第18話 物騒な世の中

 漆黒の闇が深々と降り積もった冬の真夜中、凛と研ぎ澄まされた冷気があたりに立ち込めると、どこからともなく音が聞こえてくる。


 ゴトゴト……ガッシャ~ン これは貨物車の連結の音。


 トコ、トンテンシャン…… これは天神祭りのお囃子だろう。

              冬の夜中に……おつかれさん。

 パパラ、パパラ…………… これは暴走族。いや、いまは珍走団というらしい。


 アッ……ア、ア…………… こ、これは裏の新婚さんの奥さんの声らしい。

              ああ……うらやましい。

 ゴォ~ン…………………… これは飛行機だ。


 ときどき、キーン……という金属音が聞こえてくることがある。

たしかに空を飛んでいる物体の音には違いないのだろうが、落下音に聞こえるのが、とても怖い。


*************************************



 夕食を済ませて風呂に入り、午後10時からのニュースを寝転びながら見てい


た。もう、あとは寝室で朝までぐっすり眠るだけである。


 家の者は少し離れた所に座って編み物などしている。が、妙にかしこまって見え


るのは気のせいだろうか……。


 いや、違うな。おそらく無言の催促にちがいない。


 考えてみれば、もう随分ご無沙汰している。けれども明日は平日で仕事がある。


家の者には悪いが、なるべくなら疲れたくはないのだ。年齢としもとしだし翌


朝の目覚めがつらくって……などと、あれこれ考えていると、


「ただ今ニュースが入ったようです」


と告げながらアナウンサーは横合いから差し出された用紙を受け取って、


「今し方ミサイルの発射が確認されたということです」


 視線を落したままで二、三度読み返した。


 私は驚いて起き上がった。


 夫婦の生活のことなどで悩んでいる場合ではない。


 もっと深刻な事態――何万、何十万の人間の生死の瀬戸際である。


 確かにあの国ならばやりかねない。現に日本の上空を越えて太平洋までミサイル


を飛ばした罪歴がある。現在の日本との関係も改善の余地は見られず、まったくぎ


くしゃくとして悪化するばかりで、国際世論からも非難されている現状では、自暴


自棄になって、核は搭載しないまでも通常のミサイルくらいは撃ちかねないのだ。


 そんな不安と恐怖を常日頃から抱いている者としては、ミサイルが漆黒の夜空を


切り裂きながら飛んでくる姿が想像された。


 ――確かミサイルは発射してから10分で日本に到達するのだ!


 私は中腰のまま、ただびくびくするばかりで、アナウンサーの次の言葉を待つし


かなかった。


「この情報は在日米軍からもたらされたもので、今から1時間ほどまえに……」


 私は拍子抜けして、座布団に腰を落した。


 なーんだ、1時間も前ならもうミサイルはどこかに落ちているではないか。


「脅かすなよ、なっ――」


 そばで編み物をしている家の者に、私は同意を求めるように呟いたのだが、


「なにがですか?」


 顔も上げずに応える。


「なにがって、今のニュース聞いただろう」


「ええ、聞きました。ミサイルがどうとか……それが、なにか?」


「お前、怖くないのか?」


「ぜんぜん」


「ミサイルが飛んでくるんだぞ」


「どこへです?」


「どこ、って日本だ!」


「日本の?」


「そりゃ……、もちろん首都東京だ!」


「ここは大阪です。五百キロ以上も離れているのだから大丈夫ですよ」


と、澄ました顔で言う。


「あ、そうか……」


 なんだか私は家の者に臆病者に思われたようで、それが癪にさわって、ことさら


音を立てて洟をかんだ。そうしてそのティッシュペーパーを両手で丸めて部屋の隅


のゴミ箱めがけて投げたのだが、それが大いにそれて壁にあたり、跳ね返って編み


物をしている家の者の膝あたりに転がった。


「いや、すまん。ちゃんと狙って投げてるんだけどね。かわりに捨てといてよ。悪


いね」


 家の者は私の洟をかんだティッシュペーパーを汚がりもせず平気な顔で手に取る


と、柄にもなく「えいっ!」などと掛け声をかけてゴミ箱めがけて投げたのだが、


はるか手前に落ちてから壁際まで転がっていった。


「はははっ。お前のほうが近いのに入らないじゃないか」


と皮肉る私の声など耳に入らないかのように、家の者は立ち上がって壁際の


ティッシュペーパーを手に取るとゴミ箱へ捨てるのではなく、いったん元の位置に


戻ってから、再度投げた。


 しかし、やっぱりゴミ箱には入らず、


「狙って、慎重に投げてるんだけど入らないものなのね」


と、感心したように頷きながら四つんばいに這っていって、指先でティッシュペー


パーをつまむとゴミ箱の上からポトンと落した。そうして首だけこちらに向けて


言った。


「ねえ、引っ越しましょうよ」


「いきなり、なんだよ」


「ねえ、東京へ引っ越しましょうよ」


「どうして?」


「だって、東京がいちばん安全だってことがわかったんだもの」



 家の者には、ゴミ箱が東京に見えたらしい。




                            (了) 


 

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