第12話 人形
2008年 ある夏の日──
伊豆市の山林に「ビニールに包まれた死体らしきものがある」と110番通報があった。すわ殺人事件だ! と静岡県警は色めき立ち捜査を始めたが……。
これが、なんと精巧な女性の人形だったのである。まあ、人形といっても、ラブドール……。昔はダッチワイフと呼ばれていて、エッチな雑誌の広告などには必ず載っていたドーナツのように口をだらしなく開けた、空気で膨らます大きなダッコちゃん人形である。
今回のラブドールは骨格としてシリコンが使用されていて、なんと重量が35キロほどもあり、まさにうら若き女性の肌触りと確かな重量感!
これでもう、あなたの夜は寂しくない……60万円の抱き心地。
いかに精巧にできていたかは、殺人事件と見なした県警が捜査員を投入し聞き込みを始めたことでもうかがい知れるが、当然、人間か人形かの区別はつくわけで、結局、騙されたとわかった県警は、これは死体遺棄事件に見せかけた悪戯である、と怒り心頭だったらしいのだが、ほんとうのところは県警の早とちり、勘違いだったようである。
後日、捨てた人が出頭し、処分に困って山林に捨てたものだったと判明した。
これが昔のダッチワイフであれば空気を抜いて燃えるゴミとして出せたものを……ゴミの分別が当たり前の当世ではそうもいかない。
さっそく行政に問い合わせてみると、ラブドールは骨組みが丈夫だから「粗大ゴミ」として出してくれということなのだが、いや、あなたね~、それができないのですよ。
自治体により多少の違いはあろうが粗大ゴミはまず自治体へ電話をし、番号をもらい、ゴミは梱包などせずそのままの見える状態で、指定番号を書いた紙きれを貼って玄関前に出しておかなければならない。しかも、回収の時間は決められないのである。
ああ、なんと恥ずかしいこと!
これは使用済みのコンドームを洗って物干しに干してあるのを見られるよりも恥ずかしい。「もしもし警察ですか。近所の玄関先に裸の女性が捨てられてます」と騒がれるのはごめんこうむる。
だったらバラバラにして可燃ゴミに混ぜて出し……。
しかし、こちらも「バラバラ殺人事件!」と間違われる。
ああ、困った、困った、こまどり姉妹!
もう、こうなりゃ、家の家宝だ。
孫、子へと子々孫々受け継ぐように……て、言えるわけもない!
だったら最後の手段だ、ネットで販売!
しかし、誰が買うだろうか……なめ回して、揉み倒して、穴の開くほど使った、ていうか最初から穴の開いている、そんな人形を、いったい誰が買ってくれるというのだろうか……。
はい? あなたお買い上げ? 本当に? ありがとうございます。
もちろんです。 ご家族様に気づかれませぬようにお送りしますので……。
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なんじゃて? 怖い話が聞きたい……そう、おっしゃるんじゃな。
まあ、化けるほど生きてきたのじゃから、そらぁ、怖い話の一つや二つはないこともないが……。
なに? それが訊きたい……。そんなにこの、お婆の話が聞きたいのか……。
あんたもおかしな人じゃのう。
そうしたら、こんなのはどうじゃ。
今年の晩夏ちゅうか、いや、もう秋口に入っておったかいなぁ……。
わしは縁側に腰を下ろして、庭先の畑を眺めておったんじゃ。
まあ、畑というてもイモやネギ、それにナスや枝豆なんぞを自分の食べる分だけ栽培しておる家庭菜園じゃ。
気がつけばもう、夕日もすっかり沈んでしもうて、辺りには物寂しさが漂いだしておった。
ああ、また腹が減ってきたなぁ、と待っておっても誰も飯など作ってはくれぬ。
そこは一人暮らしの辛いところじゃ。
そしたらまぁ、ナスの味噌炒めでもつくるか、と腰を浮かしたその時、 そのナスを植えた辺りにポォッ……とな、小さな人影が浮かんだのじゃ。
白いブラウスに赤いスカートはわかったが、どうしたわけか表情だけはさっぱりわからぬ。
じゃが、わしはその人影を知っておったんじゃ。
「紗絵ちゃんか? そんなところで何しとるで、暗いのに……」
勝手にな、口がそう言うとった。
その小さな人影は、お隣の5つの女の子じゃった。
「うん、お人形さまの首がないのよ、だから探しているの……おばちゃん、知らない?」
薄闇に声がしてな、よーく見ると、女の子は泥まみれの人形を抱いておるんじゃ。
もちろん、その人形には首がなかった。
「知らないねぇ。でも、こんなところにあるやろうか……」
と言いながら、わしはあることを思い出して鳥肌が立ってしもうた。
実はな、ナスを栽培しようと、今年になって畑を拡げたんじゃ。
鍬を入れ、石や枯れ枝を取り除いておるとな、土の中から何やわからん、形の崩れたカボチャみたいなものから真っ黒い毛が生えたような、えろう気味の悪いものが出てきよったんじゃ。
「うわっ、気色わる!」
言うて、触るのも怖ろしうなったわしは、庭下駄の先でな、転がして、枯れ枝と一緒に燃やしてしもうたんじゃ。
たぶんそれが、女の子の言う人形の首じゃろうと察しはついたが、わしは言わなんだ。
「もう、お帰り。今度来る時までに、探しておいてあげるからね」
「うん。わかった。きっとだよ。じゃぁね!」
女の子はスキップをするかのように、また畑の中へと消えていった。
わしは、ふう……と安堵した拍子に、どえらいことを思い出したんじゃ。
というよりは、どうしてこんな重要なことを忘れておったのか――。
――あの女の子は、もうこの世にはおらんのじゃ――
あんたもご存知じゃろう、この辺りの地形は……。
まあ、丘の中腹というのか、裏が小高い山になっておる。
そして前が緩やかな勾配の崖で、その下に川が流れておる。
去年の夏の台風じゃった。大雨で裏山が崩れたんじゃ。
運の良い事に、わしの家は助かったが、お隣は流されてしもうた。
おばあさんとご両親は、その日のうちに瓦礫の中から発見されたんじゃが、
女の子だけが、翌日の夕方、川の中に沈んでいるのが見つかったんじゃ。
かわいそうに……
胴体だけが、大きな石の下敷きになっておってな、
首は、いまだに見つかっておらぬ。
じゃから、わしは怖いんじゃ。
うん? 人形の首は焼いてしもうてもうないから怖いんやろうてか、まあ、それもある。
わしは生まれてこのかた約束は破ったことはないんじゃからな――。
しかし、お前さんも悪人にしちゃ鈍よのう。
はははっ、怒りなさんな……。
あの時、畑で見つけて焼き捨てたのは人形の首ではのうて、
やっぱり紗絵ちゃんの首じゃったんじゃ。
じゃから、怖いんじゃ。
あの子が自分の首がないことに気づく前に、なんとしても成仏してもらわんとな――。
なに笑うておる?
幽霊なんておるわけがない、てか……。
おるわけがないものを、なんで怖がるんや、てか?
まあ、わしも今日限り、幽霊なんぞ怖くもなくなってしもうたわ。
あ、ん、た、のおかげや。
深夜に人様の家に忍び込み、か弱きばばあの喉もとに出刃つきつけて、
「金出せ!」と言うのなら、まだわからんでもない。
じゃが、出刃、畳に突き刺して、
「怖い話、してくれや!」言うお前の方が、よっぽど怖ろしいわ――。
───なんじゃて、金は要らんのか?
おかしなやつじゃな……。
――そしたら、わしの身体か?
なに、怒っとおる。
そんなに憤慨することでもなかろう。
そうしたら、最後にとっておきの怖い話したろか。
あれ以来な、紗絵ちゃん、いつも来るんや。
「おばちゃん、首は……」言うてな。
ほーら、後ろ見てみぃ。
そっち違う、部屋の隅じゃ!
さっきからうれしそうにそこに立っておるわ……。
「紗絵ちゃん、やっと見つかったで! 確か人形は、男人形やったなぁ」
(了)
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