第15話 オイショウ物語

追証とは、


  ──株式の信用取引や商品の先物取引で、相場の変動による損失が生じて委託保証金または委託証拠金の担保力が不足したときに、顧客から追加徴収する金銭のことである。──



 ネットで株取引をしている場合、 追証が発生すると取引画面に、


 「~までにお支払いください」と赤い字で警告文が出る。


 そうして追証が払えなければ損失が確定し、同時に取引が制限される。


 だからオイショウ(追証)というのは、ぼっけえきょうていなものなのである。



 それでは『オイショウ物語』を──。



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 河内国から五里八町ごりはっちょう東へ行くと、大和盆地の外れ、昔から鬼神『オイショウ』が棲まうという千擦山せんずりやまの麓に、通称、巫女擦半みこすりはんという名の村がある。十二戸48人という小さな村で、生活のついえは、主に隣国の河内国への出稼ぎか、行商でまかなわれていた。主な農産物は枝豆と蓮根、牛蒡であり、仏花なども栽培された。




 その村の与平の家に怖ろしき出来事が起ったのは……


 霜月は六日のことであった。


 その日は朝からの秋晴れで気温も暖かかったのだが、午後に入ると一転して雲行


きが怪しくなった。




「なぁ、与平や。今日はやめておいてよかったのう」


 土間の隅で、菜っ葉をきざみながら母親のヨシが言う。


「ああ、多分……行っておれば雨に遭おとったじゃろ」


 引き戸の隙間から空模様を眺めていた与平は、かめの水をひしゃくです


くって飲み干した。


 そうして軽く舌打ちをすると、木戸を力いっぱい閉め切った。


 その音に驚いたのか、奥で赤ん坊が泣き出した。


「おい、サチ。なにしとるんじゃ。黙らせろ!」


 父親の言葉にも、サチは背中を向けて、部屋の隅で転がっている。


「与平、あまり言うな! サチはまだ十三じゃ。おーよしよし……」


 急いで土間から上がったヨシは、赤ん坊をあやし始める。ヨシからすればひ孫で


ある。


「与平。おめえも、はよう後添のちぞえもらわんとな……ワシは年寄りじゃ


し、サチはこのの母親じゃいうても子供じゃからなぁ……。男と逃げた女


のことは、はよ忘れるこっちゃで――」


 聞いているのかいないのか、与平は茶碗で焼酎をあおっている。


 赤ん坊を寝かしつけたヨシが、ふたたび夕飯の仕度に取り掛かったとき、家の前


の道を何かがものすごい勢いで駆け抜けた。同時に、戸の隙間から閃光が射し込


み、轟音が家を土台から震わせた。


「な、なんじゃ!」


 ヨシは、土間にへたりこんだ。


「きたか!」


 与平は土間に飛び降りた。そうして両脚を開いてしっかりと上体を構えている。


「与平! 何しとるんじゃ。ただの雷じゃろ……違うんか!」


「ああ、雷や。せやけど、あいつも一緒に来よったんや!」


「あいつて……おまえ、まさか! まだ、隠れてやっておったんか!」


 ヨシにも『あいつ』の意味は想像できた。


「かあちゃん、すまん! 出稼ぎだけでは、もうあかんのや!」


 引き戸の留め金が、天井近くまで吹っ飛んだ!


 赤ん坊が、火がついたように泣き出した。


 与平は、ニ、三歩引き戸へにじり寄ったが、何か見えない力に弾き返された。


 十三でもサチは母親である。


 ヨシが駆け上がる前に、赤ん坊をしっかりと抱き上げていた。




 尾を引いた雷鳴が途絶えると、外部の音がまったく聞こえなくなった。


 聞こえるのは、与平たちの荒い息遣いと、赤ん坊のむずがる声……。


 何かが来る!


 そう思ったのは与平だけではなかった。


 バッシィーン!


 突然、引き戸が開き切った。


 その空間いっぱいに、はちきれんばかりの赤い顔が覗いていた。


「よ、与平! オイショウか……」


「ああ、そうや。オイショウや!」


 そう言うやいなや、与平は部屋に跳んで上がった。


 箪笥の引き出しから金包みを取り出すと、また土間に飛び降りて、


「わかったあるわい! これでええのやろ!」


 赤い顔に向かって、それを投げつけた。


 間口いっぱいの大きな赤い顔はニヤリと笑うと、赤と黒の縞模様の長い舌で金包


みを飲み込んだ。


 バッシィーン!


 ものすごい勢いで引き戸が閉まり、家が二、三度グラグラと揺れた。


 が、圧倒的な気配も一緒に失せていた。


 与平が引き戸を開けてみると空は雲ひとつない晴天で、小鳥のさえずりさえ聞こ


えてくる。


「お前、あの金はどうしたんじゃ!」


 家に金のないことは、ヨシがいちばん知っている。


「……売っ……た」


 土間にへたり込んだ与平は言った。


「な、何を売ったんじゃ! お前……まさか……」


「ああ、サチを売ったんや……けど、しょうがないんや!」


「この、ど阿呆めが!」


 ヨシは土間を転がるように這っていき、与平の頭を殴りつけた。


「まって、ばあちゃん! うち、ええねん。かまへんねん」


 十三の子供でも、赤ん坊を生んだ母親である。ぷっくりと膨らんだ胸はさほど大


きくはないが、赤ん坊は、サチの乳首に吸いついている。


「サチ……お前……」


 ヨシは与平を打つのを止めて、土間に呆然と立ち上がる。


「こんな田舎で暮らすより、河内へ行って暮らすほうがましや。やることは、ここ


と同じやし、ここと違うてゼニでくれるんや」


「あほ! なに言うてるんや! この子はどないするんや!」


「それは、お父ちゃんが……」


「与平!」


「ああ、誰が父親かわからへんからな、こいつと関係のあった村の男全部からたっ


ぷり養育費もらうんじゃ」


 ヨシは唖然とした。


 が、しかし、実際そうでもしない限り、生活は出来ないのであった。


 ひとまず『オイショウ』は追い返したが、これで安心とはいかない。


 下手をすればまた『オイショウ』はやってくるだろう。


「与平、やるんであれば絶対勝たないかんぞ!」


「ああ、わかってる」


「そうしてまた、三人、いや四人でくらすんじゃ。サチ、それまで辛抱してく


れ……」


「うん、ばあちゃん。心配せんといて……。うちもせいだい稼いでくるから……」




 こうしてオイショウという鬼神の登場を機に家族の絆がいっそう強くなった。




                                  (了)

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