第40話 英雄か旅か
レイバンとの戦いから数日、俺はまた例の高級宿屋で、自堕落な生活を送っていた。正直なところ、俺はもう元の世界に戻っても良いかなと思っていた。
レイバンを倒して、この世界が少しでも平和になる。そのためなら、死ぬこともやぶさかではない。死んでも、俺にはまだ、向こうでの人生が残っている。ここでの冒険を思い出に、元の世界でまた生きてゆくだけだ。
土産には充分すぎる思い出ができた。
別に思い出作りのために魔物を倒したり、悪党に喧嘩売ったりしてきたわけではないが、結果として、普通じゃ味わえない経験ができた。
奴隷のエルフにナイフで刺されたり、ゾンビも悶絶する黒魔術を使ったり、過激な乗馬体験をしたり、一歩間違えれば死んでいたということが多かったが、そんなスリル、向こうの世界では二度と味わえないだろう。
だから、もう帰ってもいいかな――なんて思っていたのだが、高級宿で一日過ごし、二日過ごして、三日目になると、もうちょっとこっちにいようかな、なんて気分になってきた。我ながら、現金なものだ。
メイドがいて、身の回りのことを全部やってくれる。
そのメイドだって、みんな可愛いのだ。
そして見た目にも美味い朝昼晩の食事。果物が盛り付けられた大皿が、俺一人のために運ばれてくる。それから酒。
そんな生活、向こうじゃちょっと味わえない。
さて、レイバンを倒したことで、俺は『アデプト』という名誉爵位を貰っていた。剣士の『ナイト』爵に対して、魔法使いは『アデプト』なのだという。【ダークメイジ】にそんな称号を与えるとは、この国もなかなかロックしてるぜ、と思う。
爵位の他に、屋敷、召使、コック等、色々なものを、カール王子は用意してくれた。実際には、カールの優秀な側近たちがそういう運びにしたのだが、このVIP待遇に、俺はちょっと――いや、結構な恐怖を感じている。
カールやその家臣の貴族は、働きにはそれに報いるのが当然だ、みたいなことを言っていたが、馬鹿を言うなと言ってやりたかった。
俺だって人間だから、欲望や野心はある。
良い暮らしをしたい、可愛い彼女が欲しい、高級外車を乗り回したいとか、そりゃあ、願望としてはある。しかし俺は一般庶民だ。
CDレンタル5枚で1000円が、10枚で1000円なんてキャンペーンがやっていると、ついレンタルショップに行ってしまうし、「15%値引き」のシールが張ってあると何だか嬉しくなってしまうような、正しき一般庶民である。
それが、貴族? 召使?
いやいや、俺はそんなに尊くない。財閥の御曹司が幼馴染だとか、石油王が学友だとか、王家の誕生日に呼ばれたこととかは、無い。日々のちょっとした出来事に一喜一憂している一般ピーポーだ。「すまんがその石をしまってくれんか。わしには強すぎる……」状態なのである。
ジャンヌはというと、『ナイト』の爵位を受け、そして新生青鷲親衛隊に抜擢された。まぁ、当然の流れである。クラスも【ソードマスター】からエンチャントして、【ホーリーナイト】になった。名実ともに大出世である。
だが、彼女の場合はそれが様になる。
傭兵にしておくのがもったいない剣士。それはもう、立ち姿を見れば一目瞭然だ。「あ、この人は違うな」と、俺だってわかる。彼女が青鷲親衛隊の青いマントを着て、馬上で剣を掲げる姿は、想像しただけで鼻血が出そうだ。
ぶっちゃけて言えば、俺は自堕落な生活を送りながら、居心地の悪さも感じていた。今回の件で、俺のところには毎日のように、貴族を含めたリノーの有力者、有識者がやってきていたが、俺は、古典で言うところの「いとはづかしき」心地がして、彼らが訪問してくるのが憂鬱だった。
皆、明らかに俺とは住む世界がちがう生き物なのだ。同じ人間なのに、志が高いというか、見ているものが大きいというか、何というか……挨拶をしただけで1万キロくらい気後れしてしまう。
それでも、時が経てば俺の功績とか、『アデプト』なんて爵位を忘れてくれるかなと思って過ごしていた。ところが、カール王子は俺に「宮廷魔術師として仕えて欲しい」とか言い出した。
マハルがいなくなりその席が空いた、俺はその後釜というわけだ。
俺がリノーを――いや、この国を出ようと決意したのは、カール王子からその打診があった日の夜だった。
「引き受けないのですか!?」
クティは、俺の決断を聞いて驚いていた。
「不満が、あるのですか?」
クティからすれば、なぜ受けないのか理解できないのだろう。
俺だって、待遇に不満がるわけではない。
そんなもの、あるわけがなかった。
地位も名誉も、金も権力も、一気に手に入る。それに不満を言うのは魔王くらいなものだろう。この国だけじゃ不満だ、とか。だが、俺は魔王じゃない。世界なんていらないし、国を支配したいとも思わない。村長になるのも御免だ。というより、俺にはそんな能力はない。器じゃない。
「俺じゃ無理だよ」
素直に、クティに応えた。
そんなことないです! とクティは俺を励ましてくれたが、いやいや、そんなことは、俺が一番よく知っている。ちょっと黒魔術が使えて、ちょっと魔物を倒しました、おっかない死霊使いの野望を阻止しました――それは単に、力が強かっただけの話だ。
そんなのは、K-1のチャンピオンだから大統領もできるだろう、というくらいの、馬鹿げた、奇天烈な、ハチャメチャのトンデモ理論である。――とにかく、俺に貴族とか、宮廷魔術師なんていうものは務まらない。
「ここを出るよ」
「なんでですか!? 皆、グリムさんに、居てほしいと、思っています!」
「だから出ていきたいんだ……」
「皆、グリムさんの事を、頼りにしています! 私も――」
「やめるんだクティ。俺は、普通の男の子でいたいんだ!」
「何の話ですか!?」
「俺嫌だよ、人に上から意見したり、顔色伺われたり、偉そうに指示出したりするの。そういうのはさ、本当にそれにふさわしい人間がやるべきだろ?」
「グリムさんは、この町の――いえ、この国の、英雄です!」
「クティね、誤解してるよ。いいか、俺はさ、死んでも向こうで復活できるんだよ。だから、気軽に命をかけたりできるわけ。こっちには家族もいないし、友達もいないし、家すら持ってないから、何をしたって自己責任でいい。――要するに、俺は勝手気ままにやってるだけなんだ」
「でも結果的に、皆を救いました」
「そりゃあそうかもしれない。でも、たまたま良い結果を出しただけの人間が、その結果だけで人の上に立つなんて、間違ってるとは思わないか?」
「そうでしょうか?」
「そうだよ。というわけで俺はもう――」
言いかけたところで、ノックがあった。
入ってきたのは、兵士に付き添われた十人程の――元タニザキの奴隷たちだった。身なりは未だみすぼらしいが、顔つきは、牢の中にいる時とは比べ物にならないくらい、生気に満ちている。
その中に、シルファもいた。
俺を刺したエルフの女の子である。彼女は、俺と目を合わせるのを怖がっていた。奴隷たちは俺の姿を見ると、両膝を付いて頭をたれた。それが「絶対服従」を示す所作だと、クティが教えてくれた。
実は、今の彼らの所有者は、俺である。彼らだけでなく、タニザキの奴隷船も、奴隷船の中にあった貿易品や金も、全て。なぜなら――ドーロンが、タニザキとの関係を否定し、シラを切ったからだ。それどころか、ドーロンは、俺にお礼の品を送ってきた。「カナン近海を荒らす海賊を討伐してくれた旨、感謝している」と。
タニザキも悪党だったが、ドーロンという男は、タニザキのような三下ではない、超一流の悪党のようだ。
そういうわけで、俺は奴隷たちの「絶対服従」を受けているわけだが……ただただ恐縮する次第である。奴隷には年下も、年上も、男も女もいた。エルフは流石にシルファだけだったが、そんな彼らを、俺は跪かせている。
俺はいつからパワハラ上司になったんだと、自問してしまう。こんなのは、ただのいぢめのようにしか見えない。恐ろしいのは、彼らが、俺とのその主従関係を受け入れてしまっていることである。
俺は椅子に座り、頭を抱えた。
何としても、この境遇から脱しなければならぬ。貴族で、英雄で、奴隷も船も別荘も持っていて、王子からの信頼も厚い宮廷勤めの魔法使い。
――誰だよそれ。
そんな人間の生活を送っていたら、数日のうちにアイデンティティーが崩壊して狂人になってしまう。俺のアイデンティティーが貧乏というわけでは決してないが、少なくとも、貴族や英雄ではない。憧れはするが、いざそういう人間として生きてゆけるかと質問されれば、俺は躊躇なく「ノー」と答える。
そして今、俺はまさに「ノー」と言いたいのだ。
だが、周りの状況がそれを許してくれない。ただ、「できません」と言っても、「またまた、そんなご謙遜を」的な態度をとられるだけなのだ。
嫌でも貴族として、英雄のふりをしてここで暮らしてゆくという道もある。
そうすれば、毎日遊んで暮らせるかも知れない。朝から晩までごろごろ寝て、好きな時に外に出て、彼女だって、ほしいと言えばきっとそういう準備をしてくれるだろう。
でも、それでいいのか?
お前、本当にそれでいいのか?
俺の中で、答えはもう出ていた。
だが、黙って失踪するほど、俺も無責任ではない。奴隷たちの処遇も考えないといけない。カール王子の用意してくれて住居や使用人のことも、考えないといけない。全部がクリアになって初めて、俺は――この国を出ることができる。
奴隷たちが帰り、俺は自分の考えをクティに話した。
クティは最初、俺の考えに反対したが、最後は反対しながらも、納得はしてくれた。
俺は、学校を作ろうと考えた。
クティを学長にして、建物は俺の屋敷を使う。マハルが育ったという孤児院が潰れそうなので、それを移転し、孤児院と学校を合わせたような施設にする。
「どうして、マハルの育った、孤児院なのですか? あの人は、この国を滅ぼしかけた、悪の魔道士なのですよ」
クティの疑問は当然だった。
俺は、マハルがいつレイバンという名を名乗り始めたのか知らない。ネクロマンサーとなり、この国を支配しようと目論むようになった理由も、知らない。実はマハルにも同情の余地が――なんてことも思わない。
ただ、鎮魂が必要だと思ったのだ。
この世界には魔法があり、呪いもある。きっと祟もあるだろう。レイバンは死んだが、この世への未練や強い怨念は残り続け、やがて災いの種になる。そんな気がしたのだ。
だから、マハルの育った孤児院を移設して、そこに慰霊碑を建てる。そうすれば、怨念とかそういう類のものも浄化されるだろう。――そう言うと、クティも頷いてくれた。
奴隷たちには、そこの使用人として働いてもらう。
カール王子が用意してくれた召使は、彼らの上司として、建物の管理を任せる。船やら貿易品やらは売って金にして、施設の維持費に充てる。その上で、土地と施設と人を、皆ジャンヌに譲渡する。
「どうしても、カカンに行くのですか?」
「うん」
「――私も、行きます」
「ふえっ!?」
予想外の言葉に、俺は変な声を出してしまった。
なんで? なんでクティがついてくるの? いや、俺はものすごく嬉しいけど、でも、ダメだろう、クティ。
「クティ、俺は死んでも大丈夫だから冒険とかできるけど、クティは、危ないだろう」
「私も、カカンに、行きたいです。学問のために!」
「学問だったらここで――」
「学校の学長は、私の知り合いで、それができそうな人を、探します。だから、お願いします、連れて行って下さい!」
クティが頭を下げる。
「待て待て、いや、俺はいいよ? でも、君は本当にそれでいいのか?」
「いいんです!」
「カビラか!」
「かび……え、何ですか?」
「いや、なんでもない……それはそれとしても、だ。やめておいたほうがいいと思うけどなぁ……」
俺、黒魔術師だし。
今後は危険のないように、もう暫くはこっちの世界を楽しもうとは思っているが、危険というのは、向こうから飛び込んでくるものだから、どうなるかわからない。なにしろ俺、黒魔術師だし。
「お願いします」
再び頭を下げられる。
これは、どんなに断ってもダメなやつだと、俺はクティの態度から確信した。学者というのは、頑固な生き物なのだ。クティも御多分に漏れず、その頑なさはジャンヌよりも上なのではないかと思う。
――とにかく、クティに迷いはないようだ。ここまで言われてしまっては、俺も、ダメとは言えない。危険を承知で来るというのだから、あとは、彼女の人生である。
「わかった」
俺も覚悟を決めないといけない。
モラトリアムも今日限りだ。
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