「ぼーろおまへんかい!」
表の道を、屑屋がリヤカーをひいて帰っていく。
今日一日のおまんまの糧を乗せたリヤカーをひいて、屑屋のおやじが帰ってい
く……。
女は立ち上がって電気のスイッチをひねった。
その時、プライドばかり強い男の横顔をチラリと盗み見た。
男は目をつぶったまま、首ばかり傾げている。
しばらくして突然、赤ん坊の掛け布団が跳ね上がった。
同時に、火が点いたように泣き出した。
女は仕立ての銘仙を置くと、正座の足首を支点に45度回転した。
「お~よしよし……」
抱き上げてあやすも、いっこうに泣き止まない。
「おい! 静かにさせんかい!」
目を開けた男は酒をあおると、空のコップを卓袱台にたたきつけた。
「あ、はい。すみません」
女は赤ん坊を片腕に抱いて、着物の襟元へ手をかけた。
が、お乳は半時ばかり前に与えたばかりである。
額どうしをくっつけてみたが、そんなに熱はなさそうである。
お尻に手を当てたが湿り気はない。
ウンチの匂いもまったくない。
その間も赤ん坊は泣き続けている。
その異様さは、初めてのものだった。
「くっそ~、風呂行ってくる!」
立ち上がった男は流しにかけてあった手拭を肩に担ぐと、下駄を鳴らして出て
行った。
赤ん坊は益々烈しく泣きじゃくる。
女は赤ん坊をあやしつづける。
「お~よしよし、お~よしよし……」
胸に抱き寄せ、小さな背中をさすっていると、
――おや、なんだろう? この音は……
耳を澄ませば、赤ん坊の泣き声以外にも音源があるようだ。
感じるままに縁側に出ると、裏庭を見渡した。
ギュイーン、ギュイーン、ギュイーン……
異様な音の発生源が、物干し竿にからまっている。
乳白色の長い尾は一メートル、いやニメートルはあるだろうか……。
その長い尾がようやく外れると、青白い人魂は暮れなずむ夕空へ不気味な音とと
もに消えてしまった。
女にはわかった。
三日後に、裏の家に下宿する大学生が亡くなるのだろう。
だから最後に、自分の娘に逢いに来たのだ。
(了)
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