第9話 錯乱の白昼夢

 ヒッチコックの作品『リベンジ』を時代劇でリメイクしてみました。



(原作のあらすじ)


 家にこもりがちだったリサは夫のすすめで久々に友人と町へ。その帰りに暴漢に襲われてしまい、病院から夫と戻る途中で自分を襲った男を見かける。夫は男の後を追いかけ復讐を果たしてリサの元へ戻るが・・・。


*************************************



 十手を肩にかついだ馬面の同心が、奉行所の前で髭面の男になにやら諭している。


「なあ、源蔵さんよ、まあ、そういうこった。決して、お与志をしかっちゃあいけねぇよ」

「へい、旦那。ところで下手人のめぼしは……」

 と、平身低頭だった男が顔を上げると、やっぱりそうか、身元がわかった。街道一の駕籠かき『韋駄天兄弟』の源蔵兄いだ。

 先月、幼馴染のお与志さんと祝言をあげたばかりだが……なんぞ、あったのか――。


「そんなこと、おめえが心配しなくても、こっちは商売だ。まあ、まかしな!」

 おい、お与志! 同心は手招きして女を呼ぶ。

「お与志も、早く忘れるこった! 悪い夢でも見たと思ってな――」

 傷心しきった女は、俯いたまま軽く頷いた。

 同心は、小さくなって帰る二人を見送りながら、ボソッと呟く。

「金がありゃ、仕事人にでも頼むんだな……」


 そのとき奉行所の門扉から、鶏のように小首を傾げた男が顔を覗かせた。


「中村さん! そんなことにいつまでかかっているのですか。早く戻って帳簿つけてくださいね!」

 脳天に突き刺さるような、いやに高い声だ。

「はい、田中様。ただ今すぐに……」 

 今度は同心が平身低頭、掌をこすりあわせて門の中へと消えていく。




 一方、源蔵とお与志の方は……。


「お前さん、すみません……」

「馬鹿いうな! お前が悪いんじゃねえ!」

 二人とも俯いたまま歩いている。

「離縁して……」

「だから、お前が悪いんじゃねえんだ! その男が悪いんだ!」

 畜生! と源蔵は呟いてから振り返り、

「で、だれなんだ! お前の知ってる奴か? ええ? どうなんだよ!」

 やっぱり気にかかって仕方がない。お与志の華奢な肩を丸太のように太い腕で揺すぶる。

 お与志は、首を左右に烈しく振る。

「いいえ、知りません! ただ……」

「ただ、なんだ! なんだよ? 言え、言えってんだ!」

 源蔵の、その詰問に、お与志は顔を背けて応えた。

「畜生! そいつを見つけたら八つ裂きにしてやらぁ!」

 興奮して歩調を速めた源蔵の背中に、突然お与志は駆け寄って、顔を埋めた。

「お前さん……」

「な、なんだ……」

 おびえるお与志の様子に、源蔵はただならぬものを感じた。

「あ、あいつが……。あいつが私を……」

 と言う、お与志の指さす方を見ると、一人の男が歩いてくる。

 着物の両袖口を指先でつまみ、へらへらと左右に揺れながら歩いているところを見ると、 これはどこぞの大店の若旦那か……。

「本当にあいつか? そうなのか?」

 と、問う源蔵を楯にして、怯えるお与志は彼の背後に隠れたままで、

「はい……」

「よし、わかった! お前は、ここで待っていろ……」


 若旦那らしいのが横道へ消えたところで、源蔵は後を追った。

 あたりに人影のない、寺院の白壁の前までくると、

「おい、待ちな!」

 駆け寄って呼びかけた。

 彼の表情はまさしく阿修羅のもので、殺気が渦を巻いて立っている。

 振り返った男は、刹那的に己に降りかかるであろう事態を察したらしい。驚きの表情がすぐさま悲しみの表情に変わる。 

 そうして突然、言葉にならない声を発しながら駆け出した。


 源蔵は、男の逃げる姿を目で追いながら、さらなる怒りをたぎらせていた。

 ――この街道筋で、俺より速いやつはいないんだ! ───

 猫が鼠をいたぶって仕留めるように、源蔵も頃加減を見計らっていた。

「よし!」

 一町ほど先を逃げていく男に、源蔵は韋駄天振りを発揮して追いつくと、

「よくも俺の女房を――!」

 言うが早いか、背後から首筋に手刀を振り下ろす。

 男は前のめりに地面に倒れ込んだ。すかさず源蔵は男に馬乗りになり、両手で男の頭を鷲づかむと、二、三度地面に叩きつけた。ぐったりなったところで仰向かせ、顔面に拳を打ち下ろした。

 くたびれた源蔵が打つ手を止めると、そこには真っ二つにかち割ったスイカを手でこねたような男の顔があった。

 右手の中指の違和感は、折れて突き刺さった男の犬歯だった。

「ざまぁみやがれ!」

 源蔵は憎々しげに犬歯を地面に叩きつけると、男を藪の中へと放り込んだ。

 手についた血は田んぼで泥と一緒に洗い落とし、何食わぬ顔で来た道を戻った。


 蕎麦屋の店先に、女は人形のように佇んでいた。

「お与志、安心しな。 仇はきっちり討ってやったぜ!」

 何を照れているのか源蔵は少し顔をほころばせると、かいなを懐に組んで歩き出した。

「はい……」

 後をついて歩き出した女の紙のように白い頬が、うっすらと気色ばんで紅が注す。

「今日から、またやり直しだ。俺は、もう今日のことは全部忘れた。な、お前も忘れ……」

 と相槌を求めて振り返ってみると、女が身構えて震えている。

「おい、お与志! どうしたんだ――」

 見ると、前から男が歩いてくる。

 派手な模様と大きな柄の着流しは、どさまわりの役者かも……。

 女は、その派手な男を指さして、


「あいつが、私を……」


 源蔵は、その場に膝から崩れ落ちた。

                                     

             


                                                               


                    (了)








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